単なるゲームと侮るなかれ
ボスから電話がかかってくるくらいしか使い道のないスマートフォンで、ヘルサレムズ・ロットの景色を撮る。
市街地の大通りをひとつ外れ、大型ファストフード店の裏側が見える所でモーニングを注文する。コンチネンタルブレックファストを連日口にするのは芸がない、と意見が合った。街を散策しがてらカフェともダイナーとも言えないお店で席につき、碌にメニューも見ないまま簡単な英語で「オススメよろ」と店員さんに任せてしまう。少年がカフェラテだけは譲らない姿勢を保ったが、残念なことにミルクの到着が遅れていた。
丸テーブルのコーヒーフレッシュ(それともポーションミルク?)を開けてコーヒーを濁らせ、かき混ぜると水面に渦が巻いた。水滴を切ったジョルノは、マドラーをソーサーに置く。彼は私が撮った写真に興味を持ち、いい色彩ですねとよくわからない褒め言葉で私を称えた。自分もレンズを飲み物に向け、写真投稿サイトに上げたらハートがつきまくるであろう芸術的なオシャレフォトをアルバムにおさめる。色調調整の補正をかける必要はない。そうするほうが無粋だ。
私が飲むぬるめの紅茶は口を優しく潤した。ジョルノのコーヒーは熱すぎたのか、反射的に唇をカップから離して目をぱちぱちさせていたのがとても可愛い。可愛いねと言ったら僕よりあなたのほうがと返され、脈絡がなさすぎる口説き方に圧倒されるしかない。
揚げたてをチョコスプレーの海に突っ込んだだろと訊きたくなるドーナッツと、重ねられたパンケーキを食べる。朝から豪勢だ。軽い朝食に慣れるジョルノは、パンケーキを2枚、私のパンケーキの上にのせた。味を変えたくて店員さんにホイップを貰えないか身振り手振りで頼むと、青年は袋ごと持って来て、好きにしぼれ、とスゴイ贅沢なことを言った。遠慮なくしぼる。ジョルノが目だけで胸やけを表すがこのポルポ容赦せん。
「今日はどうする?」
メープルシロップで線を描く。
「また街でも歩きますか?それとも昨日のアレで疲れました?」
「私は何もしてないから疲れてないよ。今回は護衛さんがいてくれるから、街中を歩き倒すのもいいね」
冗談めかす。
「前回は無理でした?」
「最後の最後でちょっと襲われて大変だったのよ。レオナルドくんが」
「彼なら仕方ありませんよ。トラブルがないわけがない」
「ブチャラティの行く先々で事件が起こるのと一緒だよね」
「先月の殺人未遂の話ですか?それとも先週のバスジャック?ああそういえば2か月前は酷かった。彼がよく行くバールの厨房の地下に、死体と女性が押し込まれていたとか」
「なんじゃそりゃ……」
拠点の一室でジョルノが仕事をする間、外回りや交渉に勤しむブチャラティは少年ボス以上にイタリアを歩き回る。会議場の下見には出来る限り向かい、華やかなるお招き事への対応と代理も務めるそうだ。旧パッショーネで培った人脈と積み重ねた実績が物を言い、パッショーネ幹部ブチャラティの名を知らぬギャングはモグリ、と一瞬だけ一部でジョークが流行った。
そんなブチャラティの足跡には花が咲き乱れ黄金の風に揺れるが、同時に横っ面を叩くように物騒な話も舞い込んでくる。痴情のもつれ、奇怪な取り引き、人の仕業とは思えない方法での密室殺人、死体の隠ぺい、呪術的信仰における非人道的儀式の発見などなどエトセトラ。枚挙に暇がない。どれもを探偵顔負けな推理と行動力で解決できてしまうのも問題だ。彼自身にしゃしゃり出るつもりはないようだが、事件の匂いを嗅ぎつけたぽっと出の自称探偵が事件解決を目指すよりも、信用のおけるブチャラティを頼るほうが手っ取り早そうではないか。一刻も早く別の仕事に取り掛からねばならないものの、縋りつかれては目の前の凄惨な現場を置いてゆけない。で、いつも彼は体力ある肉体と優秀な頭脳とチートじみた行動で鼻を利かせ、事件に超スピーディーな幕切れをもたらしているのであった。
2か月前の酷い事件とは、自分をフッた女を捕まえては地下室に放り込む狂気の殺人犯の話だった。殺害してから放り込む流れではない、っていうのに底知れなさを感じるそれは、ニュース番組で報道されていた記憶がなくもないものだ。解決にブチャラティが関わっていたとは知らなかった。
厨房の地下に死体。
場所が場所なので、私たちは失礼ながらも、カフェの厨房に目をやった。
「嫌だね」
「とても」
食事の味が悪くなりそうな話題だが、モーニングは完食した。
パンケーキで拭いきれなかった生クリームが微妙に残り、ドーナッツから落ちたチョコスプレーがぱらぱらと点になる。
食後にオレンジジュースとチョコラテを注文し、示し合わせたようにスマホを取り出した。
ジョルノが、昨夜ダウンロードしたアプリを私に見せる。強弱のついた筆記体は装飾され、画面の高級感に合っていた。
それはこの世界の、神的な存在と並び立てるのではと言われる格高き人物が愛好するゲーム。
「とうとうジョルノがこれに手を……」
盤上の状況は目まぐるしい変化を見せ、頭脳と機転が試される。真剣勝負において、プレイヤーの脳は1秒たりとも休むことを許されない。
NPC相手の初心者コースから上級者コース、全国の人と対戦できるVSシステムが搭載されたアプリは、公式から配信されているようで機能が多い。1対1で顔を突き合わせる、あるいは強健なネット回線を持つパソコンを介するべきゲームだが、スペックで劣るスマホでも問題なく遊べるようにされているそうだ。
直感的に、長くなりそうだな、と思った私は、自分も落としておいたネットポーカーにログインした。ジョルノは昨夜の内にアカウント作成とチュートリアルの段階を踏み終えたらしく、中級コースに挑んでいる。
全国津々浦々に繋がる対戦モードは、練度に合わせた組み合わせを作れたり、レベル関係なく完全にアトランダムな場を生み出したりできる。このアプリだけで時間と充電と通信量がもぎ取られること間違いなしだ。プレイヤーは気づいたら夜が明けて窓の外で小鳥がチュンチュンさえずる健全で不健康な朝チュンを迎えると決まっている。
プロスフェアーをやってみたい気持ちはあったが、私の頭ではチュートリアルすら乗り越えられまい。デュエルだったら中級くらいまではイケると思いたいんだけど、これはねえ。ドン・ナンチャラってスゴイ人がハマり倒すようなゲームはその評判だけで、生半可な覚悟の挑戦者をふるい落とす。
指南してもらえるみたいですよとジョルノが自分の画面を私に見せてくる。アプリのNPCでは足りない"人間の思考"を補う為のものだそうだ。実地が一番成長する、ってやつか。
ほへー、と相槌を打ちつつ私も対戦に入った。対戦相手のIDは、えーと、英語だとこの綴りってのは。
広々とした部屋はとても静かだ。正確に言えば、クラウスとギルベルトとスティーブンの周りだけが静かだ。
ソファとローテーブルを陣取る青年たちは、ぎゃあぎゃあ騒いでは1台のスマートフォンを囲んでお互いに文句をつけ合っている。何がそんなに楽しいのやら。
こちらもこちらで、とスティーブンは、リーダーが目を凝らすパソコンを思い遣った。半端ではない排熱だ。クラウスからも機体からも、むんむんと熱気が放出される。温度計を差し込んでやりたい。
一勝負ついたのか、副官が頬杖を突くうちにクラウスが顔を上げた。深く息を吸い、大きな胸を膨らませる。感動したように吐き出されたそれは満足げだった。いい勝負だったのだなと一目でわかる。相手が誰かは知らないが、少なくともヤマカワなる人物ではなさそうだ、とも察した。その何某が相手なら、もっと時間がかかっただろう。
冷めた紅茶は、ギルベルトが素早く淹れ直して取り換えた。色は薄いが香りは非常に豊かで、嗅覚から脳を休める。
頭を切り替えた彼は、時計を見てからまたマウスに手を置いた。これはもはや、中毒と言っていいのではないだろうか。
「次はどんな相手だろうな?」
プレイの邪魔をする気はないが、対戦相手を選ぶ途中に話しかけるくらいは許容範囲だ。クラウスが「見てみるかね」と示したので、スティーブンは大きな椅子の後ろに回り込んで、クラウスの背中越しに画面を覗いた。本当に自分が盤を前にしているように錯覚できる画面構成だ。それでいて、デジタル特有の透視じみた駆け引きを楽しむことも、不可能ではないらしい。遊び方は多岐にわたり、一晩中やっていても飽きない者もいるのだろう。たとえば、スティーブンの息遣いをも感じられる距離で心なしか楽しそうにする男など。
「完全なる勝負というより、対局に入る前の練習を手伝うようなイメージだ。何かの役に立つのなら、とたまに顔を出すようにしていてね」
「へえ、"ラインヘルツ先生"か。なかなか似合いそうだな」
「相手は機械が……このように」
「勝手に選ぶのか。今回のは……」
アイコンはてんとう虫の絵だ。横に表示される名前は"gold_experience"。
スティーブンは音楽を連想した。
「そういやあ、そんなアルバムもあった。ファンか?」
「どうだろう。彼の、いや、彼女かもしれないが、gold_experience氏の手が楽しみだ」
頬を緩めた彼を見て、スティーブンも目を細める。そのスティーブンを見て、ギルベルトが微笑ましそうにした。
静謐なる空間に雑音を寄越すのは、若い盛りの青年たちだ。ザップの悲鳴が特に響き、うるさいと文句をぶつけるレオナルドも自然と声が高くなる。集中の乱れないクラウスは気にしていないが、もしも彼が、万が一、百億が一、ちょっとでもうるさそうにしたら、どうなったことやら。
青年組は、チェインのスマホを視線で刺し貫く。彼らもゲームに興じており、10回勝負の第2戦目で既にこの盛り上がりようだ。仮想コインを賭けた勝負には力が入る。なにせこの仮想コインは景品と交換できるのだ。
「読みづらいわ、この相手……。初戦から全換えなんておかしいと思ったら今回も……」
「まさか10勝負すべて全換えで来るんじゃ……」
「1戦目はブタだったから助かりましたが、こうも思い切りが良いとAハイストレートフラッシュでも引かれそうで冷や冷やしますね」
「65万分の1ですよ、ツェッドさん!?」
「ですがそれを狙っているとしか思えません!こんな無謀なやり方……ッ、まるで勝つ気がない!」
拳を握るツェッドは、一意見として1枚の交換を提言した。スマホを目に近づけたり離したりしたチェインは、言われた通り、ハートの8を取り換える。スペードの6が来た。
「65万分の1ってよく知ってたね」
「前にザップさんが言ってました」
「へえ、こいつって数字とか数えられたんだ」
「オイ」
抗議にうめくザップは、間近に寄られるのがイヤ、のひと言で踏みつけられ床に臥している。美女の両側に身体を近づけ、ケルベロスのように首を揃えるのはツェッドとレオナルドの2人だ。
顔の見えない対戦相手は、3戦続けて敗北した。
しかし4戦目。
「う、嘘だろ、ここでフォーカード……!?」
相手が初めて、1枚だけ交換した。
チェインらはフルハウス。初めての黒星である。画面端に敗北の黒い点模様がつく。
このまま連続で最後まで勝利されれば、初戦からの余裕の勝利が揺らぐどころか崩壊する。チェインらが賭けた仮想コイン120枚は相手の物になり、手痛くはないが悔しさを噛むだろう。あと80コインでアイスクリーム無料券5枚と交換できるのだ。4人で1枚ずつ使い、余ったものでファミリータイプの箱を買って中身を配れば丸く収まるかなと彼らは思っている。
勝ちを投げ捨てた態度で対局をいくつか無駄にした相手は、怒涛の追い上げで青年たちを追いつめた。
これに負ければ、終わる。アイスクリームの夢が遠ざかる。
絶体絶命の空気を嗅ぎ取り、ザップが鋭い視線でレオナルドを見上げた。
「今のカードは?」
「はっ?」
「良いから言え」
レオナルドが慌てて、絵柄を左から読み上げる。残酷なるノーペアだ。ツェッドとチェインは床のみのむしの存在などなかったかのように事態を進め、細い指先がガラスに触れかけた、その時だった。
沈黙を保たされていた唇が開く。荒い声が、美女の動きを止めた。
「全部換えろ」
信じられないものを見るような目が3対、床に注がれる。
「相手はマトモじゃねえ。ノーペアだぁ?んじゃあ運を信じて、どっかしらにペアが表れるんじゃあねーかって期待すんのか?バカ言うな。オカシクならなきゃあ勝てねえんだよ、こいつにゃあな。負けても躊躇せずに全換えキメるような相手だぜ。あん時、思考時間は何分だった?」
ツェッドが、喉の奥で引っかかる答えを何とか言った。
「思考時間は、ありませんでした」
こちらのターンが終わるや否や、初めから決めていたように、NPCよりも正確に、素早く、対戦相手は5枚すべてを交換した。
崖っぷちでふらつく彼らは、もうザップを拘束できない。
青年は起き上がり、服の埃を落とす前に、座るチェインを見下ろした。
「"orange_pizza"に、勝ちたくねえのか」
白い手が、ゆっくりとカードを選択する。賭けてみよう、と思わされた自分が気に食わない。だが、この敵に対抗する為、後に退けない彼らが取れる手段はそれだけしかないような気もした。
先ほどまでの侃侃諤諤とした一角はどこへやら、薄氷の上を渡るように張りつめた若人を眺め、スティーブンが呟いた。
「あっちもこっちも、なんなんだ」
ジョルノが好戦的に微笑んだ。
「勉強になりました。あとでお礼のメールを送らなければ」
「あらま、負けたの?」
「ええ。隙のない陣は強固で保守的にも見えますが、駒の動きは攻める攻める。守りに徹する暇もありません。攻めの練習もさせてもらいましたけど、真正面から受け止める時もあれば踊るように身もかわす。命のやりとりをしているようでした」
プロスフェアー怖すぎるよ。絶対無理だわ。
私もポーカーに負け、賭けたコインを全額差し出す。人対人のやり取りゆえに、交渉して額を下げてもらうことも不可能ではないようだけど、わざわざ勝負に水を差すことはない。相手は親指を立てた絵文字だけ残してログアウトした。
復習も兼ねてまた対戦を、と没頭しそうになったジョルノを宥める。モーニングからランチまでこの店に居座ることになる。お客さんも増えてきたから、潮時だろう。
散策にでも出かけようよ、なんて、私の台詞とは思えない誘いをかけて店を出た。
ジョルノは私にプロスフェアーの楽しさを解説してくれたが、どんなに勧められても彼ほどにはのめり込まないだろうなと思った。暇を持て余した神々の遊びも罪深いが、暇を捻出した頭の良い人たちの遊びにもついていけない。
20151020