破局の女神


『破局の女神』の不運は続いた。不運と言っていいものか自業自得と笑うべきか、まったく判別はつかないがとにかく奴にとっては不幸そのものだっただろう。初めての恋は不発に終わるどころか跳ね返って自爆を誘った。苦い思い出は捨てきれず、相手から拒絶されて久しい今も彼女は時おり図書室に通っていた。
俺はその相手と親しくしていたのだが、幼馴染の恋心の対象を知ったのは偶然だった。
季節の変わり目で雨の多い日に傘を忘れた俺は、同じくノー傘の友人と並んで下駄箱前で雨宿りをしているところだった。ここに現れたのが、置き傘をパクられた哀れな子羊たる我が幼馴染である。俺を頼りにしてやって来た女子高生は一人、背の高い俺の友人を見上げて硬直した。長年親しくしてきた俺を前に繕いを投げ捨てていた表情が咄嗟に人好きのする笑顔に変わり、すぐに引きつった。背の高い友人は精悍な顔に驚きを浮かべ、次いでゆっくりと距離感のある挨拶をした。
傷だらけの心に塩を塗りたくられた少女は耐え切れない。元々こいつはメンタルが強いが、自分の能力に振り回されている今となっては疲れ果てて散々な有様だ。急ぎの用事があるからと、暇なくせに気まずさを振り払ってびしょ濡れで家に戻った彼女は、濡れたまま俺の部屋を訪れこう呟いた。
「あの人、私の初恋」
端的すぎたが意味は解る。何と数奇な運命か、幼馴染が初めて手に入れ損ねた幸せと俺は友人関係を結んでいた。どちらかといえば面食いの彼女らしい選択だとぼんやり青年の顔を思い浮かべたのも束の間、不自然な態度に記憶が行き着いて首を傾げる。アレが『破局』の結果だとすると、随分解りやすいじゃないか。いつもああいう対応をされるなら、彼女が気を惹かれた有象無象たちは一様に少女に冷たくなることになる。それはあまりにも異様な事態だし、何かあるとクラスメイトに勘繰られてもおかしくない。しかし、今までそんな雰囲気はかけらも見られなかった。消沈しながらも彼女は円滑な関係を目指して、決して一定以上には達さない男子の友人を増やしていたし、女子の評判も悪くない。今まで積み上げてきたものが大きかったので、大したダメージにはなっていないのだ。それを思うと、ハツコイ相手の態度はやや過剰だった。
「どういうことなんだろう」
幼馴染は泣いていた。能力の悪い部分を知るきっかけとなった、初めておぼえた恋の相手。そいつにあそこまで拒絶されて元気よく居られる方がおかしいのかもしれない。俺にはよく解らんが、漫画やゲームの中ではたいていがそうだ。ヘドロのような性格をした女子高生にも人間味はある。自分がおかしな状況に置かれ、彼女は能力の行使をやめていた。他人の恋路に手を出している余裕がなくなったと言ってもいいだろう。勘違いのしようもないほど幸いだ。理不尽に破局させられるカップルを見なくて済むし、今以上に幼馴染を嫌いになるのは俺も疲れる。誰かにマイナスの感情を抱くのは自分のエネルギーを削るし、親同士の付き合いがある家の繋がりを考えると余計に気が重くなる。
「私の」
幼馴染は口数を減らして、胸に刺さった棘を一本一本抜くように喋り出した。
「能力のせいなのかな。……バチが当たったのかな」
奇しくも俺の抱いた感想と同じだった。自覚があるようで何よりだ、と囁く汚らしい自分の一面を宥め、俺は知らん顔をした。辺り障りのない同意を口にし、慰めはしない。俺だって、こいつの能力には胸を悪くされっぱなしだ。
「どうして、花京院くんだけ……あんなに……」
俺の友人は珍しい苗字を持っている。『花京院』なんて、人生でそう聞く響きじゃない。特徴的な淡い色の髪を持っていて、俺よりずっとがっしりした体型だ。今度、エジプトに旅行へ行くらしい。何やら少し口ごもっていたが、お土産を楽しみにしていると冗談めかして要求すると笑っていた。変な菓子でも渡されるのではないかと、茶目っ気のある青年に少しだけ恐々としていた。
やっぱり、バレてんじゃねえの。俺はまた適当な相槌を打ち、つけっぱなしのテレビに目を向けた。花京院は頭のいい人物だ。ゲームの進め方や、ちらりと見た勉強ノートからも聡明さが窺える。勘も鋭いし観察力も優れている。俺のターボを見抜いて直線をブロックしコーナーで一気に追い抜かれた時は冷汗をかいた。レースゲームの話である。
とにかく、幼馴染は消沈していた。そして、こいつにさらなる負担をかける出来事は数か月後に待ち受けていた。
花京院のエジプト旅行と、突然の転校だ。

旅行はともかく、転校は寝耳に水だった。
やけに落ち着いた様子の花京院に問い掛けると、花京院は微笑んで改めて肯定した。
「ああ、都合があってね。……とは言っても、そう遠い場所じゃあないさ。また会おう」
もちろんだ、と俺は言った。
数が少なすぎる友人の一人が遠ざかってゆくのは寂しいが、この歳になって駄々をこねているようでは幼馴染の幼稚さと何一つ変わらない。意味のないわがままを言う性格でないと自覚もあったし、俺たちは存外あっさりと別れを迎えた。曲がり角を去っていく後姿を見るのもこれが最後かもしれないと思ったのは、いささかセンチメンタルだったか。
幼馴染はしばらく俺の部屋に来なかった。あいつに同情はしてもまだ苦手意識を持っていた俺はどことなく安心したものだ。顔を見てムカムカするのも嫌だったし、愚痴を聞く役目もそろそろ誰かに交代を求めたい。ただ、学校では顔を合わせるので距離を置いた気はしなかった。自分の環境の為に何事もない顔をして人当たりよくニコニコするしたたかな女子を見ながら、なんとなく、不相応な同情をおぼえた。花京院に恋をしていたことも、彼を切っ掛けに惚れっぽくなりさまざまな男子と親しくなろうとしていたことも、すべて知っているのは俺だけだ。あいつの気を知って可哀想がれるのは、真実俺しかいない。これからずっとこの負の憐憫を持ったまま生き続けるのはご免だ。さっさと解決してスローライフに戻りたかった。
どの要素が必要かと言えば、それは幼馴染の平穏だ。あいつに決まった相手ができて、うまく交際を続けられればこの鬱々とした空気も霧散させられるに違いない。今まで不干渉を貫いてきた態度をかなぐり捨て、ぴんときた俺はできる限りのサポートをすることにした。ほぼ唯一の友人が転校した今、俺の持つ人脈など幼馴染の足元にも及ばないが、手助けくらいはできると信じたい。誰かと二人でいられる機会を多くつくったし、わざと委員に仕事を任せ、深い話の場を設けた。ちなみに、どの努力も実を結ばなかった。
相変わらず反覆爆弾は幼馴染の全身を焼き続けたし、男子はあいつと友人以上の関係には進まない。手ひどくフラれない分だけ運が良いのかもしれない。あるいは、恋愛のステップを踏めないだけで友人としては問題なく付き合えている分、爆弾の威力は小さいのかもしれない。
どうあがいてもいわゆるフラグを折られる幼馴染は痛々しかったし、やがてざまあみろと嘲笑する気持ちも薄れていったが、そうすると過るのは花京院の硬質な態度だった。頑なに接触を拒む他人行儀な挨拶は、ただ少女の『能力』にバチが当たっただけとは思えなかった。そもそも俺はバチなど信じていないので、『能力』の副作用と言った方が正確だ。
なぜ、花京院だけがあれほどまでにあいつを拒んだのだろう。
疑問に答えが出るはずもなく、定期テストを数個乗り越え長期休暇をだらだらと過ごした俺たちは、相変わらず原因もわからない非常事態にうめいていたのだった。