吐き気を催す邪悪とは


"善良な人間だった"とは言い切れない。
職業上、立場上、拒否が不可能であっても、犯した行為は事実として残る。ただ、真っ直ぐな精神を持つ女性であった、とは感じた。
別れ際の柔らかい笑みと幕を引くような声音が、胸の奥に残る。

赤い瞳を除けば、彼女の容姿はありふれている。
特異な瞳への警戒は窓ガラスによって解消され、契約は成立した。金銭の関わるやり取りの中に人間味を見出すと碌なことがないという話もあるが、クラウスは彼女に一歩踏み込んだ。踏み込むように誘った態度に、あえて抵抗しなかった。協定を結んだとはいえ、敵陣と呼べる場で腹の虫を鳴かせるなど、わざとでなければありえない話だ。どこにそんなギャングがいる。
ここにいたのだが、誰も知らない。
記号としての名を与えられた彼女の人柄と向き合うと、やけに気が抜けた。あちらが無気力な表情だからだろうか。世の中って大変だよね、と外から眺めるような顔だ。スティーブンがそう言うと、レオナルドが目を逸らして内心で同意を表した。
彼女が所属する組織は、率直に言うとありがちな悪役じみたものだった。そんな場所で女だてらに幹部まで上り詰めた理由のひとつを暴露され、再び強い注意が払われる。
だがやはり、矛先は彼女ではなく、大本の組織にある。末端に憤りをつのらせても意味がない。

彼女は滞在開始から7日後には帰国してしまう。
出来る限りの情報を集めるつもりで彼らは気を配った。率先するのはもちろんスティーブンだ。
様子を窺うよう密かに手配した部分もあるが、主要なメンバー全員が短期間で彼女と接触したのは、なんとなく、偶然の力が強かった気がする。だいたい、彼女は物を食べていた。よく食べますねと突っ込んだ美女に、女は応えた。食べないと動けなくてね、と。燃費が悪いにも程がある。スタンド使いゆえだろうか、と未知を感じた。

両手を使うまでもない日数だ。
そんな中でも、のんびりした部分が多く、評価のガタ落ちした組織の一員らしくない部分が多く見とめられた。気が抜ける。

返り血を浴びて平然とする姿が意外だったのは、そんな理由もあってのことだ。
9999人を殺す仕事であると自白を受けても、イメージが合わなかった。詳しいところは聞かされていなかったレオナルドも、張りつめた空気から読み取ったものがあるのか、その齟齬に強い衝撃を受けていた。
翌日の帰国を前に、事情を聴取される彼女はどこか茫然とした風だった。意に沿わぬ、勤務外の殺人に――正確には殺人ではないが――自己嫌悪を抱いているのだ。クラウスはそう思った。
ポルポという女性は、理性と倫理を備えた人だ。
彼女の暢気さの裏側にある、なまなかではない組織で死なずに生きてゆけるしたたかさをきつく気にするスティーブンも、クラウスの意見に、そんなこともあるかもしれない、と漠然と考えた。なくはないだろう。生き方はともかく、彼女はまともな神経を持っている。おいしい料理を口にし、ポロリと、過去に亡くした身内を想い出して悼むほどには。

というのが、この世界でのパッショーネ幹部、ポルポという名の女の評価である。
とっても好意的だった。

そのせいでクラウスは、そしてスティーブンは、一拍の沈黙を、物わかりよく隠ぺいしなければならなかった。
「そうでしたか、失礼いたしました」
言い切った彼は、相手方の清栄を祈るひと言を添え、通信を終えた。受話器を下ろす動きに迷う。お互いにどう口を開くべきか、言葉も選びあぐねた。

紐育だった街は1日の始まりに向けて動き始めている。海の向こうのイタリアでは、じりじりと太陽が照るかもしれない。あちらとの時差に合わせたクラウスらは、自分らとギルベルト以外の誰も居ない部屋で、目くばせする。
電話をかけたのは、女幹部が帰途についた翌日だ。すべての手続きが完了するであろう時間を前もって教わった彼らは、それを参考に、嫌味にならない刻を待ってダイヤルを回した。
挨拶をしたのはクラウスだった。
ボスにはつながらない電話を受けた人物は機械的だったが、クラウスは気にしなかった。ライブラの対応を見る為だろう、他愛のない話を持ち掛けられても、そちらにも穏やかに応じる。
わざとらしく温められた空気の中で、彼がこう言わないはずはなかった。
「ポルポさんにもお礼をお伝えください」
不自然に沈黙が落ちた。あちらの呼吸は感じられない。まるで受話器の向こうが空席になったようだった。
会話が長く途切れ、クラウスが相手に呼びかけた。漏れ聞こえていた音に耳を澄ますスティーブンも、軽く首を傾げる。
空白ののちに、"パッショーネ"という組織の代弁者は言った。
「"ポルポ"はそちらへ出向いておりません。失礼ながら、何か誤解なさっているのでは?」
クラウスの反応が、まばたき一回分だけ止まった。その間隙に、言葉が続く。
「繰り返します。"ポルポ"はそちらへ出向いておりません。"ポルポ"はあなた方にお会いしたことがなく、このたびの取り引きにおいてそちらへ伺った構成員は、"パッショーネ"の"ポルポ"ではありません。たとえ、そう名乗ったとしても別人でしょう」
それが当然であるといった態度だった。
ゆえにクラウスは何も言わず、黙した己を隠しきった。
「そうでしたか、失礼いたしました」
電話を切ったクラウスは、しばらく、整然と片付き磨かれたデスクを見つめていた。
少年を通じて彼女から贈られた、色のついた透明の栞が、片隅で無機質に眠る。

スティーブンは目を伏せる。
数日前の勝手な"スタンド"の使用が発覚したのか。どこから漏れた、と処理の甘さに眉根を寄せる。彼女が組織の情報をライブラに流した、とボスが察した可能性もある。滞在期間を延ばしたいと我を通したことで、ヘルサレムズ・ロットに執着すべき何かができたと深読みされ、行き過ぎた寵愛が暴走したとも、考えられなくもない。最後のものは、怪しい推測だが。
何も言わずとも、クラウスとスティーブンの見解は合致した。
彼女の存在は組織に消された。
2つとない"スタンド"とやらの有用性は捨てがたく、命までは取られていないだろうが、もう二度と彼女は動けまい。
あるいはもしも、彼女自身も知らない、スタンドを別人に移す方法があるとしたら。
記号として与えられた名前だとばかり思っていたが、"ポルポ"とは、金の矢を携えるスタンド使いの役職名だったのかもしれない。
聞いた限り、ボスが真に愛するのは、人物ではなく矢のスタンドだった。スタンドさえ残れば、持ち主は誰であっても構わない。
そうなると、確実に死んでいる。
代替わり、とひとつの表現が浮かび、それがひどく正しく感じられたので、スティーブンは吐き出すように短く笑う。
クラウスの前で口には出さなかった。出さずとも伝わる。
存在の抹消など、この世では珍しいことではないだろう。稀にも直視してしまっただけだ。
ただ、沈鬱な空気が、ティーカップの中身をゆっくりとぬるく変えていった。



ところで、ポルポの想像とこの世界の実際は、ちょっぴり違った。
確かにここにはヘルサレムズ・ロットとパッショーネが同時に存在する。2つの時代が交わる齟齬はない。

この世界に、"ライブラを支援するパッショーネ"は必須だった。パッショーネがある以上、そのボスも確実に必要だった。ついでに、ボスとパッショーネがある以上は金の矢も必要で、金の矢を使用するのは"ポルポ"しかいない。
しかし、"ポルポ"は、赤い瞳で首に傷がありハイヒールばかり履いていてジャパニーズサブカルチャーにどっぷり染まった燃費の悪い巨乳の女である必要はない。むしろ、本来のパッショーネにいるべき、大食漢でライターをスタンドの媒体にする男であるのが正しく、本当に、その男がこの世界の"ポルポ"だった。
トリップ前の世界で前世持ちの女がこの"ポルポ"に転生し、今日まで生きたおかげで、うっかりこの部分だけが歪んだ。この世界でも前世持ちの女が"ポルポ"の立ち位置に滑り込んだ。

彼女は"こっちの世界の私が可哀想だなあ"などと考えていたが、"こっちの世界の私"はいない。仕事部屋も書き置きもさっぱり消えた。アレもコレもソレも、彼女がつつがなく異世界を満喫する為の気遣い溢れるお膳立てである。
よってここには"パッショーネの構成員がライブラとの契約を成立させた"という事実だけが残る。

そういうことで、先ほどの電話番の対応は何もおかしくない。その部分だけは濡れ衣だ。
"ポルポ"は、15年は出所できない罪状により、今日も今日とて刑務所でお食事に勤しんでいた。






To be continued.

20151015