破局の女神


彼女ならおそらく、この話を始めればすぐに両手で耳をふさぎたがるだろう。俺だってあの時、愚かしすぎる話を自慢げに披露され、驚愕よりも先に呆れと軽蔑が立った。事のバカバカしさと残酷さに本人が気づいた今となっては、誰にとっても特にならない思い出話だ。
まず、俺にはあまり友達がいない。人と行動するのが苦手なわけじゃないが、惰性で誰かと付き合っているなら家でテレビでも見ていたいからだ。積極的に教室を回り、女子にも男子にも分け隔てなく話しかけるなんて発想すらなかった。
しかし幼馴染の女の子は違う。誰とでも仲良くなりたがり、ありがちな悩みに対して真剣な眼差しで向き合い、何度も首を振って共感してやっている。こまめなコミュニケーションが人生を円滑にすると知っているのだとばかり思っていたが、俺の予想は頓珍漢なものだった。彼女は悪意を持って人に近づいていたのだ。
確かに、社交的な性格になったのは中学に上がってからのことで、今までは毒にも薬にもならんといったふうの、ただの女子だった。だからこの幼馴染に対し、やる気のない俺でも嫌気がささずに済んでいたのに、何とも急激に変わったものである。理由を知ったのは、進級して間もない頃だった。
幼馴染の彼女は言った。私には特別な力があるの、と。
とうとう目覚めたか、と気が遠くなったのを憶えている。中学二年になり、学園生活に慣れ始めると突然に特殊能力を獲得する人間はよく居る。通路を挟んで隣の席にいるクラスメイトも筆箱の中に向かって「バッ……ついてくんなって言ったろ!」と囁いていた。彼にしか見えない妖精の話だ。
「誰にも見えないみたいで証明はできないけど、中学に上がる少し前から『能力』はあったの。あんたにだから教えるね」
拒否する暇もなく、延々彼女は話し続けた。コミュニケーション能力が急激に発達した少女の喋り方は、悔しいことにとても上手かったが、俺は話の運びよりも内容に気を取られる。
「私にはカップルを破局させる能力があるの」
いったいどこで使うんだ、そんな能力は。当たり前のことを問いかけた俺に向けられた笑顔は、悪意に染まり切っていた。
「決まってんじゃん、気に食わないやつらを別れさせるんだよ」
この幼馴染と縁を切ってしまおうかと真面目に考えたのは、この時が初めだった。

それから進級を重ね、俺たちは自己責任が課される年齢になった。だが、実際にそれを守っているやつは少ないだろう。俺だって守ってない。あいつだって守ってない。守っていたら、あんなクソみたいな能力はそれこそ包帯でも巻いて封印していたはずだ。
俺が幼馴染の能力を信じたのは、半ば無理やりにその現場を見せられたことがきっかけだった。信じると確約せざるを得なくなったと言うべきか。あんな現場を突きつけられたら恐怖もする。一発で頷かなくては犠牲者が増えただけだったに違いない。
街ゆく一組のカップルを指さし、彼女は何やら知らぬ能力を行使して見せた。しばらく追いかけていると二人の雲行きは怪しくなり、ほんの些細なことでカップルは破局した。俺は唖然とした。平気な顔でこんなおそろしいことのできるやつがいて良いのか。
高校生にもなって、とよく言われるが、俺はやはりテレビを見るのが好きだ。そのテレビタイムに幼馴染の彼女は割り込んできて、今日イラついたカップルについてあけすけに語る。ぬいぐるみにでも話しかけていてくれと何度要求したか、もう数えるのもアホらしい。破局させようと決めたクラスメイトの名前をも挙げるので、俺は数日後からその子にどう接するか計算する必要にかられる。こういう面倒事とは付き合いたくないが、縁を切ろうと思っても親絡みの付き合いではそうもいかない。
そんな彼女が激しく狼狽えた日があった。
勉強もあまりせず、テストで悪い点を取ってはストレス発散に恋人同士を仲違いさせる不健全な女子生徒が、珍しく図書室に行く。背中を見送って、俺も家路についた。カレンダーを見た記憶がやけにはっきりしているので、あれは火曜日の出来事だったと力強く言える。火曜日に、彼女は俺の部屋には来なかった。そして俺の知らぬところで、とある生徒に恋をしていた。

一週間後に事態は急展開を見せた。幼馴染は俺の部屋に来るなり床に蹲って泣き始めた。もちろんこいつが恋をしたなどとは一言も打ち明けられなかった俺は、ただひたすらに困惑する。この女が泣く姿を久しぶりに見た。悪意に輝いていた顔が完全に意欲を失っていた。
「私、好きな人ができて」
俺の中で彼女は『破局の女神』だったのだが、あまりにもそれに相応しくない響きに動揺し、二度訊き直した。彼女は二度目は答えなかった。
「でも、好きだと思って話しかけて、一週間くらいなんだけど、ちょっと仲良くなれた気がしたのね」
コミュニケーション能力に磨きをかけておいた甲斐があったなと場違いな感想を抱く。
「でも」
でももしかしもどうでもいいから早く結論を言ってくれ。知らず、ごくりと唾を飲み込んでいた。この悪意の塊みたいな女が傷心しているのを見ていると、こっちまでちょっぴりざまあみろと思ってしまう。この程度の悪態は許されてもいいと自分を肯定してやりたい。
「でも、仲良くなった途端、態度が変わって」
要約すると、愛の告白をするステップを踏み始めた瞬間に恋の階段から転落したらしい。急に突き放され、親しげな雰囲気も素っ気なくなったそうだ。性格の悪さが露呈したのではとおそるおそる言ったが、そんなことない、と彼女は顔を上げた。失意に泣き濡れていたが、非常にたくましい表情をしている。
「私の能力は誰にもわからないはずだし、誰にも何が起こったか理解できない。私は人とちゃんと向き合って会話をしてる。途中まではうまく行ってた。これは絶対におかしい」
よくここまで言い切れるな。その時の俺はほとほと呆れ果てやる気のない相槌だけを打ったが、後から思えばこれは彼女の奇怪で最低な能力に対するバチのようなものだったのかもしれない。天罰を信じない俺でさえそう感じた。

俺は幼馴染を嫌いになりかけていたし、誰かのせいにするのは心苦しいが、引きずられて性格が悪くなりかけてもいた。
彼女は今まで誰かを破局させ続けて来た反動か、生徒のサラダボウルが出来上がり新規の有象無象が増えまくった高校一年生の短い間に何度も何度も恋をした。そしてそのたびにある一定の関係から進めなくなり、望みを完全に断たれて消沈していた。ちなみに俺は毎回、ざまあみろと内心で舌を出していた。性格が悪くなっている。
彼女が恋路に苦戦する一方、友達付き合いをあからさまに避けるがゆえに遠巻きにされる生徒の一人だった俺は、夏休みの直前から一人の同級生と珍しく人間関係を築いていた。俺が鞄につけていたゲームキャラのストラップに注目されたので、気まぐれにプレイの経験を訊ねたのが良かったのだろう。相手はぎこちなく会話に応じた。
俺たちの間に距離はあったが、長期休暇の間に何度か街に繰り出してはゲーセンで小銭を無駄にしまくる程度には親しくなった。ただの友人同士だ。相手はレースゲームが非常に上手く、俺はタマ弾きには自信がある。アイスを景品に勝負を持ち掛けては、結局お互いのアイスクリームを買い合うだけのイーブンを重ねた。
「久しぶりに楽しかったよ」
友人はよくこう言った。俺も楽しかったので、同意する。次の約束は取り付けず、どうにか機会があれば顔を合わせようといつも別れ道で背を向けた。

奴こそが俺の幼馴染を最初にフッた図書室の生徒だと知るのには、それから少し時間が必要だった。