狙ってに会おうとすると、なかなか姿を見られないものだ。馴染みの道を歩いても目立つ服装の影はなかった。
興味を持ったホルマジオもイルーゾォの後ろからのんびりした歩調で歩いて来るが、もしかするとこいつが原因かもしれないとイルーゾォは思い始めた。知らない奴がいると偶然の奇跡が働かないのかも。
「ぶっちゃけよォ、噂通りの尻軽なのか?」
「あ?」
世間話に見せかけて持ち掛けられたので、イルーゾォは答えに窮した。
「知らねえよ、そんなこと。経験はあるっつってたけど……訊くのもおかしいだろ」
「だよな。実を言うとアレ以来会ってねえモンで詳しい人柄がわからねーんだ。口調が古めかしかったことと、テキトーな性格だってのは憶えてるんだが」
「感性が狂ってんだよ」
自分の表現ながらぴったりなような気がする。
の感性は狂っている。なぜギアッチョはあんな女を好きになってしまったのか、恋に理由はないというにはあまりにもひどい運命だ。イルーゾォならば即座に自分に鳥肌を立て、吐き気を催すことだろう。自分の趣味を疑い、想いを振り払おうとするに違いない。ゾッとしない想像だ。
ギアッチョにも、自覚した恋心を否定した時期があったのだろうか。
そもそもいつから好きなのか、酔い潰して問い詰めてもギアッチョは頑なに口を閉ざしていた。イルーゾォは、『ギアッチョ』という狂った名前を与えられた時に盛大な賛美と歓迎を受け、感じた他者からの肯定を恋と錯覚してしまったのではないかと推測を立てているが、事実のほどはわからない。
何にせよ、がギアッチョを意識したとしてもしなかったとしても、イルーゾォにとっては面倒極まりない。間に立つのは自分だという予感がある。
「めんどくせえなあ……。がさっさとギアッチョの望みを断ちゃあいいのに」
この問題を手っ取り早く解決できるのは、年上の女からのきっぱりした拒絶だ。君は恋愛対象じゃあない。このひと言ですべてが終わる。
そしてその言葉を引き出すためには、あの女に青年の恋心を教え込まなければならない。今の彼女はギアッチョの行動の意味を知らず、単なる『欲求不満』ではないのかと疑っている。それを思うとイルーゾォは二度とこの事件に関わりたくない気持ちでいっぱいになる。バカか、と言いたくて仕方がない。ギアッチョを少しでも理解していれば、衝動のままにあんなことをする人間だとは思わないはずだ。所詮、のギアッチョに対する認識などその程度だ。
「私の話をしたかい?」
ひょいと後ろから肩を叩かれ、イルーゾォは飛び上がるほど驚いた。聞き覚えのある探していた声に対して突発的に苛立ちを覚え、顎にひじ打ちでもかましてやるつもりで勢い良く振り返る。
相変わらず派手でざっくりした服装だ。眼差しは世界に興味がなさげで、見れば見るほど達観して、自分の身体にこだわりがなさそうに感じられる。年齢相応で痛々しくは見えないためその恰好をやめろと文句はつけられないが、我が道を往きすぎだ。もう少し周りを見ろとイルーゾォは胸に白けた感想を抱いた。
「よォ、久しぶりじゃねーか。元気か?」
「私は元気だよ。ホルマジオはどうだい?」
「それなりだ。オメーよりは溌剌と生きてるよ」
は笑った。
「暇な日々は生きている実感を失わせるものさ。私も人の名前をつけていくのに飽きがちだ。ネタも切れるしね」
誰かの名づけはまだ続いている。たまに興味を抱くと、イルーゾォも歴代の犠牲者の名を話の種にしていた。
「最近はどんな名前をつけてんだ?」
「『ピーパ』が最も新しいかな。よく煙草を吸う子供だったんだが、『シガレッタ』じゃあ芸がない。パイプ煙草に切り替えるように勧めたよ」
「変えたって?」
「さあね。それを聞く前に死んでしまった」
突然重い話をするなと言いたい。ありがちなことだが、気分はよくない。
勝手に席についたは、おもむろにクラッチバッグから煙草を取り出した。無造作にホルマジオに渡してしまう。味に興味を持って買ったはいいが一本目で向いていないとわかったので、誰かに押し付ける機会を探していたのだそうだ。
受け取ったホルマジオが早速ふかし始める。イルーゾォは煙を避けて風上に椅子をずらした。意図せずと距離が近づくことになり、魅力的な太ももがちらりと見えた。緩くかぶりを振って大きく息を吐き出す。本当に、何も感じない自分が恐ろしい。ギアッチョはなぜこの女に惚れているのだろう。
「なあ」
イルーゾォは唐突に切り出した。
「お前、ギアッチョのことはどう思ってんだ?」
の色白な指が、店員を呼ぼうとして彷徨った。そうだね、とまだ困惑の抜けない声で、聞こえないくらい小さい吐息が落ちる。
「そうだね。実を言うと、まだよくわかっていないんだ。ただ、傷つけたのなら謝りたい」
「何で傷ついたのかはわかってねーのに?」
これについてはどちらもどちらだとイルーゾォは思っている。イルーゾォがそれを言うか言わないかは別にしても、ギアッチョもも相手のことを考えなさ過ぎた。その場の勢いで行動し、に至っては無神経な行動を何度となくとっている。極めつけに、その場でギアッチョとの対話を試みることもなく、話を簡単な方向で終わらせようとした。子供のちょっとした衝動として片付けた。ギアッチョの性格を、少なからず知っているにも関わらず。
「考えてはみたさ。ただ、どれも勝手な想像に過ぎない。ギアッチョはすぐに出て行ってしまったし、もうパン屋には来ていないから、理由を訊ねることもできなくてね」
はイルーゾォとホルマジオを順番に見た。瞳を覗き込み、イルーゾォが冷ややかな雰囲気を放っていると理解する。彼女が肩を竦めると、鎖骨の上を通り過ぎるネックレスの飾りが揺れた。
「私はギアッチョのあの行為自体は特に何とも思っていない。彼の豹変の訳がわからないだけなんだ。教えてくれないか」
「特に何とも思ってねえところがまずおかしいけどな」
「そうかい?だが、よくあることだ」
「よくあるのかよ!?」
「私が何と呼ばれているかは知っているだろう?勘違いする輩が出てくるのさ。そういう時は、さっさとご退場を願っているがね」
ひとりひとり、刺し殺しているのではあるまいな。
クラッチバッグの中に何が潜んでいるか、イルーゾォは知りたくもない。大の男を伸せる程度の手段を持っているのは確実だ。
ホルマジオが話題に疑問を差し入れた。
「それで、いっつも無事に帰れてんのか?」
「帰れているよ」
「後から文句言われるだろ」
「言われるね。相手にされたかったら品性に磨きをかけて来いと言って追い返すが」
「まずもっと真剣に誤解を解けよ!!」
指摘すべきところはそこではない。
イルーゾォの張り上げた声に釣られたように、場の空気はずるりと動いた。
ホルマジオが無造作に手を挙げる。一つの影が、ぎくりと足を止めた。明らかにこちらへ向かっていたのだが、今は進み入ってやって来る気配がない。が目を瞠った。イルーゾォも椅子の上で尻を動かし、ホルマジオから離れる。
「お、お前、仕組んでたのか?」
ホルマジオは悪びれた様子もなく、だってよォ、と相手を手招きでしつこく呼び寄せながら言った。
「本人がいなきゃあ話も進まねェだろーが」
空の下に立っているのは、話題の中心である青年、ギアッチョその人だった。