目指せ、鬼滅漢字検定超一級!


宇髄の『髄』は人を殺す。


『きさらぎ』にて保護した女人を連れて行く場所として適切な所はどこか。
鬼殺隊の者が唯一これだけは選択肢に入れない領域がある。
産屋敷のおわす館だ。
身元の保障されていない存在を、よりによって何よりも秘匿せねばならない総本山へ近づけるなど言語道断というわけである。
もっともな話だ。
しかし同時に、『柱』たちは当の本人からこう言い含められてもいた。

「『きさらぎ』の迷い人が現れたときは、私のもとへ連れてくるように」

けれどと御身を慮り反駁する者は、頑是ない子をあやすような声音に宥められた。
そしてぐっと黙り、両拳をついて頭を下げるのが、どの御代においても繰り返されるお約束の流れだった。
理性では非常に抵抗があるものの、命じられた手前、連れて行かなければならない。
錆兎もまた『柱』の一人として重苦しいため息をついた。
どこぞから現れたかも知れない女は、錆兎の誰何に対して、錆兎も義勇も理解できない単語を交えて、本人としてはとってもわかりやすく自身の事情を説明した。
女人の困り顔には色濃い疲労が滲み出ており、まあやっぱり良識のあるほうの人間としては何とかしてやりたくなっちゃうもので、末っ子気質がありながらも捨て犬を拾ってしまうタイプに育った冨岡義勇は非常にわかりづらく眉根を寄せた。

「錆兎。お館様に引き渡す前にどうにかできないか」
「え?私が殺される系の話してます?」
「していない」
「言い方が悪いぞ。……どうにかしてやりたいが、彼女の手荷物がないのならどうしようもない」

ああ、と彼女は話を理解する。
化粧道具は電車と一緒に何処かへ行ってしまった鞄の中だ。
一を聞いて十を知れとこってり絞られ続けた毎日は無駄ではなかったんだなあと思いながら自分の頬にぺたりと触れる。

「やっぱり見苦しいですかね」

お館様という相当に目上の存在らしい人物と顔を合わせるのには相応しくない格好をしている自覚はある。
この二人もこんな状態の人間に拝謁の栄誉を授けたくないだろうし、彼らの恥となる可能性も高い。
申し訳なさそうに肩をすぼめた彼女だった。


とはいえどうしようもない。
いつまでも『きさらぎ駅』に突っ立って話し合ったって化粧道具は戻らないし目の下の隈がなくなるわけでもない。
ここら一帯の鬼は討伐し、隠が数をかぞえて確認もした。
錆兎は、後は頼んだといつもどおりに羽織を翻した。義勇もそれに続き、よいしょと無言で女人を小脇に抱え上げた。
薄っぺらい腹が潰れて「ぐええ」とうめく。

「食べたもの全部出る」
「困る」
「持ち方かえてください」
「これが一番対処しやすい」

万が一、『きさらぎ』の闖入者に攻撃をされたとしても、鬼が現れ戦闘にもつれ込んだとしても。
とっても文句を言いたくても言える力関係にない。新卒採用からこれまでの年月で魂に刻み付けられたものの一つ。立場の上下は超絶対。これがアナクロカンパニーの鉄則なのである。
せめて偉い人の前でげろんげろんに吐き散らして砂利に頭をこすりつけ額が擦り切れるまで土下座する羽目にはなりませんように、とひたすらに祈ることに決めた。


さて、錆兎と義勇とそれから女人は、どこかわからない邸宅のずううううううううっと遠くにある、藤の香が立つ門内にて夜明けを迎えた。
腹部への圧迫と極限の疲労により死んだように動かなくなっていた指先がぴくりと震える。
目をつむったままもぞもぞと手だけが床を這う。

おかしいなアラームが鳴らないぞ。
スマホもない。
うちって畳敷きだったっけな。
いやフローリングだったはず。
ラグも敷いているし、こんな藺草のにおいもしなかった。
ていうかこれ畳じゃん。

「死ぬなら畳の上じゃなくてわたあめの上がいいよおー……」

ふわっふわのやつぅ……。

「死んでないから大丈夫だ。義勇がすまなかったな。休ませてやる暇がなくて可哀想だとは思うが、お館様より御返事を賜った。中天に集まれるよう、準備をして欲しい」
「あハイ……じゃあ会社に連絡を……、何て説明したら良いんだろう……営業課に送るメールの引き継ぎだけお願いしようかな……」
「寝ぼけているな?大丈夫か?」
「……え?」

丸く見開いた目に、整った顔の青年がうつった。
彼女は全部を思い出した。

え?

「無断欠勤ってこと?」



暖かい日差しと透きとおった空気が心地いい。
なんとお茶まで出されてしまった。

「きみには可哀想なことだけれども、『きさらぎ』に関しての資料はそう多くない。特に生命を持つものについての例はきみで三度目だ。一度目はねこ。二度目はうし。どちらも『きさらぎ』から出られずにいた。あの場所には鬼も近寄らず、訪れたモノは『改札』を抜けるまで衰えも朽ちもしなかったから、鳴き声で気づかれなければ永遠にあの場所に囚われていたのだろうね。ところで錆兎、義勇。彼女は何か言っているかな?」
「……お館様のお言葉を受けて物を言えぬ様子です」
「名前は書けたのかな?」

ゆるりと首をかしげる。
その姿を見て、『産屋敷』の『敷』に点がつくかつかないかを懇切丁寧に書き順から教わった異邦人は唇をわななかせた。

「お、おそれながら?」

偉い人に話しかけるときは許可を得るのだったか。
彼女の知識は時代劇止まりだったが、大きな間違いは犯さなかった。

「木の葉のさざめきに似た声をしているんだね。仮説は正しかったようだ」

彼女が認識していない存在には、彼女の気配を認識できない。

消え去った線路のはるか向こう、『きさらぎ駅』のない場所に生きる彼女が冨岡義勇の名前を知る理由はすでにこの場の誰もが共有している。
なぜ『鱗滝錆兎』には声が聞こえず、けれど存在は感知できたのか、その理由もこれではっきりした。
彼女の知識に『錆兎』はあれど、『鱗滝』の姓を名乗り水柱として冨岡義勇を右腕に立つ人物はなかったのだ。
水柱以外にも、ここに集う柱には、彼女の姿が見えていた。
彼女が彼らの存在と名前を知るが故に。
ただ、声は聞こえなかった。
彼女が彼らの名前の漢字をちょっとまだよく覚えていなかったが故に。
あとちょっと、お顔とお名前が一致していなかったために。

言葉を促された彼女は、圧力釜で炊かれる米もかくやというほどぎっちゃぎっちゃに周囲から注視されながら背筋を伸ばした。

「ねことうしはどうなったのでしょう」
「天寿を全うしたそうだよ。ねこは炎柱に、うしは水柱によくなついたとある」
「存命の間に『きさらぎ駅』に電車……列車は通りましたか?」
「記録はないね」
「私は元の世界と連絡を取れず、帰宅も限りなく不可能である……という認識でよろしいでしょうか」
「きみには酷だが、そうなるだろうね」

彼女の頭の中で、なにかがぷつりとちぎれ飛んだ。

ここはとっても危険な世界だ。
よくわからないやばい職種と敵さんがぎったんばっこんと戦いまくるタイプのやつである。
私はその世界に迷い込んでしまって、前例は天寿を全うしたねことうししかいなくて、これからどうなるかさっぱりわからんちんぷんかんぷんな状態で、誰とも連絡が取れずここを放り出されれば誰にも認識してもらえずふらふらと彷徨い死を待つだけの存在に成り果てるだろう。
ああでも、それって、つまり。
つまりさあ。

「期日、あしたじゃ、なくなった……!!!」

天を仰ぎ、疲れ果てた女は身も世もなく、大声をあげて泣きじゃくった。

直後にめちゃくちゃやばい音を立てて畳に倒れ伏し、現代ならば救急車騒ぎを巻き起こした彼女は、蟲柱のお膝元で目をさましたとき、個性と感情を抑圧するストレス社会からおさらばした喜びで、すっかりばっちり、生来の性格に生まれ戻れていた。

つまり、

「えーっと次はこれが音柱さまの漢字ゥ」
「あ?」
「ゥうわああああ出たあああああ髄の字だああああ!!!!」

――――と、まあ、鬼殺隊のあらゆるところでこういう悲鳴がよく響くようになるのだった。


めでたしめでたし。





2019 1107