05
こぼれんばかりのソースと肉にかじりつくお嬢さまのお姿は上品で、隠し切れない御身の清廉さと気高さが目に見えるようでございます。
お嬢さまの指先は肉汁で汚れてしまいましたが、すぐさまハンカチを取り出さないご様子にも感服いたしました。食べている只中では、どれだけ拭ったとしてもまたとろりと指に垂れることもありましょう。だとするならば、最後にまとめて清めたほうが合理的なのです。
急かされながら食べ終えたお嬢さまは、包み紙を捨てて初めてお荷物からハンカチを取り出し、ご母堂より贈られたそれの端で繊細な指先を拭おうとしてからふとお気づきになったご様子でした。
「お母さまにいただいたハンカチを汚してしまうことにならないかしら?」
「なるな」
「濡れティッシュを使いたいわ。どこに売られているの?」
「この辺りを探しゃあ見つかるだろ。まあ、店に戻って『くれ』っつうのが一番早いと思うけどな」
「戻る時間はある?」
「ねえよ。番頭がこの先でメシ食うって聞いてはるばるやって来てんだから、間に合わなきゃ水の泡だ。な、ぜ、か、オメーがタコスなんか食ってっからロスっちまってるし」
「ごめんなさい、ザップ。つい食べてみたくなってしまったの……」
好奇心旺盛なはザップが少し目を離した隙に店に近寄り、顔を出した店主に招かれて食べ物をひとつ買わされた。悪徳な商売に引っかかりそうな少女だと、店主とザップは同じ感想を抱く。
連れ戻すために店へ駆けこんだザップはの襟首を掴んで引きずるように歩かなければならなかった。そうしなければ、慣れない食べ物に奮闘するを前進させられないと考えたからだ。気まぐれにどこかへ行かれても困る。一応、ザップに声をかけているらしいが、雑踏の中ではノイズに混じって聞き取りづらい。彼女の無駄な行動力に配慮して隣同士並んで手を繋いで歩く、などの仲良しごっこは想像するだけで全身の皮が剥げそうなほどご免なザップは、に綱でもつけておきたい気持ちだった。
二輪車に乗り、にヘルメットを投げて渡す。覚束ない手つきだがこれでも慣れたほうだ。初めは、やり方を教わってもたどたどしく、見かねたザップが代わりにかぶせてやった。
とても嬉しそうに微笑むは、運転する青年にしがみつくように腕を回した。いやそこじゃなくていいから、と突っ込みを入れてもきょとんとされる。
「落ちたら危ないのではない?」
「あぶねーけどそこじゃなくていいだろ」
「そう……、わかったわ」
抱きつきながら二人乗りをするのも夢だったのだけれど、毎回試してみては却下される。今回も諦め、食い下がらなかった。
今日はやけに信号と相性の悪い日で、ザップは少々イラつきながら乗り物をかっ飛ばした。
目的地周辺に到着すると、時計と店を照らし合わせて確認する。確かにこの時間だし、この場所だ。標的は今日、クラウスとチェインを連れてこの店を訪ねるはずである。そのような会話を小耳に挟み、しめたものだとザップは確かに笑った。
時間的にも、紹介が遂行されるのはこの昼に違いない。夜は食事会が入っていて、翌日は店の定休日。翌々日からは2日連続で3人のうち誰かがひとりずつ別の案件に向かって動き始めるため、余裕が消える。店頭の張り紙によると、来週からはシェフが味の研究をする衣替え的な時間として1週間の休みが設けられているらしい。
やはり、自由に動くなら今日なのではないか。
大食いのできるを連れて店内に入る。どこからでも内部を見渡せる席を素早く目で確認し、適当な理由をつけて案内させる。がメニューに悩んでザップの意見をしきりに聞きたがった。何かにつけて会話をしたいのか、と大雑把に正解を当てる。彼女の性格への理解が深まってきたザップである。彼女は自分が知らなかった世界で自分の感覚が水のように広がってゆく新鮮さが楽しくてたまらなのだ。
「オムレツセットにしとけ」
「わかったわ。ザップは?」
もしも長居する羽目になって冷めたとしても食べられるよう、ラップサンドのセットを選ぶ。
奥の席に座るが瞳の動きだけでザップに問いかけた。やってみたいのだ。了承を表して手をぶらぶらさせると、彼女はウエイトレスと視線を合わせて呼びつける。視線だけで人を呼ぶ動きによどみはない。呼ばれずとも見事に用事を察して伺う召使に囲まれた生活でも培われる感覚だ。
注文は無事に済ませられた。全体のどこからか発せられる気配は『落ち着いた気品』とでも表現するのが正しいものだが、ヘルサレムズ・ロットでは大して注目を浴びはしない。着眼点はもっと別の部分にあるのだ。顔の造形が整った青年と、屋内でも色付き眼鏡を外さない健康そうな少女への僅かなる興味だとか、そのあたりに。変容したとて俗世は俗世だった。
店内に風が吹き込んだ。大きく開けられた扉からひとすじ滑り込んで空を舞い遊んだそれは、ウエイトレスのスカートを膨らませた。
なぜ大きく開く必要があったかといえば、ザップの狙いがどんぴしゃりで当たったためである。
席取りも良かった。観葉植物の陰になり、あちらからはザップたちがよく見えないだろう。反対に、ザップたちは葉の隙間から彼らの、特に長身をスーツで固める男の背中が見える。
青年はテーブルに身を乗り出した。
「。上手くやれよ。すべてはお前に懸かってる」
「わかったわ、ザッ……」
「バカ!俺の名前を出すんじゃねえよ!地獄イヤーがいるんだよ!」
押し殺した声で叱られ、は首をすくめて小さくなった。「ごめんなさい」と素直に謝って、色付き眼鏡のつるを指でつまんで少し持ち上げる。クリアになった視界に、標的が映り込んだ。
ザップの目の前での能力が揮われる。
彼女の瞳は不自然に光ったりしなかったし、トランス状態にも陥らなかった。ただ見つめるだけだ。
数秒もかからずに終わり、彼女は運ばれてきたオムレツセットに目を輝かせた。悪趣味な能力を有効活用したとは到底思えない無邪気さで、さっきまで無遠慮に人の裏側を覗き込んだ目を、湯気のたつ黄色に描かれたニコニコマークへの感動で輝かせる。
「すごいのね!」
「オメーんちじゃあこんなんは出ねえのか?」
オムレツのひとつやふたつ、献立に組み込まれてもおかしくない。
はザップに向かって首を振った。そんなことはない。シェフが編み出した特別なレシピによる特製のオムレツが出る。高級な卵を惜しみなく使い、育ちざかりだったお嬢さまの胃袋の足しになるよう心をこめて作られたそれは彼女のお気に入りで、二度目に朝食の席に登場した際、『このオムレツが大好きなの』と彼女は嬉しそうに微笑んだ。お嬢さまの喜びを引き出した優秀なシェフは労いと褒賞と誉を手に入れた。お嬢さま、わたしの一生をあなたのお食事の為に捧げます。こう言わしめるがすごいのか生家がすごいのか。
何にせよつまり彼女はオムレツを食べたことがあった。
「家ではヴァリマ・ラコーレがオムレツの上に絵を描いてくれたの。もっと細いペンだったけれど」
「一応言っとくけどこれも絵だぞ」
「わかっているわ」
実家で出たものとこの店で出たものを比較して、ハイソサエティから下界の文化を眺めただけである。どうせ有名な絵画の模写でもしてみせたんだろ、とザップはの顔を見ながら思い描いた。何を見ても感動する少女を『純粋』ととるか『しつこい』ととるかは個人の自由だ。今のザップはちょっとだけ『しつこい』と感じていた。
ラップサンドにかぶりつき、口を動かしてから訊ねる。
「あの人の『メシ』は?」
「そうだったわ!最後の食事はアイスバイン。それから……」
彼女は彼女なりに頭を働かせた。地獄耳がいるなら、直接的に名前を出さないほうがいいかもしれない。
「それから、もうひとつは変わらなかったわ」
が女の名前を口にしそうになった時は猛烈に焦ったザップだったが、意外な気配りに驚いてぱちくりと瞬きする。口が勝手に「ほぉ」と気の抜けた相槌を打つ。頭がぽやぽやな鴨葱から、少しは進化したらしい。
ソースが指を伝う感覚で我に返った。
裏の食事内容は5日経っても変わらない。一貫して付き合い続けている熱いカップルでも通じそうなものだ。あるいは忙しくて暇がないだけの偶然か。
だが、一度であっても『食事』をとったのは事実。
「何時何分が最終か、って履歴も出たらサイコーなのにな」
「そうね……ごめんなさい、私にはどうにもできないの」
「わーってるよ」
そんな便利機能がついていれば、はザップの為に包み隠さず告白するはずだ。
フゥ、と重いため息を細く吐き出す。
数日経っても『食事内容』が変わらない以上、ジャスミン・ハンゲイト以外の女と付き合っているかどうかはわからないが、やはりジャスミン・ハンゲイトを徹底的に調べる必要がありそうだ。一夜限りの関係である可能性が非常に高くてもまあ、それはそれで、と大きめの揚げ物ごとラップサンドを咀嚼する。
「メシも食えたし、出るか」
「次はどこへ行くの?」
「ついてくりゃあわかる。言っとくが、面白かねーぞ」
「いいえ。ザップと一緒なら、どこへ行ったってみんな面白いわ。気を遣ってくれてありがとう、ザップ」
「もォ俺こいつと話したくねえよぉ……」
脱力した青年の前で、はゆっくりとオムレツを平らげた。