イエスクリスマス、ノー犯罪
二度目のホグズミードでも滞りなくお菓子を補充し、私たちはクリスマスの当日を迎えた。選んだプレゼントの反応が気になってちょっとだけ夢に見た。魔法界の友人へのプレゼントには気を遣うが、今年は特に、その……ルシウスさんがね。あのオッサンが私にクリスマスプレゼントの要望を訊いて来たもんだから、私も絶対に出さないといけなくなってしまった。こちらの出方を待っていて音沙汰がなければ、"若輩の私がプレゼントを贈りつけるなどおこがましいと思ってクリスマスカードにしました"的な一筆を添えてカードをぺろっと送信すればよかったはずなのに読みが外れた。
仕方がないので厨房を借りて手作りのお菓子を焼いた。よほどのことがない限り手作りクッキーというのは相手に打ち解けた印象を与える、と私は思っている。それが女子学生の手作りならなおさら付加価値がつくぞ。ヤフオクなら高値で売れる。どこ住み?会える?
イギリス在住ルシウス・マルフォイ氏とナルシッサ・マルフォイ夫人からのプレゼントは連名で送られてきた。割れないガラスで造られた『永久に書けるペン』だ。インクを一度吸わせれば幾線もの軌跡が描ける、万年筆のようなもの。木箱には私の名前が箔押しされ、添えられたメッセージカードにはPの強調された文章が並んでいた。
「("君には色々と考えさせられた。結論はともかく、クリスマスでその礼を返させて貰うこととする")」
彼の中で何の化学反応が起こったのかめちゃんこ気になるけど、藪を突いて蛇が出てきたら困るので見なかったことにしておこう。ナニが起こってるんだってばよ。少し不自然なことに、クリスマスカードの名義もルシウス・マルフォイ自身の名ではなく、ドラコの父と書かれていた。確かにその通りなのだが、夏休みまでの彼の態度を考えるとここは本人の名前で書きそうなものだ。まあ、これもナニかを考えた結果なのかもしれないのでそっとカードを引き出しにしまい込んだ。お礼の手紙は、いただいたガラスペンで書くことにする。
寮監であるスネイプ先生からは残念なことに、いまだに一度もプレゼントらしいプレゼントを貰ったことがない。プレゼント交換を申し出たところ、私たちの関係は教師と生徒だ、個人を特別に取り立てるような行動は控えねばならない、とスネイプ先生が低い声でレトリックに説教をしてくれたのだが、それをお前が言うかと100000回突っ込みたかった。勝手に送ることを禁じられたわけではなさそうだったので、一昨年から毎回同じものをプレゼントしている。実用的にハンカチだ。私のハンカチを選ぶセンスは良いと珍しく評価されたことを数十年も引きずって調子に乗っている。二つに絞った候補の片方は黒地に百合の刺繍が施されていたが、さすがにそれはきつすぎるやろと思ったので違うものを選んだ。ハンカチをプレゼントにするのはあまりよくないらしいけど、魔法界は結構アバウトだ。
プロシュートからのプレゼントは魔法のかかったアロマディフューザーだった。なぜか学校では使うなと書き添えてあったから試しに嗅いでみただけだけど、どうして使うなと言われたかが心で理解できる気がした。これ、香りの雰囲気がリゾットに似てる。
ペッシからはマグカップだ。学校用に手ごろなサイズの物がないと言ったのをおぼえていてくれたのだろうか。
ソルベからはお箸、ジェラートからはお湯呑みが。手堅く日本の品で攻めて来た。大切に使わせてもらいます。
ホルマジオからは緊急用の魔法防犯ブザーが。まったく信用されていない感じ、かなりキュンと来たよ。
イルーゾォからは手鏡が。お前はこれで何をどうしろって言うんだ。普通に身だしなみを整えるために使っていいやつなのかを訊ねないと怖くて使えそうにない。
メローネからは手作りのお菓子が。中身を確かめてから食べようと決意した。媚薬でも入っていたら困る。自意識過剰と一笑できないところが、メローネが変態たるゆえんである。
ギアッチョからは『近づいてくるな券』が三枚。三枚で済んでいるという点でギアッチョへの愛が抑えきれなかった。三枚でいいんだ?五枚でも十枚でも無限回数でもなくて、三枚でいいんだ?わあかわいい。
パンジーには、花をモチーフにした髪留めを直接渡された。びっくりしていると、彼女は取り繕うようにまくしたてた。
「あんたの髪はふわふわしててたまに邪魔なの。夏なんかは見てて暑苦しいからたまにはアレンジしなさいよ。あ、……あたしの方が先に考えたんだからね」
そんなふうにつんけんしていたパンジーの手には、私が手渡した髪留めが握られている。偶然にも、同じ種類のプレゼントを贈り合ってしまったようだ。ラブラブだね、私たち。
ドラコ君からはクリスマスカードだけだったんだけど、そこに小さい文字で細々と自分がいかにポッターを嫌いであるかということが綴られていたので笑った。その節はごめんって。
ハリー君、ロン君からは食べ物が。ハーマイオニーちゃんからはマグルの漫画が2冊買えるくらいの図書カードが贈られてきた。ハーマイオニーちゃんの選択が的確すぎる。ありがたく使わせていただきます。
リゾットからは届いていなかった。ちょっと拍子抜け。一昨年は知らんぷりをしていたのでプレゼントはなく、去年は長く使えそうなデザインの懐中時計を貰った。センスの良さに感動するとともに、その手慣れた感じにゴクリと唾を飲んだのは良い思い出だ。いったいどんな場数を踏んできたんだろう。ずっと前から、とても気になっている。
「(…………うう……)」
別に物が欲しかったというわけじゃあないんだが、なんだか物足りない感じが、する。
しかし私の心情はともかく、クリスマスカードも送られてきていなかったので、どちらかというと残念さより怪訝さが先に立つ。仕事に忙殺されたのだろうか。私は普通に物を贈ってしまったから、逆に気を遣わせてしまうかもしれない。
本当に余談で、ルシウスさんの名誉にかけてはどちらかというと言及しないほうがいいのかもしれないけど、どうして私がクリスマス休暇にもかかわらずホグワーツに残っているのかというと、今年はマルフォイ家主催のクリスマスパーティーが催されないからだ。
仮にもホグワーツ理事会を首になった身であるルシウスさんは、さすがにその半年後に盛大な宴を開く訳にはいかない。自主規制というやつである。
ドラコ君たちは家族とクリスマスを過ごすために帰宅しているが、パンジーのご両親は今年のクリスマスに用事が出来たらしくホグワーツへの待機を命じられたとのこと。私も特に帰る理由はないので、同じく列車に乗らないみんなと一緒にホグワーツでのんびりクリスマスムードを楽しんでいた。
プレゼントを開けてはお礼状を書く作業をひとしきり終えるとナニが起こるか。それは空腹だ。
昼食を摂りに大広間に行くと、そこには教師陣が生徒と同じテーブルを囲んでいた。なにこれは。
「あっ、ポルポ!メリークリスマス!」
一番に気づいてくれたのはハリー君だった。ホルマジオと話をしていたメローネが素早く振り返り、ぱああと顔を明るくする。朝食の時にも会ったし朝にメリクリを言い交わしもしたのにあの喜びよう。クリスマスだからかテンションが振り切れている。イタリアンな血を持つ彼としては、やはりナターレの期間は大切なのかな。
みんなとハリー君、ロン君に挨拶をして、ニコニコしてこちらを見ているダンブルドアにも挨拶をする。マクゴナガル先生、スネイプ先生、スプラウト先生、フリットウィック先生、プロシュート、トレローニー先生、フィルチさんが個性あふれる声音でメリークリスマスを唱えてくれたので圧倒された。なんだこの人たち。今この広間に死喰い人が攻めてきても問題ないな。全員が一斉に立ち上がって、いや、立ち上がる前に仕留めてくれそうだ。
ところでルーピン先生は満月的な意味で欠席だとして、リゾットはどうしたんでしょうね。病欠?
「ネエロ先生のことが気になるかね?」
ダンブルドアは私の家名を呼んで、眼鏡をきらりと光らせた。ほんっとうに雑念なんだけどごめん、その立派なおひげをたくわえた姿で臓物のスープを食べることに問題はないんですか。歯に衣を何枚も着せて失礼にならないよう精いっぱい気をつけて無礼な質問をするとロン君がジャガイモを噴いた。すかさずフリットウィック先生が魔法でテーブルを清める。
「この歳になるともう慣れるものじゃよ。それに……こうしてテーブルナプキンを魔法で待機させておけば跳ねても安心でな」
魔法の有効活用ですね、わかります。優秀な人は話題に事欠かないな。納得して、ふとダンブルドアの帽子が目についたので普段と違う魔女の三角帽子を褒めておく。似合ってます。
「君たちの今日の髪型もとても似合っておるよ。ミスパーキンソンはミスターマルフォイの前でもそうしてみるとまた印象が違って見えるのではないかな?」
髪留めで止められた黒髪を微笑ましそうに見つめられて、パンジーが狼狽えた。落ち着かない指先が、普段はそこにある髪をかきあげようとして空を切った。愛想のない声で、そうします、と言った姿さえニコニコと見守られてしまっている。
「君も、後でネエロ先生に見せに行ってみると喜ぶじゃろう。のう、スネイプ先生?」
「校長。ここは学校で、ネエロは教師。彼女は生徒です。そのような交遊を勧められては困りますな」
「いいだろスネイプたん、今日はクリスマスだぜ」
ソルベの発言を聞いたハリー君がスープに噎せた。
「貴様教師を侮るなと何度言えば解る……!!」
そんな反応を憎らしげに睨みつけ、押し殺した怒声を震わせるスネイプ先生は、さすがにクリスマスの席で他の先生方を前にハリー君への理不尽な減点を行うつもりはないらしい。校長もいるしね。そしてソルジェラは何度言っても解らないと思うよスネイプたん。
「女王さんこっち座れよ、食い終わったらもっと可愛くしてやるぜ」
「パーキンソンもやってやろうか?おにいさんたちの大サービスだぜ」
パンジーはスネイプ先生やギアッチョ、ホルマジオにイルーゾォが座る側に腰を下ろし、私はハリー君とロン君、ソルジェラにメローネが座る校長の右手側に着いた。
色付きのリップを塗った唇が迷うように動いてから引き結ばれ、パンジーはソルベとジェラートにしっかりと頷いた。
「同じ厄介者でも、ウィーズリーの双子に頼むよりは絶対にマシだものね」
ちらりと見下すような視線を向けられたロン君はぼそりと呟いた。
「否定できないのがむかつく……スリザリンめ……」
私とハリー君は顔を見合わせて苦笑する。どっちもどっちだ。やっぱり案外気が合うんじゃないの。
何度も話に上ったネエロ先生はどこにいるのかと訊ねていいものかどうか迷う。スネイプ先生がああ言った以上、私の方から居場所を尋ねるのは寮監にとって好ましくないことだろう。せっかくのクリスマスにスネイプ先生の胃痛を増やすこともあるまい。
しかし逆を言えば、せっかくのクリスマスなのだ。まあ今までクリスマスという行事にはリア充幸福に爆発しろという印象しか抱いていなかったが、今の私は基本的にリゾット欠乏症。リゾットと触れ合えない時期が長すぎて死ぬ。私が魚だったら、浜に打ち上げられてぴくぴくしている状態だ。このまま会えないでクリスマス休暇が終わり、あと半年も禁リゾット生活を強いられるなんて結構しんどいよお!どうなってるんだ旦那!
今一歩踏み出せなかった私は、諸先生方の生暖かい笑顔をたっぷり受け取って大広間を後にした。ソルベが私の手を引き、ジェラートがパンジーの手を引く。パンジーは耳元で何事かを囁かれて、あら、と言った表情を浮かべた。あっさり手を振られて私とソルベは置いてけぼりだ。
何がどうなっているのかわからずにいると、ソルベは企むような笑顔のまま巧みな話術を展開する。何か意図があるのだなと、私も彼の話に興じつつ階段を上る。四階の辺りで足が疲れて来たので正直に申告すると、ソルベはゲラゲラと笑い声を立ててから私を担ぎ上げてくれた。なぜ肩に担ぐ。あと別にそこまで疲れたわけじゃなくて、ちょっと休憩しようって意味だったんですよ。
何枚もの絵画の横を通り抜け、ソルベはうろうろと廊下を彷徨う。迷うはずがないので、これにも何か意味があるのだろう。八階の廊下を何度か行き来したソルベは、私を床に下ろして壁を指さした。ただの石壁だったはずなのに、いつの間にか扉が現れていた。
「こ、これは……」
必要の部屋ってやつじゃね?
「あれ、ポルポは知ってたのか?よく解んねえことを知ってるよな、ポルポって」
知ってるというか読んだというか。まあ知ってる。
「可愛くしてやるための道具は全部ここに詰まってるんだぜ」
「それ学校の備品じゃないの?」
「言われてみりゃあそうかもな。でもバレなきゃいいのさ」
まあ、女の子を可愛くする為に必要な部屋を生み出す人なんてこのホグワーツに数人も居ないだろうし、問題はないんだろうね。
部屋の中は整然として、ドレッサーと椅子が用意されている。中央にはオーバルのローテーブルが置かれ、三人掛けのソファもあった。ソルベが杖を振ると、テーブルの上に置かれていた籠の中に洋菓子が満載された。出現呪文を使ったらしい。
「こいつはおにいさんたちの手製だぜ」
食べるのが楽しみだ。
鏡に向かって椅子に座る。ソルベは後ろからひと言断って髪飾りを取ると、ドレッサーの引き出しから取り出したブラシで私の髪を梳った。人に髪を触られるのって面白いよね。そこだけ、自分の物じゃなくなったような気がする。
「こういうのは一人じゃ出来ねえだろ?」
器用に天パをまとめ上げたソルベは。一本ピンを挿してから髪留めをくるりと手の中で回して見せた。鏡に映ったその仕草は、格好いいけど、ただのポーズだよね?
「カッコイイだろ?」
すごく。
ソルベは笑って髪を留め、しげしげと多角的に眺めてから不満足気に腕を組んだ。
「うーん、今のポルポは女の子だからなあ。13歳だろ?もう少し可愛くしても悪かねえよな」
せっかくのクリスマスに私をめかしこませたいのだろうと悩む彼の自由にさせるつもりで肩をすくめる。好きにしちゃっていいよ、お任せする。そう言うと、まるでこの言葉を待っていたかのように鏡の中の青年が破顔した。細くて長い指が髪飾りの留金を外し、ピンを取り去ると、ゆるくうねるくすんだ金髪が背中に流れる。それをもう一度両手で持ち上げて、ぺろりと舌なめずり。
「とびっきり可愛くしてやるよ。リゾットが後悔するくらいにな」
「(……)」
パードゥン?
リゾットがなんだって、と聞き返す暇もなく、ソルベはいくつか髪型についての希望を訊ねて来た。今更かよと思わなくもなかったが、とりあえず動いても崩れなくて、食事を摂るのに問題がなくて、最後に外しやすいようにと注文を付ける。面倒な客だ。
それから数十分間ソルベは私と他愛のない話をして、髪には一切手をつけなかった。しかしある時分にぱちんと指を鳴らし、ブラシとヘアピンを手に取ったのである。
可愛くアレンジされた髪型に感服して賞賛の言葉を浴びせかけると、ソルベは作り出した芸術品の最終チェックでもするみたいに私を見つめて、腕時計に目をやった。私もポケットから時計を取り出して見てみると、ちょうど昼時を一時間ほど過ぎた頃だった。
ソルベが残したのは洋菓子と髪型とこの部屋の原型だけで、彼本人は時間を確認してすぐに踵を返し、ひらひらと手を振って部屋から出て行ってしまった。リゾットがどう、とか言っていたけど、なぜリゾットが私の髪型を見て"後悔"するのか、言葉の理由も意味もまったくわからないままだ。そもそもリゾットはナニしてんだ。仕事か?私はこの部屋にいていいの?とりあえずおやつ食べていいかな?
椅子から立ち上がってソファに腰を下ろす。紅茶が欲しいなあと思ったら、部屋の食器棚が勝手に開いた。ビビッてじっとそっちを見るも、どうやらこの部屋が"飲み物の場所"を教えてくれただけだったらしい。自分で淹れろってことか。それくらいサポートしてくれよ。
お湯を沸かしていると、湯気の立つ静かな部屋にノックの音が落ちた。反射的に振り向くと、私の返事に関係なく扉が開いた。ソルベが生み出した必要の部屋に入って来られる人物は、その存在を知っているソルベか、構成条件を知っている私くらいしかいないはずだ。ソルベが戻って来るならノックなんてしないはずだし、じゃあ誰が。
「え、リゾット?」
入って来たのは、厚手のローブを羽織ったニアアルビノカラーの助教授だった。
リゾットは扉を閉めると、まったく何も躊躇せずにメリークリスマスを言った。私がここにいることは知っていたらしい。それはそうだろう。知らなければこの部屋に入ることはできないし。なんて指定したのかな。手っ取り早く、"ポルポのいる部屋"とかかな。
「なんでここに……、いや、逆か。リゾットに会わせるために、ソルベが私をここに連れて来たのね?」
「そうだな。紅茶を淹れるのか?俺がやろう」
「いやいや、いいよいいよ。リゾットちゃんは仕事で疲れてるでしょう?ここはおねえさんに任せて」
それならばとソファに腰を下ろすのを横目に、私はドキドキと年甲斐もなく高鳴る鼓動を持て余していた。
ソルベめ、にくいことをする。クリスマスプレゼントとでも言うつもりだろうか。プレゼントはリゾット?私ばっかりが得をして、リゾットには何のメリットもない。
だけど一度目の前にしたメインディッシュを私が我慢できるはずもなく、ティーポットで紅茶を抽出する間、リゾットの近くに寄ってソファに身体を預けた。欲望に忠実な大人で申し訳がない。
「今年も大変だったね。お疲れ様」
「……そうだな」
「まだ少し日が残ってるって言いたい?」
「いや、そういうことは何も思わなかった」
そうかい。
「ねえあのさ、ハグしていい?」
「……」
「え、……アレ?ダメ?学校だから?」
でもその決まりを崩して来たのはそっちじゃないか。
きょとんと見上げていると、リゾットは私の方に少し身体を向けて、私を抱き上げるように膝にのせた。やったあ許可が出た。犬か私は。
ソファに膝をついて腰を浮かせ、ぎゅっと抱き付く。私が予想していたよりもずっと強く抱きしめ返された。荒んでいた気持ちが落ち着くようだ。私の気持ちは最初から荒んでなどいなかったが、そう表現することが一番正しい。落ち着くなあと呟いて、リゾットアロマをこっそりすはすは堪能する。
「悪かったな、クリスマスカードを送らなくて」
「気にしないでいいんだよ。私の方こそ、気を遣わせちゃったかな?」
「それこそ、気にしなくていい。……物は元々贈るつもりだった」
「うん?」
贈られてないけどフクロウ便事故った?
不思議に思って身体を離すと、リゾットの波立たない赤い瞳にとらわれる。軽い言葉を吐けなくなって、武器が封じられた気分だ。マホカンタがかかっていると解っているのにマヒャドを放つ敵の気分はきっとこんな感じ。
ホルダーから取り出した杖で宙に円を描くと、その空間からぽろりと零れ落ちるように一つの箱が現れる。落ちるより先に器用に手で受け止めたリゾットは、事態が呑み込めていない至近距離の私の身体をそっと押して膝に座らせると、手のひらサイズの箱を握らせた。
「似合うとは思ったが、趣味ではなかったら選び直そう」
"似合う"という言葉とこの大きさから考えて、アクセサリーか何かだろうか。リゾットのセンスについてはもう充分すぎるほど実力を知っているので何の不安もないし、彼が心を込めてくれたと知っているから、私がそれに不満足を抱くことはあり得ない。
しかし13歳の少女にアクセサリーを贈るというのも、どうなんだろう。悪目立ちするのではないか?
促されるままそっと開いてみると、そこには綺麗な小瓶があった。親指ほどの大きさの瓶の中にはとろりとした密度の高い色があり、手に取ると見た目よりも重かった。
「マニキュアで合ってる?」
「そうだな、合っている」
「へえー」
リゾットがマニキュアを贈って来るとは意外だった。どこで買ったんだろう。つけていいのかな、学校だけど。爪をつやりと輝かせる程度で、色としては目立たないだろうから問題はないのかもしれない。上級生には寮の色を爪に塗る女子生徒もいることだし、今はまだ、校則も厳しくない。今はまだ、と言ったのは、これから二年後にやって来る某魔法省の女性が校則をきっつきつに絞り上げることを知っているからだ。そうなったらリゾットはどうするんだろうなあ。柳のように受け流すのかな。ソルベとジェラートが心配だ。自重しないホモたち。
……いや、もしかすると形を潜めるかもしらん。面倒事は器用に避けるし、歓迎したふりをして裏で腹筋を六つに割る。そんな姿が思い浮かぶね。稀代の天才メローネも、目をつけられる可能性がある。むしろ自重という言葉を辞書から切り取ったのはこっちの子が先だったっけ?どうでもいいけど、その頃には私のおっぱいがもっと大きくなっていることは請け合い。
リゾットはローテーブルとティーセットを見て、また杖を動かした。ティーポットが動いてカップに紅茶を注ぎ始める。なんつう便利な。やはり魔法は堕落の元だったのだ。
堕落の元と言っても、私たちはよほど無駄に食べていない限り、動かないことで太る心配はない。魔法を使うには結構な量のエネルギーを消費するのだ。ともすれば普通に一時間の運動をするよりも、魔法の授業で十回魔法を成功させる方が消費カロリーが多くなる。細々としたことに魔法を使う教師陣は、内包している魔力の量が元来多いのだろう。あるいは何度も繰り返された練習の末に叩き上げられ増幅したのだ。この魔力が発達していない少年少女たちは、魔力の代わりに身体のエネルギーを使って魔法を行使することになる。おなかがペコペコになるのはただ単に私が大食いだからというだけではないのですよ。
「お?」
紅茶を淹れてくれたお礼を言って膝から立ち上がろうとすると、リゾットの手が私の腰を押さえた。ナニナニ?
「それより先に、マニキュアを塗らせてくれないか?」
「お、……おう?いいけど、塗らせてくれないかって……君が塗るの?私に?」
「そうだな、そのつもりだ」
面倒じゃないのかな。言い出したということは手間には思わないのだろうが、ちょっと気が引けるね。恋人にご奉仕されている気分になる。私はそういう性格か?まあいいや。どちらかというと私は膝をついて君の足の爪に装飾を施すこともやぶさかではないタイプだし、できればリゾットがプロシュートにそういうことをしているところ、あるいはプロシュートがリゾットにそういうことをしている場面が見たいタイプなのだが、それよりもずっと純粋で、ある意味邪な本能に任せることにしよう。要するに私は、リゾットとずっと手を触れあわせていたいのだ。
蓋を開けた瓶から刺激臭はしなかった。パンジーが爪を彩っていた時は、部屋に独特の匂いが満ちていたはずなのだけど、これは特別なマニキュアなのかな。
「作る時にその点には留意した」
「……」
今この人なんて言った?作った?マニキュアを?
よくよく思い出してみれば、彼は魔法薬学の助教授だ。魔法の跋扈するこの世界において、薬学を修めた者がマニキュアを作ることなど容易い、のかもしれない。
リゾットが無言で刷毛を滑らせたので、指先がひやりと冷たくなる。爪の色と同化する薄いピンクは、昨年度のハロウィンにスネイプ先生が渡してくれた空腹改善の薬よりもずっと透明に近い色だ。あの薬は結局まだ飲めていないけれど、早いところ結果を知らせないと先生も苛々しちゃうよな。なんだかんだで多くの人が食べ物を恵んでくれるため、飲む機会がないのだ。
「……」
沈黙は苦ではない。だけどそこにリゾットがいるのに、会話をしないのはもったいない。私はリゾット断ちをさせられているんだからさー、ちょっとくらいはいいよね。
ぺらぺらと立て板に水を流すようにとりとめのないことを話していると、リゾットは時々頷いたり、相槌を打ってくれた。その感覚が懐かしくて、ぽろりと普段は照れくさくて言わないことを言ってしまう。
「私、リゾットのこと、大好き」
ぴたりと手を止めたリゾットが顔を上げる。八番目の指はリゾットの指に支えられたままで、だけど気を取られることはない。
彼は、ふ、と笑うように息を吐いて、俺はお前を愛しているが、と言った。あばばばばそういう意味じゃねえ。私も愛してるよ。おまえ、わかっててからかってくんな。
マニキュアを乾かす間、私は手が使えない。
思いやりを発揮したリゾットはソルベが残した洋菓子の袋を開けてチョコレートクッキーを取り出した。
「んん?食べていいの?」
「あぁ。空腹でないなら別だが」
そんな時があるなら私も知りたい。
グラッツェーと手を伸ばして気づく。袋を開けてもらっても今の私は手に取って食べられないわ。
あーん、と口を開くと、初めからそうするつもりだったらしいリゾットは、これ以上ないタイミングで私にクッキーを食べさせた。一口のサイズまできっちり把握されている。君の能力には感服させられる。愛かな?
「そうかもしれないな」
思いっきりテキトーなことを言ったなこの人。また手ずから食べさせてもらい、まるで餌づけみたいだなあと思う。
餌づけとクッキーといえばついこの間、ペッシたんが屋敷しもべ妖精に犬用ビスケットを作ってもらっていたっけ。あれは十中八九シリーの為だ。彼はそのクッキーをおいしく食べたのだろうか。ホグワーツの屋敷しもべ妖精が作る犬用ビスケットはなんだかとてもおいしそうだね。
そういえば、そのシリウス・ブラックなんだが。
ヒッポグリフのバックビークが裁判にかけられない今、彼がホグワーツから脱出する手段は失われたわけだ。これは私にとって非常な誤算だった。だってシリウス・ブラックがいないと進まない話も―――、……ある、よね?あったと思うんだよ。グリモールド・プレイスが本部として使えなく―――……いや別の場所を選ぶことも―――……、ハリーの心に希望を……?だけど彼自身はハリーにジェームズを重ねていたところがあり、お互いの認識には長く付き合えば解るだろう齟齬があったみたいだし、えーっと……、あっ、死後ハリーに財産を残した!それじゃね?それだ。
とにかくシリウス・ブラックがあると進まない話もある。個人的には、言ってしまえばガチで他人なのでどうでもいいんだけど、何か誤差があるととても身勝手ながら私が困る。シリウス・ブラックは救出される必要がある。
ヒッポグリフが使えなくなった今、彼はどうやって生き延びるのだろう。杖を奪われた彼はハーマイオニーちゃんのエクスパルソで牢屋の鍵を爆発させ、空を飛んで逃げる。それが叶わないとなると、ううーん。
あっ、犬の姿になって何食わぬ顔で森に戻り、ペッシたんの庇護下に置かれるよう仕向ける可能性もあるか。グリフィンドール出身の彼がそんなことをするかどうかは疑問だけどさ。
もしそうだとしたら、もしかして、もしかしてさ。本当に私の家にはシリーという愛称のシリウスという名前のアニメ―ガスのわんこが住み着くことになるのか?ペッシたんの嘆願を受け入れた時はそんなことはちらっとした『もしも』としか考えていなかったけど、ガチか。そうか。死のう。樹海に行こう。
闇のまじゅちゅの家系が頻繁に集まって寝泊まりしてがやがや騒いでる我が家でシリウス・ブラックがやっていけるわけがないだろ!!どうしろってんだ私に!!
彼の精神状態に気を遣うわけじゃあないけど、そこに人間がいるって解っているのに図太く生活できるようなメンタルは持っていない。考えてもみよう、会ったこともない知らんオッサンと実質二人暮らしやぞ。わけがわからない。
ぼりぼりとリゾットの差し出してくれるクッキーをかじりながら今後のことを考える。するとリゾットが反対の手で、ぐに、と私の頬をつまんだ。全然痛くない。
「何か他のことを考えているだろう?」
「うん」
バカ正直に頷いてから気づいた。そりゃ気分は良くないよな、せっかく一緒にいるのに他のことを考えていたらな。私はリゾットの膝にお邪魔しているし、目の前にいる人の気がそぞろだと気になってしまうもんね。
ごめんねと謝ると、リゾットは手を濡れた布巾で拭った。じっと私を見つめる。私も見つめ返して、ああ好きだなあと頬を緩めた。へらりと笑いかけると、濃い赤色の瞳の奥に衝動の影が見えた気がして、私はぱちりと目を瞬かせる。
リゾットはまったく脈絡なく、マニキュアの具合についてを口にした。
「まだ乾いていないな。気をつけた方がいい」
え、ナニに?
問いかけるより先に、リゾットは私の唇に触れた。親指が唇をなぞり、少しだけ押した。
「構わないか?」
ナニが、なんて訊ねるのは野暮だ。だからマニキュアに気をつけろと言ったのかあ。お互いの服についてしまうと落とすのが面倒だもんね。
了承を伝える代わりに目を閉じてみると、親指は頬にすべり、暖かい体温が私を包んだ。口づけは短いようで、何度も合わせられたから、物足りない感じはしない。
しかしまあなんというか君もここ学校だけどいいのか。私?私はしあわせだからいいんだよ。ここに突入されて困るのはリゾットだが、最初からこのつもりで必要の部屋の存在をソルベに伝えたのか、ソルベが彼に伝えたのか、なんにせよ良く仕組まれたことだなあと、やっぱり無駄な思考が水のように流れて来る。
知らずのうちに詰めていた息を小さく吐き出す。涸れていた喪女としての何かが潤った。
まだすぐ近くから私の瞳を覗き込んでいるリゾットにありがとうと言おうとして、サンキューのサ、で開いた唇がまた奪われた。えっちょっと今終わりませんでした、と激しく動揺。びっくりして離れようとしたら、頬にあった手の片方が私の頭を押さえた。にげるを八回選択してもかいしんのいちげきは出なかった。
息つぎがうまくできなくて、リゾットのローブを掴んでタイムを要求しようとしてからハッと気づいた。あっマニキュア。
「(そういうことか……!)」
どこまでも先が読める男。何度目かになる敗北感を悔しさに変えた。やられたらやりかえす、倍返しだ。私の技術では倍どころか半分も返せないけれど、ああもうどうにでもなれ。
絵面が犯罪だし私は処女だぞとあえてリゾットに忠告をする必要もなく、瞳の奥に衝動を抑え込んだリゾット・ネエロ先生24歳はそれ以上こちらには手を出して来ず、私を腕に抱きながら、はあ、と重苦しいため息を落とした。そのため息は前の世界で上司と部下だった頃に似た体勢で耳元に落とされたものと同じ音をしていて、内側に含まれる意味に察しをつけた私は、口には出さないまま謝罪した。
ほんっと、13歳でごめんな。