幸福の多い料理店
とば口に立っただけだというのにこの存在感。
右手を左胸に当てた敬礼を受け、ようこそ、と誘われるがまま建物に入る。
モルツォグァッツァは人をダメにするレストランだ。真実、人間を人間として機能させなくする。耐性のない者は異界人も人類も、恐らく血界の眷属も関係なく平等に狂い悶えるだろう。ごくり、と飲み込んだ唾は食欲ゆえか、目前に迫る強烈な死の予感に晒されてのものか。
新異界料理の店では空間を繋ぎ合わせ組み替えた完全プライベート個室制が原則だ。『新異界料理の店』は『ヌーベル キュイジーヌ アウデラーデ』と発音してカッコよく決めたかったが、意識を切り替えて喋るチャンスがなくて失敗した。難しいしね、フランス語。
私とジョルノは、2人用にしては広いが孤独さは感じない絶妙な部屋に通された。シルバーに従って席の傍に立つと、すっと椅子がひかれる。座りやすい。
ジョルノもいるため、本格的には飲まないことにして軽くグラスを傾ける。人の目がなくなっても緊張するのは、これからやってくる料理への慄きか、ってウワッやべえ酒がうまい。ただのシャンパンなはずなのに、どこのシャンパーニュ地方だよ。私の知ってるフランスと違う。このシャンパンって異界からいらしたシャンパーニュ一族が生み出した奇跡のアルコールだったっけ。
少年が表情を引き締めた。
「これは……、心してかからなければならないようですね」
グラス1杯で動揺させられるとは恐ろしい。おかしなことを口走らないようにだけ気をつけよう。
怖くて手が震えてきた。ジョルノは大丈夫?
「覚悟はできています」
私はできてない。
シラユリガイとマッシュルームのガレット。前菜はあたたかいものがくるようだ。そっと切り分けると、雲丹のソースがとろりとナイフを濡らす。マジで?マジでこれ食べるの?
「怖いなら無理して食べなくてもいいんですよ」
食べいでか。
口に運び、舌にのせる。私はウッと呻き、ジョルノは硬直した。馬鹿な、と震えた声がする。君、紙面でもそんな顔あんまりしなかったよね?全身全霊を込めて音を立てないようにシルバーを皿に立てかけた外国文化根性はスゴイ。私なんてフォークの先っぽを噛んで歯を折りそうだ。
こんなにおいしい食事は今までに食べたことがない。
いや、ある。あるっちゃ、ある。けれどそのおいしさは私の中の枠組みが違うのだ。リゾットのご飯とソルジェラのご飯とフーゴたんの3分クッキングはそれぞれ貴重さとおいしさと感動が異なる。数字で評価するなら、彼らの手料理をいただく時の感動度数はモルツォグァッツァで提供されるディナーと大差はつかない。
しかし次元が違った。単純なる味だけで考えれば、かつてこの料理と比較できるものと出会ったことはない。
比類なき美食。芸術的な究極。
新たなるボスも同じ気持ちだったようだが、若いからか主人公だからか立ち直りが早かった。ヤバい、若いとか言っちゃった。でも10歳チョイ年下の子は"若い"と言っても不自然じゃあなく、どっちかっていうと26歳としてはそう断言すべきだ。
私ももうひと口、もうひと口と皿を軽くしていくが、ジョルノがあまりにもひょいぱくひょいぱく食べていくので不安になった。慣れるのが早い。感心したが、よく見ると頬が紅潮している。きゃわたん……。
続くサラダにタコが入っていたのには笑った。
味覚と視覚、五感に訴えかけてくる2品目は(前菜を2つとカウントすると3品目になるけど)季節のスープ。前菜のファーストインパクトの強さで生存本能が踏ん張り、うあああおいしいいいい!と誰彼構わず手を取り合って踊りたくなる程度で済んだ。
フゥ……。
次は魚料理である。わかってはいたけど、実際にペッシェと聞かされると懐かしくなる。私の出張なんかの時は平気で3週間くらい留守にするのに、数日離れただけでここまで懐かしさを覚えるのは、世界が違うからだろう。ジョルノもブチャラティたちを恋しく感じているかな?そう思ったところを見計らったように、少年は「ブチャラティたちがこれを食べたらどう錯乱するでしょう」と仲間の名前を挙げた。た、確かに。私とジョルノの以心伝心な偶然はともかく、ブチャラティたちがモルツォグァッツァの食事が美味すぎて最高にハイってやつになる姿は見たい。どんなに鍛え抜かれた理性であっても感覚が暴走すること間違いナシだ。クラウスさんとかアラブの……アラブかどっかの富豪とは違う。高潔な精神と魂は雲海をぶち抜く勢いでも、この部分では生まれついて数十年のハイソサエティには敵うまい。あ、フーゴはちょっと敵うかな。
白身魚も実に美味。胃が痛くなるおいしさだ。受け入れた経験のない刺激で異様に活性化した器官がビーストモードで多量の胃酸を分泌して穴が開いたらどうしてくれよう。
「一番最初に気絶するのは誰かしらね」
「どっちでです?」
「そっち」
「僕はピストルズだと思います」
脱落するピストルズと、彼らを追うように怪しげな笑いを口から漏らすミスタを思い描いた。ナランチャは意外にもちそうだ。そしてフッと糸が切れたように倒れる。尊い犠牲だ。あっ、ナランチャに対してこの表現は心の傷がえぐられるからやめよう。
「おいしいね……」
「美味を通り越していますよ……」
くうっ、ソースの一滴まで舐め回したい。
大メインの肉料理は炭焼きのフィレ肉だった。
人界の格高い牛と異界の牛(と非常によく似た生物)を遺伝子工学に長けた異界人が交配させ生まれたお肉、いや、動物がこのお肉の持ち主だ。焼き色は上品だが、強くつけられた焼き目は人の心に眠る野生を呼び覚ます。ナイフを持つ手が武者震いした。私が勇気ある童貞でこのフィレ肉が筆下ろしに楽しみを見出す眼鏡黒ストッキングの妖艶な女教師だったら今すぐむしゃぶりついている、と言えばあの食に執着のなさそうなメローネにも感動と欲望が伝わりそうだ。
こんな素晴らしい料理を前にして考える話じゃなかった。
添えられたフォアグラのソテーを崩し、お肉とあわせて口の中に閉じ込める。溢れた肉汁で意識が遠のきかけた。これ童貞卒業する前に鼻血出して保健室に運ばれるパターンだわ。またの機会にしましょうねボウヤとか言われるやつ。絶対そうだ。
呆然自失に陥った私は無心で肉を噛み、飲み下し、もっともっとと切なく慟哭する脳に急かされてもう一切れ口にした。その美味さで逆に正気に戻り、急いでジョルノを窺う。
俯く少年はフォークとナイフを置いていた。リタイアか!?と目を疑ったが、2本の銀色はハの字を描く。
下を向き、額の前で手を組むゲンドウポーズは、勇気と覚悟と信念のある少年に似つかわしくない姿だ。ジョルノ、と声をかける。
「ふふ……、ふ……」
彼が笑い出した。肩がゆっくりと小刻みに震える。
「無駄なんですよ……、何もかもがね……」
「うん?」
急に世界を破壊しそうな台詞を吐いたもんだからびっくりして聞き返す。
こちらの反応は、彼の意識の端にも引っかからなかったようだった。
「ライブラ?牙狩り?血界の眷属?13王?ガミモヅ?フフ……全員モルツォグァッツァに放り込んで口の中にフィレ肉を突っ込んでやればいいんです……。それで終わりですよ……」
4、否、5品目にしてジョルノがラリッた。
「ああすみません、僕としたことが。"彼ら"はともかく、ゲスに至高の料理を食べさせる行為こそが無駄。あんたもそう言いたいんですよね」
大丈夫?それしか言う言葉が見つからない。
「僕は鶏肉が嫌いなんですよ……」
そうだっけ?プリンが好きなのは憶えているんだけど、他の好き嫌いは曖昧だ。
「だから余計にディアボロの名に嫌悪感を抱くのかもしれませんね……」
急にどうしたという感じだけど、イタリア料理の話である。よくあるスパイシーなチキンソテーは、ボス嫌いの人たちにたまに不評だ。虫の居所が悪いと食事時の口数が少なくなる。私は普通にガツガツ食らう。ていうかフィレ肉の話はどこ行った?一時的狂気って怖いね。
獣のような瞳が私を捕え、意志の力で刺し貫く。
「彼らはなんですか?」
「え……ナニってナニ……。スカウターを粉々にできる人たち……?」
ジョルノは冷めかけたお肉を見て、パッとシルバーを握りしめた。何事もなかったかのように食べ始める。ジョルノにとってはどんなんなの、と問うてみるも同じようなものですと答えられては黙るしかない。君、スカウター知ってるの?
ぬるくなってもお肉は天上の味だった。よくわからんがこまけえこたぁいいんだ。おいしけりゃあいいんだ。舌根と脳髄で理解できた。
最後のデザートプレートに思考を揺さぶられる気がして、荒くなる呼吸を整えようと胸を押さえる。
「オッケーオッケー、平気平気。私にとってはこれが自然体だから。You still have lots more to work on…….いや、Iかな。心を閉ざそう。閉心術。ううッおいしい……。これクラウスさんはともかくとして、一番最初に食べた時絶対スティーブンさん撃沈したでしょ……?だとすると誰が彼の肩を支えたの……!?あとトランス状態に陥ったザップくんたちを連れ帰って寝かしつけッああー、ううー、ティラミスおいしい。モルツォグァッツァのティラミスおいしいナリィ……。やっぱこれ私大丈夫じゃないわ」
幸福が重なり過ぎると人は危機感を抱き本能的に逃げようとしてしまうそうだが、私も今すぐ席を立って風を浴び世界の広大さと己の矮小さを知り絶望したかった。バランス。そう、バランスだ。世の中にはやはり天秤がある。ケーキおいしい。入店前と現在の知能指数の差を計ったらスゴイ数字が出そうだ。
"紅茶"という名の宝玉を溶かした液体ですと説明されても疑えないくらいおいしい紅茶を飲み、息を吐く。明日の朝には今日の記憶が飛んでるな。
「あなたはどうして平気な顔をしていられるんです?」
インターバルを置いてSAN値回復に成功したジョルノがぼやくように言った。自分よりおかしくなっちゃった人を見て冷静になれたのではないかな。ジョルノよりもゆっくり食べていたのも良かった。
「そうですか……。……僕は何かおかしなことを口走りました?」
「ポルポおねえさん大好きって言ってた」
「なら安心です。事実ですからね」
かなり元気になったみたいでお姉さんは安心したよ。
レストランを後にすると、ジョルノが私に腕を差し出してくれた。ありがたく組ませていただく。時間差で効果が表れ(どう考えても料理への言い方じゃない)、生命エネルギーが暴走して勝手にアッピア街道を全速力で走り抜けたような虚脱感があった。余裕を持って優雅たれと3回唱える。
電源を切っていたケータイに光を入れると、十数件の着信履歴があった。既読にするのがめんどくさいけど、通知の数字を表示させっぱなしにするのも趣味じゃない。一括ボタンを押した。こちらから掛けるつもりはない。可能不可能の問題ではなく、履歴を見る限り20分に一度のペースで掛けてきているから必要がなさそうなのだ。当然のごとく2分後に電話が震える。
ボスに無理を言って予約を取らせたのは私だ。ここはお礼を言おう。ありがとうボス、おいしかったです。僕もおいしくいただきました。
「どんな味だ?」
「想像を絶する。アレはヤバい。あのレベルの料理を作れるスタンド使いがいたら私はその人に土下座してご飯を……」
私は目を閉じた。それどこのトラサルディー?
そこはトリップマシンでは決して辿り着けない場所。時間は戻らない。
「……ポルポ?」
あああああ、悔しい!元の世界に戻ったら所在捜して予約入れようかな!?杜王町にあるんじゃあなかったっけ!?うあああ絶対行く。最近は入国手続きで毎回"お前ナニしに日本に来てんの?"って言われるけど行く!!
「ボス、私ちょっと元気出た」
「わたしにモルツォグァッツァの予約まで取らせておいて、"ちょっと"だと!?」
しかもこれモルツォグァッツァ関係ないしね。
実は、そこから先の記憶には穴がある。帰路に着いたのは確かだが、方法がよくわからないのだ。
翌日の目覚めは快適で、なんでもできるような万能感の中で起き上がれた。薄く積もり始めた旅行の疲れが嘘のように消え、頭もスッキリしている。けれど、昨日の夜にモルツォグァッツァで何を何品食べたのかも帰り道のこともあやふやだ。私は自分の狂気を悟った。推測だけど、記憶を掘り返して味を思い出し再び錯乱する可能性を脳が自然に排除したのだろう。ナニかすごく世界の常識を超えた美食を味わった、とだけわかる。これだけでも陶酔できるのだから、また味わいたくなってリピるのは当然か。
なんかこれってアレに似てるな。
合法ま、……まで考えてやめた。ブチャラティがいなくて良かったかもしれない。
20151028