目指せ、鬼滅漢字検定超一級!


舞台の『舞』は慣れればいける。


はてさてどうしたものか、音を戴く男は巨躯を緊張させたまま深く息を吸い込んだ。

「完全に術中に嵌ったな」
「皆さまとご一緒するとだいたいこうなりますね」
「前は煉獄とだったか?」
「はい。どうせ他の人には聞こえないからと喋りまくっていたらめちゃめちゃ怒られました」
「素直に気が散るからな」

軽口を叩きつつも、音柱の眼は鋭く動いた。

ここには戦えぬ者が六人いる。血鬼術に巻き込まれてしまった無辜の民と、『きさらぎ』にて見つけられた異界の女である。
この女には語るも面倒な特性があり、彼女は相手の真名とそれを象る字を正しく知らなければ、他の者に存在すら認識してもらえない。つまりこの場で彼女の姿を見聞きできる存在は音柱たる彼だけで、彼女に話しかける音柱は、他からすれば虚空に話しかけて会話をする異様な人物として映っていた。

「とりあえず全員、何も訊かずに名乗ってくれ」
「そ……、そう言われましても……」

武器を持ち姿形も言動も珍妙な男の言うことを素直に受け取る一般人はごく稀で、ここには大衆しかいなかった。
おそるおそる互いの様子を窺う人々に、音柱は内心でとっても同意した。

わかる。
俺がお前らの立場ならこんな気狂いじみたやつに名乗りはしない。
よぉくわかる。

だが名乗ってもらわなければどうしようもないので、音柱はこれが卑劣な手段と理解した上で背の白刃をちらりと覗かせた。
心の中では「いや本当にその反応は正しいしむしろ名乗るほうがやべえヤツだよ当たり前だわ」と頷きまくりだ。
全員が『きさらぎ』よりの訪問者を認識できるようになると奇異の眼差しがより一層濃くなった。いや本当にその反応が正しいわ。音柱はまた何度も頷いた。もちろん内心で。


はてさてこいつは次の手を打たねばならない、と音柱はまた眉根を寄せた。
どうやらここの鬼には名があるらしい。
人の世に溶け込むだけの能力と血鬼術を操る力量の持ち主であるから期待は薄かったが、思ったとおりに思惑が外れるというのも気力の削がれるお話だ。

この鬼は檻に閉じ込めた人々をゆっくりと喰い散らかすのが趣味だった。
見知らぬ者同士を寄せ集め、自分も囚われたふりをしながら一人ずつはらわたをぶちまけることで疑心暗鬼を生み出して、恐怖と混乱に染まった顔を舐め回すのが大好きなのだ。
今回はちょっと危険な橋を渡ることになってしまったが、純粋なヒトに擬態したままどれか適当な人間をこっそり喰ってトンズラすれば良いだろうとたかを括って怯えた顔を作り続けた。

ちなみに、目の前の隊士が只者ではないとわからなかったのは単にこの鬼の目が曇っていただけで、宇髄天元はいつもどおり変わらぬ格好でド派手な様相を晒していた。
まあ悪鬼滅殺の四文字はよく見ないと判別できなかったし、鬼と鬼の間で情報の交換が行われることはとても少ない。
そしてどこかに座す天辺の鬼が「こいつ柱じゃん」と思ったとしても、この鬼にはさっぱり伝わらない。
ついでに言うと音柱に同行する異世界の女が『舞』の字の『夕』の部分に一本多い線を足して覚えていたために、どこかに座す天辺の鬼は、末端の視界を通しても女の姿形を捉えることはできずにいた。

閑話休題。

宇髄天元がよっしゃ仕方ねえ一丁ド派手にかましたるか、と瞬時に練った策を実行しようとしたそのときである。

「これ、鬼が誰かがわかればいいんですよね。それだけならいけそうな気がしてきません?」
「は?」
「みなさーん! こちらにご注目ください!」
「お前そんな派手な声出せたのか」

元気いっぱい、両手を振って主張する。
視線を一身に浴びた女はちっとも照れることなく、遠巻きな人々にも届くよう声を張り上げた。
社会の歯車として軋みきっていた精神は、無期限かつ不可抗力な長期休暇を得て潤いまくっている。終電を逃した深夜に会社へとんぼ返りし真っ暗なオフィスで翌日の仕事を始める日々を思い出せば、今の生活に怖いものはあんまりなかった。隣につよいひとがいるし。

「何が起きているかわからないと思います。私も詳しくはわかりません。けれど経験上、これは時間が解決してくれる問題ですので、せめて気持ちを楽にできるようにちょっとした遊びをしようと思います! これは複数人いないとできない遊びです。ご協力お願いします!」
「ど、どうしてあたしたちがそんなことしなきゃいけないのよ!?」
「人数がたりないからです」
「えっ、あ、うん……、まあそりゃそうね……」
「たりないんだもんな……」
「たりないなら仕方ないか……」
「気も紛れるだろうし……」

正直言ってこの異様な風体の二人が一番怪しいのだが、あまりにも女のほうが自信満々できらっきらと瞳を輝かせて精気に満ち溢れているから、おかしな事態に巻き込まれて心に急激な負荷がかかった人々には疑う選択肢が生まれなかった。
もちろん、鬼はやりたくなさすぎて笑顔が引きつりそうだった。だってこいつら鬼狩りじゃん。やだよ。

「……で、何をやろうってんだ?」
「キブツジムザンゲームです」
「鬼舞辻無惨げぇむ?」
「山手線ゲームのリズムでキブツジムザン! って言っていくだけなので簡単です。はい、じゃあ私が最初で音柱様が次で、それから右の方から順番にお願いしますね。まず私と音柱様が三回繰り返すのでそのあとに続いてください」
「山手線ゲームが何かわかんねえんだけど」
「手拍子いきまーす。はいはいキブツジムザン! はい次、音柱様」
「お、おうおう鬼舞辻無惨?」
「良いですよ、はいはいキブツジムザン」
「おうおう鬼舞辻無惨」

意味不明なりに意味がわかった音柱は大きな手で良い感じに拍を取った。
女がにっこりした。
そのまま人々に顔を向ける。

「はい皆さんも、はいはいキブツジムザン」
「は、はいはいキブツ……ジムザン?」
「おうおうキブ? ツジム? ザン?」
「えっとえっと、キブツジム、ザン?」
「そ、それそれキブツジムザン……?」

疑問符が飛び交うも、手拍子は揃い始める。
一体感が生まれかけ、そして声はぷつりと途切れた。
誰もが、次に言うはずのヒトを見た。
言えなかった鬼を見た。

「え?」

空気がしんと張り詰める。
つづけないの、と誰かが呟いて、瞬く間もなく頸ごと術が斬り裂かれた。



「粋なやり方じゃねえか」
「どうもありがとうございます」

ぐるりと肩を回して、宇髄は異界の女を褒めた。

「元の、山手線ってのは何なんだ?」
「ぐるぐると駅を回る列車です。出退社のピーク時は人と人に挟まれて潰されるせいで足が浮きますね。具合が悪くなっても『具合が悪い』と申告したり倒れ込んだりすると運行が滞って周囲からのヘイトを受けることになるので口を閉ざす人が多いです」

女の淡々とした口調は聞き慣れないもので、『きさらぎ駅』の先にある彼女の生まれ故郷に深淵を垣間見る。
嫌な気持ちを正直に表情に出した宇髄は、眉間にしわを寄せたまま、大袈裟に背を曲げて女の顔を覗き込んだ。

「いや、それ誰も疑問を抱かねえのか?」
「抱いてると思います」
「はあー?」
「なんであそこが勤務地なんだろ……って思ってましたもん私。もっとも乗るのは始発と終電ばっかりだから、座れたといえば座れたんですけど」

嬉しかったとは言い難い。

「たしか……シンジュクだったか?」
「はい」
「派手な街なんだってな」
「そりゃあもうネオンがぎらぎらですよ。アルバイト募集の広告とか時空を超えてましたし。二十時から三十六時までの週三勤務募集とかいう意味のわからない表記が横行しては消え横行しては消え……。個人利用のキャバクラで領収書を切らないでください会社のお金は遊びで使うものではありませんと何回言っても必要経費と突っ返されて仔細を記入する私が責められる羽目になるけれどそれが経理の仕事だろうと上から言われたらやるしかないし接待って書いても『誰が誰を?』ってことになるし当たり前だけど接待じゃないからテキトーに名前を出された人に裏付けを取るも巻き添えを嫌がってめちゃめちゃ渋られるし私に苦言がくるしなんでこうなって……私が生きる意味とは……って思って呆然とする毎日と月も星も見えない明るすぎる夜と酔い潰れた若者たちがそのへんに転がる早朝を思い出すだけでああ今の私は世界の誰より幸せなんだって心から感じます」

怨嗟の声が一転、青空のごとく晴れ晴れとしたので、宇髄は密かにドン引きした。

「……腹減ったからメシでも食うか」
「良いですね。焼鮭の気分です」
「んじゃあ最高の焼鮭を食わせてやるよ」
「町中では私の姿は見えないのでは?」

定食を食べたせいで幽霊扱いされるのは物悲しい。
女は、もしやこの偉い人が直々に釣って食べさせてくれるのだろうかと首を傾げた。
宇髄は口角を持ち上げた。

「邸ならわかるだろ」
「えっ」

招かれたお屋敷で食べた焼鮭は、彼女が食べたことがないくらいおいしかった。

めでたしめでたし。



2020 0128