04
さまの前を歩く青年の体躯は細く健全なものでありまして、隣り合わせに並び歩めば心優しい兄妹に見えることもあるでしょう。世の中には不思議な事象が溢れておりますからに、そのような目の錯覚も決して奇妙な話ではないのです。
おふたりが初めて出会ってから今日までの5日間、さまは希望をたっぷり吸い込む為にある胸を必死に上下させ、世界中のどんな楽器を以てしても敵うことのない天上の音を奏でる小さな心の臓が楽しさに暴れ出さないよう奇跡的な巧みさで鼓動を制御し、かんばせに笑みを浮かべて頬を薔薇色にそめ、青年の後ろについてお歩きになりました。人外の瞳には、外の世界に触れられる喜びと、これから待つ輝かしい未来への期待がたっぷりと詰まって輝いているのでございます。
嗚呼、さま。そのように無茶な早足で追いかけますと、繊細なガラス細工もかくやと云ったおみ足を道路の段にぶつけてしまいます。
が「あっ!」と短く高い悲鳴を上げた。
彼女を後ろにひっつけてあちらこちらを歩き回るザップは、『ハンゲイト』に関する情報の少なさに苛立ちを感じうんざりしていたところだ。眉根を幾分か不機嫌に寄せて振り返ろうとして、たたらを踏んだ。道路の段差に蹴躓いてバランスを崩したが、すぐ前を歩くザップの背中にどんとぶつかったのだ。
歩き通しで疲労がたまったせいだろう。鍛えた男であるザップは何ともなくても、この年齢までミニチュアガーデンを出ずに育ったお嬢さまにはつらいに違いない。
もちろん、ザップの知ったことではない。
意図せず異性に抱きついてしまったは、少々恥じらって俯いた。
「すみません、ザップ。痛くなかったかしら?」
「あー。骨折れた」
「まあ!本当にごめんなさい。どうしたらいいかしら……」
患部とおぼしき箇所を気遣い離れたは、心底から申し訳なさそうにした。ぶっ飛んだお嬢さまがどんな解決案を出すのか、場合によっては治療費でももぎ取れんじゃねえかな、と思ったザップは、痛がりもせず沈黙を保つ。
ぱっと顔を上げ、は両手を胸の前で組んだ。
「そうだわ!救急車を呼ぶのね?」
「嘘だよ。折れてねえよ。お前が救急車に乗ってみてえだけだろ」
「折れていないの?」
「あれぐらいで折れるかっつーの」
騙した側からバカにされても、彼女は何も気にしなかった。
「そうなのね。ザップに何もなくてよかった!」
「コイツといるとストレスが溜まるんだよなー……」
なぜだろうかと考える。
根本的にタイプが違うのだなと結論はすぐに出た。
一般的な食料品店で売られる市販のアイスクリームを食べてみたい、と言い出したに、ザップは珍しく同意した。捜査方針でも寄り道でも主導権を握るのは常にザップ・レンフロで、の意見など在ってないようなものだが、今回は違う。ちょうど彼も喉が渇いて、糖分が欲しかった。
ペースの遅いお嬢さまはアイスが溶ける前に食べきれず、服を汚すか地面を汚す結果になるはずだと先読みしたザップによる善良な忠告を受け入れた彼女は、迷いなくひとつのカップを手に取って、待ち切れずそわそわしながら会計を済ませた。ちゃっかり支払いをお任せしているザップである。
近くの公園のベンチに腰を下ろし、片方はふたを開け、片方は包装をむしる。
「即決だったけどよ、味、確認してんのか?」
「そういえば、していないけれど……、大丈夫みたい!家で何度か食べたことのある味だわ」
「ホントに見もしねえで買ったのか?」
「だって、ザップに似た色だったのだもの」
「お、おお……、、俺からちょっと離れろ」
「こう?」
「おー」
狙ってやっているのかと問い詰めたい。どこから見ても平和すぎて拒絶反応が出る。
鳥肌が立った腕をこっそりさすり、ザップはチョコレートのコーティングを歯で割った。砕いたアーモンドがぽろぽろと落ちる。
道案内をしてくれて、能力を活用してくれて、新しい観光をさせてくれて、知らない場所にも潜り込ませてくれて、異文化コミュニケーションにも丁寧に応じてくれる。
そんなザップへの好感度は初日から今まで天井知らずだ。霧を突っ切ってどこまでも上がってゆく。これからもは、色に迷う時がくればザップの色を基準に物を選ぶだろう。
実際のところ、道案内をしたのはレオナルドで、能力は悪用されていて、自分勝手に振り回されているだけで、危険な場所も『自己責任』が前提で、異文化コミュニケーションは大半が成立していない。
しかし事情を知る中立な少年はに真実を伝えるのはやめた。伝えても、何もかもを好意的に受け取るに違いないから。刷り込みにも似た無垢な信頼は時に残酷で罪深い。
2人はひとり分の距離を置いてアイスクリームを食べる。は高濃度の乳脂肪に握力がついてゆかず、スプーンで表面を削るのも大変だ。指で器を押して僅かに溶けた甘い液体が縁に盛り上がるころには、ザップのチョコレートアイスはすでに半分消えていた。
落ちるアーモンドが服につくのが嫌で前のめりになる彼は、どこからかきらきらと好奇心に輝く光線が自分を刺す気配を感じた。お嬢さまはチープなアイスクリームの感想を言いたくて、そして聞きたくて仕方がないようだ。
「へったくそ」
「だって、とても硬くて難しいの」
頑張ってなんとか数口食べる。するとザップには、色付き眼鏡越しにも相手の瞳から喜びの感情が窺えた。
「おいしい!」
「家でもおんなじのを食ってたんじゃねえの?」
ともすれば、もっと質の良いものを。
味自体に目新しい部分はなさそうだが、と覗き込んでパッケージの説明書きを読む。
「そうなのだけど、こうして外の公園のベンチでザップと一緒に食べたのは初めてだから余計においしく感じるのね」
「もういっちょ向こう行け」
「だけどザップ、これ以上行くと落ちてしまうわ」
「じゃああっちのベンチ行け」
「どうして離れようとするの?何かおかしなことをしてしまっているなら謝るから、一緒にいさせてほしいわ。私はザップと一緒に楽しいことをたくさんしたいの」
「だーかーら、それが……、……や、もういいわ。とりあえず黙って食ってろ」
まともに聞いていると内面のどこかが腐っていきそうだった。こんな台詞を本心から素面で言う人間とは久しく付き合っていない。ザップからすればこの少女こそが未知だ。どんな家庭環境で育ったのか1から10まで聞いてみたい。
否、やはりやめよう。聞いた耳がぼたりと溶けて落ちそうだ。 このアイスクリームのように、とアーモンドが剥がれてしまわないうちに側面からかじる。
話が通じない人間との生活は精神に大きな負担をかける。生半可な衝撃では揺らがないザップのメンタルもずたずただ。もうやめてほしい、切実に。何を言っても超変化球が返ってくる気がして喋りたくない。
はなりに、ザップが口を閉ざしたがったと気がついた。自分の言動に問題があるのかもしれないとも考える。だがその『問題』がわからず、バニラに埋め込まれた果実の欠片をまとめてすくい首を傾げる。
ふと、彼は他の人に一緒にいてほしくないのかもしれない、とちょっと外れた方向に答えを見つけたの目が丸く見開かれる。うっかり遠くのものに焦点を合わせて誰かの食事内容を読み取ってしまったがそれはいい。名詞は2つあり、片方はほぼいつもどおり女性の名前だ。
もしも誰かに一緒にいてほしくないのだとしたら。
は悲しい気持ちになった。せっかくお友だち、かつ『スパイ仲間』ができたと思ったのに。
「食うのおっせーなお前……」
「少し考え事をしていたの」
「一度に一個しか作業できねえなら食うほうに集中しろよ」
「ごめんなさい。ねえ、ザップ。ザップは他の人と一緒にいるのが嫌い?」
「あ?」
急な質問に顔をしかめる。
「一緒にいて、嫌な気持ちにさせているかもしれないと思ったの。ザップを苦しませたくなくて、だけど私にはどうしたらいいかわからないから、ザップが私にしてほしいことを教えてくれたら言われたとおりに頑張るわ!」
「え……なんでそんな超展開に走ってんだこいつ……。嫌な気持ちっつうか、めんどくせえから放置してんだよ」
「面倒って?」
「ンー」
ザップは綺麗にアイスクリームを舐めとった棒をひょいと振った。
「オメーんち、庭かどっかに芝生はあるわ花は咲き乱れてるわちょっと遠出すりゃ敷地内に大木があるわ、そこでブランコしたり根元でサンドイッチ食ったり昼寝してみたりして、朝には窓辺に小鳥たちが整列してオハヨウゴザイマス、って感じだったりするんじゃねえ?」
「すごいわザップ!そうなの。とても綺麗で気持ちがよくて、時おり叔母さまがレース編みを教えてくださるのよ」
「それだよ。そういう所が面倒」
生まれ育った家の一部をぴたりと言い当てられ、感動した矢先に突き落とされたは肩を落とした。
「……ごめんなさい……まったくわからないわ……」
何が悪いのか見当もつかなかった。
初めておぼえた切なさにショックを受ける。
落ち込んだまま、は問いかけた。
「だけど……、私を嫌いではない?」
「まーな。便利だし口答えしねえし金あるし」
「そう……、ありがとう!私もザップが好きよ。優しくて真剣で真面目だわ」
「オエエ……鳥肌立った……」
ザップの肉体が精神を守ろうと必死に働いた結果だった。