08
嗚呼、お嬢さま。どんな時でも相手の目を見てお話なさるお姿は素晴らしゅうございます。
たとえどのような結果になろうと、相手にどのような呆れをもたらそうと、お嬢さまが自分の考えをご自分の口からおっしゃったことに変わりはありません。
そしてさま。
本来の目的をお忘れにならないところも、また流石でございます。
朝食時に似つかわしい空気はすぐに戻った。
ザップもも引きずらない性格だ。
食事を済ませればだらけたもの。ザップは椅子の背に腕を絡ませた。
可憐な声が問う。
「今日はどうするの?」
「お前が手に入れた情報を元に動く。どうやらハンゲイトはうっしろぐらい商売もやってるらしいじゃねーか。違法改造した超強力な麻酔薬を『外』に流したがってるってだけでかなり……、だぜ。検閲で止められるだろうとは言え、『こっち』のモンを流すなっつーの」
「悪用されるかもしれないから、ということ?」
「『こいつァ素晴らしー!医療用に使おう!』って顔輝かせるやつは少ねえんじゃねえ?嗅がすだけで大人が5人は昏倒するんだろ?」
と、に確認したのは、情報の入手が彼女の手柄だったためである。
少女は大きく頷いた。
情報屋から聞かされた話のうちには恐ろしい内容のものも多い。何に対しても新鮮な驚きを感じて尊敬の目を向けてくる少女を怖がらせ、愉悦して興奮しようと考えた男の業だ。は『キミも危ない人にさらわれてしまうかも』とぬめぬめした声音で脅かされ、狙いどおり大きく目を見開いた。
「しかも目覚めてもしばらくはフラッフラの催眠状態……。もうダメだろそれ」
「そんなものを輸出しているなんて……どうしてそんなことをするのかしら?」
「金欲しさだろ」
「どうしてそうまでしてお金が欲しいの?」
「お前には永遠に理由がわかんねーと思うぜ。あーヤダヤダ」
ぶらぶらと片手を振る。
ザップは首を傾げるから目を逸らし、今日1日の動きをシミュレートした。10時からは個人的な付き合いがあり、12時からはライブラの事務所に顔を出していくつか後回しにした手続きを終わらせる必要がある。となると今から始めても猶予は2時間から2時間半が限界だ。あってもなくても良い待ち合わせだったな、と彼は微妙に後悔した。そのぶん寝ていればよかった。
目に見える違法を前に、何をするのか楽しみだと全身で訴えるに目を向ける。めんどうくさい。実にめんどうくさい。訳のわからん理屈が飛び出すわ、まるで2人の間で言葉の意味が3回転くらい捻じ曲げられているような感覚はするわ、今の青年にとってこの少女と意味のない時間を過ごすことほどめんどうくさいことはなかった。
メシ食ったし、帰るか。
朝から疲れた。
ザップは「やっぱ明日な」と立てた予定をすべてまっさらにした。
びっくりしたに問い詰められても無視を決め込む。たまにはやる気の小休憩も挟まなくては、ビーバーにかじられるがごとく欠片を散らしてすり減っていくのだから精神がもたない。意外といい考えだと自画自賛した。
急に放置を貫かれることとなったは、驚愕と同時に消沈したように眉尻を下げた。誰であっても護ってやりたくなる表情だ。生まれつきこうなのだろうか。だとすると天からイージーモードな人生を振り分けられているに違いない。
「お仕事があるの?」
「そーだよ」
「忙しいのね……。少しは時間を作れるかしら」
「用事による。お前のアホな観光には付き合わねえからな。どっかの裏道に迷い込んで身ぐるみはがされんのだけは気をつけろよ」
言ってから、まるで『心配』したようだと気づく。「ケッ」と喉の奥から忌々しさを吐き出して、きらきらしたの反応を見なかったことにした。
「観光は1人でするわ。だからザップにお願いしたいことがあるの」
「何が『だから』なのかが俺には完全に理解できねえ……。オメーもともと1人だっただろーが……。なんで『ワタシが譲歩した』みてーな顔してんだよ……」
「そんなつもりはないのだけれど、気に障ったのならごめんなさい」
「あーもーいいよ。さっさと言え」
「記念を作りたいの!」
はザップのほうへ身を乗り出した。飲みかけの緑茶を器用に避ける。取り出したカメラを見せ、「すぐに現像できると説明書に書いてあったわ」と機能のセールスポイントを口にする。数字で管理された色彩の塊は、メトロカードを買うよりも容易く紙にして手にできるらしい。コピー機を借りればすぐだ。どんなものでもいい。
ザップの口元が気味悪そうにひん曲がった。
「撮りてえの?イヤに決まってんだろ」
「どうして?」
「趣味じゃねえ」
情報漏えいだのなんだのといった理由もなくはなかったが、説明すると長くなる。単に好みの問題として片づけた。
こちらのほうがにとっては有効的で、人の嫌がることはしないよう爺やから丁寧に教わって育った心優しいお嬢さまは、しょんぼりしながらも簡単に諦めた。
「わかったわ。不愉快なことを言ってすみません、ザップ」
ここに第三者が居れば確実にザップが責められただろう。
「だけど、サインだけなら構わない?私が撮った写真に、ザップから一筆いただきたいの。私、それを永遠の記念にするわ。死ぬまで大切にする」
「おっも……」
は立ち直りが早い。
ぴゅうと風が吹き抜け、ライターに点った火が小さな音を立てて横殴りにされた。手で壁を作り、顔を伏せがちにして着火する。蓋を閉じると高い音が立ち、その響きはの耳に心地の良さを感じさせた。なぜならば、それがザップの立てる音だからである。
カメラを握りしめて懇願するに絆された、とのとは完全に違う。長くなりそうでかったるくなったのだ。
「……テキトーに書きゃいいんだな?」
「ええ!」
ぱあっと喜色満面の笑みが浮かんだ。
お嬢さまは忙しなくあたりを見まわす。何を撮ろうか迷っていた。
この大切なお友だち――ザップからペンの軌跡をもらうのなら、素晴らしい写真でなければ失礼だ。
建造物は面白かったが、サインに値するものかどうかはぴんとこない。
彼が他人を待たないタイプだと少し学んでいたは、向いた気分がどこか遠くへ行ってしまわないうちにやりきらなければと少し慌てていた。
風上から流れてくる太い煙にケホケホと咳き込む姿に、「ハンカチに書いてやろーか」と提案までした心優しいザップ・レンフロは、先程からまたメニュー表を手に取って開いている。サイン料としていくらか胃袋にいただこうという魂胆だ。
は自分になかった発想に目を丸くした。
ハンカチに書く。
「洗ったら取れてしまわないかしら……」
「どんなに洗っても落ちねえペンが売ってんだ。まあ、そのペンのインクを落とす溶剤も売ってっから研究合戦のいたちごっこになってっけど」
「どこで売られているの?」
「買わなくても借りれんじゃね?」
人の金は容赦なく使うが、可能な部分は手近なところで済ませてしまう。
チョコパフェを頼むついでに店員にペンの話をすると、腰にエプロンをつけた彼は快く了承して、パフェの前にペンを持ってやってきた。が心の底から感謝の眼差しと言葉を述べると、昨夜の夕食がチリペッパーチキンサンドだった彼は微笑んだ。
きゅぽん、と空気が抜ける間抜けな音を立ててキャップを外す。がハンカチを差し出した。マジでかよ、と突っ込んでも通じない。店員に頼めばペーパーの1枚でも貰えようなものだが、疑問を抱いていないらしい。
良いなら良い。
テーブルの上に広げたそれに、何を書こうとも考えず、ザップはたった今頼んだメニューの名前を書き記した。布をぴんと張らせるから「ぜひ名前も入れて」と強く強く願われ、雑に追記する。もっぱら借用書や面倒な報告書への記名に使うため、ペンで名前を書く行為には良い思い出がないのだが、書きづらい布を相手に書いてやったこの時間も面倒な記憶として残りそうだ。
とてもとても喜んだを見ると、人生楽しそうだな、と気味悪さがこみ上げる。貸しにできそうなので黙っておいた。――もっとも、貸しなどなくともは『恩人』のザップに尽くしただろうけれども。それがどことなくむず痒い。ザップは、自分はおそらく気持ち悪がっているのだな、と判断した。
は大切なハンカチをカバンにしまった。
お礼と共に、代々伝わる祝福の詞を捧げる。
祝福されてしまったザップは、からしか聞いたことのない響きに、なんとなく由来を聞いてみた。
「実家に伝わってんだっけ?」
「ええ、そうよ」
「何語だ?」
「元はカラティヴァ語だと聞いているわ。造語に近くなってしまっているけれど」
「その祈り?かなんか以外にも使えんの?……日常会話とか?」
「ええ」
「んで、こっちの言葉も喋れる……って局地的バイリンガルかよ」
「だって、人界と繋がったのですもの。新しい文化を取り入れていくことは大切だわ」
「ウワー大真面目な顔でド直球なお綺麗発言」
チョコレートパフェは2人の真ん中に置かれた。
長いスプーンも2本ある。つついて食べろということらしい。アホか、と突っ込まざるを得ない。食うわきゃねーだろと呟いててっぺんの苺を指でつまんだ。
「ねえザップ。私の使うこちらの言葉は間違っている?」
「聞く限りはフツーだ。間違ってんのはお前のジョーシキだと思うね、俺は」
ザップはさくさくと、手早くパフェを食べきった。
伝票を置き去りにして席を立つ。「もう行ってしまうの?」と問われ、「また連絡する」と曖昧な言葉を残して立ち去った。
の瞳が寂しそうに翳った。
だがすぐに思い直し、明日にでもまた会える彼を驚嘆させられるくらい素晴らしい観光をしなくちゃ、と意欲を燃やしてクレジットカードを取り出した。
支払いの手続きを済ませたに、何度も彼女たちのテーブルを訪れた店員がふらりと近寄る。
ありがとう、と目を見て微笑んだ彼女が横を通り過ぎる時、彼は小さな声でこう言った。
「この件からは手を引くんだ」
「え?」
思わず立ち止まったを残し、店員はすっとテラス席を後にした。
思考が停止したせいで、追いかけて店に駆け込むチャンスを失したは、振り返ったままぽかんとその場に立ち尽くした。