煙のにおいはさせたくない




その時、自由だったのはだけだった。
倒れ伏した小柄な少女は、死ぬか、気絶したのだと思われていた。
路地裏の薄汚れた壁が笑う。
敵のスタンド使いは防御に特化していて、饒舌に己の能力を暴露した彼によれば、視認できるすべての攻撃を無効化し、相手に跳ねかえすのだそうだ。
味方であれば頼もしいスタンド。
高らかに歌い上げたその名は「バリア・バリア・バリア」と言った。

車に乗り込んだのは、を含めて三人だった。
組織の行う取引に使われるルートを、敵対勢力から守りながら、ある地点で待つチームの元まで届けるのだ。
無造作に置かれたように見えて、後部座席、とギアッチョの間にある茶封筒は確かに守られていた。
ハンドルを握るプロシュートの運転は丁寧で、尾行をまくためにいくつもの角を曲がっても、は乗り物酔いを起こさなかった。
この任務にが参加したのは成り行きだった。
戦闘向きではないのスタンドが活躍する場は恐らくなく、肉の壁として機能するほど耐久性も高くない。
ただ、届け先のチームがに会いたいと願った、それだけの話だった。要するに、彼女も茶封筒と同じ、積み荷なのであった。
諜報活動を行うチームとの関係は、ただ一度顔を合わせただけの顔見知り程度だ。
しかし彼らは、のある種ロマンチックな能力をひどく気に入った。ギアッチョに言わせれば「オカマ集団」、リゾットに言わせれば「多少目立つチーム」である諜報チームBは、親しい幹部に頼み込んでまでの同行を求めた。そしてはその指示に従わざるを得なかった。
指示書から同情と苦笑の感情がありありと読み取れた彼女は、無表情で頷いたリゾットに逆らうすべを持たないからだ。

攻撃を受けたのは、十一の角を曲がって数分も経たない時だった。
鋭い音と共にフロントガラスに細かくひびが入り、プロシュートが舌を打つ。が茶封筒を胸元に抱え込むのと、タイヤを撃たれ車が横滑りしたのはほぼ同時だった。
足を奪われては応戦しないわけにはいかない。
蜘蛛の巣のようなひびが入ったガラス越しに敵の数を確認したプロシュートはスタンドを発動した。ギアッチョが同行に選ばれたのはこのためである。氷を使う彼は、体温調節によりプロシュートのスタンドを無効化することができる。
敵は道に倒れたように見えた。
念のため、シートベルトを外したプロシュートが様子を見に行く。
プロシュートは落ちていた拳銃を足で蹴り飛ばしたあと、あるものを見て勢いよく地を蹴った。
車のリアウィンドウが粉々に砕け散る。
は悲鳴を上げる暇もなく、「出ろ!」というギアッチョの声におされて車外に降りた。
中にいては蜂の巣になってしまう。
が壁に背をつけて茶封筒を抱えると、ガラスをぶち割った男がギアッチョに銃口を向けるのが見えた。
飛び出た弾を氷で受け止めると、ギアッチョは余裕の表情で相手の顔を氷で固める。興奮して上がっていた息が止められ、苦しげにもがいた男はそのままうつぶせに倒れた。素早く振り返った彼は信じられない光景を見る。
前方に倒れていたのは、間違いない。
プロシュートだった。
「クソッ!クソッ!めんどくせェことしやがって!」
肩をいからせ、ギアッチョはホワイトアルバムを発動する。
すると不思議なことが起こった。敵をうちくだくはずの氷が、堂々と立つ男の胸元に吸い込まれたかと思うと、に向かって飛来したのである。
は腹部に直撃を受け、書類を抱いたままずるずると路上に落ちた。

の目が覚めたのは、それからすぐのことだった。
うつぶせに倒れた彼女の耳に、発狂したのかと聞き間違うほど興奮した男の声が聞こえてきたのだ。
「お前らは俺のスタンドに勝てねぇ!バリア・バリア・バリアに勝てるヤツはいない!俺に見えるすべての攻撃は無効化される!そしてお前ら自身に返るのさ!」
「あァ!?だったらさっき俺の攻撃がにぶつかったのは何なんだよ!?」
「俺を攻撃のベクトルも変えられない素人だと思ってくれんなよ!あんな足手まとい抱えてる方が悪ぃんだよ!」
がこっそり目を開けると、男はに背を向けていた。
倒れたプロシュートの袖口から見える手はひどく老いていた。致命的なまでに老化を進めようとした己のスタンドを跳ね返された結果なのだろう。生きているか死んでいるかはにはわからなかった。
ふと見ると、のすぐそばに拳銃が落ちていた。
この弾丸でフロントガラスを割られ、タイヤがパンクさせられたのだと思い出す。
一般的なリボルバーに見えた。
友情を深めたミスタがアジトで見せてくれた形によく似ている。あれはたしか、弾丸を六発こめられたはずだ。フロントウィンドウに二発、タイヤに一発、残りは三発だ。
そして、それだけあれば十分だとは思った。
ギアッチョと目は合わせなかった。もしも気づかれたら、は音速の弾丸を自分の胸に受けてしまうことになるのだ。
(こわい)
は拳銃なんて握ったことがなかったし、撃鉄を起こしたことも、引き金に指をかけたこともなかった。
そっとグリップに手を伸ばし、撃鉄を起こす。かちりと小さな音がして、弾倉が回った。
自動式とそうでないものがあるというが、これは自動式のようだ。安心して狙いをつける。外れてしまって、ギアッチョに当たると困るので、は震える手を必死に抑えた。そして気づかれた時のために、狙いは心臓から外した。尻だ。

なぜ撃ったのかと言われれば、それは、その時自由だったのがだけだったからだ。

二人の距離は百メートルほどだった。
だから、発砲音よりも弾が速かった。
「ぎゃあッ!」
悲鳴を上げて視線をギアッチョから外した男のセリフは、それが最後だった。


顔に擦り傷を作ったを見て、諜報チームの面々はそろって口を覆った。
「もう!ダメじゃないのッ!危ないことは男どもに任せなさいって前から言ってるでしょッ!」
茶封筒を受け取ると、彼らの中でもっとも身長の高い男はの額をぺちんと叩いた。
なんと言っていいかわからず、がへらりと笑うと、横からギアッチョが後頭部を殴ってきた。さすがに痛みを感じて距離を取る。
「確かに受け取ったわ。ご苦労様」
こうして顔を直接合わせて取引することはなかなかない。
チームの男たちは、背を向けたたちに大きく手を振って見せた。


両脇を固められたは、プロシュートとギアッチョの間で小さくなっていた。
バリア・バリア・バリアの使い手が倒れると同時に、半ば強奪されていた形のザ・グレイトフルデッドがプロシュートの手に戻り、彼は復活した。
ギアッチョは彼の汚れたスーツを揶揄し笑ったが、拳銃を手にしたまま壁に手をついて立ち上がったを見ると、その笑みはすぐに引っ込んでしまった。二人からの視線が居た堪れなく、は思わず一歩引いてしまった。
その時の空気が、まさに今もを襲っていた。
「……」
拳銃はプロシュートが安全装置をかけたうえで回収した。
「……」
ギアッチョは、ずれてもいない眼鏡を指で直している。
「……あの……」
おずおずとが口を開いても、二人は顔もむけなかった。
「勝手なことをしてすみませんでした」
の手はまだ震えていた。
肩からかけたトートバッグを握りしめて誤魔化してはいるものの、百戦錬磨の彼らにはバレているのだろう。
人を撃ったのなんて初めてだった。
「……いや」
重い沈黙のなか、呟くように言ったのはプロシュートだった。
はっと顔を上げたに、意外なほど真摯なまなざしが突き刺さる。
「悪かった。……お前にやらせるつもりはなかった」
「……ほ、ほんとにすみません……」
ますます小さくなってしまったの頭に、大きな手がのせられた。
わしゃわしゃとかき回される。
「もう、二度とこんなことはねぇよ」
「は……はい」
「悪かったな。……助かったぜ」
の一発が突破口になったのは確かだった。
ギアッチョならば、時間はかかったとしてもあの男を倒すことはできただろう。
しかしその時間が問題だった。夕暮れまでに届けなければ、任務遂行とは言えなかったのだ。
髪を撫ぜられ、ようやくほっと息をついたはギアッチョを見上げた。
ギアッチョもを見ており、ぱちりと合った視線にバツの悪そうな顔をする。
何か言いたげにその唇がゆがめられて、結局何も言わなかった。ぱちん、とやけっぱちになったようにの手に手がぶつけられ、花が生まれる。
取り落としかけたにその花を押し付けて、前を向いた彼はぽつりと口を動かした。
「……ありがとな」



▼硝煙は似合いませんので。



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