ドキドキスケルツォ
12
世話係の女は、少女の決断をとても喜んだ。
「そうですか。日本に行かれるんですね」
とある青年に言質を取られた日の夜のことだった。
少女は世話係と共に夕食を摂るのだが、女の料理の後片付けを手伝いながら、ぽつりと呟いたのである。私は日本の学校に行きます、と。
女は思わず手を止めた。少女が国を出ることが嬉しいのではなく、ひとりで立つのも覚束なかった子供が自分の力で人生を選択したことに感動したのだ。それは半年近く、誰よりも近い位置で少女を見守って来た彼女だからできる喜び方だった。
「寂しくなりますね」
わかりやすいゆっくりした英語で別れを惜しまれ、少女は不覚にも泣きそうになった。メローネに覚えた激情とは異なる、あたたかな涙だった。
その日の食卓に並んだ料理は、毎日と変わり映えのないものだった。女は申し訳なさそうに眉根を寄せる。少し気が早いが、少女の新たな門出には相応しくないディナーに思えたのだ。明日こそはとびきりのご馳走を用意する。口には出さず、微笑みの下でメニュー表を繰った。
妙齢の女を経由し、スピードワゴン財団のナンバーツーもまた少女の決定を知った。長くかかったとは思わなかった。進路がかかっているのだから、時間の許す限り吟味して選ぶべきだと考えていたためだ。
ジョナサン・ジョースターは精悍な顔立ちを柔和に緩め、少女と握手を交わした。ジョナサンもまた、急転する人生の中で選択を重ねて生きて来た。その結果として旧友の運営する組織の上層部に立っている。これから先に少女の未来がどう動いてゆくのかはわからないが、手助けができるのなら、最大限の力添えをするつもりでいる。スタンド使い、そして保護者としての義務感だけでなく、だんだんと成長する少女を見守るのが楽しかったからだ。
ジョナサンに比べればずっと力の弱い少女は、彼女なりにしっかりと青年と握手を交わした。
「私の戸籍はどうなっているんでしょうか」
訊ねたところで、少女には詳細を呑み込めない。穏やかに見つめられるのが気恥ずかしくて、英語で話しかける。ジョナサンは少女の内心を汲み、できるだけ簡潔にわかりやすく説明をしてやった。本題に入る前の慣らしのようなものだ。
少女はスピードワゴン財団が支援する高校に通うことになるだろう。
海を渡った先の日本でひとり暮らしをさせるにはまだ危険がある。一度も独立した生活を経験していない未成年を、母国とはいえ、『知らない』土地に放り出すのは人道的にも躊躇われた。
彼女がもしも日本で暮らすことを選んだ場合、とシミュレートしたジョナサンは、自分の親戚に手の空いている者がいないか確認を取った。しかし、生活能力のある血縁は仕事との折り合いがつけられなかった。財団幹部として本部を離れられない長兄、世界中を飛び回る次男に、海洋の専門家である三男が揃っている。学生の家に預けるわけにもいかない。
どうしようか、と電話口で困り切ってしまったジョナサンは、自分の親戚を信頼している。できるなら、最も身近な場所に少女を置き、頻繁に面倒を見てやりたかった。
落ち込んだ長兄をどう思ったか。
三男は日本の自宅でしばらくの間、黙り込んでいた。低い声がジョナサンに希望を与えたのは、テレビのCMが一つ流れ切った頃だった。
「『もしも』の場合は、あいつなら……」
想定していた『もしも』が訪れた今、ジョナサンは弟の友人を頼る。
不安がる子供に告げる。遠い日本で少女を受け入れる約束をした男の名前は、花京院典明といった。