ドキドキスケルツォ



20



手にひどく汗をかいている。日本の空港はごった返して蒸し暑かったし、離着陸で緊張もした。
出口へ急ぐ人の波に遅れて歩き、荷物を引く。がらがらと立つ音が遠い。握りしめた手がじっとりして気持ち悪く、少女はジーパンに手のひらをこすりつけた。財団では握手の文化があった。ここでももしかするとそうなるかもしれない。後から付けた理由だったが、とてもそれらしく思えた。
写真で見せられた顔は何度も確かめたのでしっかり憶えている。彼は紛れもなく『イケメン』だった。ドキリと胸が高鳴り、それからすぐに冷めた。期待や過剰な自意識を持ってはいけないと自分を抑え、教わる性格や、彼もまたスタンド使いであることを頭に叩き込んだ。
その男を探し、ぐるりとゲートの先を見まわす。
(いた)
特徴的な髪形と高い背丈が存在感を放つ。清潔感のある身なりは大きな身体をすらりとさせて見せたが、恐る恐る近づけば、彼の身体つきが意外にがっちりしていることがわかった。
男もまた少女の姿に気がついていた。緊張で顔を真っ青にしながら歩いてきた少女を迎え、彼女が仕切りから出てくるのを待つ。誰にもぶつからないよう注意して速足で歩く少女は、資料で見た年齢以上に幼く思えた。
「初めまして。僕は花京院典明だ」
日本語だった。
それだけで、少女の胸が懐かしさと安堵に満ちる。彼女も日本語で自己紹介をした。確認で呼ばれた自分の名前が、完璧に正しい発音だったことにも感動する。本当は違うはずなのに、帰って来られたと思ってしまった。彼女にとっては不覚だった。
どんな会話をすればいいのかわからず、自然と花京院の服装に目が行った。緑色が好きなのかな、と頭の端にメモをとる。
花京院は少女を外へ連れ出す前に、空港内のカフェに立ち寄ってやった。日本語で書かれたメニューを見た少女は、また泣きそうな顔をした。

カフェで飲み物を買い、二人は暖かいカフェラテが冷めないうちにバスに乗った。
バスの中で少女は目を爛々と輝かせ、街の隅々までを食い入るように見つめていた。彼女が元の世界で住んでいた住所はこことはまったく違ったし、恐らく来たこともない土地だったが、日本の何もかもが目新しく嬉しかった。
花京院の家は空港から少し離れた場所にある。県をまたぐので、この日の夜はホテルを取っていた。本格的な移動は明日にし、今日は長旅の疲れを癒すのだ。
二つの部屋に分かれ荷物を置くと、少女は疲れた表情をましにしようと顔を洗った。手ですくった冷たい水に混じって自分が泣いていることに気づき、タオルに顔を埋めて感情のさざ波を鎮めた。
頬が冷え切るまで顔を洗って、手早くポシェットを肩にかけてルームキーを入れ物から抜き取る。灯りが落ちドアが閉まると、空っぽの部屋は静かになった。
隣の部屋のチャイムを押すと、花京院はすぐにドアを開けた。ホテルの一室とはいえ、男の部屋に招かれた経験などない少女はどぎまぎしていて、花京院は気を張った少女を見るなり苦笑する。気持ちはわかる、と共感した。
花京院も似たような気持を抱いたことがある。それは異性の部屋に入った時ではなかったが、どうしようもなく不安で焦って、おかしな言動をとらないように細心の注意を払った。少女も今、不自然なことをしないように気をつけている。
ぬるくなった紙カップを差し出す。咄嗟に英語で礼を言った少女は、顔を赤くして俯いた。早速の失敗が恥ずかしくて仕方ない。
「君が頑張ってきた証だよ。砂糖はいるかい?」
「大丈夫です」
それきり無言で飲み進める。少女は対話が上手くなく、花京院は彼女の様子を見ていた。それからふと気づいた。
「ああ、眠る前にコーヒーなんて良くなかったな。気が回らなくてすまない」
「いいんです!あの、……いいんです。楽しかったから」
日本語のメニューを指さして日本語で注文をし、日本語でお礼を言うだけのことがこんなにも貴重だとは想像もしなかった。少女は強く主張する。
「それならよかった」
花京院のコーヒーはもう冷めていたが、彼は少女がカップをほすまで飲み終わるのを待っていた。