ドキドキスケルツォ



19



秋が本格的に深まり始め、外に出るには薄手のコートが必要になった。まだ日差しは暖かかったが、時おりヒュウと風音がする。
もうこの街を見るのも最後になるのだ。
少女は車の窓から、流れる街並みを横目に眺める。社用車には運転手と少女の他に二人の男がいたが、どちらも黙ったまま彼女の横顔に沈黙を投げかけている。
見送りの為、空港までの同行を申し出たのはジョナサンとジョルノだった。忙しい身であるジョナサンが単身動くことに反対の声も上がったが、意志の固い青年は止まらず、仕事を片付けて黒塗りの車に乗り込んだ。
車のトランクには少女の少ない荷物が入っている。ケースの中には余白すらあった。これでも、「日本で新しいものを買えばいい」と言った世話係の女を言いくるめてだいぶ持ち込んだ方なのだ。せっかくサイズを合わせてもらった洋服がどうなるのか考えると、彼女は荷物にそれらを加えざるを得ない。気に入った服だけでなく、半年と少しの間に着古した服も詰め込んだ。財団での生活に慣れた女は困惑していたが、少女は自分の荷物に満足していた。
財布の中には日本円がある。あちらの空港で待ち合わせの時間を迎えるまでどこかのカフェにでも入っているようにと渡された紙幣は、お茶代にしてはとても多かった。彼らからの小遣いのつもりだ。
コートのポケットでぴくりとも震えない携帯電話は、電源が落とされたままだ。誰かからのメールで泣いてしまったり、未練を抱いたりはしたくない。すべてを振り切って空を渡るのだ。そんな劇的なシチュエーションに少女の心が湧き立った。

搭乗チケットは想像していたよりもあっさりした造りだった。拍子抜けした自分を取り繕い笑顔を浮かべたが、同時に緊張を思い出して喉が渇いた。これから彼女は知らない場所へ行く。
今更、後悔が胸を刺す。会話が難しくても、外国人ばかりでも、この国とスピードワゴン財団は身寄りのない彼女のホームになっていた。それに対して、母国であるはずの日本はアウェイだ。選択を間違えたのではないかと視界が暗くなっても、もう後戻りはできない。
待合所で時間をつぶし、他愛のない話をする。少女が目を逸らしている時に、ジョルノは腕時計を見てジョナサンに目くばせした。この青年はもう職場へ戻らなくてはいけない。後がつかえて残業する羽目になるのはジョナサン本人なのだ。
だが、ジョナサンは首を振った。微笑み、少女に自分の兄弟の話をする。少女は彼の穏やかな声を真剣に聞いた。
(この人らしい)
善意を押し付けるでもなく、自分がそうしたいからしているのだと生真面目に頷く。相手を思いやり、紳士としての振る舞いを忘れず、誰に対しても正面から向き合う。
ジョルノはジョナサンに不思議な縁を感じていた。父が何かにつけて因縁を持ち出す相手だからではない。元々何かの繋がりがあるように、二人の会話は息が合う。呼吸を読み、気を緩めて接することができる。奇妙な魅力のある人だと思っていた。飾らずに言うならば、ジョルノはジョナサンに好意を持っていた。友人を越え、まるでファミリアのようだと感じる時もあった。
「日本に行ったら、何を食べたいですか?」
おにぎりだとか、お味噌汁だとか、そういった答えをするべきだとわかってはいた。好感度を上げるにはそれが正しいのだろうと予感もする。けれど少女は正直に「明太子スパゲティ」と言った。
ジョルノとジョナサンが顔を見合わせて、堪え切れないと言ったように笑う。目を瞠る美貌を持つ少年が口元に手を当てて肩を揺らす姿は刺激的だ。失笑かと恐縮した少女の頭をジョナサンのしっかりした手が撫でる。
「楽しみだね」
この人たちと別れるんだ。
改めて想いがこみ上げ、黙りこくる携帯電話をポケットに入れたまま、彼女は少しだけ泣いた。