ドキドキスケルツォ
13
寂しくなるなあ。
まったく気持ちの篭らない口調で言われてしまう。少女は腹を立てる気にもなれなかった。形式だけの言葉にお礼を返し、今日のコーヒーを飲んだ。
一度は「ブレンドで」だとか、「今日のやつ」だとか、馴染みの顔をした注文をしてみたかった。照れが先だってなかなか言えなかったが、もう一か月もすればこの場から去ることになるのだと思えば、最後の一歩を踏み出せた。
「あの、コーヒーをください。……ブレンド、で」
カプチーノとカフェラテとカフェオレの違いもよくわかっていなかった少女は、その日初めて何も入っていない、濁った水のようなコーヒーを手にした。善意で渡されたスティックシュガーはとても役に立った。
そんな彼女に話しかけて来たのは、青年二人で連れ立って歩いていたメローネだ。片方は、くるくるとあちらこちらに跳ねる髪型をした眼鏡の男だった。
彼女は彼が苦手だった。下手くそな英語を話すと、目つきも悪く睨まれたからだ。
理解しようと歩み寄っているとはわかっていても、受け入れがたい表情だった。通りすがりの廊下で『理不尽』に対し、盛大な怒りを見せている場面を目撃してしまっては、忌避にも力が入る。
メローネはやはり、断りもなく少女の向かいに腰を下ろした。別の席から椅子を引っ張って来て、ギアッチョを座らせる。窓際の席を囲むように、三人が顔を見合わせた。
嫌な沈黙を取り払うのは、やはりメローネだ。イタリア語で少女に話しかける。やはり彼女はイタリア語のヒアリングができず、焦りと羞恥で嫌な汗をかいていく。
ギアッチョは彼女を見かねて、テーブルの下でメローネの足を蹴った。
「ガキ相手に遊んでんじゃねえよ」
「アレアレ?珍しいじゃん、ギアッチョ。俺以外に優しくするなんて」
「気色ワリィことを抜かすなっつってんだろ。ボケてんのかオメーはよお」
やはり何を言っているかはわからなかったが、少なくともギアッチョに敵意はない。言葉がわからず眉根を寄せている少女の目が、数か月前に出会った時とはかなり異なっていたので、何か放っておけない気がしたのだ。
急激な変化が何によってもたらされたのかは知らないが、理解不能な自信に満ちていた顔つきは随分と落ち着いている。代わりに溌剌とした図々しさが失われていたが、邪魔にならなくて良いだろうと大雑把に判断する。
「あの……」
二人のやりとりを静観していた少女は、声が収まった頃合いを見計らって用件を訊ねた。目的もなしに、メローネが少女に話しかけるはずがない。
彼女のクエスチョンマークに、メローネは上記の通りに答えた。
「寂しくなるなあと思って」
笑顔は薄っぺらかった。ギアッチョが渋い顔でイタリア語を英語に訳してやる。この青年にしては、優しい行いだ。
少女はギアッチョを見て、それからメローネに視線を戻した。苦くてたまらないコーヒーに口をつけて、ギュッと眉根を寄せる。季節の変わり目で弱った喉に沁みる味だ。
メローネがなぜ、ギアッチョを連れてわざわざ自分に話しかけたのか、少女は彼女なりに考えを巡らせた。その表情は思案を隠しきれておらず、メローネからもギアッチョからも、何かを考えていることはまるわかりだった。
ただ単に、別れを惜しむ為ではないだろう。
もしかすると、と視界が開けたような気分で顔を上げる。ギアッチョの顔をまじまじ見つめると、彼は嫌そうにした。
もしかすると、この青年が原因なのかもしれない。
少女自身のストライクゾーンは、どちらかというとメローネに近い。彼の整った顔立ちやバランスのいい細身の肢体は、少女の思い描く『イケメン』に非常に近接した姿だ。
しかし、一時はギアッチョを『そう言った目』で見ていたことも否定できない。遠目から見ている分には面白かったし、ツンギレというジャンルを知っていたから、その類かと思っていた。少女はさらに瞳の色を深めた。
(まさか、メローネはギアッチョが好き?)
飛躍しすぎだと笑い飛ばせない何かがある。ギアッチョに対するメローネの態度は気安く、そこだけプライベートゾーンが消え去ったかのようだ。
ギアッチョに色目を使った少女を、本当は歓迎していなかったのかもしれない。
やはり、自分が嫌われていたと考えることはつらかった。
やり直せない過去を地面に埋めて、誰も彼もの頭を殴り、記憶を放り捨ててしまいたい衝動が指先を冷たくする。同時に、胸には苦しさが詰まった。誰かに嫌われるとは、恐ろしいことだ。笑顔の裏で、やはり人は何を考えているかわからないのだ。
もう世界が自分だけのものではないと知っている少女は、息を浅く吸い込んだ。
人は何を考えているかわからないが、その矛先が『想い人』に左右されていると思えば、多少は気が休まった。メローネはギアッチョを想うが故に、少女を厭っていたのだ。
これはすべて突拍子もない妄想だったが、幼く身勝手なイメージは、幸か不幸か的を射ていた。
長い時間、考え込んでいた少女がまたコーヒーを飲む。苦さを忘れていたようで、今度は思い切り顔をしかめた。
「ギアッチョさんは……メローネさんとはどういう関係なんですか」
どう質問するのが正しいのか。少女はあたりさわりのない台詞をとった。
「……どう、って……オメーに関係あんのか?」
もっともな返しだと思ったので、少女は切り口を変えた。
「いつも一緒にいるじゃないですか」
「こいつが勝手に引っ付いて来るんだよ」
「ああっ、ひでえなあギアッチョ。ギアッチョだって嫌じゃあねえだろ?肩組んだって許してくれるじゃねえか」
「いちいち避けるのが面倒なだけだ、クソガキ。調子に乗ってんじゃねえよ」
あ、と少女は頭の中に素早くメモを取った。そうか、メローネよりもギアッチョの方が年上だったのか。『年下攻め』という魔の単語が過った。
具体的に知りたいことはたった一つだ。
この二人が、あるいはメローネがギアッチョを好意的に見ていることは、もはや彼女の中で間違いはなかった。暴走する想像が、素早く、あらぬ光景を脳裏に映し出した。
では、いったいどちらが『上』なのか。その真実を追究する為、少女は質問を重ねる。まさか「どちらが上なんですか」と正直に訊ねることはできない。自然と遠回しな言い方になるが、少女は、メローネには自分の真意が露呈しているような気がした。
(だとするなら)
隠したって、仕方がないではないか。燦然と輝く開き直りの意識が少女に芽生える。そう、今更取り繕ったところで、どうにもならない。好きなのか、嫌いなのか、それとも。
まずはそこが大切だ。
「メローネさんはギアッチョさんのことをとても好きなんですね」
"ライク"に力を入れて、確信して問いかける。
すると予想通り、メローネは綺麗な笑顔で頷いた。テーブルのギアッチョの手をそっと握る動きが手に取るように分かった。
「もちろん、大好きだぜ」
その答えは"ラブ"だった。