VSボガート いってみよう
リクエストボックスより
書いていて素で忘れていたのでペッシちゃんは非番です。
でもきっと自分が誇りを失う姿を見ました。
闇の魔術に対する防衛術。
この時代に似つかわしくなく、また、非常にふさわしい科目である。
ホグワーツ魔法魔術学校にて杖をふるう教師はその扱いに気をつかい、薄氷の上を渡るような気持ちでカリキュラムを組む。
この日は、当たり障りのない内容が主だった。
必要といえば必要で、バカバカしいと笑い飛ばしても罪のない、単なるジンクスを唱えて『己の恐怖』と向き合う、どこか哲学じみた説明を受ける。
教室に集められたスリザリン生の多くは、一人の生徒に視線を送った。
こっそりと見たつもりだったが、注目されていることに彼は気がついている。
白銀に近い髪を短く整え、意識しているのかいないのか、まっすぐに前を見据えた横顔は触れれば切れてしまいそうなほど怜悧で、どこか停滞の気配を醸す。深く赤い瞳は白い肌によく映え、また、着用するローブの漆黒を引き立てた。
彼の名前はリゾット・ネエロ。ホグワーツ魔法魔術学校のスリザリン寮に所属する一生徒であり、入学当初から現在まで、極めて優秀な成績を収め続けてきたネエロ家の次代である。
そんな彼の隣に立つのは金髪の青年だ。
二寮の合同授業が行われる今日、二人は異なる寮に所属してありながら、自然と後列に近い場所に並んでいた。
「ボガート。……想像しなくっちゃあ思いつかねえような恐怖なんざ、楽に偽装できそうなモンだが。仮にも魔法界の生物だ。そう簡単にもいかねえんだろうな?」
「恐らくな」
「一応、テメーはナニにしておく?全科目落第の憂き目か?」
「参考にしよう。お前はどうするんだ?」
「一生シケモクしか喫えねえ、ってとこだ」
プロシュートは口の端を持ち上げて笑う。リゾットが横目でそれを見て、ふっと目を伏せた。頬にまつ毛の影がかかる。僅かにうつむくと、前髪の筋が少し乱れた。
ボガート。対峙する生物がもっとも怖ろしがるものの姿を模写する魔法生物だ。キャビネットの中に閉じ込められたそれは外に出たがってがつんがつんと閂のかかった扉に体当たりを繰り返した。
魔法生物と向き合ったとき、自分は何を思い浮かべるだろう。
リゾットが独力で学ぶ閉心術はまだ完ぺきではない。心の隙間から漏れ出た残滓を読み取られるとして、あらわれるのは何なのか。
リゾットに先立って列の先頭で杖を構え、プロシュートは目を細めた。
先ほどまで可愛らしいラッピングを施されていた大サソリが唐突に色を変える。
そこには"なにも"なかった。――"なにも"。
場がざわめいた。生徒たちがひそひそと言葉を交わす。空間からボガートが消えたようにしか見えない。きちんとした信念を持ち、日々を全力で生きる彼の性格は有名だ。そんなプロシュートだから、きっと彼には恐怖なんてないのだろう。彼らはそう捉えた。さすがプロシュート、と賛美する者さえいた。
けれどリゾットには理解できた。あの空白の意味が。"なにも"ないことの重要さが。さまざまな経験と記憶を積み重ね、結果を残して生きてきたプロシュートにとって、すべてを無に帰され、己にも、仲間にも、なにも託すものがないシチュエーション。血のにじむような生活が、過去が、未来が、あらゆるものがゼロになる瞬間。
彼自身、すぐに理解したのだろう。堪えられないというように小さく笑い、杖を一振りした。ぱちんと弾けた空間に煙がくゆる。紫がかった煙は誰の姿も老いさせず、天井へ向けて静かに立ちのぼった。
群衆に戻ったプロシュートは、リゾットの肩をひとつ叩いた。気をつけろ、リーダーよ。そう言いたげに。
「次は、ミスター・ネエロ」
生徒たちは自然と道をあけた。青年はひらけた人波の間を躊躇なく進む。ホルダーから杖を取り出し、自然体でキャビネットを見つめる。ふ、と息をつく瞬間に集中する。心に扉があるのなら、それを隙間なく閉めるように。
煙が消える。偉大なる死を、もはやもたらさない煙が。
かわりに、血があらわれた。
じわじわと床下からにじみ出るように。
やがて赤色は血だまりとなり、どす黒く染まってゆく。誰かが、あるいは全員が、血だまりの上に横たわる何かの影を視た。それが何なのか、リゾット以外には理解できなかったけれど。
閉心術はまだ未熟らしい。リゾットは恐怖というよりも、ぼんやりと違うことを考えた。
靴のつま先に、ひろがる血だまりの端が触れた。
成績優秀で、誰よりも早くボガートを退治すると思われたリゾット・ネエロが長い時間をかけるとは、教師にすら予測不可能だった。できないのならば自分が出るしかない。そう思い、教師はリゾットに声をかけようとした。
しかしその前に、彼は杖を振った。否、"振る"と言うよりも、空間を軽くなぞるように動かした。それはまるで空に絵筆を滑らせるようで、血だまりは潮が引くように消えていく。かわりに現れたのは東雲色だった。夕焼け、夕暮れ、宝石のような色。薄雲の向こうに透けて見える。
目を細めた横顔はやわい明かりを受け、しばらくの間それをじっと見つめてからきびすを返した。
列に戻ると、待ち構えていたようにプロシュートがリゾットのわき腹を小突いた。
「よォ、未熟者のリーダーさんよ。テメーもバカだな」
「そうかもしれないな」
二人は顔を見合わせ、彼らにしかわからない感傷を笑った。
さて、それから数年後。
稀代の厄介者が入学、所属したスリザリン寮は、うんざりするくらいのハイテンションに包まれていた。バカヤロウ、ソルベとジェラートを刺激するな。それが合言葉になってしまうくらいに。
これでもなかなかにテンションメーターにキャップがかかっていると知るのは、"ソルベ"と"ジェラート"の本当の姿を知っている者たちだけだった。実はもっと元気なのだ。このキャップが外れるのは、また、これから数年後のことである。
次の授業がボガート退治を主軸にしたものだと聞いて大喜びしたのは、自寮も他寮も関わらず、日ごろ二人を疎ましく思う生徒たちだった。ただのんきに笑ってバカをやっているだけのくせにそれなりの成績を保ち、教師たちを困らせはしても致命的な減点は食らわず、うまく立ち回ってはふいにあたかも"大人"であるような気にさせる複雑な二人に反抗的な同級生たちは確かに存在した。有名税というにはあまりにも理不尽だが、言ってしまえばそのようなものだ。
「ソルベくん、ジェラートくん、君たちならこの程度の課題なんて簡単にこなしてしまえるのだろうね?」
ニヤリといやらしい笑みを浮かべた男子生徒は、先日の小テストでソルベとジェラートに大差をつけて大負けしたスリザリン生だった。
ソルベとジェラートの生まれた環境は、純魔法族とはいえあまり褒められたものではない両親の付き合いによって作り上げられた。それに対する蔑視もあったのだろう。己が"優等"だと信じているその男子生徒にとって、ソルベとジェラートに負けるということはとてもとても屈辱的だった。
二人は嫌味を叩きつけられても知らん顔だ。興味がない相手からの接触は基本的に総スルー。
「ナニが出ると思う?」
「さあなー」
暖簾に腕押し。無視に近い対応を食らった男子生徒が憤慨して立ち去るのを眺めつつ肩をすくめ、二人は同時に同じことを考えた。
「(ま、どうせ女王さんのことだろ)」
「(死んじまったからか、それとも……)」
「(……もともと、存在しなかったかもしれないことか)」
最悪の世界から抜け出した彼らは、まだ絡みつく触手から逃れられずにいる。希望という名前のそれは、心の柔らかいところを締め付けながらも甘美だった。これがある限り、彼らはなつかしさにひたることができる。
それを想えば、ボガート退治は退屈で死んでしまうくらいに楽だった。
まずソルベが向かい合う。キャビネットから飛び出した魔法生物は即行でジェラートの死を模した。ふーん、とつまらなそうに白けた顔をする。リディクラス。バカバカしい、まったく楽しくない授業だった。
ジェラートはソルベの死体を見た。こちらも面白くなさそうな顔をして冷ややかに偽物を見下ろす。
「へたくそ」
閉心術は魔物をもだます。バカバカしい。
ぱちん、と音がしてボガートが笑った。姿かたちはソルベなのに、どこか懐かしい笑みだった。
はてさて数年後。本当に騒がしくなるのはこの一年後であるのだが、それはまた別の話だ。
ボガート退治の授業は惰性で慣例となりつつある。この年は闇の魔術に対する防衛術の授業に滞りがあり、単位認定の補習として滑り込みの講座が開かれた。参加者は成績がギリギリな某少年や、素行に問題はないもののなまけ気味な某少年(前述と同一人物)を引っ張って動く――と思われている――某少年(前述とは違う人物)などなどエトセトラ、教師陣が必要ありと判断した生徒たちが選ばれた。
実に面倒くさそうなイルーゾォは、こっそり逃げてしまわれないように、順番の先頭に立たされた。その後ろに、逃走回避役を押し付けられたホルマジオが続く。イルーゾォだってここまで連れてこられてなお悪あがきをしたりはしないのだが、信用はないらしい。それもそうだ。
ワン、トゥー、スリーで開かれた扉の奥からなにかが飛び出してくる。イルーゾォの目前で急ブレーキをかけたそれは、くるくると回転してからなにかの形を取ろうとする。
が、イルーゾォのほうが早かった。
「リディクラス」
「オメー、せめて待ってやれよ……」
なににもなれなかったボガートは、悲しい音を立てながらぼとりと床に落ちて鏡に変わった。イルーゾォはきらきら光る破片を蹴り飛ばした。教師が「アーッ!!ボガート!ボガート!!アー!ミスター・レスティン5点減点!」と叫んだがどこ吹く風だ。
単位は取れたが減点をくらうという謎の事態を引き起こしたイルーゾォはもう隅っこのほうに寄ってしまって、ホルマジオの動向をじっと見る。
ホルマジオはボガートが落ち着くのを待ってから、実に常識的な対応をとった。
腕を組み、さぐるように対象を凝視する。
今度こそくるりと回転し、旋回したボガートが、気を取り直すようにして形を変える。
たまごだった。
にわとりの。
ざわ……ざわ……と少ない生徒らがさざ波を立てる。
ホルマジオはしばらく考え込み、頭をざりざりと掻き、首をひねったあと、「お」と合点がいったように頷いた。
具現化された恐怖の前での態度とは思えない。
あまりにも余裕な態度であるので、イルーゾォは横から口を挟んだ。きっと誰もが疑問に感じることを。
「お前、それ何だよ」
よく言ったレスティン!教師を含め、全員が内心で喝采を送った。
「いや、昔な。卵腐らしちまってよォ。中ったんだよなァ……。ありゃあキツかったぜ」
「バカか。早く割れよ」
「ただ割るってのも芸がねェだろ?」
「後ろがつっかえてんだよ」
「あー、そりゃワリィな。……目玉焼きにでもすっか」
彼が杖を振ると、卵が割れ、中から生卵をすっ飛ばしたホカホカの目玉焼きが現れた。見ているだけでよだれが出そうないい焼き具合だった。
リーマス・ルーピンは、闇の魔術に対する防衛術で数年変わらず助教授を務める美丈夫に声をかけた。
「やあ、プロシュート先生。ネエロ先生もご一緒で、昼食の相談でも?」
「ああ……リーマス。ばったり会ったんでちょっと話してただけだ」
「どうかしたのか?」
「いや、大したことじゃないんだ。うん。……ああ、でも、二人にも手伝ってもらえると助かるな。時間があるときに、私の教務室に来てくれないか?」
二人は首肯した。そして、これから一コマ分の時間があいているから今ならばすぐに手伝える、とリゾットが言う。プロシュートも、授業はリーマス・ルーピンと共同で行うものなので、彼が休みであれば当然、主たる仕事はなかった。
ルーピンの微笑みは落ち着いていて、それならと彼らをいざなう姿はくたびれていたが、ホグワーツに就任した当時よりは生き生きとしている。
「まだみんな、防衛術の授業に緊張しているようでね。たまには面白いものをと考えたんだけど、聞けば、とある教室にボガートが封じられているそうじゃないか。以前にもボガートを使った授業はあったようだし、虫干しもかねてやってみるのも悪くないんじゃないかと思ってね。君たちには試しに、ボガートがきちんと活力をたくわえているか確かめてもらいたいんだ」
二人は顔を見合わせた。まさか、数年ぶりにあの面倒な魔法生物と再会するとは予想外だ。今となっては閉心術の腕前も上がり、ボガート程度の魔法力ではこじ開けられないだろう。しかしこういうのは気持ちの問題だ。かったるい。二人の考えはこれに尽きた。
古ぼけたキャビネット。四隅に埃のつもった教室のにおい。ローブの裾が生む風が塵を舞い上げた。
リゾットはくすんだ装飾を指でなぞった。あのときよりも大きく、骨ばった大人の手だ。身長も伸びた。立場も状況も何もかも違う。素直に、懐かしさを感じた。
「リーマス。テメーはやらなくていい。どうせアレだろ」
「……うん。ありがとう、プロシュート」
ルーピンがへなりと眉尻を下げた。自分よりもずっと年下の助教授は、自分よりもずっと年上の男のように見えた。とても強く、怖いものなど何もないような、そんなふうに。
けれどボガートは、誰の心にも存在する恐怖を具現化するのだ。
何が現れるのだろうと好奇心をうずかせてしまう自分に、無遠慮な若さを感じて羞恥する。
扉が開かれた。
ズ、ズ、と重いものが這い出でる。下半身を引きずるように、暗闇から生き物に似た物体が顔を覗かせた。
ぎょろりと目玉が動く。
プロシュートは黙り込み、やがてくつくつと肩を揺らして笑った。
「自分のスタンドが怖えってか。確かにな。テメーと離れて何年だ?俺たちはいつも共にあった。だが今は違う。今ごろになって懐かしくてたまらなくなったってか?忘れちまうんじゃあねーかとビビってるってワケだな。あァ、否定はしねえ」
衣擦れの音をそっと立て、杖先を、"にせもの"に向ける。
「ワリィな。忘れはしねえが、今、テメーは、俺のモノじゃあねえ。そして俺も、お前のモンじゃあねえ」
ぱちん、と音を立てて、ボガートが姿を消した。煙となって立ちのぼる。感謝はするぜ、と、つんとした態度でプロシュートは言った。久々に顔を見られたからな。
目をぱちくりさせたルーピンにひらりと手を振る。横にずれると、少し遠くで控えていたリゾットが前へ出た。ふう、と一呼吸。
ボガートの姿はすぐに変わった。今度こそ恐怖のどん底に突き落として震えさせてやる、と言わんばかりに。
赤い瞳に血だまりが映る。いつかの色と変わらない、滲み出て、床を染め、ひろがってゆく。いつだって同じ。始まりと終わりの象徴なのかもしれない。何度生まれ変わっても、記憶を失ったとしても、心を閉ざしても忘れない、忘れられない。
この異様な光景に驚いたのはルーピンだった。割って入ってでも身代わりにならなければいけないのでは、と思わされる凄惨な現場が模されているのだから仕方がない。
しかし、リゾットは冷静に唱えた。
「リディクラス」
ルーピンはびっくりして一歩ひいた。
だって、血だまりからわんさかじゃらじゃらと、いろんな刃物があらわれたのだから。
「(これが『血のリゾット』……ということかな)」
なんとなく納得してしまう。
とりあえず授業に使用するにあたって致命的な支障はないとわかったので良しとしよう。
こういうところは肝のすわったリーマス・ルーピンは温和に微笑んで礼を言う。
そして数日後、とっても楽しくてとっても大変な授業がひらかれた。