06
ぼやけた明るさに目がくらんだお嬢さまは、近くにいた青年の腕を繊細な御手で捉まえました。彼は無情にもその手を振り払い先へ行ってしまうので、取り残されたさまは砂利の撒かれた道を心もとなげに進むこととなります。
誰もが守って差し上げたくなる愁眉と色付きの眼鏡でも隠すことはできない不安げな瞳の光は甘く咲く花がごとき魅力をまとい、もしもここに悪い虫がいたのならば無礼な声がかかったことでしょう。お優しいお嬢さまはきっとその者たちにも微笑みを向けるのだと思うと、お傍にいてお守りできないことがひどく苦しく感じられるのです。
分不相応な虫たちを叩き落とすすべを持つ青年は、足元に転がる小石を蹴った。石は石にぶつかり、道路にわざとまぶされた砂利に紛れて見分けがつかなくなってしまう。
彼は歩幅の狭いを置いてリズムよく足音を刻んでいたが、ハッと今日の曜日を思い出して立ち止まった。
を待ち、彼女の肘を掴む。
雑な扱いを訝りながらもきょとんと自分を見上げる少女に、こいつはひとりで旅行を続けていたら死んでたんじゃねえか、とザップは縁起でもない考えを持った。警戒心をいずこかに置き去りにして育ったお嬢さまは人を疑わないのである。当身のひとつやふたつ、喰らって昏倒して売り飛ばされてもふわふわしていそうな気がした。
「いいか。お前はまずこの建物に入る。挨拶してからな。男が居るはずだから、そいつにニコッとしろ。できるだけバカそうに笑えよ。そういう女が好きな野郎だ。そんでもって要求しろ。俺の代わりに、お前が『ジャスミン・ハンゲイト』あるいは『ハンゲイト家』についての情報を聞く。いいな?」
目まぐるしく命じられ、は目をしばたたかせた。自分を掴むザップの手に手を重ね、「ザップはどうするの?」と問いかける。
「俺はここで待ってる」
この情報屋はシフト制だ。いけ好かない女と気色が悪い男と無口な老人の3人が交代で営業している。
今日はそのうちの気色が悪い男が当番を受け持っている。
ザップはこの男と相性が宜しくなかった。自分よりバカっぽい人物が好きで、それが若い女だとなお好ましいと欲望を垂れ流す40絡みの男と気が合わないのだ。
先入観を持たせるのは得策ではない。なのでザップは詳しいところは説明せず、指示だけを叩き込んだ。
特別な任務を与えられたは、顔をほころばせて大きく頷く。
「わかったわ。私は女優になるのね?」
「一世一代のな。行って来い」
この商売は信頼が一番。
気色悪い男とが会話をしたとして、上手く気に入られたとして、彼女がかどわかされる心配はないだろう。
ザップは壁に凭れてしゃがみ込んだ。
ポケットから煙草を取り出す。普段喫う種類とは違うものだ。かちりとカプセルを噛み潰した。喉奥と鼻にスッとした香りが抜ける。
扉を開き垂れ幕をかきわけて、挨拶と共に暗闇に呑み込まれて行ったの背中はもう見えない。
別の日ならばこんなやり方を選ばなくて済んだのだが、運が悪いと言うしかない。日を改めるのも面倒であるからやれる時にやってしまうが、これまで数日付き合った中で露わになったの精神テンションを考えると、下手を打つ可能性のほうが高いようにも思える。
始まらないうちから失敗した場合の対処法とプランBを組み立てるザップに、頭上から声がかかった。ん、と上げた顔に靴底がめり込む。
今の今まで姿がなかった女性が、見事なバランス感覚で青年の顔を踏み台にして路上へ舞い降りた。
「て、っめ、雌犬!何しに来やがった!?」
「こっちの台詞よ。ここで何してるの?今日は『男』の日だけど、とうとう和解する気になった?」
「和解も何も、争ってるわけじゃねーよ。っつーか、テメー覗き見か?」
「通りかかっただけ。嫌なモノってやけに目に入ると思わない?」
街を跳びまわる同僚に見つかるとは、やはり今日は不運である。
ザップはちらりと扉に目をやった。スーツ姿の同僚――チェインも同じくそちらを見る。
入りもせず、店の入り口でだらだらと喫煙するだけのザップは確かに怪しい。直前のやりとりに間に合わなかったチェインが不思議がるのも当然だ。
「こっちにゃこっちの奥の手があるってこった」
煙を吹きかけられそうになり、彼女は身をかわした。
行動の理由に言及して来ないため、昼に近くから様子を見ていたことはバレていないらしいと判断する。個人には個人の生活があるのだから、誰がどんな情報を探っていても深く追及したり文句をつけたりはしない。特にザップ・レンフロの生活態度はこういう時の人除けに役立った。聞いても得はないと捨てられるばかりだ。
「ま、どうせどうでもいい理由でしょ。戻るわ」
そう、このように。
チェインは澄んだ視線をザップから外して踵を返した。
ザップもしっしと手を振って店先から追い出す。
が店から男と一緒に出てきたのは、そんな時だった。
ひとりが足を止め、ひとりが舌打ちを隠し、ひとりが無垢に微笑み、ひとりがでれでれと鼻の下を伸ばす。
「また来ていいからね」
「ありがとうございます、おじさま。お話、とっても楽しかったわ」
「ボクも楽しかったなぁ。レンフロにいじめられたら言うんだよぉ」
ザップと目が合った瞬間だけ敵意をむき出しにした男は、やにさがった顔での頭を撫でた。名指しされた青年は「うぇ」と顔を逸らして低くうめいた。途轍もなく嫌な光景を見たような気がする。
犬猿の仲の彼女も同じ気持ちだったのか、落ち着いた表情の中にもほんの少しの苦味が滲んだ。
ばいばいと手を振った店員が扉の奥に引っ込むと、待ち切れない様子のは素早く振り返ってザップに褒めて欲しそうな顔をした。
「ザップ、私、きっとうまくできたわ。あのおじさまもとっても優しくしてくれたの」
「マジか。話はあとだ」
顎でしゃくられた先に知らない顔があると気づき、は羞恥で頬を赤らめた。
「すみません、夢中になってしまって気づかなかったわ。初めまして。私はというの。今はザップと……」
「俺とオトモダチごっこの最中」
「ごっこなの?」
「ダチなわけねーだろ」
「そう……」
口を挟まれてしゅんとしたは、その年頃の少女よりもちょっぴり幼く見える。チェインはザップに白い目を向けた。青年はカモっているし少女はカモられているようだ。
放っておけば自分の個人情報を洗いざらい垂れ流してしまいそうな無警戒にも程がある雰囲気を感じ取ったチェインは、このという名の少女がどんなふうに災難に巻き込まれているのかが知りたくなった。事によっては手助けをして逃がしてやらなければならないかもしれないとすら思う。育ちがよさそうというか、乞われれば疑問なく際限なく従ってしまいそうというか、危なっかしさが窺える。
しかも、どうやらザップの指示でこの曜日のこの店に突っ込まれていたようである。
「何もされなかった?」
「ええ、大丈夫。おじさまは優しかったわ。挨拶をして用件を言ったら、お茶とお菓子を出してくださったの。それでお話をして……。素敵な骨董品も見せてくれたわ」
「骨董品?」
「そうなの。選んでいいと言われたからひとついただいたのだけど、綺麗でしょう?」
好みの少女相手とはいえ、情報屋が客にあっさり私物を分けてやるとはこれまた大盤振る舞いだ。
をどれだけ気に入ったのだろう。
クオリティによっては売れそうだ。
チェインとザップはそれぞれ別のことを考えつつ、が胸元から外して手のひらにのせたモノを覗き込んだ。角度と温度によって色つやが変わって見える、ありふれた石のブローチだ。
ザップはよくよくそれを眺めた。
「あー……」
細い煙を吹きかける。
少女は「綺麗でしょう?」ととても嬉しそうにしている。
「どのタイミングで貰った?」
「えっと、お茶を飲んですぐよ」
「茶はどのタイミングで飲んだ?」
「挨拶をして座ったら作ってくださったから、お話を詳しく聞く前にいただいたわ」
「たくさん出されたな?」
「ええ。紅茶が中心よ。人界に珍しい茶葉があるんですって。だから少しお腹がいっぱい」
それがどうしたというのだろう。
チェインはしらけた顔のザップが気にかかって、言葉を喉で押しとどめる。
彼は身振り手振りでにカバンを開けるよう命令し、彼女の母が彼女に贈ったという素晴らしいハンカチを引っ張り出した。それを使ってブローチを掴み取り、ぐしゃぐしゃに丸めてチェインに押しつける。
「優しいツラで誤魔化しても変態は変態だってこったな。うぇー気色悪……」
汚物を見たようにぶるりと身震いしてみせる。
「ねえ猿、まさか私にすごく気持ち悪い物体を押しつけた?」
「包んだからマシだろ」
「ザップ、どういうこと?」
彼は丁寧な説明からは遠い、質問の体をなさないトーンで短く言った。
「腹が膨れるくらいは飲まされてるみてーだし。ブローチを貰って胸につけてから、一回は行ったんじゃねえの」
チェインの顔が引きつった。
「まさか……」
その先はとても口に出せない。
手の中にある得体のしれないおぞましい盗聴器を見下ろして、自分から遠ざける。
叩き潰したい気持ち悪さだ。
いまいち理解が及んでいないには悪いが、知らないほうが幸せな話もあろう。凝縮された変態の闇である。
「……。これは……一度預かってもいい?」
「どこかおかしいの?」
「ちょっとね」
おかしい箇所だらけである。
「……わかったわ。ザップのお友達の言うことですもの。意味があるんでしょう?」
「かなり」
「じゃあ、お願いするわ」
やり取りが一段落して、ライブラに所属する2人はを生ぬるく見た。
知らぬが花。
意外にも、ザップも花を摘み取らなかった。