シリウス・ブラックの動揺



R・A・Bというイニシャルを見た時、シリウスの表情は凍り付いた。すぐに屋敷しもべ妖精のクリーチャーを呼び出し、僕の目の前で目をつり上げてロケットを突きつける。
「これは誰のものだ!?」
クリーチャーは本意ではない主人に対し、非常に嫌そうに答えた。その態度にとやかく言うほど、僕たちには余裕がなかった。
ダンブルドアが命を懸けて手に入れたヴォルデモートの分霊箱は分霊箱じゃなかった。すでに誰かに、R・A・Bによってすり替えられ、本物の行方はわからなくなっていた。もしもこのことでダンブルドアが死んでしまっていたら、僕たちは悔やんでも悔やみきれない間違いを犯したことになっていただろう。ダンブルドアのやったことがすべて無駄になったとは思いたくなかった。
聖マンゴで安静にする先生を思い浮かべて、僕はもう一度紙を開いた。小さく折りたたまれた紙。クリーチャーはそれを書いたのはレギュラス・ブラックだと確かに証言した。
「レギュラスが……ヴォルデモートを裏切って……命を……?」
信じられないという表情だった。シリウスの中では"レギュラス"という人は闇の魔術にどっぷり浸かった"ブラック家"らしい人間だと、ずっと何十年も信じていたのだ。だから彼はこのロケットの存在を認めたくない。シリウスにはそういう頑固なところがあった。
「本物のロケットはどこにあるの?」
僕が訊ねてもクリーチャーは返事をしなかった。シリウスがイライラしたように問いかけ直すと渋々口を開く。
「汚らしく厭らしく卑しい盗賊が盗んでいきました」
僕とシリウスは顔を見合わせ、シリウスが眉をひそめた。
「マンダンガス……か?」
汚らわしくて厭らしくて卑しい盗賊っていう形容詞で思い浮かべられてしまうマンダンガスに同情してしまう。
僕が口を開こうとした時、ばしんという音がした。誰かがグリモールド・プレイスに『姿現し』をして来たのだ。
「プロシュート、ネエロ。それに……」
シリウスが口ごもったのは、プロシュート先生とネエロに連れられて初めてグリモールド・プレイスにやって来たポルポのところに、犬の姿で三年前滞在していたことがあるからだ。ポルポを騙しているみたいで僕も気が引けたけど、なんだかポルポなら、正直に話しても気にしないんじゃないかなって気がしてくる。
ポルポは堂々とした態度でシリウスに右手を差し出した。握手を交わして、シリウスの目がポルポの胸に行ったのを(ひどいやシリウス)見たポルポは、「揉む?」と普通の様子で訊ねていた。僕の方が慌ててしまう。だけどプロシュート先生がポルポの肩に手を置いて引っ張ってくれたから、シリウスはたじろぐだけで済んでいた。ポルポはけろりとしている。ここまで大きく育ってしまうと自分の胸でも誰かに触らせてもいい気がしてくる、とは彼女が言ったことだ。僕は絶対にそんなことはないと思う。
「ポルポ、話したいことがあるんだ。君と僕とダンブルドアで取りに行ったロケットのこと……」
あの場にはポルポもいた。ポルポはダンブルドアと僕の命を助けてくれた。きっとあの時ポルポがダンブルドアに杖を貸さなかったら僕たちは生きていなかっただろうし、その、僕がポルポを突き飛ばしてしまっていなかったら、ダンブルドアはあのまま死んでしまっていたと思う。死を選んでいたと、思う。
「その表情じゃ、思わしい結果じゃなかったみたいね」
ポルポは何でも知っているような顔をしていた。いつもそうだ。なんだか僕らの一歩も二歩も先を行っているような気がする。つかみどころがなくて、すごく年上なような、同い年なような、不思議な感覚があるんだ。
クリーチャーのつくったクッキーをお茶請けにすべてをポルポに説明すると、ポルポは自分でロケットを開いてみて、そうなのね、と呟いた。手の中でロケットをひっくり返して見ている。僕はポルポがどんな反応をするのかがとても気になってじっと見つめていた。
「誰が持っているのかしらね。闇の魔術がかかっているものを持っていてまともな精神でいられるとは思えないんだけど」
「確かに。だがわたしにはこの魔法界で"まとも"でいる人間の方が多いとは思えない。探すのは至難の業だろう」
「分霊箱同士が惹かれあうわけじゃあないしねえ」
スタンドじゃあるまいし、とネエロとプロシュート先生に笑顔を向けたポルポに、プロシュート先生もニヤリと笑った。ネエロは笑ったのか怒ったのかつまらなく思ったのか何も読み取らせない。ただポルポにちらりと視線を向けて、そうだな、と短く相槌を打っただけだった。
この二人は婚約者同士だというけれど、本当に婚約しているのかな。僕の知る婚約とはずいぶん違う。愛があるのかないのか、まったくわからなかった。ポルポはネエロを好きだと思っているみたいだけど、ネエロのどこがいいのか、六年間授業を受けていても謎なままだ。悪いやつじゃないというのはわかるけど、このポルポが好きになるような男かな。僕はシリウスやプロシュート先生のような人の方が好みだ。
ところで、スタンドって?
僕らは顔を見合わせて首を傾げた。ポルポたちは答えてくれるつもりはないみたいで、ニコニコしながらクッキーを食べている。おいしいよ、とクリーチャーに感想を言って、無視されても全然気にしていないみたいだった。変なところで強いなあ、と思った。
「ねえシリウス、そのロケットはクリーチャーに返してあげた方が良いと思う」
偽物の分霊箱は、クリーチャーの大切なレギュラス・ブラックが命を懸けたものだ。レギュラスの証として、クリーチャーが持っていることが相応しいんじゃないか。僕はそんなふうに考えてシリウスに提案した。
シリウスはポルポからロケットを受け取り、じっとそれを見つめた。レギュラスのことを想っていたのかも、と、なんとなくだけどそう感じた。
二人は仲の悪い兄弟だったというけれど、もしかしたら、何かきっかけさえあれば、二人の関係はずっと変わっていたのかな。そのきっかけは、もう永遠に訪れないけれど。
「……これは、レギュラスのものだ。だが、……あいつのことなんて知りたくもなかったが、あいつはお前に持っていて欲しいと考えたかもしれない」
苦いものを吐き出すようにそう言って、シリウスはロケットのチェーンを粗雑に掴んでクリーチャーに押し付けた。
クリーチャーは恭しくそれを受け取って、大事そうに、枕のシーツで出来た服の中にしまいこんだ。