ハローメインディッシュ
家に戻るつもりはない。
イルーゾォはパーティーにも呼ばれちゃあいない。レスティン家という家に生まれただけでイルーゾォは自分をレスティン家の一員とは思っていなかったし、レスティン家の片親も血縁上の弟も、イルーゾォのことを息子とは思っていなかった。純血貴族の表舞台であるクリスマスパーティーに呼ばれるはずがない。
ホグワーツに待機することは何の問題もなかった。ソルベとジェラートは招待状をフクロウ便の事故に装って暖炉に放り込んだし、ホルマジオも柄ではないとドレスローブを選ぶことを放棄していた。
冷え込むスリザリンの寮で暖炉に当たる。ぱちぱちと音を立てる薪が崩れたので、ホルマジオが片手間にもう一本を放り込んだ。魔法を使わず手でやるのは、取り組む課題に飽いたからか。
「オメーさあ、ポルポは何食ってきたと思う?もう今夜には戻ってくんだろ?」
「さあな。チキンでもかじってきたんじゃねえの」
社交界にデビューするクリスマスパーティーに出席することとなったポルポは、ひと月ほど前から友人とともにドレスを選んでいた。殆どその友人、パンジー・パーキンソンが先導してカタログを開いていたようだが、あんな性格でもポルポは女だ。ギャングの枝葉の一端を担っていた経験から、自分に何が似合うのかも充分に承知している。パンジー・パーキンソンの先走るデザインの方向を修正しつつ、趣味に合わせた華やかな衣装を探し当てると、イルーゾォにもカタログのページを見せて来た。濃い色の金髪と夕陽のような瞳にちょうど映えるデザインだったので、なんでもかんでもを可愛いと評するこいつにもまともな美的センスはあったんだなと、少々失礼なことを考えた記憶は新しい。
パーティーに出席する都合上、クリスマス休暇の間、ポルポは学校から自宅へ戻っていた。
この波乱に満ちたホグワーツであえて危険な場に残ろうとする生徒は少なく、おおよそ帰る家のある子供たちは帰宅の列車に乗り込んでいたが、ポルポのその人ごみに混じってイルーゾォに手を振った。振り返してやった手をポケットに突っこんで寮に戻ると、なんだか随分と談話室が静かな気がした。騒がしいソルベとジェラートは騒ぎの種を失ったので山盛りの課題をさっさと片付けることにしたらしいし、ホルマジオもイルーゾォも特別に口数が多いわけではない。メローネやギアッチョ、そして話題の中心となるポルポがいない談話室はこんなにも広いものだったかと、柄にもなく感傷を抱いた。
そんな少女は―――あの女を少女と形容することはイルーゾォに笑いをもたらしたが―――彼女は今夜、ホグワーツ特急に乗ってこの学び舎に戻って来る。待ち遠しいような、これからまた訪れる喧騒にうんざりするような、不思議な心地だ。
様子の可笑しい愚鈍な生徒二人がドラコ・マルフォイに引き連れられてスリザリン寮に入って来たのは、そんな時だった。
*
リゾットが私のパートナーとして会場に現れたのは、パーティーの開始から少し遅れた頃だった。私はドラコ君と腕を組むパンジーに、案外あんたの所作って違和感ないわ、とお褒めの言葉を賜ったのでその威厳を崩さないように精一杯優雅ぶってカクテルグラスを傾けていた。シャンパンに似た色だけどアルコールの匂いはしない。未成年にも安心のドリンクだ。
ドラコ君のお父さんはルシウス・マルフォイというらしい。なんとなく聞き覚えがあったぞ。親のいない私に「父のように思ってくれて構わない」となんとも貴族っぽい表情、貴族っぽい声音、貴族っぽい言い方で庇護を約束したので、私もニッコリと子供らしい笑顔を心がけた。後ろ盾が増えるに越したことはない。打算的でごめんねマルフォイさん。でも君の支援がもらえれば純血魔法界ではもう安心なんでしょ?知ってる。積極的に媚を売ります。
「ネエロ先生が来たわよ、ポルポ。あんたチキンばっかり見てないで自分のパートナーに一番に近寄らないとダメなんだからね」
「すみません」
でもチキンおいしそうだったんだよ。子供用のドレスにコルセットはついていないので食欲も減退せず、私の空腹は今日も絶好調だ。
リゾットは会場中の視線を集めた。ほんのわずか会場がざわめき、薄暗いシャンデリアの明かりの下で老若男女が言葉を交わす。それからルシウス・マルフォイがいち早くリゾットに近づき、私のいる方を手のひらで示した。私はルシウス・マルフォイと目が合って、来るようにと顎を引かれる。カクテルグラスをどうしようかなあと思っていたら給仕の妖精がサッと回収してくれたので助かった。気遣いスゲー。
小柄な身体では外国人の人波を縫って歩くのは難しそうだな、と思っていたら、私もかなりの純血名家、らしいからか、一定の身分の人以外は自分からすすすと退いてくれた。ありがとう助かります。パンジーを振り返ると、いつもみたいに口をへの字に曲げて、こっそり私を手で追い払う仕草をする。はい、さっさと進めってことですね。
視界が開ける場所までゆくと、リゾットは私に手を差し伸べた。マナーとしては男性側がこちらに来ないといけないのかもしれないが、純血一族では男性の優位性がまだ残っている。家柄的にも性別的にも、当主リゾットとまだ当主でもなんでもない私では、やはり私の方から動かなくてはならなかったらしい。まあいいんですけどね、何にも感じないから。元々私ってそういう柄じゃあない。左団扇で暮らしていたいのは山々だし高楊枝でどんと構えていたいけど、根は日本人。小市民である。いらしていただくなんてとんでもないわたくしのほうから伺いますので。そんな国民性。
「今夜君たちに集まってもらったのは他でもない。我がマルフォイ家と長く付き合いのあるネエロ家のご当主リゾットについては、君たちもその名を聞き及んでいると思うが……」
壇上に上がったルシウス・マルフォイが語り出した。ネエロ家の威光をこう、アピールしているらしい。ひいては、そんなネエロ家よりもちょっぴり上の立場にあるマルフォイ家の格というものを主張しているのかもしれない。その辺はわかりませんね、空腹で頭が働いていないので。キャンディ舐めたい。
リゾットを見上げる。彼は特筆すべき表情も浮かべず、いつか別の世界で出席したことのあるパーティーで壁の花に徹していたあの時のように、背筋を伸ばして、黒地に銀色があしらわれワンポイントに緑が差し込まれたフロムスリザリンっぽいフォーマルな服をイタリア人のアルマーニレベルで着こなして、とんでもない色気をまき散らしている。その色香にあてられた女性がメロメロになってしまうんじゃないかと、柄にもなく雌猫ちゃんたちの心配をしてしまうくらいだ。ちなみに、スリザリン出身の純血出として差し込まねばならなかったのだろう緑色は、リゾットに黒と赤と銀のイメージを持つ私からすると、微妙に違和感があった。なんとなくだけど、緑色の似合う子って私の周囲にいなくね?メローネは瞳の色と併せてかろうじて似合いそうだけど、彼といえば緑だよね!みたいな子がいない気がする。ブチャラティは青だしねえ。緑。……ディアボロか?髪の毛的な意味で。
私がどうでもいいことを考えている間にもルシウス・マルフォイの話は進んでいる。私はリゾットと共に段を上り、マルフォイ氏と同じ高さに立つ。背に手を添えられたのでこれはいい機会だと照れたふりをして俯きつつざっと魔法使いたち魔女たちを見まわしてみたが、知らない顔ばっかりだった。パンジーとドラコ君、それから私たちがいた場所とは反対の方向で表情をそぎ落として非常につまらなそうにしているメローネ、ギアッチョ、その数名しか見当たらなくて、交友関係の狭さを思い知った。社交性がなくてすみません。メローネたんそのドレスローブ似合ってるよ。あっあと一人見つけた。黒衣で会場の暗がりに混じって今まで声も掛けてくれなかったから気づかなかったけど、顔色の悪い魔法薬学教授がいた。なんだよいるんだったら教えてよ。ルシウス・マルフォイの付き添い?
「さあリゾット、ポルポ。君たちの婚約を私たちに祝わせてくれるね」
「あぁ。光栄に思う」
まったく感動していなさそうな声音に笑いかけたけど必死でこらえた。リゾットの手を力いっぱい握りしめちゃったけどいいよね。リゾットごめん。でも耐えられない。あたしってホントバカ。こんなところで笑って死ぬなんてダメだよお綾波ィ。ミサトさん助けて。助けてよお!
葛城三佐は助けてくれなかった。代わりに、私が緊張して表情をこわばらせているのだと勘違いしたマルフォイ氏が微笑ましそうな雰囲気を装って笑い話にしてくれた。アブネエー。こんなところでリゾットおもしろすぎやろ草不可避とか言って大笑いしたら明日からスリザリンで生きていけねえー。
リゾットは私が彼の言動に琴線をくすぐられて脳内でひいひい言っていたとは気づかない、のか、気づいているけどスルーしているのか、どっちなんだろう。ネエロ先生の考えることはあまりわからん。一対一で目を合わせて会話するならともかく、こんな状況ではリゾットも、誰にも何も読み取らせようとはしまい。
そんなこんなしているうちに私たちの婚約はお披露目されてしまった。こんなハイスペック無気力助教授の未来の嫁になってしまったが大丈夫か。
大丈夫なんだろうなあ。
見世物の一環だと頭では理解していても、私の目の前に膝をつき、結われていないくすんだ金髪をひとふさ手ですくい上げて軽く口づけを落として見せたネエロ家のご当主さまの姿は、私のどんな杞憂も、雑念をもエクスプロードしてなお余りある破壊力を持っていた。耐え切れず頬が赤くなる気がする。ばっかお前どこの王子だよ闇の王子かよ結婚申し込むぞ。あっしまったこれ婚約お披露目の舞台じゃんここで結婚申し込めるわけないよ。フォーマルな舞台で衆目にさらされ、軽口を奪われた私に勝ち目などない。
「(か、格好良すぎて、照れた。君はズルいね)」
相手が読唇術を心得ていると知る私は、こっそりと唇だけを動かした。リゾットは立ち上がりざま、ふ、と目を細める。その唇が音もなく言葉を形作ったけど、スキルを持たない私はダイスをロールするまでもなく、それが何を意味するのか理解することはできなかった。だけどきっと、リゾットのイタリアーノの血を満面に打ち出したような言葉を口にしたのだろう。SAN値だけが削れていく気がする。自分の想像に殺される。何を言ったの、君は。
今度こそガチの気恥ずかしさで視線を逸らした私からは、スネイプ先生の鬼でも殺しそうな形相が見えなかった。スネイプ先生はリゾットにジェスチャーで「だから貴様余計な手出しはするなと言っただろうが」と伝えつつ、内心で激しく、自寮の生徒である私の未来を心配してくれていたらしい。ギアッチョが言ってた。
ねえリゾットがあの時何て言ってたかギアッチョたちには見えたの、と、どうしても気になったので帰校の車内で問いかけてみたところ、メローネは平然と首肯した。
「『いつもずるいのはお前の方だろう』って言ってたけど、どういうイミ?」
メローネの方向からは、私の唇は読めなかったのか。
なるほどねと感心しつつ、改めて私はリゾットの、なにをも上回る包容力と言葉選びの恐ろしさを知った。イタリア人怖え……。
さてさて一足先に学校へ戻っていたドラコ君から、クラッブとゴイルの様子がおかしかったんだぜあいつらまた変なモン食ったのかな(これは私の意訳だ)なんて話を聞きつつ、厨房で分けてもらったおやつにむしゃぶりついていると、今まで心を悩ませていたことなんてもう心の海の彼方へ消えてしまう。え?私に悩みなんてあるのか?いやいやあるよいっぱい。この空腹をどうしようかとか、スネイプ先生からもらった薬を飲むのはまだもったいないよなぁとか、赤い瞳からトム・リドルの興味を逸らすためにはどうしたらいいのかなあ、とかね。
一番最後の悩みが最も重大なのだけど、これはなんということでしょう匠の手によりすっかり綺麗になくなりました。いや、匠の手というか、蛇の瞳だったわけですけど。
その時私は、図書室帰りのハーマイオニーちゃんと一緒に歩いていた。彼女は手鏡を持っていて、曲道に差し掛かるたびそれを構えて角の向こうを覗き込んでいる姿がとても印象に残っている。何してんだろうこの子、不二子ちゃんごっこかな、なんて気安く考えていた過去の私をリボルバーで打ち抜いてくれ次元。あるいは五右衛門、こんにゃくが切れない君の刀で引き裂いて。
ハーマイオニーちゃんは私に何の事情も話してくれなくて、だけど、彼女が覗いた後は必ず私にも鏡を覗かせて歩いた。寮に着くまで一緒にいるから、と、彼女にとっては針の筵だろうスリザリンの地下室にまで着いてきてくれるようだった。あとから思えば、それは私への友情と、心配の証だったのだけど、その時の私は当然まったく何も思い出せていなかったのである。
そう、縦に切れ込みを入れたような、真紅の瞳孔を見るまでは。
嫌な予感というのは当たるものだ。空気が歯の間から漏れ出るような音を聞いたから、と言ってもいい。ハーマイオニーちゃんは私に再三の、標的の判らない注意を促して喋っていたから気づいていないようだった。だけど半分聞き流していた私にはよく聞こえて、頭の中でシナプスが暴走するような感覚に襲われる。二年次、ハーマイオニーちゃん、鏡、秘密の部屋、赤い瞳、石化、鏡、バジリスク、パイプ、蛇。
ちょうどそこは魔の手にはおあつらえ向きの場所だった。人影もなく、スリザリン寮の近くなら誰も何も心配しない。きっとマグルの匂いというのがあるのなら、それを追いかけて来たか、元々ハーマイオニーちゃんを狙っていたかのどちらかなのだろう。賢い彼女が真実に近づくことを恐れたか。ということはこの近くにトム・リドルinジニーちゃんがいるのかもしれない。現行犯でひっつかまえてしまいたい。ちくしょーそいつがルパンだ。でもそんなこと、もう私にはできなかった。
勘違いで、私の恥ずかしい行動を笑い飛ばしてくれたらそれでいい。それがよかった。
咄嗟に身体が動いたのは、隣に立っている彼女が私よりもずっと小さい子供だったからだ。子供は守らなくちゃいけないよ。次代の宝だ。それが友人ならなおさらに。
ハーマイオニーちゃんの目元を手で覆う。バジリスクは毒の牙を持っているというけど、その牙で人を殺すタイミングはまだここじゃないだろう。それに関しては安心していい、のか?
私も目を閉じる寸前に、反射して煌めいた光に気を取られてそちらを見てしまう。これが敗因だった。過去の自分よ悔い改めろ。でも光ったら見ちゃうのが人間なんです。あっUFO、って言われてそんなわけがないとわかっていても釣られて見てしまうのが私という奴なんです。このマヌケめッ。鏡越しに赤い光が目に入った。あっやばい辞世の句。
死にたくない死にたくないと言っていながら、私ってなんだか死亡フラグにばかり見舞われている気がする。この場合は石化したことによりある意味でバジリスクたんの眼を見て死ぬことはないわけだから命は守られたというかなんというかアレなんですけど、これ、なんで、こうなっちゃうんだ。
床に散らばる色とりどりのキャンディ。硬直した私に何が起きたのかを聡く知ったハーマイオニーちゃんの悲鳴がスリザリン棟に響き渡ったのを、結局私は聴くことがなかった。