イルーゾォとこの女には、時おりの交流があった。
多くの場合はイルーゾォが、街中で彼女とばったり出くわすのである。初めこそ狙って道を選んでいるのではと勘繰ったが、タイトな短いスカートを着こなし、ざっくり胸元を開け、腕にきらきらと陽を反射する腕時計をつける女は、警戒するイルーゾォには興味がないようだった。
どうでもいいんだよ、と優しく諭された一日は屈辱と羞恥の思い出としてイルーゾォの中に強く残っていた。
「君らには申し訳ないがね。私は君らのことはどうでもいいんだ。多少心は痛むが、私は私の仕事を全うしただけだし、君たちもそれを受け入れざるを得なかった。その時点で我々の関係は終わっているわけで、憐れな君たちの今後を心配し様子を見に来る必要なんて、まったくないのさ」
組織に属する女は、入ってみれば噂の絶えないやつだった。どんな人間でも仲間にする大雑把なパッショーネにしては、随分と悪い評判だ。本人も少し気にしているのか、『仕事』の材料として連れられた男を見て眉根を寄せた。私にセンスはないんだがね、と古めかしい口調で言った彼女は、元はそれなりにしつけの行き届いた生活をしていたらしい。黒服に囲まれた男に軽い世間話を持ち掛け、当時は人間に対して不信感と嫌悪しか持たなかった彼をじっと見る。それから彼女は手元のメモ帳にさらさらと文字を書いた。
「こいつの名前はイルーゾォにしよう」
そして組織の中で、男は『イルーゾォ』という新たな名前を手に入れた。評判の悪い自分に名をつけられ、イルーゾォが反発するかと多少は心配していたようだったが、何もかもがどうでもよかったあの頃の彼は過去の名を捨てた。今、チームに集まる『特殊』な名前を持つ男たちは、皆この女に名づけられた。ふざけた趣味である。
この名づけ親の名前はと言った。

この女は決して清楚ではなく、爪にはいつも色が塗られているし、上も下も、いつ見ても気合の入った服装である。メイクもこれでもかと施され、透き通るような肌と好印象を残すチークが、ぷるりとした若い唇から飛び出す大仰な口調とのギャップを生み出していた。
重ねて、言おう。
は決して清楚な容姿を持ってはいなかった。むしろどちらかというと、とイルーゾォはメロンソーダをかきまぜながら失礼な評価を下す。
むしろどちらかというとは、男をとっかえひっかえ遊んで見えた。ひしひしと伝わってくるのはおぞましいスラングであり、実際に彼女をそう呼ぶ人間もいた。は面倒がって否定も肯定もしなかったので、余計に噂は広まっていった。
「なんでちげーって言わねえんだ?」
「面倒じゃないか。私のことを知っているのは私だけだし、君にも、ギアッチョにもわからない。噂をうのみにするのは自由だし、相手が私を何と呼ぼうが、それこそ相手の自由だ。どうだっていいんだよ」
怠惰だ、とイルーゾォは呆れ果てた。同時に、なぜギアッチョの名前が出てくるのかと訊ねる。すると彼女はカプチーノの泡にマドラーを突っ込み、あっさりと答えた。
イルーゾォと同じように、ギアッチョも街中で彼女と出会うことが多いらしい。
家にいることの多いギアッチョが、アジトからそれなりに遠い行きつけのパン屋の前まで散歩に出るなんて珍しい。そこまで考えて、イルーゾォはふと気づいた。ギアッチョがわざわざこの女に会いに来ている可能性はないだろうか。
(なんでこいつなんだよ)
捻りのかけらもない適当な名前をつけ、あとは完全に放置する。自分の役割が終わったと思い、こうして顔を合わせても、見るからに『遊んでいる』恰好で大きく脚を組み、むき出しの太ももをイルーゾォに見せつける。本人に作意がないと知っているのでイルーゾォはそっと目を逸らすにとどめるが、これは蔑まれても仕方がないなと思う。
そんな女に、あのギアッチョがなぜ。
彼の疑問は、三か月後に解消されることになる。