必然の戦い


油断せず、正確に。求められる要素は、技術を除けば多くはない。看護婦が静脈に注射針を打ち込むようにゆっくりと、箸で挟んだものを蓮華で受け止める。千切りの生姜をのせ、酢醤油をちょっぴり垂らし、皮の内部に湯気を閉じ込める罪深き点心をひと息で口に突っ込んだ。
肉汁のスープが舌を焼く。熱いを通り越して痛い。味どころではない。はふはふする。だがおいしい。小籠包サイコー。
蒸篭では4つの小籠包が円陣を組む。蒸篭はロケット鉛筆のように順序を変えつつ、わんこそばがごとく円卓の隅に積み上げられた。
「おいしいね」
「ええ」
「はい」
「マジで奢れよ」
この場には、私とツェッド、チェインさまとザップくんがいる。
中華レストランの個室で広い卓を囲み、上座から彼ら3人を眺める。

ザップ・レンフロと出会ったのは、紐育の面影を一切残さない公園でサンドイッチをムシャった、ヘルサレムズ・ロット観光の5日目のことだった。混色のオーラ?すまないが何を言っているのか私にはサッパリだ。昨日のことは終わった話として処理した。
街灯の柱に凭れてスマホを見る背の高い細身のイケメンに目をとめ、そういやあんな感じのザップ・レンフロってキャラがいたなあとバッグの中の原作を頭の中で開く。ツナとコーンのサンドイッチを食べきり、ビニール袋の口をギュッと締め、よっこらせと立ち上がる。私は清潔そうなゴミ箱に昼食の残骸を捨てた。また、青年のほうへ気を向ける。
すると隙を突くように、誰かが私の肩にぶつかった。細い革のストラップが2人の間で張り、ひったくりか、と気づく。命とバッグはこの世界で盗られてはいけないもののツートップだ。強奪される直前、ひったくり犯が走り抜けるだろう方向にいるイケメンに呼びかけた。何で釣ればいいかなと考えちゃった自分の下劣さに呆れる。おっぱいは好みがあるので、無難なものにした。
「なんでも奢るからこいつ捕まえて!」
片眉を器用に持ち上げる、美形のみが真の意味で活用できる表情を披露した青年は、長い脚でひったくり犯を転ばせ、不本意なスライディング土下座をキメた犯罪者の背中を踏みつけた。転がった私のポシェットを拾い上げ、ぱんぱん、と砂塵を手で払ってくれる。ほらよ、と渡されて、ホッと息を吐く。原作とトリップマシンとクレカが他人の目についたら大ごとだ。原作とトリップマシンについては、本型のマシンの中に原作を安置し、鍵も別の場所に隠しているから問題はないと思うのだが、万が一ということもある。ちなみに鍵の隠し場所はおっぱいの谷間ではない。
「突き出すか?」
踏んづけた男を顎で示される。ぶっちゃけ通報はどうでも良かったが、報復を試みられると困る。幸福な市民としての義務を果たし、ポリスを呼ぶこととしよう。次のクローンはきっとうまくやるでしょう。ああそういえば、ザップだけにZAPZAPZAPだな。
ザップ・レンフロの特徴によく当て嵌まるこの善良な青年は誰だろう。お礼に奢ると宣誓した私は、青年が胡乱な眼差しでこちらを観察し終わるのを待った。彼の視線は何度か胸部で止まり、瞳の色と胸部を見比べた。
「あんた、名前は?」
「ポルポ。そっちは?言わなくてもいいけど、なんて呼べばいい?」
「ザップ」
「へー」
リアルに?
彼の顔を凝視する。
目を眇めたザップ・推定レンフロはひったくり犯を公的機関に引き渡し、簡単な事情聴取を私に丸投げして、話が終わるのをスマホ片手に静観していた。
「なんでも奢ってくれんだよな?」
「うん」
「ストリップ劇場貸し切れっつったら貸し切れんのか?」
「お金で解決できるんなら、貸し切れるよ」
いくらかは知らないが、ライブラに投資した金額よりはずっと少ないだろう。歴史的建造物の劇場だったらちょっと手間だ。あと2日以内、できれば1日以内に済む話だったら助かる。そうしないと約束不履行になってしまう。ていうか頭に"ストリップ"ってつけなくてよくない?劇場でいいじゃん。そこ素直だね?
彼も本気ではない。グルメガイドのホームページを開き、働きの悪い電波と数分格闘してイライラしてから、店の名前と場所を挙げた。方角を指さされる。
「予約は俺が『レンフロ』で入れとくから、あんたは2時間後くらいに先入っとけ」
「メアド持ってるよね?地図送って」
「自分で検索しろよ、持ってんだろケータイぐらい」
くそ、レンフロとか名乗ってっから確実にザップ・レンフロなのにメアドゲットならず。彼のメアドの@マークの前に並ぶ文字列がなんなのか、すべてを知るために微力を尽くす所存だったが、そう上手くは行かない。hikitsuboshi.zapp@……みたいなシンプルで可愛いやつだったらどうしよう。んなわきゃあないが世界って眩しい。
ザップくんは、自分のは言わないくせに、私のアドレスはちゃっかりもぎ取った。高値をつけるほどのモノじゃないし構わないのだが、変なやつにしてなくてよかったなとだけ思う。26歳にもなってナニしてんだと突っ込まれると胸が痛む。具体的にどう変なのかは、サブアドを知る人にしか問われたことがない。メインはまともなんだよ。まともっていうか一般的っていうか、名前+好きな食べ物、的な辺り障りのない並びだ。ただサブがね。色々とアカウントを取るために使ってるもんだから、特定されづらいように色々と混ぜ込んでいるんだわ。
「ダチ呼んでいいか?」
やくざな友人が来たらどうしよっかなとビビりつつ、いいよ、と答えて別れる。時間に遅れるのも申し訳ないから、そのレストランの周辺で暇をつぶしておくとしよう。

そうしてカフェでタルトとロイヤルミルクティーを飲むうちに時間が来て、私は咎められないのをいいことに、「あ、予約してる『レンフロ』です」とあたかも自分がレンフロ姓であるかのように振る舞い個室へ誘われた。広い部屋だ。チャージ代だけでそれなりの数字が飛びそうである。突然の予約にも関わらず取れたということは、それなりの格があり、客も昼間っから安易に手を出さない場所なのだろう。
オレンジジュースで喉を潤す。友達って誰かな。
待ち合わせの時間からしばらくして、私を案内した人と同じ店員さんが扉を引き開けた。3つの人影のうちのひとり、ザップくんが片手を上げる。彼の同行人にびっくりした私は、あらまあと瞬きした。あらまあ、ツェッドじゃない。それにそちらの美人さんはもしかして。
「ポ、ポルポさん!?どうしてあなたがこの男と……」
「目上に向かってなんつう言い草だ?人助けだよ、人助け。そしたらお礼に奢るっつってよ」
「本当のところはどうなんですか、ポルポさん」
「ザップくんに助けてもらったから、お礼に奢るつもりで誘ったんだよ」
「まさか、洗脳……!?」
「お前食わねーなら帰れ。せっかくお零れに預からせてやろうってのに不義理なヤツだぜ、オイ」
目の前でヒキツボシーズのやり取りを観覧できて満足だ。中華?奢る奢る。じゃんじゃん持って来て!紹興酒とか甕で買うわ。
スーツの美人さんは、丁寧に自己紹介してくれた。丁寧に、と言っても端的で、ジャンルは違えどアバッキオのそれに近かった。名前と、ザップくんとの関係。
「突然押しかけてすみません。私はチェイン。あの男の、……同僚……です」
綺麗にひと言でまとめていた。
「お友達じゃないの?彼はお友達を連れて来るって言ってたけど」
ちょっとつつくと、禿げればいいのにあの猿、と低い文句が聞こえた。透き通る美声が毒を吐くのには、いつ聞いても身震いする恐ろしさがある。
彼女は難しそうな顔で妥協した。
「アレは私を友人だと思っているのかもしれません。……自分で言ってて寒気がするわ……」
よく来たなあと改めてびっくりさせられた。ザップくんに誘われて素直についてくるような女性には見えなかったが、はてさてそうなるとつまり。

ザップくんとの接触は偶然だったけど、こうして弟弟子と同僚を呼んだのは彼の意図的なものでFA。スタンドか、ボスか、矢か、何にしろ警戒される要素が空から雨あられと降りそそぐ。私の名前を知ったザップくんがクラウスさんかスティーブンさんに連絡を取り、たぶんスティーブンさんが、私との交流が薄い彼ら3人を送り込んだ。奢る、と言ったのは私だったが、あちらからすれば渡りに船。メインキャラと接する機会が多いのは、異世界トリップの特典か何かか、お金ってしゅごいいいと腹を見せるべき点か。ライブラに接触してボスの話が出てスタンドの存在が暴露されたら、そりゃあ嫌でもくっついて来ますよね探りって。気づかない気づかない。私はなんにも気づかなァい。
点心から炒め物から肉魚、ご飯物に麺類を4人前に加えて自分基準で注文し、顔をひきつらせたツェッドとチェインにニコリと笑い掛ける。余ったら全部食べるから心配しないでね。
チェインたんが反応しづらそうに口を開いた。
「結構……いっぱい食べるんですね、ポルポさん」
「すぐお腹空くんだ。そっちも遠慮なくどうぞ」
「ここまで来たらありがたくいただきますが、……ひとついいですか?」
「うん」
ツェッドが首を傾げた。
「どうして中華にオレンジジュースなんです?」
すみません細かいことが気になってしまって、と言ったツェッドに危うく笑いかけた。イイと思うよ、窓際部署の斗。
回答は、しいていえば惰性。さっきまで飲んでたんだけど、料理が来てもグラスを干せなかったもんだから引き続き待機させているだけだ。
納得したようで、ツェッドもおずおずと五目炒めを口に入れた。
色気あるイケボで私を思いやる。記憶が刺激されたが、そういやオブライエンくんは槍使いだっけ。頭の中で何かが……。
「ひったくりに遭ったそうですけど、ひったくりの後に強盗に遭うなんて、せっかくの観光なのに災難でしたね」
「強盗じゃねーよ。ポルポから言い出したんだっつってんだろ」
「いくらお礼に奢ると言われたからって、実際に要求する人なんて初めて見ましたよ」
「やりたがってるコトをやらせねえのもシツレイってモンじゃねえの?遠慮なんざ度が過ぎりゃ要らねえ卑屈だ。人の意思を尊重するってのも大事だろが。なっ、ポルポ。助けられっ放しってのも心にクるよな?」
「そうだね、やられたらやり返さないとね」
誰にも通じないネタはザップくんのドヤ顔を生んだ。スマホを取り出して写真を撮るには一歩遅かった。写真ってどうなるのかな。持ち帰れるなら隠し撮りしたい。限りないローアングルから撮るであろう自分が心で理解できる。
ザップぎゅんとチェインさまがライブラのメンバーである、とはひと言も紹介されてない気がしたのでそっち系の話は出さず、私はへらへらと笑って蒸篭に手を伸ばした。
何気ないそれが、戦いの火ぶたを切って落とした。
小籠包戦争。のちに名をつけるのならば、歴史家はこう記しただろう。知らんけど。
ひとりにつきひとつ、小籠包4つ入りの蒸篭が配置され、私に釣られるように全員が同じタイミングでそれを食べた。びりびりと味蕾に電流が走る。心の中の海原雄山が全面降伏するかと思った。
うまい!
重なるおかわり分の蒸篭は私の眼前にあるが、誰のものか、否、区別するまでもない3つの手がターンテーブルの縁にかかった。私は反射的に、台が動くのを阻止した。4人の力が拮抗する。彼らの腕力には太刀打ちできないが、ここは円卓。力のベクトルが異なる。主にザップくんとチェインちゃんの。
私は洋画チックに大きく首を振った。
「まあ待とう、ザップくん。何個の蒸篭が見える?」
「俺らの前にイッコずつ。台の上に4つだ」
「だよね?じゃあツェッド、また、ひとりにひとつだと思わない?」
「もちろんそれ以外にはありませんよ」
「ですよね。だったらチェインちゃん、せっかく私の目の前にあるんだから、私がひとつ取ってから回すのが普通じゃないかな?」
「それが妥当ですね」
「同意が得られて良かったわ。じゃあ私がひとつ取るから、まずはいっせーのーせで手を離そう」
「オウ」
「わかりました」
「はい」
返事は勇ましい。
いっせーのーせ、と声が重なり、誰も離さなかった。
お互いにお互いの裏切りを無言のうちに批難し合う。
「言いだしっぺはポルポサンじゃねえの」
「ちょっと離すタイミングが遅れたら、みんな離さないんだもん。掴んでおくしかないわよね」
「僕は少し力を込めすぎてしまって、手が固まっていたんです」
「すみません、私は台の下に指が引っかかってしまって」
大人が4人集まっていけしゃあしゃあと言ってのけた。
小籠包。それは魔法のかかった料理である。人を惹きつけ、虜にし、一度食べればそれなしでは生きてゆけなくなる中毒性のある点心。定期的に口にしないと心が病む。
さらにこのレストランの料理は、非常においしかった。
私たちは順に見つめ合う。
私の声は、これまでになく落ち着いて、静かで、この時だけはリゾットを上回る冷静さを感じさせた。
固唾を呑む青年たちに、よく見えるよう、ゆっくりと大げさに手を伸ばし、テーブルの隅、金色の半円の中心にある突起を指先で押した。りん、と鈴が鳴り、異様な空気の中、小型のスピーカーから店員さんの声がする。
「はい、いかがいたしましたか?」
我々の声は、まるで魂を共有したかのように綺麗に重なった。
「小籠包、8つ追加で」
嗚呼、異世界よ。いったい何が我々を、出会い再会してまだ3時間と経たぬ無垢な我々を無様にも争わしめるのか。
小籠包。それは罪深き存在であった。
追加の注文分が到着するまで私たち4人は不可侵条約を結び、現在重なる4つの蒸篭に勝手に手を出した者は次鋒の小籠包をひとつ没収される、という暗黙の了解が視線のみで取り決められた。ザップくんですら沈黙を保ち、私の抱く想像を160度ほどひっくり返した。

「マジで奢れよ」
提供され、回収された蒸篭の数はいくつだか。もはや私たちにもわからない。
他の点心も流し込むようにお腹におさめ、我に返った青年男女がハッとした。言質を取るのに抜け目ないザップくんを咎めたくとも咎めづらい食べっぷりだった。ええ奢るとも。ボスが。
デザートはいかが、とメニューを差し出せば、お皿を空にしてもう食べられませんなどとお腹をさすった大人しさなどどこへやら、全員が真顔で2品ずつオーダーした。
敵情に探りを入れなくていいのか?それともこれが調査のひとつ?素人にはわからん話だ。まあ、めっちゃ楽しかったからなんでもいいわ。
たぶん、これで私が奢りを拒否して食事代を経費で落とす羽目になったらスティーブンさんがキレるんだろうなってちょっと楽しみになったけど、私は大人ですので、そんな意地悪はしなかった。






20151015