セブルス・スネイプの誤算
そろそろ学期末テストへの対策も佳境に入る。勉学と真剣に向き合ってきた者には微笑みを、そうでないものには無慈悲なる制裁を加える"ホグワーツの菅原道真"と私の中で名高い絵画は願掛けのお参りを何度も受けている。本人も満更ではなさそうな毎年恒例の行事だ。なんでもすべてのテストで満点の成績を取ったにもかかわらず進級テストでだけ落第を選びわざと留年を繰り返しホグワーツに滞在できる最高年数の記録を更新した伝説の卒業生なのだとか。そんな人を拝んでいいのか?物凄く気まぐれそうだぞその勝利の女神は。
ところで主人公のハリー君はVSスラグホーン戦にひどく苦しんでいるようだった。
さっさとフェリックス・フェリシスを飲んじゃえばいいのにと思うのは私が原作を知っているからだろうね。私が彼の立場だったらどうだろう。まあ、貴重だから最後まで惜しんでしまうよなあ。でも何に置いても優先すると心に決めたダンブルドアからの要請がかかっているんだから、男らしくクッと行っちゃおうぜ青年。
原作軸はいつかなと私がハリー君を観察し始めてからひと月弱、メローネが三つめの媚薬を開発しホルマジオにオメーぜってー盛るんじゃねェぞリトルフィートで切って潰すからなとめちゃくちゃ念を押されてから三週間とちょっぴり、ソルベとジェラートがルシウス・マルフォイ、シリウス・ブラック両名とばったり出くわして彼らがホークラックスを入手する手助けをしたとモバイル経由で事後報告を寄越して来てからちょうど二週間、どういうこっちゃねんと仔細を求めて返信をしてから一週間強。五日前には、どうもこうも書いたとおりだぜグリンゴッツに用があるっていうから潜入を手伝ったのさと今度は手紙で返事が来た。どうもこうも解らんがどうやら彼らは四人がかりでグリンゴッツ、ベラトリックス・レストレンジの金庫からホークラックスを入手してしまったらしい。なんつーこった。
天を仰いで何度目になるか数えきれない同情の念をヴォルデモート卿へ捧げたところで、私は超絶にハイテンションなハリー君とすれ違った。
「やあポルポ!君も僕と一緒に来てよ!」
はい?
ほぼ無理やり校外に連れ出されてやって来たのはハグリッドのおうち。スラグホーン先生は死した毒蜘蛛アラゴグに祈りを捧げついでに半リットルで100ガリオンになるアクロマンチュラの毒液を微量採取。やけに元気と歯切れの良いハリー君の隣でハテナマークをいくつも浮かべながらその光景を見ているのはこの私、ポルポ・ノタルジャコーモヌンツィアータオルトラヴィータパラッツォーロ。どういうことなんだろうね、これは。
どうもこうもない。
私は今、スラグホーンの記憶を手に入れる為の出来事に巻き込まれているのだ。
目の前で酔いつぶれ歌をうたい肩を組むオッサン二人は、私の動揺に気づくそぶりはない。隣で大樽に腰掛け手拍子をとるハリー君だって私のことなどアウトオブ眼中。じゃあ帰してくれよとさりげなく帰寮を申し出てみたが却下された。あんなに生徒の夜歩きを止めようとしていたスラグホーン先生でさえも、良いじゃないかミスポルポこんな機会は二度とないんだ私のフランシスの話を聞いてくれ、と魚の話を始めてしまう。オイオイ。
「その魚は一人の生徒からプレゼントされたものだった。ずっと昔、私が前に教鞭をとっていた頃……教室に戻るとそこには水鉢があり、水には百合の花びらが浮かんでいた。私が見ているとその花弁は水に沈み、……底につく前にほどけるように姿を変えた。私は魚をフランシスと名づけた」
スラグホーン先生は私を見て、ハリー君を見た。ハリー君の目を見つめ、それから次に私の目を見つめた。どうしてそんな泣きそうな目で見つめられるのかが理解できなくて、ただゆっくり瞬きをすることしか出来ない。ハリー君を見つめる理由は簡単だ。彼の目はリリー・ポッターにそっくりで、"フランシス"を贈ってくれた愛しい生徒の影をそこに見出せるからだろう。だけど、なぜ私?そもそも私が"幸運"の導きでここに引き連れられたこともよく解らない。私がスラグホーンの心を揺さぶるきっかけになるとは思えなかった。
ハグリッドのいびきをバックに、スラグホーンは私とハリーの姿を重ねるように眼差しを遠くした。
「リリーのくれた魚は……彼女が死んだ日に消えた。今はもう、鉢しか残っていない。……まだ、捨てられない。割れないように呪文をかけたよ。永遠に変わらないように。……もうなくなってしまわないように……」
老人の独白はお酒の匂いと共に吐き出され、ハリー君は少し興奮した早口でスラグホーン先生に言葉の先を求めた。
「母はあなたを尊敬していたんですね。大切な恩師であるあなたに何か贈り物をしたかった。それに生き物を選んだのは、きっとあなたのことを好きだったからです。……人として」
そこ注釈必要かな?
「自分の魔法でつくった自分の分身を、あなたのお傍に置いておきたかった。きっとお礼のつもりだったんです。……母は、先生のことを最後までその魚が見守っていると思っていたはずです。自分の代わりに、最後まで。だけどそれは叶わなかった。先に……死んでしまったのは母の方でした」
「そう……リリーは……死んでしまった。……おお……」
スラグホーン先生の唇は震え、手が感極まったようにゴブレットを握りしめた。アルコールで脆くなった涙腺が刺激されたか、目をきつく瞑って眉間にしわを寄せる。ハリー君はその隙を逃さずに畳みかける。
「母は最期まで僕を守ってくれました。僕は夢に見るんです。母は見逃してやると言われたのに僕を守って離さなかった。……僕をここまで生かしているのは母の愛なんです」
老いた瞼の下で瞳がせわしなく動いた。私とハリー君の目を交互に見て、彼はとうとう、諦めたように両手で顔を覆った。女子力。
「ハリー……君の目はリリーの瞳だ……そっくりだ……」
立ち上がり、スラグホーン先生の肩に手を掛け慰めるようにさすったハリー君は、優しさを装った表情の下で鋭くスラグホーンの動向を察しているようだった。半落ちというやつだろうか。もうスラグホーン先生の理性は決壊寸前だ。ハリー君が先生の顔を覗き込む。先生、と声をかけると、スラグホーン先生の視線はハリー君をすり抜けて私をとらえた。
「ポルポ……君の目はリリーの髪と同じだ……君たちは……君たちは……リリーだ……」
いや違います、だなんてエアリーディング検定3級の私が言う筈もない。なるほど私はこのダメ押しの為に呼ばれたのか。これだけの為に。おいおいおい、私の夕食の時間を返してくれよ。ハグリッドが出してくれた糖蜜ヌガーを食べて顎が猛烈に疲れただけの二時間だった。出かけて来るよって言っておいたから良いものの、夕食の時間が過ぎても私が戻らなかったらホルマジオたちが異変を察して色々と動いてしまう可能性があるんだけどな。私もう帰っていいかな。
白い糸のような記憶が詰まった小瓶を握りしめ、ハリー君は私を連れて学校の階段を上りまくった。ものすごい勢いだ。私は息を切らしてついていく。これもハリー君の"幸運"の為せる業か、厄介な障害となるだろうホルマジオたち四人には出会うことがなかった。
合言葉に反応してガーゴイルが動き、私たちは螺旋状のエスカレーターを駆け上って、私一人目を回しながら校長室の戸を叩いた。
「夜に出歩くのは感心せんよ、ハリー。ポルポまで連れて……どうしたんじゃね?」
「先生、手に入れました!スラグホーン先生の"記憶"です!」
「なんと」
なんと、じゃなくてマジで私がいる意味。ここにいる意味を探すRPGをプレイしている現状。攻略本持って来て。
憂いの篩に顔を突っ込むハリー君と水面に映る光景に注視するダンブルドア。ダンブルドアが私の背に手を当てているのでなぜか私もホークラックスについて会話する一連のやりとりを見ることになる。あっはい、見てます、今ちゃんと見てます。えっ感想?
「早く対処しないと危険ですね」
見よこの小学生並みの感想を。
ダンブルドアとハリー君はこれで満足したらしい。先生は私の背に手を当てていた手でこちらの肩を抱くと、ハリー君に手を差し伸べた。
「もはや躊躇の猶予はない。ハリー、わしと共に行ってほしいところがある」
「はい、先生。先生のお役に立てるのならどこへでも行きます」
「よう言ってくれた。……ポルポ、君もいいかの?」
いや、ナニが良いのかまったく飲み込めないんだけど。
ハリー君の"幸運"に絶賛巻き込まれ中の私は天文台の巨大な天球儀を背景に、地平線に沈む夕日の明かりをいっぱいに受け、びゅうびゅうと吹き付ける強風にスカートが捲れないか懸念しながらダンブルドアからの忠告をきいていた。
「良いか、これから行く場所ではわしの指示をすべて聞くのじゃ。わしが逃げよと言えば逃げよ。わしが見捨てよと言えば、……わしを見捨てよ」
「先生は私に"帰れ"とは言って下さらないんですね」
「なぜじゃろうな……わしは君がいなければこの事態を乗り切れんと、今そう確信しているのじゃよ。君を危険な目には決して遭わせん―――とは誓えんが、ネエロ先生に恥じる結果にはせんと断言したいところじゃ」
ナニ一つとして安心できないですね。ハリー君の"幸運"の効果はあと十数時間続くんですよね。もう勘弁してくれー。いつまで私は彼らに付き合っていないといけないんだ?せめてイルーゾォたちに連絡する時間をくれください。
「そうじゃな……セブルスに伝言を残しておこう。すまぬが、それで許してくれ」
「ポルポ、校長先生の言うことを聞いて。今の僕たちは何でも出来る。僕にはそんな気がしているんだ」
言っておくが君たちは今からポジティブな自殺をしに行くようなもんだからな。フェリックス・フェリシスでラリってる場合じゃない。仕方ないのは解っているんだけど頼むから私抜きでやってくれ。
願いは空しかった。
ダンブルドア先生の死んだ腕に手を置いた私は反対側の手を取ったハリー君と同じく高速で渦巻き遠ざかっていく景色の中を飛び貫けて、波は大荒れ天気も劣悪な海の真っただ中にそびえる洞窟に到着してしまったのだった。
嫌な思い出を蘇らせるという水薬をすくっては飲ませすくっては飲ませる。ハリー君は「もう一口だけです!これで終わりますから!」と10回ほどホラを吹いていた。私はそれをよそに、孤島の水底に沈む幾体もの死体を見ないよう目を逸らし、ダンブルドアが苦しみ喘ぎぜはぜは口から水薬を零す音を聞きながらひたすらに祈っていた。何事もなく終わりますように。マジで。
「許してくれ……許してくれ……」
罪深い老爺の悲痛な叫びが洞窟にこだまする。許します、許しますから飲んでください。ハリー君が懇願し、ダンブルドアは虚ろな思考の中で自らの役目を思い出しそのたびに喉を鳴らして、吐きそうになりながら飲み込んでいく。くぼみの中のどす黒く濁った水たまりはあと少しで終わりになる。ダンブルドアのライフはゼロよ。もう勝負はついたのよ。これヴォルデモートはどんな呪いをかけたんだろうね。誰もフィニートを試さなかったけど終わらせる呪文は効かないのかな。ダンブルドアが試さなかったということは、効かないんだろう。あのお爺ちゃん意外とうっかりなところがあるけど、フィニート程度で終わっていたら分霊箱の護衛装置として機能していないも同然だ。人道にのっとると他人にこれをさせるわけにもいかず、罠と解っていても飛び込まなければならない。男にはそんな時があるんですね。
もちろん私は冗談でも自分から"私が飲みましょうか"とは言わなかった。だってこの汚らしい阿呆がーッと叫んでスコージファイをかけたくなるような水薬を飲んだら自分にナニが起こるか知っているもん。思い出したくない記憶を無理やりに思い出させられるんでしょう?そんな悪い誘いには勧誘禁止だれ!カルマはだれキュラ。お爺ちゃんには犠牲になって貰った。犠牲の犠牲にな。ごめんよ、私は我が身が愛しいんだ。
「ハリー……ハリー……水を……ポルポ……ハリー……」
空になった器の底からロケットを取り出したハリー君は喜びもあらわにそれをかすかな光で照らした。くすんだロケットがルーモスの明かりを反射し、ダンブルドアのずり落ちた眼鏡が鈍く輝いた。
「水ですね、待っていてください、今……」
持っていて、とロケットを押し付けられた私。これ自体には何の危険もないと解っているので、精巧なレプリカのチェーンを手首に巻き付け、手の中に握りしめて落とさないようにしてからダンブルドアの傍らにしゃがみ込む。間違っても水の底に落としたりしたらね。もうね、最悪な結果になるよね。
「先生、大丈夫ですか」
ハンカチでおひげについた水分を拭って、冷えた身体を温めるくらいは私にも出来るだろうと手を握る。ダンブルドア先生は弱弱しく握り返して、おお、とうめいた。水が欲しいんだってさハリー君。
「出ないんだ、水が、出るけど、器ですくえないんだ!」
「把握した」
すくえないならすくわなきゃいいだろ。
私は杖を取り出した。ちょっとだけ、もしかしたら軽い摩擦で火花が散っちゃうかな、と恐怖があったけど善なる心でそれを押し込めて、ダンブルドアの唇に杖先を触れさせる。ハリー君が、エッ、と私の行動を止めに入ろうとした。だがしかし私の長門もびっくりな高速詠唱に勝てると思うのは驕りというものさ。そーれわっしょいこらしょいどっこらアグアメンティ。
杖の先から流れ出した水がダンブルドアの唇を、舌先を濡らす。数か月前のお茶会でね、ダンブルドアが杖の先からお湯を出していたのを見て、なるほどそういう使い方も出来るのよねと改めて感心したので結構頻繁に使っていたのよ。水を器に入れられないなら直接流し込めばいいじゃない。
「僕……僕すっかり忘れてた」
「まあこれがポルポさんの真の実力っていうかね」
「僕、君のこと少し誤解してたかも」
素直でよろしい。どう誤解してたんでしょうね。
「てっきり僕は君が魔法をあんまり―――……え?」
フッ、とルーモスの明かりが途切れた。不気味な暗闇が戻り、風もないのに水面が波立つ音がする。仄暗い水の底からうじゃうじゃとおぞましいものが這い上がって来たのだ。水と暗闇を混ぜたホラーものは苦手だってあれほど言ったじゃないですか。
苦手なんていうレベルじゃ済まないと理解したのは、顔のない胎児が身体だけ痩せこけてしまったような姿をした亡者たちが一斉に陸地へ侵入して来た時だった。とんだブラクラだよ。
「コンフリンゴ!セクタムセンプラ!コンフ、エクスペリアームス!エクスペリアー、ポルポ!ダンブルドア先生を守って!」
無茶振りだー!
このお爺ちゃんが自衛できない以上その役目が私に課されることは自明も良いところだったんだけどそう言われると難しい。ロケットに杖を向けてレリーズ!とか唱えればこのロケットが秘密の武器に変わってくれたりしないかなあ。汝のあるべき姿に戻れ。
プロテゴ一択で四割ダンブルドア、六割自分の身を護りつつ、ダンブルドア先生起きてください大変なことになってますと彼を揺さぶり続けること数詠唱、ハリー君が水に引きずり込まれてウワアアアポッター!咄嗟に手を伸ばし合ったものの、私が彼の手を掴まえられても引き上げられずに二人して沈むだけじゃないかなと心の底で冷静になってしまったせいか、それともガチで腕の長さがお互い足りなかったのか、私たちは指先だけが触れ合って、結局手を取り合うことは出来なかった。
「杖を……ポルポ、わしに杖を……」
えっえっどこだよ。ざっと孤島を見回すと、結構離れた場所、亡者たちがぞろぞろと浮上してくる辺りに一本の棒切れが転がっていた。棒切れとか言っちゃダメなのか、最強の杖だもんな。つくしみたいな形しやがって。
あそこに取りに行って戻って来てダンブルドア先生に握らせて、私自身無事でいられる自信はなかった。なので手っ取り早く、私は自分の杖を握らせた。
「今はこれが精いっぱい」
ぽん、と咲かせた花を囚われのお姫様に差し出した某三世が如き台詞だったが許していただこう、完全に無意識だった。
「充分じゃ……」
ダンブルドアが杖を振るった。私の凡百な杖から放たれるとは思えない熱量が集束し、発火装置もないのにごうごう音を上げながら火柱が立つ。亡者たちは熱され、焼かれ、蒸発していく超高温の水蒸気に巻かれ、悲鳴ともつかない悲鳴を残して水の底へ退いていく。蒸発し嵩の減った水にハリー君が浮いて来たので、私は岩場を駆け下りた。スカートが引っかかって裾が破けたことに気づかないくらい夢中だった。手を伸ばす。今度はしっかりと繋ぎ合う。ファイトー!
「う、うん、ファイト……」
違うよそこは"一発!"って言うんだよ。
ついでにダンブルドア先生の杖を持って行く。先生は杖を持ち替えて炎の真ん中に道を開けた。
炎の壁に囲われ安全になった水路を行き、私たちは洞窟の外へ命からがら逃げだした。
先生の腕を取って『付き添い姿現し』をする。ぐるぐる世界が回転し、すっかり日の沈んだ地平線が見えた。破れたスカートが強風に吹かれる。ハリー君は何事もなかったかのように私のチラ見えした太ももをスルーした。それはそれで傷つくんで何か反応してくれ。青少年の初心な反応をくれ。私の情報では君はまだファーストキスも済ませていないチェリー君だという話だが、いわゆるJKの太ももを無視するその鋼鉄の精神はどこから。私よりもダンブルドアが良いって言うのね。裏切られた気分だ。
そんなくだらない話はうっちゃって。
天文台の塔から見下ろせる学校の外庭には閃光が飛び交っていた。高らかな笑い声、無言で弾かれ生垣を砕く赤い閃光。私は思わず時計を確認した。ポケットに突っ込まれている懐中時計は少し濡れていたが問題なく動き、日暮れからまだそこまで時間が経っていないことを教えてくれた。
死喰い人が活動するにはまだ早い時間帯だろうなあと思ったけれど、来ちゃっているものは仕方がない。余りの急展開に私もついていけないよ。知っていてもついていけないんだから、ぶっつけ本番のハリー君たちはもう眩暈がしていることだろう。してなきゃおかしい。どんだけメンタル強いのよって話だ。
「ハリー、ポルポ、君たちは隠れて……」
ダンブルドアが言い終えるより先に割り込んでくる人影が四つ。先頭に並び立つ二人はダンブルドアに向けて杖を構えており、その背後で影のようにマントを床に滑らせる見知らぬいかつい男二人は私たちを杖で威嚇していた。
「……えっと……」
えっと。
めまぐるしく記憶が掘り起こされる。細胞にしみついた記憶が一本一本糸を伸ばし繋がっていくような感覚だった。
本来ならここに立つべきはドラコ君だ。ダンブルドア先生の命を狙う死喰い人はドラコ君で、ハリー君を隠したダンブルドア先生はドラコ君に殺されることを選ぶ。ベットした命を差し出すことで勝敗のつく前に土台から下り、ニワトコの杖の所有権をうやむやにしたまま死ぬつもり。でもその企ては失敗に終わり、ニワトコの杖を巡るひと悶着はまだ続くはず、なんだけど。そのはずだったんだけど。
「お前の命運もここで尽きたな、ダンブルドア」
「ドラコが裏切った今、"帝王"に気に入られるのは俺たちだ」
何を言っとるんだこいつらは。
そこに居たのはクラッブとゴイルだった。
冷酷に唇をゆがませて、クラッブとゴイルは見せつけるように杖を突き出す。ローブを捲り杖腕を出した。
「見ろ」
見てます。
刻まれた黒い印は闇の印と呼ばれるものだ。直に見たのは初めてだったのですみません写真良いですか。良くないよね知ってる。カメラも持ってないしな。そういう問題じゃあないのは解っている。
「クラッブ、ゴイル……君たちが死喰い人だったのか!」
「そうさ。マルフォイ家は臆病だった。俺たちは違う」
「ここでダンブルドアを殺し、俺たちの家はもっともっと強くなるのさ」
もしかしてだからこの人たち、あんな人けのない『必要の部屋』へ通じる階段を上っていたのか。なぜか鮮烈に焼き付いたその瞬間のことを思い出して、場違いにもぽん、と手を鳴らしたくなった。鳴らさなかったけどね。
ちらりとダンブルドア先生を見ると、うわあ殺されづらいなあ、という表情をしていた。二人いるしね、殺し屋。ドラコ君と違って殺人に躊躇もないし家族を人質に取られてもいないし情状酌量の余地がないよね。ダンブルドアの疲労した瞳には、救えなかった生徒への憐憫が浮かんでいた。
ハリー君と私という重荷を安全な場所へ隠せなかった彼の分は悪い。ダンブルドアを殺したあとは私たちが攻撃されるだろうし、ハリー君は誘拐され、もしかすると私も誘拐されるかもしれない。ヴォルデモートさまはリゾットがお好きなようだからね。ダンブルドア先生はそれは避けたいだろう。かと言って今、彼らに攻撃を仕掛けることは出来ない。十中八九勝つだろうけど、万一を考えるとダンブルドア先生は勝負をしてはいけないのだ。攻撃することも、守ることも出来ない。しかしダンブルドアは余命いくばくかの命を捨てなければならない。この状況で、死喰い人にそれを勝利と思わせ、捨てなければならない。
黒い影がまた一つ裾を翻し塔へやって来た。それはダンブルドア先生にとっては、事態を転じさせる救いの一手だった。
「スネイプ……!」
「スネイプ先生!」
「やっと来たか。だがこいつは俺たちの獲物だぞ」
負けフラグたっぷりなことを言ったクラッブとゴイルを背にかばい、スネイプ先生はダンブルドアと目配せをする。私とハリー君にはなぜかそれがハッキリとわかり、私たちもまた顔を見合わせた。ハリー君は困惑を滲ませる。
スネイプ先生はダンブルドアに言った。
「あなたももう終わりですな」
老人は答えた。そうじゃなセブルス、終わらせよう。
全員がダンブルドアを見たが、ダンブルドアはスネイプ先生を見たまま、私たちの視線には気づかなかった。
「セブルス、君には最後まで苦難を強いたが、わしはそれを悔やんではおらぬ。君もわしを許す必要はない」
意味深にそう言い残すと、ダンブルドアは目を閉じた。スネイプ先生が杖を構え、ハリー君が制止の為に杖を取り出すよりも早く緑の閃光をほとばしらせる。
「アバダ……ケダブラ!」
しかし―――その時働いていたのは、誰の"幸運"だったのだろうか。
ハリー君の伸ばした手は、乗り出した身体は、隣にいた私を押し出した。えっちょっお前待て待て待て、と一瞬にして血の気が引いたのは、私たちの立っている場所が不安定な塔のへりであり、間違っても押したり押されたりしては行けない場所だったからだ。押しくらまんじゅう押されて泣くな。泣くよ。
ぐらりとよろめいた私の身体を咄嗟に支えようとしてくれたのは、緑の閃光が飛来する中で、ただダンブルドア一人だった。そりゃそうだ、私がよろめいた方向にいるんだから。
ハリー君に突き飛ばされる格好になった私の身体は緑の動線上に押し出され、ダンブルドア先生はそんな私の命を守る為に16歳の、いやもうそろそろ17歳の少女を思い切り自分のローブに抱き込んだ。思いがけず体温に包まれて人間の温かみを知る。死に瀕していても生徒を守るなんて教師の鑑だ、とその時の私が思えたかどうかはちょっとよく思い出せない。
私を抱き込んだダンブルドアの膝が崩れた。私が特別重かったわけではないと思いたい。体力を使い果たしていた老人に、人ひとりの重さは耐えかねた。倒れ込みかけた私たちは呪いがダンブルドア先生にぶつかるより先に、大きく吹き荒れたイギリスの無慈悲な夜の風に煽られて、落ちた。
「(う、……)」
うわあああああああ!
ナニしてくれてんだこのやろうと口汚く、ついさっき死の呪文から守ってもらったことも忘れて内心で激しく罵ってしまうほど血の気が引いていた。ポルポ!ダンブルドア先生!と呼ぶ声が塔の上から聞こえる。一見すると"死の呪文を食らって落下したダンブルドア"とそれに"巻き込まれて転落した私"を救えなかったことを悔やみ叫び惜しみ、助けたいのに手が届かず、自らも闇の陣営に捕らわれかけている状況でどうすることも出来ない青年の嘆きが急速に遠ざかって行った。
死にたくない死にたくない死にたくない。念仏のように唱えても高い場所から落下する勢いのよい気圧の変化には耐えがたく、頭がぼうっとしていく。ダンブルドア先生は死んでは居らず、その腕はしっかりと私を抱き込んでいた。杖を取り出し、私の命だけでも助けようと呪文を思い浮かべたのだろう。無言呪文を選んだのは自らがこのまま、誰の手にもかからず死ぬことが出来れば事態が彼の思うように進むからだ。現にスネイプ先生の魔法が偉大なる魔法使いを殺したと勘違いしたデスイーターは禍々しい象徴を空に打ち上げている。
音が届いているのかもわからない。だけど声を張り上げた。死んでも死にきれねえ。
「今すぐ助かる方法を考えてください!」
「もう遅いのじゃ、ポルポ」
「なんでそこで諦めちゃうのかな!?」
いたいけで庇護すべき生徒の存在ももうちょっと考慮してほしいぞアルバス・パーシバル・ウルフリック・ブライアン・ダンブルドア。
なぜか彼は今死なずに墜落している。まだ死んでいない。それなら、それが今この場の運命というやつなのだ。
私は運命なんて信じないタイプだったし、覆してやろうといつだって思っていた。それが大切な人を守る為に必要なことだったからだ。ローリングストーンズを壊し、最後まで命を抱えて生きていこうと思っていた。今だって変わらない。
そんな外れた運命の中に、セドリック・ディゴリーが生き延びたように、この世界に私たちが存在しているように、あり得ないことが起こったっていいじゃないか。あり得ないなんてことはあり得ない。
これがハリー君の"幸運"だというのなら。あと数時間残っている"フェリックス・フェリシス"の効果だというのなら。
必ず私たちは助かる。助かる道は用意されている。なぜなら私たちを失うことは、ああもう、自意識過剰とそしられても構わないわよ。私たちを失うことはハリー君にとっての大きな"不幸"だからである!
解決の糸口はすぐそこにあった。私の大切な人たちにヒントはあった。
いつだったか。初めてその話を聞いた時、私は"彼ら"の執着とたゆまぬ努力と研究を心から尊敬した。私にはなくって、彼らにはあるものだと思った。スタンドが生活の一部として食い込んでいた彼らはそれほどまでに悔しく、寂しく、物足りなく、半身をもがれた想いだったのだろう。『魔法』という名の新たな能力を手に入れても、満たされないくらいに。
そうそう、彼らは。
思い出した時はそんなふうに頷いたっけ。確か改めて意識したのは数年前だった。
彼らはスタンドの代わりに、この魔法界でそれぞれ、氷や縮小、隠遁や年齢操作の魔法を修めることにしているらしい。ギアッチョは冷気の魔法が得意だし、ソルベは変身術、ジェラートはその、本人曰く、禁術に近い方向の仮死魔法が得意だと言っていた。生まれ持っての性質が、技能の習得を補助しているのかもしれない。余談だ。余談だった。あの時は、ただの余談だとしか考えていなかった。
けれど今、ぴんとひらめくものがある。
地上にこちらを見上げて唖然とする剃り込み野郎の立姿を見つけた。あんな目立つ剃り込み、二人と居て堪るか。ホルマジオだ。どっからどう見てもホルマジオだ。ホルマジオは失ったスタンドの代わりに、『縮小』の魔法を極めようとしていた。縮小呪文のレデュシオを子供のおままごとに見せちゃうくらい、すごいやつ。
ここでどうでもいい話を一つしよう。魔法界では大きいものに魔法をかけるよりも小さいものに魔法をかけるほうがずっと楽である。一部の魔法に至っては、術の効果範囲なんていうファンタジーみたいな径の計算が常識みたいにくっついてくる。更に一部の魔法に至っては、呪文の効果範囲内にある物体がどのくらいの重量であるかが重要視される。術者の魔法力が対象の重量と釣り合うかどうかで成功が決まるってわけさ。私が1億円の入ったアタッシュケースを持って帰りたいと願っても、私がそのぶんの筋肉を持っていなかったら持ち上げられないじゃん。そういう感じなんだよ。
それで、だ。どうでもいい話を続けよう。
魔法界には時間の経過を遅くする魔法がいくつかある。端的に言うと魔法カード『ずっと俺のターン』。アレスト・モメンタムとか、イモビラスとか。
これらは重さや大きさがとても大事な魔法だ。対象物の動きを(安心かつ安全かつ安定した状態で)ゆっくりにさせるには、重すぎても大きすぎてもいけない。
私はせっかくなのでこの呪文を使いたかった。杖を持っているのだし、魔法界の権威からひったくってでも唱えるべきだろう。だって生き延びたいんだもん。
信じらんねーと内心で大泣きしつつ、一つ唱える。一瞬だけぐっと動きが遅くなったが、二人分の重みには耐えづらい。だけど実はそれでよかった。たぶんあの元ヤンならぬ元ギャンなら、やって欲しいことを理解してくれるとわかっていたから。
足りないのは私の能力で、余り過ぎているのが二人分の重量と大きさ。
投擲されたナイフを有り難いと思ったのは、久しぶりか、もしくは初めてだった。記憶を辿るほどの余裕はなく、なんとなくぼんやり、こう思う。
「(チーズ蒸しパンになりたい……)」
あっさり言うと、ならずに済んだ。