11 彼の始まりの話



目がさめると知らない場所にいた。
「……え?」
「おはようございます、
「……ポッド?……ここは……私は?」
「チャールズ・クイック・クリニック。は3時間6分前にヘルサレムズ・ロットで発生した事案に巻き込まれ意識を失いここへ搬送された」
停止していた頭がゆっくりと回り出す。
そうだ。
私はあのとき轟音に身をすくめてしゃがみ込んだ。
カウンターテーブルの椅子ががらがらと音を立てて倒れ、窓の外は砂埃か土煙かで薄く曇る。
必死な声で名前を呼ばれ、呼び返そうと顔を上げたところでテーブルから転がり落ちてきた酒瓶にガツンと額をやられ意識を失ったのだ。

知らない店だってポッドのナビがあれば迷わず行ける。たとえ頼りすぎだと呆れられてもやめられない。英語の地図を自分で読むよりずっとずっと楽なんだもん。
案内された先には、綺麗に磨かれたガラス張りの窓が目立つ飲食店がある。
中へ入ると空調が程よく効いていて気持ちよかった。厨房が近いからか食べ物屋さんだからか、少し温度は低めなようだけどそれがまたちょうどいい。
「レオ!」
「あ、!」
目当ての姿はカウンターにあった。
昼間っからお酒を呷る人もいるなか、健全なコーヒーカップだけが近くにある。
背を丸めて何かしていたレオは、手早くテーブルの上を片づけて私のスペースを空けてくれた。
ありがたく隣に座りつつこっそり彼の手元を覗き込むと、こぢんまりした字がずらずら書かれた何枚もの紙が見えた。
「手紙?」
もしそうなら覗き見なんて悪かったかな。まあ手紙じゃなくても覗き見は良くないことだけれど。
レオは首を横に振った。
「レポートみたいなやつ。ちょっとその……記者、……の」
「え!?レオって記者だったの?」
「ややや、見習い的な感じなんだけど!」
「そうなんだ……!」
記者見習いはどうやってプロの記者に昇格するんだろう。実績がモノを言うのかな。
「ずうーっとコン詰めて書いてるんだよ。待ち合わせの時間も忘れるくらいにさ」
「わ、忘れてないですよ。……、本当だから!」
「大丈夫大丈夫。私も待ち合わせのことすっかり忘れて5分前まで家で寝てたこととかあるよ」
「すげーな」
「忘れてないって!……あとたとえ忘れてたとしてもなんかそれと同列には扱われたくないかもしれない」
だよね!元の世界でのことだけど、あれはすごく反省した。
店員の人にフローズンドリンクを頼んで、緑色のそれを飲む。ポッドにも訊いてみたけど、ポッドは相変わらず何もいらないと言った。そりゃ期待はしてなかったけどさ。
いつか炭酸キャンディがパチパチするメロンフローズンドリンクを飲むポッドを見られないかなー。……しかしそうするとどの部分でストローを咥えて啜るんだろう。ガバッとどっかが開くとか。うーん、それはホラー映画のモンスターみたいでヤダ。
「写真はそのカメラで撮るの?」
「そうそう。良かったらのことも撮ろうか?」
「撮って撮って!ポッドとツーショ!」
通訳に徹するポッドを両手でつかまえて引き寄せる。ポッドはまったく抵抗しない。
胸の前で抱きしめて片手でピースサインをつくる。
レオがカメラを構え、ぱしゃりとシャッターが下りた。
「見して見して」
「はい、これ」
ポッドがシュールだ。今日の私の服装がほんのりセーラー服っぽいから余計に謎の世紀末感が醸し出される。
「3人の写真も撮ってやろうか?」
カウンターの向こうから興味深そうに私たちを眺めていた店員さんがカメラとレオと私とポッドを順に指さした。即断でポッドを『人』として数のくくりに入れたところにヘルサレムズ・ロット慣れを感じる。
「まあカメラは商売道具だし、レオの気が向けばって話だけどさ」
そうだった、レオは記者見習いで、カメラは大事な仕事道具じゃん。全然関係ないことに使わせちゃった。
「僕は構いませんよ。とポッドは?」
「私も大丈夫。レオとの写真も欲しい!」
の回答に準ずる」
「じゃあお願いします、ビビアンさん」
「りょーかい。普通のデジカメと基本は変わんない?」
「はい。一応シャッターはこれで……」
ちょっと身を乗り出した店員さんが、同じく椅子から腰を浮かせたレオにカメラを手渡される。
爪のちゃんと切りそろえられた指先がカメラのボタンを教え示すのを横目に、私はメロンフローズンを飲んだ。
飲もうとした。
「え」
「うわっ!?」
「はっ?」
「……」
突然だった。
突然私のグラスが倒れて緑色がテーブルとスカートにぶちまけられ、突然店員さんの手が何かに弾き飛ばされたように動いて近くにあったカップを引っ掛け、突然レオが固まった。ポッドは変わらず黙ってた。
一瞬全員が呆然とした。
レオが椅子を蹴って立つ乱暴な音が沈黙を破る。
「待てこの猿、カメラ返せえええ!!」
何が何だかわからないうちに私の友人はお会計をぶっちぎって店のドアを身体で開けて走り去って行った。
私と店員さんは顔を見合わせた。
「……えーと、とりあえず拭くモン持ってくるよ」
「ありがとうございます……?」
ぴちゃんぴちゃんとスカートを伝って床にも緑の液体が滴っている。フローズンドリンクだから太もももめっちゃ冷たい。
私は渡されたおしぼりで叩くようにスカートを拭き(……クリーニングかなあ……)、こっそり裾をめくって脚も拭った。
店員さんはモップで床を掃除して、「あとでもう1杯サービスする」と笑いかけてくれた。しかも味を変えても構わないんだって!心優しすぎるお店だ。リピることを決めた。
「ところで、……猿なんて見えた?」
「見えなかったです」
確かに誰の手元からもレオのカメラは消えていたけど、あとレオも全力疾走でどこかに消えちゃったけど猿ってなんだ。泥棒騒ぎにしても猿?なんで猿?秒とかからない犯行が可能な泥棒猿?瞬間移動?ステルス?
「ポッドは?」
「熱反応は感知。目視での観測は失敗。録画記録無し」
ポッドにも見えない猿。
やっぱりこの街は意味がわからない。

どんな精密検査よりもポッドの診断のほうが信用できて手っ取り早いと思っている節がある私はチャールズ・クイック・クリニックを早々に退院した。
ガラスの破片で切ったと思われる小さな傷や反射的に丸まって身を守ったときについたのかもしれない擦り傷がいくつかあったが脳や骨や内臓に問題はなく、念のため2日ほどは安静に過ごしたほうが良いと淡々と言われただけで終わったのでつまりは健康である。
どうやら私がばたんきゅうと気絶していた間に大事件が起こって街のあちこちが盛大に破壊されたらしく、ポッドによると帰り道は途中5箇所ほど封鎖されているとのことだった。
「メールの確認を推奨」
保護シートのおかげでガリガリに傷つくだけで済んだスマートフォンの画面を指でなぞる。
クラウスさんとレオからメールが入っていた。
どちらもだいたい2時間前だ。
「クラウス・V・ラインヘルツにはの現状を報告済み。メールへの返信あるいは音声での連絡を優先する必要はない。精神的な交流を行いたいのであれば別」
「せーしんてきこーりゅー」
簡単な言葉で言って、とお願いするのは悔しいので訳知り顔で頷いておいた。つまり仲良くしたいならってことでしょ。うんうん。
仲良くしたいかしたくないかというとどっちかって言ったら別にどうでもいいかなって感じなのは薄情で失礼にもほどがある。
街やら世界やらの異変を解決する組織の偉い人はこのバッドイベントを受けて忙しく働き回っているだろうなと思い、メールを選んで送信した。受信していたメールがしきりに私を心配してくれる内容だったから、絵文字たっぷりで元気をアピール。
レオにもメールを送って、ひと息つく。
「しばらく待ったら道も落ち着くと思う?」
「肯定。ヘルサレムズ・ロットの各機関は異常事態に対する耐性が極めて高く処理能力に優れている」
「じゃあ待つかー」
どこで待とう。空の下で風に吹かれながらというのは今の気分じゃない。
そこで思い出した。
「あのお店!」
よくも忘れていられたもんだと自分でも思う。スカートがすっかり乾いていたせいだ。
嘘だ。ただ視野が狭かっただけである。
「ポッド、どっち?」
「西へ」
「まっすぐか戻るのか右なのか左なのかで言って!」
方位磁針とか内蔵してないから!!
ポッドが身体を向けた方向に走ろうとしたら「」と心なしか素早く止められた。
「なに」
「時速3km以上での移動には不安がある」
「時速で言われても困るんですけど」
「……」
「……」
ポッドが支援してきたアンドロイドたちだったらスッと呑み込めたんだなってことはこの沈黙でよくわかった。そしてポッドは方角と同じようにこういう測り方しかする必要がなかったんだなともわかる。
ポッドはぷかぷかぷかぷかぷかぷかしてから言った。
「提案:当機体の前に出ないこと」
「わかった」
なんか、出来の悪いほうの人類でごめん。
もちろん言わなかった。同意されたくないもん。

ゆっくりゆっくり歩いて向かったあのお店にはレオもいて、店員さんも無事だった。
内装はがちゃがちゃになっていたけど、みんなでみんなの無事を喜び合う。
「って、うわあ動物!」
レオの肩で尻尾を揺らす白毛の小猿が、おそるおそるといったふうに大きな瞳で私を見ていた。目が合ってビビりまくると小猿も驚いてレオの陰に隠れてしまった。
、動物苦手?大丈夫か?」
「びっくりしただけ。えーと、この猿は……だれ?」
「さっきのカメラ泥棒だよ。なんやかんやで懐いてくれたんだ」
どんなこんなで懐かれたのかとても知りたい。
「噛まない?引っ掻かない?予防接種平気?」
「予防接種はダメだろ」
「うん、予防接種はしてない。ごめん。さっき会ったばっかの野生だから……。でも頭が良いから大丈夫だと思う」
レオの太鼓判を信じよう。
そーっと手を伸ばす。
小猿も首を伸ばして私の指のにおいを嗅いだ。上目遣いでチラ見されたりもする。
(こんな映画あったなあ)
あれはどんな展開だったっけ。最終的に仲良くなってたよね。
無言で様子を窺い続けるのも飽きる。
ちょんっと顎の下あたりを指先で撫でてみた。
は怖くないぞ」
「そーだそーだ」
「頑張れ小猿!」
なぜかレオも店員さんも小猿のことしか応援しなかった。
小刻みに毛並みをさするうちに、大きな目が細められていく。
やがて小猿は私の撫でテクに屈したようで、レオの肩の端ギリギリまでこちらに近づくと、自分から私の手に頬ずりをした。
「えっマジ……可愛い」
ぶっちゃけ野生の猿って小学校の通学路に看板立ってたし怖いかもなーといつでも飛び退く準備があったのでこれにはむしろ私がびっくりだ。
可愛いじゃん。小猿めちゃめちゃ可愛いじゃん。
スマートフォンで写真を撮って、そのうちクラウスさんにも見せてあげよう。このビジュアルはたぶんウケる。

そのあと私は通行止めが解除されるまで細々とした片づけを手伝わせてもらって、ささやかなアニマルテラピーに胸をほんわかさせつつポッドの速度規制に合わせながら歩いて帰宅した。
こんなに忙しい1日だったけど、学んだことはただひとつ。
時速3km以下の徒歩というのはもどかしい。