破局の女神


能力を見えない俺は、幼馴染が力を使う時に必ず謎のビジョンが現れるとは知らなかった。花京院が同じような素質を持っていて、本気の恋をした少女から飛び出した精神の像に驚愕したこともまた、知る由もない。よくよく観察してみればその少女がストレス発散に手ごろなカップルを破局させまくっていると知り大いに失望したと察せるはずもまた、ない。

連絡もまったくつかず、電話もかけ合わなかった俺たちは久しぶりに顔を合わせた。ずっと凛々しい顔つきになっている花京院は、いつもの曲がり角で俺を待っていた。
「久しぶり」
友人の少ない俺に判断はできないが、男の友人同士は長らく顔を合わせなくても、何の変りもなく会話できるものらしい。少なくとも俺たちの場合はそうで、何を話すでもなくゲーセンに向かいながらぶらぶら歩いて買い食いをし、お前また背が伸びたか、なんて他愛のない話をした。
硬貨をつぎ込んでも、レースゲームには相変わらず勝てない。花京院は苦笑した。
「ある意味、君とこうして遊んでいたのが良かったのかもしれない」
何の話か訊ねても、こいつは答えなかった。内側に抱えている物が多そうなやつなので、これ以上重荷を受け取りたくない俺は追及しなかった。そういうところが、花京院にとっては居心地がよいらしい。ぽつりと漏らされた言葉にぞぞぞと背筋が粟立った。そう正直に言われると、嬉しさと同じくらいの気持ち悪さが湧いてくる。何か裏があるのではないかと勘繰るのが俺の悪い癖だ。
もっとも、実際に裏はあった。何事もうわべだけをすくい取り、芯にあるものを追及しない俺に、花京院は聞きたいことがあるのだと言う。
玉を弾き飛ばしスペースを縦横無尽に走らせながら、俺は彼の言葉に耳を傾けた。手元が狂わなかったのは慣れのおかげだ。アイスを一つふいにしてしまうところだった。
花京院は俺の幼馴染の名前を挙げた。どうしているかと訊ねられ、首を傾げる。
あいつはすっかり大人しくなっていた。自分の能力の悪い面に気づき、今まで自分が破局させてきたカップルにも心や人生があり、愛があったとようやく気づけたのだ。今更かと呆れ果てたが、大人しくなってしまえばただの幼馴染に戻るだけで何の差し障りもない。表向きは問題のない社交性で快適な生活を送っているようだし、たまに俺の部屋に来ては勉強の手伝いを催促したり自分のやってきたことを深く後悔して蹲る程度の奇行しかとらない。
謎の能力の部分は隠して、かなり大人しくなったと答えると、花京院はアイスクリームを買う手を止めた。自動販売機のボタンが点ったまま放置されていたので、勝手に選んで押してやった。
ごとんと音を立てて落ちたチープなアイスクリームは、花京院がよく選ぶ味だ。案の定、改造制服を身につける青年は笑って包装をむいた。
「……会ってみたいな」
意外な言葉だ。俺は素直に感想を言った。なぜなら花京院は、贔屓目に言ってもあいつのことを好ましく思っているようには見えなかったからだ。俺が目にしたのは雨の日の一瞬だけだったが、あの時の花京院はぶっきらぼうな対応をしていたし、本当に興味のない初対面の他人と会話をしているがごとき口調だった。恋人にステップアップしないなどと言う以前に、友人ですらなさそうだった。
会ってみたいなら会わせてもいい。俺はただあいつの家に案内すればいいだけなので、責任もなくひょいと放置して終わりだ。ただ、こっちにも人情がある。幼馴染は花京院に会いたくないだろうし、できればあの古傷はほじくり返されたくないに違いない。あまりにも衝撃的だった失恋と対応は根深く残り、今も気持ちを引きずっている。『俺が忘れさせてやるよ』とは冗談でも口にしたくないおぞましい言葉なので、セオリー通りなら古馴染の俺が言うべき台詞も思いついただけでトイレに流した。性格の歪みは矯正されたが、どう考えてもあいつは付き合いたくない人間ナンバーワンである。

俺たちは受験という名の現実を前にしていた。
ゲームセンターは受験生のやる気をそぐかのように、塾の立ち並ぶ通りに面して騒がしい音を鳴らしている。幼馴染はビルの二階に位置する、有名な塾に通っていた。ゲームセンターからは数百メートル離れた場所にあるが、帰路につこうとすれば必ずこの前を通る。
俺はその辺りの適当な私立大学に入り、のんびりやりたい勉強をしようと思っていたので、特別、塾には通っていない。放課後は自己責任に任せられた自由を満喫できる。
花京院と再会したのもそんな一日の終わりで、ゲームセンターに来たのは再会の祝杯とお互いの腕試し、それから息抜きの意味があった。
俺たちはギリギリの時間まで遊び歩いた。俺は「会ってみたい」とこぼされた花京院の言葉に明確な返事を出さないまま、並んで二本目のアイスクリームを食べていた。
見覚えのある制服が、俺たちの前を歩いていた。後ろからでもわかる。何年も見続けた後姿は、日々の勉強とアンバランスな心に疲弊し、とぼとぼと義務的に脚を動かしているように見えた。
俺が口を開いて呼びかける前に、花京院が声を出した。名前を呼ばれ、クラスメイトだと誤解していつもの笑顔を浮かべ振り返ったあいつの表情が凍りつく。
「か……」
そこから先の言葉が出てこない。薄暗闇の中でも、花京院の表情も、あいつの表情もはっきり見えた。解ることが一つだけある。俺がこの場に相応しくないファクターである事実だ。
「花京院、くん……」
声を絞り出して返事をした幼馴染は縮こまって見えた。自分の能力の正体を見抜き、自分の中に封印した女子高生は逃げたがっている。鞄を握る手に力がこもり、爪先が落ち着きなく動いた。
二人の会話は、潤滑油が抜けたようにぎちぎちと嫌な音を立てている。どちらも緊張しているし、過去のぎすぎすを忘れられずにいた。
「元気だった?」
「……ああ、大丈夫だよ。君は?」
「大丈夫。……転校してるのに、まだその制服なんだ?」
「さすがに、あっちでは規定通りにしているよ。今は……ほら、特別だから」
「そっか」
花京院の態度に棘はない。刺さんばかりの冷たさも、精神的なバリケードもなかった。手探りで相手を窺っていた。

友人を駅まで送るおり、彼は俺にちょっとしたコイバナを打ち明けた。
「僕はね、初めて仲良くなれそうだと思った人がいたんだ。君じゃなくて」
その一言は要らないだろ、と言うまでもない。花京院の眼差しは遠くに向けられていたので、俺は黙ったまま、こいつが切符を買う姿を見ていた。出てきた紙切れを手でいじり、無造作に持ったまま、人のまばらな駅で立ち止まって話す。
「だけど彼女はあまり……僕の理解できない趣味を持っていた。明確に言うと、人としては最低な行いをしていたと思う」
空の向こう側まで、夜の天幕が張られている。一番星が輝き始め、夜の訪れを報せていた。結局今日、俺は帰っても風呂に入ってテレビを見て眠るばかりで勉強には手を付けないだろう。そんな予感がしたので、花京院の話に付き合ってやってもいいか、と寛容な気持ちでいた。
「僕は非道なことが許せなかった。嫌いになったよ。今まで好感を抱いていたから、余計に反動は大きかった。口もきかなくなったし、顔も見たくなかった」
誰のことを話しているのか、もう俺には理解できている。あんな奴でも、育ててきたコミュニケーション能力は力を発揮していたらしい。友人として、あるいはそれ以上の感情は抱かれていたわけだ。芽を摘み取ったのは、あるいは彼女自身だったのか。最低な行為が露呈しているのなら、花京院はもしかすると。
能力を持たない俺にはどうしようもない。正体も知らないし、幼馴染にだけ見えるビジョンがどこにあるのか、気配すら感じられなかった。もし花京院がそいつを視認できたとして、やっぱりそれは俺には関係のない世界の話だ。
電車を二本やり過ごした。
「だけど、どうしてか、忘れられないんだ。嫌いなのに顔を思い出して、嫌な気持ちになった筈なのに、すごく楽しいと思った時を思い出した。……おかしいかな」
この気持ちに名前をつけても構わない。俺は苦く笑った。まさかとは思うが、最初から花京院には『バチ』の効果などなかったのか。ただ、あいつはあいつ自身の行いのせいで大事な恋心にひびを入れてしまっただけなのか。それは、お互いが能力者だったからだろうか。
柄にもなくメルヘンな発想をしてしまった。俺は重大な責任を負っている。花京院は俺に答えを期待しているし、俺は答えらしき単語をもう喉元まで運んできている。ひと言告げるだけでいい。どんな結果になろうとも、決着はつく。
俺は言った。それは――――。