ハローブレックファースト


夏休みが始まってから一週間と三日が過ぎた。
煙突飛行ネットワークの手続きは済ませたし、なんとお役所からフルーパウダーを貰うことができて嬉しかった。買う手間が省けたよ。せっかく暖炉でテレポートができるのにフルーパウダーがなかったら遠いダイアゴン横丁までわざわざ行かないといけないんだもんね。これがあればダイアゴン横丁ーって唱えればオッケー。
誰か知り合いの家に飛んでみたかったけれど、私の知り合いって、彼らかパンジーかハーマイオニーちゃんか、しかいないんだもん。みんなそれぞれの事情があって、気軽にお宅訪問できない。だって9割イイトコの嬢ちゃん坊ちゃんだし。
この季節、もちろん暖炉なんか使わない。もっとも、冬であっても私はストーブを使ってるから暖炉はお飾りなんだけどね。だってこの家、電気が通ってるんだもん。普通の民家だよ。人里離れたところにあるただの民家だよ。電話もあるしファックスもついてるしテレビもあるよ。トースターもレンジも。

亡き父が使っていた大きな背もたれの椅子に座る。サンダルを足から落として、お行儀悪く椅子に足を上げた。
それなりに体格のいい大人の男性が愛用していた椅子は、12歳の私の身体には余る。とても余る。けれどそれがどこか落ち着きをもたらすのは、なぜだろうか。父の面影を懐かしんでいるのではない。身体が、否、魂が憶えている感覚―――とでも言おうか。私はそれを思い出しているのだ。少しの時間でも、こうやって過ごすと、心がぎゅっと締め付けられて、それから泣きそうなほど胸がざわつく。けれどやめられないのは、やっぱり。
「(12年経ってるけど、忘れないものだわねえ)」
そんなに多い回数ではなかった。こんなふうに、胸に背を預けるようにのんびりと座ることなんてあんまり、あー、いや、まああるっちゃあるけど、まああんまりなかった。どっちかというと横向いて寝てたら後ろから近づいてきてお互い同じ方向を向いたまま抱き寄せられるとかはあったけど、座っているのはあんまりなかった。あんまりね。
けど、温度のない無機質な椅子にもそんな寂寥を抱いてしまうくらい、その存在は大きい。うっ、照れるから絶対言わないけど。自分で言っててじぶんきもちわるい!あああ、椅子にそんな思いを抱くとか私!私!
「(こっちに集中しよ……)」
気温のせいではなく頬が火照ったので、手でぱたぱたと扇ぎながら片手に持った羊皮紙のロールに取り掛かることにした。

落としたサンダルをつっかける。片手でかかとのストラップを引き上げてきちんと足を収め、亡き父の部屋から出る。ここは二階。階段のてっぺんにスタンバイ。
「そおい!」
羊皮紙ロールのはじっこをしっかり持って、階段の上から転がした。段差でリズムを変えながら、巻かれていた羊皮紙はまるでレッドカーペットのように床に伸びていく。古いものだけど、恐らく私の父母の代まできちんと補修の魔法がかけられていたのだろう。それを私が引き継ぐ前に彼らは死んでしまったけれど、おとうさんおかあさん私はとりあえずこれを読み解くよ。
羊皮紙の絨毯は階段の一番上から、玄関までの間に敷かれた。
大まかに内容を読み取りながら階段を下りる。最後の段を下りてさらに先へ。
「うち、かなり細々とやってきた一族だな……」
私の性格はこれより前の生来のものだけど、なんだか似ているぞダディ、マミー。お金まわりには苦労しない家だったんだね。だからスペルの研究とか魔法史に興味を持って、本当に世界を転々としてきたんだね。どうやらうちは、力は弱いものの、純血、と認められている家系らしい。
誰に?
そもそも純血とは、どこから始まったものなのだろう。
始祖は誰?サラザール・スリザリンが魔法を制限し、魔法族と非魔法族とを分けようとした考えは理解できる。それは住み分けで、必要なことだったとも思う。今の魔法社会のように、非魔法族は魔法の存在を知っているけれど、"知らない"。この世界を"知らない"。それでいい。
突然魔法に目覚めた非魔法族が魔法族となるなら、そのひとたちから続いた血脈は魔法族としての純血と言えるのではないだろうか。非魔法族出身だからといって謗られるのはなぜだろう。純血―――魔法主義のひとにとって、非魔法族―――マグルとは自分たちを追い立て殺した敵だから、だから敵の中に自分たちの、自分たちだけに許された誇り高い力が目覚めることを忌むのだろうか。穢れた血という言葉は非常に悪いが、確かに純血主義の明確な住み分けだ。
「でもこんなん、私みたいに両親死んで家族のいない子が純血でーすって顔してうちの家系とまざったって誰も判んないわよね」
血液検査があるわけでもない。もし、その技術が確立されていたら、魔法界には亀裂が走っただろう。よかったね技術が進歩しなくて。そもそもそれを研究しようと思うことこそが選民意識の表れと思われて、表立ってはできないことなのかもしれないな。メローネとか、やりそうだけど。
「あー……」
玄関の扉に当たって止まった最後のひと巻き。軸の棒は外れて転がっている。しゃがみこんで、まるまろうとする羊皮紙を開く。
両親の名前。そこからひと筋細い線が伸びて、私の名前に繋がっていた。字をなぞって、それがただのインクではないと知った。紙に彫り込まれるように黒色が入っている。まるで、羊皮紙を相手に入れ墨をいれたかのようだ。
「……純血、か」
立ち上がって手を離すと、羊皮紙はばさりと床に落ちた。
純血で、どうすんだって話よね。純血だからナニ?
なんか蚊にくわれにくくなるとかあるんだったらそりゃ純血でありがたいわーって思うけど。純血の家系に生まれたらMPのステが最初から10くらい底上げされてるのかな?純血のあかしってナニ?ひとが自分を魔女じゃないって証明できないのと同じように、私だって自分が非魔法族か魔法族かなんて判別できないわよ。家系図見てようやくなるほどなー!って感じよ。こんな長いの、半分くらいご先祖様が行った国の旅行日記じゃねえかよ!いいよ!三代前のおじいさまとおばあさまがめっちゃ仲良しだったのはわかったよ!

確かなのは。
少なくとも、私の一族は近親婚をしていない、ということだ。
そして、私がかるーく調べた限り、私たちと彼らの中で血のつながりがほんの少しでもあるものはいない。たぶん。かるく調べただけだから調べ漏れがあるかもしれないけど、ああー、えーっともしかするとあっちの叔父さんの従兄弟が私の何代前かのおばあさまと結ばれているかもしれないけどもうそれはノーカンでよくない?
あともうひとつ。
この家系に残された子は、私しかいないということだ。
「おああああ……!」
私、自分の先祖とかどうでもいいタイプだけど、ここまで来たらもったいないって思っちゃう。細々と平和に、何代続いてるんだうちは。そのほとんどのひとが人生の余暇を趣味に費やしてるんだからこれには純血貴族も苦笑い。君の家の話は聞いているよっていい意味だったのかな!?
個体値がね。私のステータスは生きてきた年数カンストまであと一歩ってとこまではいくけどそれ以外は凡。比較しなくても凡。比較したら中の下。
けどさあ、これどうしよう。私の肩には荷が重すぎる。なんであんたらはこんな大事な娘にタコなんて名前つけたんだよ。どういう願いを込めたの?タコのようにナニ?タコだけどどうしたらいいの?この身体に流れる血を私はどうすれば。

口の中に血の味がひろがる。指を噛んでしまった、ちくしょう。大事な血だぞこんにゃろう。献血してやろうか!!魔法族の!純血の血を!献血してやるー!!
ボウ、と燃え上がるような音がして、聞き覚えのある声がリビングにひとつ響いた。
「ポルポー、いるかー?」
イルーゾォだ、と判断するより先に駆け寄って思いっきりぶつかって抱きしめた。
うわっバカこいつ今の俺じゃ受け止めきれねえんだよと言いながらイルーゾォが床にしりもちをついて、イテエ!とか言いながらも、私が怪我しないように受け止めてくれた。こいつ良いやつ。良いやつすぎる。
「イルーゾォー!どうしようー!私もうポルポやだー!!」
「お前、前も同じこと言ってたよな……つうか退けよ……」
若い。13歳の首に抱き着く12歳。絵面。
ボウ、とまた炎が立つ音がして、足音ひとつと、ウオッオメーらナニしてんだよ!?とホルマジオの声がした。いらっさい。
「こいつがいきなりぶつかってきたんだよ……てかお前もっとメシ食えよ、細えよ」
「食べてるよおお」
「そうだった!今のは俺が間違えた!!誰かこいつにもっと肉つけさせる薬開発しろ!!」
「イルーゾォオメー……」
最後にまた、火が燃え上がるような音がした。足音もなく、背後に気配が増える。
「―――リーダー来るから離れた方がいいぜ」
「言うのが遅えよ!!」
「ワリィワリィ」
ホルマジオの声。まじか。リゾット来たのか。え、なんて言ってここに来たんだろう。住所を喋ったのかな。それとも、登録名はポルポの家だからポルポの家って言ったのかな。どっちでもイケますよって受付のおじいさんは言ってたけどどっちだろう。
イルーゾォに額を押し返されながら考えていると、マジでお前どけって言われたので退いた。ごめん。
私が膝立ちになると、イルーゾォが立ち上がって私に手を貸してくれた。良いやつ。すごく良いやつ。リゾットのほうを向こうとしたらイルーゾォに止められて、なんだろうと思ってつまさきの向きを戻したら、ぱん、ぱん、と服をはたいてくれた。お母さんがいる。ここにお母さんが、いや、これは。
「イルーゾォおにいちゃん……」
「急にアホなこと言い出すのやめろ!!今のお前だとマジでそんな気になってくる!」
やったー12歳の勝利。
ほら、とイルーゾォおにいちゃんが肩を軽く小突いてくれたので、今度こそ振り返った。リゾットは私がイルーゾォおにいちゃんに身だしなみを整えられている最中もずっと待っていてくれたらしい。なにそれ。やさしさか。私の周りにはやさしいひとがいっぱいだな。
「ポルポ」
呼ばれて抱く、どうしようもない、……なんだろうこれ……安心……?安心?安心だね?安心か。
「リゾットううう」
ふらふらっと腕を上げて近寄ると、私の小刻みな4歩をリゾットは大股な1.6歩、いや1.3歩くらいで詰めて、そのまま抱き着かせてくれた。やっべえ私リゾットのみぞおちくらいにデコつけてるんだけどこれ。この今までになかった身長差。意味がわかんなくて興奮する。

額を押し付けてぐりぐりしていたら、肩甲骨のあたりをぽんぽん、と軽くたたかれた。なんでしょうかと、少し斜めになってリゾットに傾いていた身体をまっすぐに戻して見上げると、ぱちりと目が合って、リゾットがほんのり微笑んだ。えええ!今その貴重なショット来ちゃう!?ドキドキしたけどワンモア!と言うわけにもいかず、どうしようどうしようと考えた結果私もにっこりと笑んでしまった。私のすることはそれじゃないだろ。
リゾット的にはただ、ちんまい私を見て、親戚のおにいさんの気分になったのかもしれない。ちょっと屈んで、そのまま私を抱き上げてしまった。また抱っこ。またですか!でもわかる。私、リゾットの6割強7割、いやもう、7.4割くらいしか身長ないもんね。
私は家系図ことでかなりストレスがかかって指まで食っちゃったのでちっくしょうこのやろーという行き場のない感情をこめて思いっきりリゾットの首に抱き着いてしまった。抱き締めかえされた。まあ27歳でしたけど?前世はね?いいよね?よくね?客観的に見るとだいしゅきホールドだなこれイルーゾォとホルマジオが見てたらつれえなとかいろいろ思うところはあったけど。リゾットの匂いおちつく!なにこれ?!アロマ!?やっぱりリゾットテラピーじゃん!ていうかリゾットは私を抱き上げる必要なくね!?今気づいたよ!!
「ポルポよォー、こいつはオメーんトコの家系図か?」
玄関のほうからホルマジオの声がかかって、私はリゾットに抱き着いたまま、「そうよー」と答えた。
イルーゾォの呟き。
「長えな」
だよね。でもそれ半分くらい愛の旅行記だから。無視していいやつだから。
興味を持ったのか、リゾットが私をひっつけたまま2人のほうに行きそうになったので降ろしてくださいと要求。5秒間の沈黙。
「あの、降ろして……ほしいんだけど……」
「……そうか」
なに悩んでんだ。悩むことがあるのか?降ろすか降ろすまいか?この抱っこはリゾットにとってもつらいだろ。私、それほど軽くないよ。おっぱいがない子供だっていうことを考えると前よりはそりゃ軽いかもしれないけど、子供の身体は子供の身体なりに重みがあるのだよ。
リゾットはすとん、と私の足を床につけてくれた。ありがとう。
今の私の身長では到底リゾットの顔には届かないので、とりあえず一番近くにあった手にキスしておいた。ぐらっつぇ。
ちゅ、とキスする時にちらっと見上げたら真顔のリゾットとがっつり目が合っててこわかったんだけどさっきの微笑みどこいったの?


3人はうちの家系図を眺め終わって、今はリビングで、私が淹れたお茶を飲んでいる。夏だからアイスティーにした。イギリスだし、おいしい紅茶はどこででも手に入る。
リビングの暖炉と反対側の壁に、その形に添うようにL字型のソファがおいてある。Lの長い方の先は1人弱のスペースが木の台になっていて、そこにコップや本を置くことができる。
私とリゾットはそのソファにいる。
リゾットは木の台のすぐ隣に腰かけて、からんからんと氷がコップに当たって立つ涼しげな音を楽しみながら(想像だけどね)紅茶を飲んでいる。私はそんなリゾットの太腿に頭を乗っけてソファに寝ころんでいるよ。
同じくリビングには、シンプルなオーバルのテーブルがある。
ホルマジオとイルーゾォはそのテーブルに羊皮紙と教科書を広げて、向かい合いながら宿題に取り組んでいるみたいだ。
みたいだ、というのは、

「オメーならこれをどう表現するよ、イルーゾォ?俺よりイイ表現思いつくかァ?」
「は?お前と同じレベルで考えんじゃねえよ。どれだよ」
「ホレ」
「これは認めたくねえけどお前の表現が一番的確だよ」
「だっろォ!?」
「勝ち誇ってんじゃねえよ!」
 という会話があったり、
「マジオテメエ俺のレポートに落書きしやがっただろこの野郎インクは消せねえんだよ!」
「あれ、オメーソルベからインク消しゴム貰ってねェの?」
「うっかり落としちまったのをお前が蹴っ飛ばして階段の上から吹き抜けに落としたんだろーが!!」
「あー……あれか。悪ィ」
「悪いと思うならお前の消しゴムよこせよ」
「それとこれとは話が別じゃねェ?」
「別じゃねえだろ!!」
という会話があったりするからだ。

私はごろごろしながら、リゾットの脚の付け根を手でぐりぐりしたりわき腹に頭を押し付けてみたりはたまたうつぶせになってリゾットの両脚の上に私という名の橋を掛けてみたりと遊んでいる。たまに手で顔を押さえられてリゾットストップがかかるんだけどこれがまた楽しい。リゾットとの接触楽しすぎるよーと言いながらリゾットストップをかけてきたその手をすりすりするのも落ち着く。
「はあー、おはようからおやすみまでリゾットちゃんと一緒にいたいわー……」
これを呟くのは今日3回目だ。リゾットは最初からこのセリフをスルー。私がこう言うと、黙って頭を撫でてくれる。大人か。大人だったわ。私も大人だけどな。
大人なので起き上がってリゾットの隣に座りました。
「なあポルポ、さっき俺ら、ここの家系図見たけどさ」
「ん?」
リゾットの腕にぴったりくっついて、手の大きさの違いとか私の腕が貧弱すぎる話をして、最終的にリゾットと手を繋いで紅茶を飲んでいたら、イルーゾォが薄い教科書で自分を扇ぎながら私を見た。私もよくやるよ、それ。教科書が薄すぎると指のところに折り目がついちゃってバレバレになるんだよね。

家系図は、ホルマジオの手によってまた軸の棒に巻かれて紐で封がされている。今は二階の書庫で、元通り、眠りについているだろう。
「噂に聞いた通り、かなり続いてる家系だよな。それも、枝分かれしたやつはいるけど、まっすぐ伸びてんのは一本だけ、確実な純血で」
「うー、うーん、そう、みたいなのよねー……」
つらい。家系図が大根だとしたら、家から離れて行った人は根毛で私は大根の根なんだ。白いやつなんだ。私がその、まっすぐ伸びた一本の先端なんだ。
「数年前にオメーの両親が死んだことで、こっちじゃ色んなトコで心配されてんだよ。つまり……」
「この家の最後の純血である私がどうするかってことよねえ……。あああああ……」
上体を倒して膝に頭を近づける。手は繋いだままだ。
「これさ、私が血を絶やすわけにはいかない流れじゃない?年数が長いんだもん、さすがの私でもわかるわよこれ、ダメなやつだわ……」
「そうだな。純血貴族の名家を挙げると、マルフォイ家の現当主はかなりこの家のことを気にかけていた」
「あんたも名家だろォーがよォ……」
ホルマジオがぼそりと呟く。
純血貴族の名家ってナニ?マルフォイ家の現当主ってドラコくんのお父さん、ルシウス・マルフォイ氏ですか。なんで気にかけてくれてるんでしょうね。あっ年数が長いからですね。私で何代目?12代目だ。マルフォイ家の始まりと同じくらいらしいけどのらりくらりと逃げまくってたんだってさ。家系図に愚痴が書いてあってワロタ。おかげでそっちとはまったくかかわりのない古いおうちになっちゃったよ!そのくせ電化製品ガンガン入ってんだけど。柔軟。
「てことはさ、やっぱりさ、血を絶やさないために婚姻結ばないといけないの?」
「そうじゃねえの?12歳で進路決まって良かったな」
進路ってお前。私の肉体は12歳だし、ここで長いものに巻かれるっていっても鳥肌立つくらい気持ち悪いぞ。血をつなぐ。うあああおっぱいがない私はかなり弱いぞ。
「私はどうしたらいいの……、この処女どうなるの……、知らんひとに捧げることになるの……?きもちわるいよおお」
上体を倒した状態から、頭を横にずらしてリゾットの膝に額をくっつける。どうしようう、と漏れた声はかなり情けないものだった。手を繋いでくれているリゾットが、頭上で、はあ、とため息を吐いた。夏だから手のひらをくっつけているのも不快、かもしれないけど、ぎゅっと握ってくれたので安心する。
「お前……いや、お前……落ち着いて考えてみろよ。まず顔上げろ」
「うん……」
イルーゾォは椅子の背もたれに腕をかけて、身体はテーブルに向けたまま、こちらを振り返っている。その表情はかなり憐みに染まっている。
ホルマジオはテーブルに肘をついて、よォーく考えろ、と人差し指で自分のこめかみにとんとん、と触れた。
2人を見て眉根を寄せると、私を見ていたその2対の目が明らかに私の頭上に移動した。その先には、リゾットがいる。
リゾットを見ると、ちょっと不機嫌そうに眉間にしわを寄せて、ずっと私を見ていたみたいだ。目が合うと、疲れたようにため息を吐いた。さっきも吐いてたよな。

落ち着いて考えろ、よーく考えろ、そしてリゾット。リゾットはリゾットで、ネエロ先生で、リゾット・ネエロで、ネエロ。
「あ」
すっかり忘れてた。
2人を振り返ると、大きく同時に頷かれた。タイミングバッチリですね。
「思い出してもらえたようで何よりだ」
「リゾットはそういえば、……っていうかほとんど全員純血でしたね……」
だからさっきからため息を。本当に申し訳ありません。
「ほとんど全員純血だろうとなんだろうと、お前の選択肢は最初からひとつだろ」
イルーゾォおにいちゃんの追撃。すみませんでした。
「リゾット、ごめん。正直に言うと、最初っから混乱しててまったく何にも思い当っていませんでした」
最初から教えてくれればいいのでは、と思わなくもなかったけど、これは自分で気づくべき試練だったんですね兄貴。そうだよな、イルーゾォもホルマジオもリゾットも、それ以外私が考えるとは思わないよな。私も最初からリゾットがそうだったって気づいてたらリゾットに縋ったと思う。
「怒ってはいない」
「(そうは見えない……)」
あ、でも。
はっと顔を上げて、やっぱり目が合った。心に浮かんだ疑問を口にしようとして唇を開きかけて、あっもしかしてこれを言うとまた怒らせてしまうかもしれないと思い至って口を閉じた。つーっと視線を逸らす。さりげなく顔も逸らそうとしたら、座り直したリゾットに、繋いでない方の手で頬をぐにっとつかまれた。痛くないやり方で。
「そういう気は回さなくていい」
「ひゃい」
どういう気だかわかってるのかなこのおにいさん。
「あの、リゾットって婚約者いないの?」
「いない」
へえーラッキー。

え、ちょ、いや、いない、とは思ってたけど改めて聞くとおかしくないか。
頬を優しくつかんでいた手に手を重ねて、ちょっと握り気味にもう一度たずねる。いないの!?
「正確に言うと、打診はされたが断ってきた。家のためと言われることが多いが、婚姻による後ろ盾がなければ衰退するような維持の仕方はしていないし、俺は純血にこだわりがあるわけではない。言ってしまえば家名がここで途絶えようが続こうが、どちらでもいい。……俺が老いる前にお前を見つけられなければ、実際にそうなっていただろうな」
いや、あ、いや、それって純血貴族としてよくハブにされなかったな。そこはリゾットの手腕か。というか、今このひとものすごいこと言ったよね。私を見つける時期によっては、あるいは一生のうちに見つけられなかったら、ネエロ家そこで終わり!?私に依存すんの!?いいのか!?
「あの、……リゾットが現役のうちに私を見つけて、それはいいけど私に記憶がなかったらどうするつもりだったの?」
リゾットは私の頬から指を滑らせて、いつかみたいに首に触れた。今の私のそこに傷はないけれど、なぞるように親指が動く。くすぐったくて少し震えた。子供だから皮膚が薄いとかあるのかな。
「そうだな……」
じーっと見上げていると、リゾットが目を細めた。リゾットのその仕草って怖い時もあれば可愛い時もあるしカッコいい時もあるし優しい時もあるし、なんなのかしらね。目は口程に物を言う、ていうことなのかな。
「俺が心を懸けて愛しているのは、ポルポ、お前だけだから、同じ姿の"お前"を見ても追懐しかしないだろう。だが、……」
すんごく嬉しいことを言ってもらえてポルポさん泣いちゃいそうなんだけど、リゾットの言いよどみ方が不穏だったので涙は舞台裏にちょっと引っ込んだ。
「……」
「……」
目が合ったままお互い動かない。気のせいかな、ホルマジオとイルーゾォが固唾を飲んで私たちを見守っているような気がするよ。
「まさか、同じ姿の私を見ても"私"のことを思い出すだけだけど、姿は同じだから誰かに手を付けられるかと思うとその相手に殺意を抱いてしまうので、どうしようか迷った結果私を飼い殺しにする、とかじゃないよね?」
「……お前はどんな本を読んでいるんだ?9割当たっている」
「あんたがそういう本も読まずにその発想に至ったことのほうがどうかと思うよ」
「どっちもおかしいよ!!」
イルーゾォありがとう。でもあんたはたぶんリゾットのことをとやかく言えないんじゃないかな。ブチキレ的な意味で。
あとの1割はなんなんだよ。飼い殺しじゃなくておうちに囲っちゃいまーすとかだったらそれはもう正解に含んでくれていいよ。君たまに病むの?それは何なの?愛が深すぎるのかそれとも執着が強いのか、分別はついているのにどっかおかしいのか暗殺者ジョークなのか、なんなの?凄く気になる。あと、首に触れている親指がさっきからさすさすさすさす動いてるのが気になる。くすぐってえです。
「リゾット、首やめてー、めっちゃむずむずする」
「そうか」
「うん」
相槌を打っただけでやめてくれなかった。じゃあもうそれでいいよ。自分の手をリゾットの手に重ねて首から剥がしてホールド。
「ねえ、じゃあさ、もし私がどうしても血を繋げなくちゃいけないことになったら、リゾットが婿に来てくれる?」
「俺が行くのか?」
「え?私が行くの?」
イルーゾォがテーブルを殴った。オメー血圧上がんぞォ、とホルマジオ。俺の血圧上げてんのはあいつだよ、とイルーゾォ。本当に申し訳ない。
「あー……でも、そっか。年齢的に、……」
なるほど、家柄の格としても、婿入りより嫁入りが正しいのかな。
馴染まない年齢差を数えようとする前に、イルーゾォがぴしりと数字を言った。
「婚約も嫁入りも婿入りもどうでもいいけどよ、リーダー。そいつは12、あんたは23だからな」
「イルーゾォ、お前からその言葉を聞くのは5度目だ。お前は俺をなんだと思っているんだ?」
5回も言われてんのかよリゾット。そして5回も言ってんのかよイルーゾォ。
「5回も言われたら、さすがにリゾットもうんざりするわよ。どうでもいいことを何回も言われるってめんどくさいし……」
リゾットの片膝をまたぐように腰を下ろしながらイルーゾォたちを振り返る。腰の捻りの問題で振り返り切れなかったけど、ホルマジオがぼそりと呟いた。
「どーでもよくねェーから言ってんだよ。オメー、胸がなくても緩ィなァー……」
なんか貶された?ごめん、気をつける。
「何年これが続くんだか、考えると俺は今から頭痛がする。かと言って他のやつに任せるわけにもいかねえし……」
「ま、のんびりやってこうやイルーゾォ。俺らはポルポの優しい優しいおにいちゃんだろォ?」
「ぐっ……そう言われるとこいつのこと見捨てらんねえ……」
「最初っから見捨てる気なんかねェーくせに、ツンデレこじらせやがってよォ」
「うるせえマジオ」
仲良し二人組をスルーして、私はリゾットに向き直った。
「どうでもよくないの?」
「……」
私の色とは違う赤色を見つめると、赤色が静かに瞬いた。
「さすがに12歳のお前に無理を強いるようなことはしない。安心しろ」
それ、安心していいの?