ドキドキスケルツォ



09



窓から紫煙がくゆって逃げ出し、上へ上へと消えていく。窓辺に立つ男は二人いた。
大きな図体でじゃれるように影を落とされ、細身の男は煙草の火を相手から遠ざけた。もみ消すにはまだ先があり、気に入ったフレーバーのそれを捨てたくない。顔を手で押しのけ煙を他所に吹けば、背の高い男は律儀にその動きを待っている。
無理やりに事を進めて来ないのは、この男の美点である。
プロシュートは『待て』をかける飼い主の気分だった。いつもその余裕は打ち消されるのだが、彼はリゾットのこういうところに可愛げを見出していた。
「リゾット、今日の夕飯はどうする?食ってくか?」
「いいのか?」
「どういう意味だ?」
顔を押しのけていた手を下ろしてやる。
「いつも俺の所へ食いに来るのはお前だろう」
「たまにだろ」
一週間のうちに四度戸を叩くことが『たまに』であるとはリゾットは考えなかった。
リゾットの料理にあれこれ難癖をつけ自分好みの味に変えていくプロシュートの態度は尊大だったが、一つ一つに必ず短い褒め言葉を付け加えてもいる。いつの間にか相手の好みを熟知させられていたリゾットは、今では最初に作っていた味がいったいどんなものだったのかを思い出せなくなっていた。必要にかられて調理場に立っていただけなので、こだわりがあったわけでもない。
変化した味は、同じ食物を分かち合い、空間を切り取り、時間を共にする相手ができた証明のようにも感じていた。
二人が踏む絨毯はくすんだえんじ色をしていたが、スピードワゴン財団にはこうした部屋がいくつもある。
数人が同時に使えるサイズの机があり、その周りに椅子が並ぶ。四足の椅子は、おそらくパッショーネのどこかにはいるだろう肥満した大柄な男の横幅には足りない。
天井からは灯りが釣り下がっている。スイッチを一つ押せば、すべての電気がついてしまう。不便な造りになっているのは、採光の間取りがよく、夕暮れを迎えるまでは部屋全体が明るさを保っているからだった。
休憩所として使われるが、忙しく動く生真面目な人々はなかなかここを訪れない。時間の使い道を知っている者も、本棟から離れたこの場所までは来ない。通路として使われる廊下の間に扉があるが、開放されているのに誰も手をつけない。そんな部屋が、この建物にはいくつもある。
プロシュートは好き好んでこの一室に居座っていた。暇な時はここに来て、眺めの悪い窓から外を見る。
緑を増やす企画が立ち上がり、改装工事によって中庭が作られたのは数年前だという。
その時分、財団とパッショーネは取引をしていなかった。お互いの様子を窺いながら、牽制しあっていた。
事態が急転したのは、パッショーネに一人の少年が入った時だった。
ブチャラティに推薦されてチームに入ったというジョルノ・ジョバァーナは入団当初、プロシュートやリゾットを前にも怯むことなく笑顔を浮かべた。
「僕はいずれこの組織を牛耳るつもりでいます」
そんな大それたことをいう子供は、プロシュートよりもまだずっと若い。
「いいのか、そんなことを俺たちに言っちまって」
「えぇ、あなたたちは言いふらしはしないでしょう。僕の動きを見て、誰につくのかを決めていただければいいと思いまして」
爽やかに微笑んだ彼は現在、ブチャラティ率いるチームの一員として財団とパッショーネの間を行き来しているが、着実に内情への口出しのできる立場へとのし上がっているらしい。
財団と深く関係のあるカンパニーの社長の息子である、という事実は調べればすぐにわかったが、それだけではない実力があるようだった。
この日もまた、ジョルノは財団を訪れている。
随分と成長した中庭の木々が邪魔をし、プロシュートからはよく見えなかったが、金髪の少年は向かい側にある併設されたカフェの三階席で誰かと一緒にブレイクタイムを過ごしていた。
「あそこにジョルノがいる。見えるか?」
「お前、夕食の話はどうなった?」
「質問に質問で返してばっかりいるんじゃねえよ。見えるかって言ってんだ」
酷く理不尽な言い分だ。リゾットはすっかり気をそがれた。プロシュートから離れ、窓の向こうに目を凝らす。
「……見えるが」
ジョルノは一人の少女と席を共にしていた。プロシュートの角度からは見えなかったが、リゾットの方からならば見えた。身振り手振りは少女の方が多かった。人と話すことにまだ慣れていない様子だった。
「誰と居る?ああ、あと晩飯は食いに来い。昨日チーズを買いすぎた」
「女だな……見たことがある。お前が何度か話していた奴じゃないか?」
正確に答えると、プロシュートはすっかり燃えてしまった煙草を携帯灰皿に放り込み、ポケットにしまい込む。もう一本取り出し、火をつけた。まだこの場から立ち去るつもりはないようだ。
「珍しいな。あの嬢ちゃんはむしろ……ジョルノの親父の方と一緒に居るのをよく見かけるぜ」
「そうか。急になぜこんなことを知りたがるんだ?」
「気になっただけだ。ジョルノは茶店に居るより、どっかの部屋で一人でカッフェでも飲んでる方が好きそうじゃあねえか?だから姿が見えて意外に思ったんだよ」
リゾットの視線がプロシュートの手の動きを追う。
煙草を唇に当てたところで気づいたプロシュートは、煙草の吸い口をリゾットに向けた。
リゾットは受け取らずに、プロシュートの手を押さえた。つい先ほどは阻止されたキスをして、プロシュートの身体を壁に押し付ける。
主導権は確かにこの男に移っていた。
煙草のことを気にしながら、プロシュートもリードを明け渡した。
「……んっ……。……おい、リゾット」
「またか……」
ほんの少しだけ上ずった声を出したプロシュートは、顔を上げた男の足を軽く踏みつけた。
「あの嬢ちゃんがいるうちは、ナシだ」
「どういう意味だ?」
リゾットは今度こそ不審がった。
プロシュートはあの少女の、なんてことない口調の質問を不意に思い出していた。
―――誰かと会ってましたか?
唐突に投げかけられた疑問符にあからさまな反応をしてしまった自覚がある。あの時はスカーフの下に、見られてはならないものが隠されていた。
男との密会を覚られたとしてもプロシュートには何のダメージもないが、もしも首元にあるものにまで推察が及んでいたとするならば、少々苦みを感じる。ド素人の少女に察知されるほど容易くはないつもりだった。あの少女の洞察力が特別に鋭かったか、プロシュートが慢心していたか。どちらにせよ、見透かされるようで気まずさがある。
あちらはプロシュートのことを気に入っている。これからも財団に滞在する間は接触があるだろう。もしかすると、今日にも会話をするかもしれない。その時にまた同じように気づかれては、今度はため息の一つもついてしまいそうだった。
もうあちらは忘れているかもしれないが、プロシュートは今思い出してしまったのだからどうしようもない。
「……っつーわけだ。帰ってからの楽しみに取っとけ」
リゾットは頷いた。
頷いてからプロシュートを押さえつけ、もう一度彼の唇をついばんだ。
びくりと細い身体が揺れ、その動きで二本目の煙草が床に灰を落とした。