トリップ


そこは小部屋だった。
誰もいない。私しかいない。パソコンの画面が光り、左手側にペンが転がる。紙には私の筆跡でなされたサインがあり、明らかに、ここに座っていた『私』は、ついさっきまで仕事をしていた。
懐かしい仕事だ。
卓上カレンダーは、過去の日付けを示す。私は意味もなく手のひらを見た。何も変わったところは見られないが、もしかすると、若返っているのかもしれない。バカバカしい話だが、こうなるとなんとなく、ありそうな気がしてくる。
キャスター付きの椅子を腰で引くと、膝の上からごとんと重いものが落ちた。本だ。正確には、本の形をした小物入れ。鍵が突き刺さったままで、捻ると簡単に蓋が開いた。
中には、入れたものが入っている。当たり前だ。日本の友人をせっついて、色んな情報を集めさせたりした好みの作品。仕事の合間に楽しむ、というよりは、サブカルの合間に仕事をする、という感じだ。何もおかしくない。見咎める人は私以外にはいないし、私は自分を見咎めない。最終的にやることを片づけりゃあいいのだ。
さて、それは、見た目には変わりはない。元通りにおさめて閉じると、蓋の内側が二重構造になっていたらしく、そこから一枚の紙が落ちた。
拾い上げて目を通す。声には出さなかったが、へえ、と無感動にひとつ頷いた。どうやらこれは、中に入れた本やゲームの世界に飛び込める道具であるようだった。
鍵をかける行為が引き金となり、持ち主を異世界へ引きずり込む。異世界、あるいはパラレルワールド、いやいやはたまた過去だったり。入れたものによって行き先が変わる。便利なような、不便なような。ていうか、説明書はもっとわかりやすく置いといてほしい。
異世界トリッパー量産機は世界に一つだけのオンリーワンな道具であり、フリマに出したのはタンスの肥やしにしておくのがもったいなかったからだそうだ。そうだね、こんなもん、作ったって興味が無かったら使わないしね。売ってお金になるなら換えたほうがいいわよね。なんだそりゃ。
帰還に必要な行動は単純だ。中身を空にした状態で鍵をかければいい。手に入れたものが世界を越えることはできないが、元の世界から持ち込んだものはちゃんとくっついてくる。漫画やらゲームやらを、その世界に置き去りにする心配はないのだとさ。そりゃー良かったわ。ハハハ。
説明書を二重構造の内側に直し、机に置く。見覚えのある景色は記憶を刺激し、そうだ、私が前に使っていたデスクだ、と思い出した。どういうことだってばよ?
この説明書が赤字で宣言できる真実であるならば、ここは異世界のはずだ。異世界にも私のデスクってあるの?なんで?パッショーネが存在するの?ていうかこの年度だと、まだ原作に突入してない頃だよな。確か、ブチャラティすら囲い込めていない。嫌な言い方をしてしまった。囲ってない囲ってない。大丈夫。合法。ある意味、金で買っ、いや、大丈夫大丈夫。
パソコンがメールの受信を報せる。設定してあったはずの、ビアンカの歌声はなく、私の胸の違和感は膨れ上がった。
ボスからの指令が届く。出頭しろとのことだ。出頭。なんで?

よくわかんなかったけど、指定された場所に行く。街並みに変化はなく、ショウウィンドウに映った自分の姿も、少し若かったけど、私のものだ、とわかる。私自身は若返ってトリップか。よくわからん仕組みだ。できるだけ矛盾がないように調節する機能があるのかもしれない。技術の無駄だ。
扉を開けると、電話のある部屋に案内された。黒塗りの受話器を耳に当てる。
ボスの声で、ボスが喋った。シャベッタアアアア!え?めっちゃ久しぶりだね?もちろん言わない。粛々と、名乗った。
「ポルポ。わたしのポルポ。元気だったか?元気だっただろうな。ひとりで寂しくはないか?」
「元気ですよ。ひとりでしたっけ、私」
「ひとりだろう」
「可愛い部下とか」
「それについては却下したはずだぞ、ポルポ。お前はわたしの言うことだけ聞いていればいい」
不審をおぼえる。却下?そんなもんされたっけ?
嫌な感覚が胸に広がった。"自分の"携帯電話を開き、登録しっぱなしのリゾットの電話番号にかける。最新のやつは通じるはずがないので、昔に使っていたものに。
右手に盾を左手に剣を、ならぬ右手に受話器を左手にスマホを。電話は通じなかった。アジトの番号も、ビアンカの番号もダメだった。んんん?
「……私、自分のチームを持ちたいな―なんて思うんだけど、やっぱダメですか?」
「ダメだ。そんなものを持てば、お前はそちらにかかりきりになるだろう。わたしにはわかる」
アレッ、もしかして私、暗殺チーム、持ってない?
愕然とした。ディアボロがいくつか私に言葉をかけたが、ちょっと鼓膜をすり抜けた。
暗殺チームがいない。この時期なら、いなくてはおかしい。揃っているはずだ。私も、それなりに交流させてもらってた。ご飯だって食べた。
じゃあここってなんなんだ。これは、漫画の世界だからか?差異があるのか。私はいて、パッショーネもあり、スタンドだってある。ブラック・サバスが"いる"感覚は久しぶりすぎて、戸惑うほどだ。相槌が淡々とした。ポルポ?と電話の向こうでボスが訝る。
どうやら、ここは"異世界"かつ、"パラレルワールド"であるらしい。この漫画にパッショーネの存在があるとはとても思えないので、"異世界"。かつ、パッショーネは存在するのに、私に部下がいない。ビアンカもいない。"パラレルワールド"。
「なんだそれ!!」
「どうしたポルポ」
「なんでもない。……それで、お忙しいボスがわざわざ私を呼ぶなんて、珍しいこともあるもんですね」
「それなりに電話はかけているはずだが」
マジかよ、こいつ暇なのか。頼むからドッピオと話してて。
ボスはとんでもないことを言い出した。
「わたしの代わりに、あの街へ行ってくれ。それなりに融資したのが効いたか、こちらに接触がかかったのだ。交通費と滞在費はわたしが出す。敵情――というほどでもないが。奴らの様子を見てくるのだ。できるな、わたしのポルポ」
当たり前のように話を進められてしまった。
「どの街?」
「ヘルサレムズ・ロットに決まっているだろう」
「……どこに融資したんでしたっけ」
「あの街の均衡を保つだのなんだのという、『ライブラ』なる組織だ」
あれらは異界やどこぞからやってくる危険因子を排除する要素だからな、援助しておいて損はない、わたしが頂点に立つために異界の存在は邪魔なのだ。ディアボロはそのようなことを口にした。チケットは、この部屋の外に待機する構成員が持っているとのことで。つまりすぐに飛べということで。
「……ごめん、なんであんたが、……ボスが行かないの?」
「わたしは外に出たくない」
「なんで私なの?」
「幹部の中で、お前がもっともわたしの信頼を受ける者だからだ」
ありがたくない。
電話が切れてからしばらく、私は呆然と突っ立ったまま、カーテンのかかる窓を見つめていた。

ああもう、飛行機の中での出来事などどうでも良かろう。
ストラップを外せばクラッチバッグとなるポシェットを肩にかけ、私は異質な街に踏み込んだ。バッグの中には例のトリップマシンと、お財布と、ハンカチと、スマホと、充電器がある。これだけありゃ充分だ。あとは現地で買う。ははは、今回の旅行にかかる費用はすべてディアボロが負担してくれるのだ。私も自分の通帳を見たら結構たくわえがあったけど、笑いが止まらない。むしゃくしゃするから散財してやろう。なに買おうかな。めっちゃ買い食いしなきゃな。
さっさと元の世界に帰ればいいだろうに、と自分に呆れる気持ちもあるが、暗チとビアンカがいなくて本来よりもボスにべたべたされていたらしいこちらの事情にささくれた心をおさめるため、せめて一目、かの街を見ておこうと決めたのは数時間前だ。観光というやつである。異世界観光。ひとりじゃなければもっと楽しいのにね。友達がいないとかそんな問題じゃない。こうなったらお土産話をいっぱい引っ提げて帰らないと、びっくりさせられ損だ。二度と来ないわよ、こんな怖い世界。だってめっちゃ戦うじゃん。スタンド使いは基本的に人間が多いけど、こっちは人外が相手でしょ。私はボスに"ポルポ?ああ、あいつはいいやつだったよ"とは言われたくない。
ひらけた場所に出て、ぐるりとあたりを見まわす。ははあ、知らん空気だ。英語まみれ。ここで、"私って英語できないけど大丈夫なのかな"と軽く不安になった。イタリア語か日本語でおk。
えーと確か、到着したらお迎えがあるんだったっけね。ディアボロはどれくらいのお金を突っ込んだんだろう。ひいては自分の安全のためとはいえ、あの男が身銭をずたずたに切り裂くほどの組織。ライブラ!見ずにはいられないッ。
どんな人が迎えに来るのか。相手は私がパッショーネのボスの名代的な存在だとわかるのか。ツアー旅行みたいに看板を持った添乗員さんが居たりしないかなと思ったが、いなかった。当たり前だわな。
教わった電話番号を打ち込み、スマホを耳に当てる。よくわかんなくなったら電話しろって言われたからかけた。自力で見つける気は/Zero。見つかるわけないだろ常識的に考えて。
電話はすぐに繋がり、イタリア語が聞こえてきて仰天した。うわっ、イタリア語だ。逆に怖いわ。英語でいいよ、あんまり喋れなくて無口になるけど、それくらいが私的にはちょうどいいのではなかろうか。よくギアッチョにうるせーって言われるし……。うっ、ギアッチョに会いたい。
近くにあるものを説明すると、すぐに人がやって来た。迫力を感じてビビッて逃げかけた。そして、目が合って気づいた。
「(うわっ、メインキャラだ……)」
なんでメインキャラ来てんの?接待だから?ディアボロはどんだけ金払ってんの?あいつなんなの。もっと私のお給料増やしてよ。もういっぱいもらってるけど!
反射的にシャコジスマイルを浮かべると、メインキャラが、迎えが遅れたことへの謝罪を述べた。
「お待たせいたしまして、申し訳ございません。お疲れでしょう」
私の感想はふたつ。"イケボだ"。プラス、"イタリア語だ"。
「どうも、お世話になります。トップが来られなくてすみません。お渡しする契約書はありますので、そちらはご安心ください」
「とんでもありません。お忙しい中、我々のために時間を割いてくださったことに感謝いたします」
爽やかな笑顔だ。傷跡のインパクトもなかなかオツなものなのかもしれない。ところで傷跡っていうのは感覚が敏感になるとかなんとかで薄い本では受けに回った歴戦のツワモノがそこを愛撫されてイヤンアハンな展開がなくもないけど、そのあたりはどうなんだろうね。こんなことを考えているとバレたら人間性を疑われるから、心の声が駄々漏れになる魔法だけはかけられたくない。どの世界でも邪念は邪念だし下ネタは下ネタだ。
「……いや、もう、なんていうか」
丁寧な言葉を選んで使うのがかったるいからやめていいですか、とは言えなかった。色々な意味で引け目がある。
なんでもないです、と首を振る。彼は追及しなかった。

これが私の、ヘルサレムズ・ロット観光、一日目の出来事である。






20150829