期待外れのフラストレーション
電車が駅に停まるにつれ、乗客はひとり、またひとりと減っていく。この街の最奥とも呼べる場所まで向かう者はそうそう居らず、長い車両はいつしか空になった。まるで某神隠しアニメ映画の一場面のように、私たちは並んで座席に腰を下ろし、現世離れした景色が横に流れていくのを眺める。私の視線が横線を刻むのに対し、ジョルノの視線は手元の観光マップを見下ろしてジグザグに走る。
高い高い鉄橋の上を走るヘルサレムズ・ロットのゆりかもめは、横殴りの風に負けてしまわないか心配になるほど危ういバランスで進む。揺れはほとんどなく、立ち込める霧が時おり風景を濁らせた。車内放送を受けて地図を畳んだジョルノが、背後の窓に目を近づける。頬がくっついてしまいそうな距離からじっと前方を見て、着きますね、とぽつりと言った。着くねえ、と私も言った。
大穴の上空。ラピュタを彷彿とさせる巨大な駅、ユグドラシアド。『永遠の虚』を覗き込む絶好の場所に人影はない。一時は大勢の見物客で溢れ返ったのかもしれないが、今は観光スポットとして機能するどころか、危険な場所として避けられる。立て看板で人界向けの自殺防止が説かれていたら怖いなと思ったがそんなこともなかった。そこは自己責任か、落ちても"どうにもならない"とされているのか。死ぬか死なないか、ナニがあるのかないのか、"あちら"を見たことのない人界の一般人にはわからない。
風が大きくうねりを上げ、ジョルノの服の裾をはためかせる。私のスカートが広がるタイプだったら盛大にめくれて逆メジェドさまみたいになってたところだ。幸いにして裾の余裕は少なく、花柄レースの薄っぺらいおパンツがご披露されることはなかった。髪がぶわぶわと逆立つ。魔法の呪文を唱えエーテルの風を受けるふりを脳内でして遊びつつ階段を降りた。足元に気をつけてくださいね。一足早く踊場に下りたジョルノが私に手を差し伸べる。
「駅繋がりで、帰りはストムクリードアベニューをじっくり回りたいですね」
「どこ?」
「ミスター・スターフェイズとミス・K・Kが共闘した場所ですよ」
名前よく憶えてたな。これが主人公の優秀な記憶力?感心した私にジョルノは「断片的に憶えていたのをマップで確認しただけです」と何でもないような口ぶりで言った。響きには驕りも謙遜もなく、事実だけを述べる、いかにも彼らしい発言だ。
それにしても階段が多くて脚が引き締まりそうな所だわ。帰りを思うとチコッとだけ憂鬱である。指パッチンでエスカレーターにならねえかしら。動く階段を覚えた人間は元に戻れない。動かない階段を見つめながら俯いて歩いていた私は盛大に吹き抜けた風にさらわれそうになり、ジョルノに掴まえ引き寄せられて事なきを得た。危ないと言ったじゃないですかポルポ、とゆっくり言い聞かせられる私は彼より11歳年上である。幅が狭くてエスコートはできませんから頑張って歩いてくださいね。ハイすみません。彼ががんばれっがんばれって励ましてくれたら本気出して頑張れると思うんだけど、要求するには"それをするには勇気が足りない……"状態だったしやってもらっても心が痛んだだろうから何も言わずに前を見て歩く。
度胸試しもイイトコロな道のりを踏破すると、バルコニーのような空間に突き当たる。これ以上先には行けそうにない。申し訳程度の柵に錆などはなく、掴んでも手は汚れ無さそうだった。
風の音が鼓膜を切るように辺りを取り巻き、この下に何があるのか知っているからか、あるいは知らないからか、どことない不気味さを感じ、HOTなLIMITを振り切って生足魅惑のマーメイドにはなりづらい。高所恐怖症だったら失禁しながら死んでる。
しかし見ないのももったいない。どんなハードアクションにも耐えきるリゾットのフードすらも吹き飛んでしまいそうな下からの風に身を晒し、おそるおそる穴を覗き込んだ。見れば見るほど、"やだぁポルポこわぁい"とかナントカ頬に斜線をたっぷり入れて言いながら素早くしゃがみ込み相手の足を思い切り持ち上げるだけで男をオトせそうなデートスポットだ。
「思っていたより、普通……ですね。僕には禍々しさも迫力も感じられない。"何かがある"とは思いますが、これは原作を知っている先入観のせいかもしれません」
観光目玉のひとつとして楽しみにしていたジョルノは残念そうに、唇を指でいじった。ミラーリングか、私も同じように指を這わせる。表面のかさつきに気がつき、隣の少年の柔らかいハニーリップとの格差に女としての悔しさをおぼえつつ薬用クリームを塗った。ごめん嘘ついたわ。実は全然悔しくない。
念入りにぬりぬりしながら、柵から顔を出す。寄りかかりはしなかった。万一、万一、万が一、根元が腐っていてボキンと折れるか外れるかして真っ逆さまに落下したらと想像すると股がヒュンとしてお腹の底が冷える。ジョルノが即座にトリップマシンに鍵を差し込んでくれるとは思うけど、異界への投身は嫌だ。私タンマウォッチ持ってない。持ってても上に戻れるかわからん。タケコプターがいいのかな。風圧に負けない?
キャップを閉めようとして、向きを変えた風に足元ならぬ手元をすくわれる。あっ。指から、ジャッポーネの薬局で有名なリップクリームの筒(ポーチに入ってたんだけど、こっちの私もこれを使ってるとかマジぶれない)が滑り落ちた。止める間もなく術もなく、放り出されたスティックは重力に従って落下した。『永遠の虚』における重力がどうなっているのかは知らんけど、落ちたんだからたぶんこちらの摂理は働いていた。
やっべー、落とした。どうなるんだろ。どうもなんないか。駅から小石が落ちることもあるだろうし、まさか異界にいる緋色の羽根持つつぉい人の頭にコツンとぶつかってイテッてなるわけでもあるまい。それでブチ切れて何かしらの方法でどっかに被害が出たらどうしようと心配にならなくもなかったが、大丈夫だと信じよう。
期待外れにがっかりしたジョルノは足取り重く帰りの電車に乗り込み、しきりにため息を吐いた。私は内心それどころじゃあなかったんだけど、この少年ボスを落ち込ませっぱなしにするのも可哀想だ。
「ストムクリードアベニュー駅の帰りにアイスでも食べようよ」
「……トリプルにしても構いませんか?」
ヘドバンしそうだったからにこやかに少年の手を握りもちろんよと言うに留めた。
「他に、行けそうな場所はどこでしょう」
「私も細かくは憶えてないから、なんとも言いづらいけど……」
紐育全域の地図はヘルサレムズ・ロット全域のものに変更されたが、前時代のものも残っている。崩壊、崩落、組み替えられた地に何が在ったのか照らし合わせるのも"ヘルサレムズ・ロット観光"としては一興だろう。けれど私たちの目的は純粋な"ヘルサレムズ・ロット観光"ではなく、俗に言う聖地巡礼にある。限られた時間は名所名物廻りに使うべきだ。ジョルノはそう考えていて、私も異論はない。2人で頭を捻り、紙面に描かれていた情景や台詞を思い出そうと試みた。有名どころでパッと浮かぶのはサブタイトルにもあった『幻想都市ライゼス』くらいだ。
「病院がありましたね」
ジョルノも人差し指を立てた。
美人の激強女医さんと本型の院長。クラス、いや、スティク、いや、ライブラツートップペアの心に棘を刺した地と考えれば興味は高まるが、最後の命綱として頼られていそうなクソ忙しい病院を眺めに行くのは人道的にどうなんだろう。お前が人道を語るんじゃあない、とセルフ罵倒も可能だけど真剣に不謹慎じゃない?瀕死の大怪我をして搬送される役と付き添い役に分かれて潜入するのは嫌だぞ私は。入り込む理由としては穏便で正当でも嫌だ。ジョルノも、上手な言い訳を寝る前にでも考えることにします、と言った。
最短ルートから外れつつ、買い食いを挟んで地下駅に辿り着くまで、ジョルノは口数少なに記憶を探り続けていた。ガチすぎるようにも見えるが、"次の機会"があるかわからない体験を全力で楽しもうとするのは当然だ。私も全胃袋を懸けて食べまくっている。
そうして到ったストムクリードアベニュー駅も、ジョルノを楽しませるには至らなかった。戦闘がなきゃあただの駅だもんな。液状化から復活した吸血鬼も残っているはずがなく、がっかりした美少年の背中が涙を誘い母性をきゅんとくすぐる。"どうしたの?何があったの?助けになりたいわ"と黒塗りの高級車から降りたマダムが心底から彼の力になってやりたいと思いお屋敷に連れて帰り至れり尽くせり、最終的に少年を養子に迎えて全財産をむしり取られて終わってしまったとしても誰もそのマダムを嘲笑えないし、マダムも少年の世話をしたことを後悔したりはしないだろう完全無欠の極致だった。わかってるけど私もジョルノを慰めた。こんな魔性に全力で釣られクマー。
若々しく凛々しい表情が曇っている。手でもつなごっかと言ったら素直に受け入れたけど、これはジョルノが弱っていたんじゃあなくて私への接待の要素だなと察した。落ち込んで誰かと手を繋ぎたがるジョルノも胃が引っくり返りそうなくらい最高だが、相手は私ではないと思うんだ。お馴染みのミスタでもフーゴちゃんでもナランチャでもなさそう。その、なんだ、……プリン……とかかな……。こんなイメージがバレたらどうなるかわかったモンじゃない。
だらだら歩く気がなくなったのか、キャラメルソースのかかったホイップが食べたいとホントかウソかわからんことを言ったジョルノが、近道をするつもりで私の手を引いた。ファストフードチェーンの角を曲がる。すれ違った女性からいい香りがして、どこの香水かなと好感を抱く。男女問わず、好みの匂いをまとう人物に出会うと一気に気を許してしまいたくなるよね。リゾットアロマが筆頭だ。プロシュートは"狩り"に際しては雌猫を量産する香りを振り撒き、ネコたちの胸に強く印象を刻み込むが、お仕事にあたってはこれ以上ないほど場に即す。潜入が必要な任務を割られたら(私が割るんだけどさ)、プロシュートかメローネに訊くのが一番だ。
「ポルポはどんな時につけるんです?」
「多いのは、お呼ばれした時かなあ」
「この間は柑橘系の香りがしましたね」
よく憶えてるな。新しく買ったんだよ。僕はジャスミンの香りも好きです。じゃあ今度それつけてジョルノを口説こう。
他愛のない会話をして歩く私たちが街に慣れて見えたのか、「あの!」と後ろから声をかけられた。今すれ違ったいい香りの女性が、困った様子で控えめに微笑んでいる。
街の住民に見えたのではなく、イタリア語に惹かれたのだと言う。ホンマモンの旅行でやって来た彼女は、翻訳アプリでもうまく翻訳できない英伊文章の表現に迷って、どうしようか悩んでいたらしい。幸いなことに、私でも助けになれそうだ。ジョルノには悪いけどちょっと待ってもらって、1mほど道を戻る。
陽気な性格の女性は、問題が解決に向かうにつれ表情を明るくして饒舌になった。リヴォルノ出身で、今は出版の仕事をしたくてフィレンツェを拠点に勉強しているのだが、見識を広める為にナウでホットな元紐育へやって来たとのことだ。一般人が単独でヘルサレムズ・ロットに旅行とは、かなりのガッツだ。凄いねと言おうとした口は、彼女の視線が私を通り越したのに気づいて閉ざす。
「ッテエなクソガキ!」
歩道の端に避けたジョルノの肩に、すれ違いざま、男が左肩をぶつけたらしい。憤慨したイタリア女性が私に説明してくれた。
少年が目を細める。男の大きな手がジョルノの肩を思い切り掴んだ。強引に身体の向きを変えさせられたジョルノは、怯えひとつ無い瞳で静かに男を見上げた。
「なんだ、その目は?あぁ?謝罪のひとつもねえのか?」
「謝罪の必要がありますか?ぶつかってきたのはあなただ。しわになるので手を離してください」
この興味を失ったような声と心の篭らない謝罪だったらどっちのほうが神経を逆撫でしなくて済むだろう。男のこめかみがぴくぴくと動き、流暢なイタリア語で罵声が吐かれた。イタリア育ちだったのかもしれない。ジョルノは視線を男に合わせた。
体格差は明白で、ジョルノの反抗的な態度は男の腸を煮えくりかえらせるだけに思える。グッドフレグランスな女性は私の腕に触れて言った。
「あなたの連れが大変だわ。わたし、ポリスを呼んでくる!」
彼女は一目散に駆け出した。止める間もない。すげー速くて明らかに100m10秒切ってる走りだったけど、陸上やってたのか言峰綺礼の縁者かどっちだ?
「お綺麗なツラでお高くとまりやがって。俺はそういうガキが一番嫌いなんだ!!この……」
余程に気に食わなかった男は、言ってはいけない言葉で吠えた。
人生で一度聞くか二度聞くか。イタリア人にとっては言うに憚られ聞くに堪えず、冗談の内であっても決して口にしてはならない禁句が含まれている。ギャングじゃなくても、これを言われたら相手を殴って刺してもおかしくないスラングだ。"パッショーネでここまでのし上がるなんてあなたは素晴らしい努力家だ、地位と金の為に一体何人と寝たんです?"と嘲弄された純真無垢な私も(処女だったんだよほっといてくれ)言われたことがないパターンのヤバいやつ。あの時は"こんなんリアルに言う人マジでいるんだなー"って感心したけど、今はしみじみするより驚愕した。知っていたって口にしづらいレベルの汚い嘲罵を、よくぞ。
イタリア文化に育つジョルノは当然、瞳に青い炎を点した。身体の横で拳を握りしめる。さっきまではスルーするつもりだった冷静な彼も、この侮辱は無視できなかった。
「……あなた、覚悟して来てる人ですよね?」
よくぞ、このジョルノに。ただでさえ機嫌が良くなかったジョルノに。
「人に喧嘩を"売る"ってことは、"買われる"ってことを常に覚悟してるってわけですよね」
私は名台詞に感激を隠せなかった。録音し忘れた。だってまさかボールが来るとは思わないじゃない!?私のサイドエフェクトは何も言ってくれなかったっていうかサイドエフェクトは持ってなかった。
「あァ?何言ってんだこのガキ……。お子ちゃまひとりで何が」
男の声が語尾を残して途切れ、身体が宙を舞った。放物線がコンクリートとの接点にぶつかって滑る。鈍い悲鳴。
「ぶべらッ!!」
釣り立てのマグロが市場の床に投げられるのに似ていた。男=マグロ、いや、なんでもない。なんでもないんだってば。なんでもないったらあ!
ジョルノは急がず焦らず、動けない獲物に止めを刺しにゆくかのような歩みで男に近寄っていく。目に見えないナニかにぶん殴られた男は、切った口の端と鼻から血を流して首を左右に大きく振った。"やる"と言ったら"やる"男、ジョルノ・ジョバァーナの瞳のキマり具合に、野次馬も手を出せない。すぐに終わります、とジョルノが宥めるように宣言した。男が震えた。
問題を起こすなってダニエル警部補に釘を刺されていたのに、わかりましたと言った舌の根の乾かぬ内にこの暴力沙汰である。バレたらコトだぞ。あああ、また私が怒られるよぉ。
「ジョルノくん」
「なんです?」
「サツが来るからトンズラしようぜ」
「……」
ジョルノは男から視線を外さなかった。
「ここまで言われて我慢しろと言うんですか?」
「いやまあ別に、やりたいならやっててくれていいんだけど……」
感覚の問題なので……。
「じゃあ、私は先に戻ってるね。終わったら電話して。あとあの女の子にお礼言っとくのお願いします」
彼なら暗殺一家の親父くらいうまくやるでしょ。
ポシェットのストラップを肩にかけ直す。本当に戻ってキャラメルソースのかかったホイップ(ジョルノが言ったのを聞いたら食べたくなってしまって)を食べちゃおうと思ったんだけど、腕を掴まれて足を止めた。
「警察署デートはお気に召しませんか?」
連行される気満々かな?あの警部補相手に二度目はちょっと嫌だからひとりで頼む。
ジョルノが男に目だけを向けた。刷り込まれた恐怖が男の肩を震わせる。
けれど、それだけだった。行きましょう。ジョルノが初めと同じように私の手を握って足早に歩き出す。放置。何もかもを放置。
小さな靴音の間隔はどんどん狭まり、"こっちです!"と英語で警察を引き連れた善良なシニョリーナに手を振って、私たちは小走りに角を曲がった。う、うーん、捕まらなきゃあ何をしたっていいってワケじゃないけどわからんでもないし、私も昔オッサンを殴っ、……。
「ホイップマシマシでいこうか」
「僕はソースも増やします」
今日は観光も反抗も消化不良気味だったが、一応、気は晴れたようだった。
20151114