ドキドキスケルツォ



08



金髪の美丈夫が、いったいいかなる愛人を持っているのか。情は通じているのか。通じているには決まっているが、はたしてどんな方法で愛を囁かれているのか。
気にはなっていたが、少女とて暇ではない。暇ではなくなるように予定を立てるよう心がけていたので、勉強の予定にせっつかれ、なかなか『リゾット』を探せずにいた。
財団の中は広く、リーダー格ともあらば多忙を極めるのだろう。三、四か月の間に一度たりとも顔を合わせなくとも不思議ではない。少女の行動範囲と合致しないのだろう。
どんな恰好をした男かと探りを入れると、ホルマジオは端的に「mistero.」と答えたが、世の中には不可思議な恰好をした男が大勢いることを今の少女は知っていた。そう言うホルマジオも独特の服を着こなしている。メローネなどはチームの中でも際立って気持ち悪い恰好をしていると彼は言うが、少女は同等かそれ以上に奇妙奇怪な様相の男たちを知っていた。彼らに比べれば、多少ファッションでミスをしても許されるのではないかとも思うほどだ。参考にならない意見だと気落ちした。
少女が『リゾット』のことを気にしなくなり、数学のテキストが半分ほど進んだ頃、答えは向こうからやって来た。彼女のなけなしの努力がようやく幸運を引き寄せたと言ってもいい。

シーザーと話をしながら歩いていた少女は彼のわかりやすいジョークに笑い声を立てて気が逸れ、階段から足を踏み外した。がくんと視界が揺れ、すぐに表情がこわばった。「きゃあ」と可愛らしく悲鳴を上げる努力はしなかった。なぜなら目の前の『シーザー』にはおそらく『ジョセフ』という恋人がいるからだ。イケメンを前に取り繕いたい気持ちはあったが、咄嗟の時には喉も凍り付く。
シーザーは即座に反応した。手を伸ばし、腕を掴んで引っ張ってやることは簡単だったし、そうするつもりでもあった。
しかし爽やかな青年がそうするよりも先に、シーザーよりもずっと力強い手が少女の身体を支えていた。
その時になって初めて存在を知覚されたと言っても過言ではない。
男は足音もなく歩いていたし、声も出さなかった。財団内を行き交う名も知らぬ職員の中に完璧に溶け込み、その奇抜な服装にも気を払わせなかった。
「あ……、ありがとうございます」
少女は日本語で礼を言ったことにも気づかないほど緊張していた。危うく大怪我をするところだったのだ。シーザーが英語で丁寧に少女の身を案じる。彼女は大丈夫だと答え、自分を助けた背の高い男を見上げた。そして、萎縮した表情を繕うことに全力を傾けた。
見るからに堅気ではない男だった。なぜ今まで一目たりとも気づかなかったのか、不思議に思うほどだ。それはこの男自身が存在を覚られないようにしていたからなのだが、少女にわかるはずもない。初めて見た男の威圧感に、ごくりと唾を飲み込む余裕もなかった。
硬直した彼女を庇うようにシーザーが前に出る。
「俺からも、彼女を助けてくれたことに礼を言うぜ。ありがとう。俺はシーザーだ。あんたは見ない顔だが……」
「礼には及ばない。俺はパッショーネから派遣されているからな……会わなくても不思議はない」
「そうか、パッショーネの。じゃあイタリアか?」
「ああ」
「俺もそうなんだ。まだ名前を聞いていないが……どう呼べばいい?」
少女には早口の英語はまだ難しい。断片的に、彼がイタリア人であり、パッショーネから派遣されている人物であるということはわかった。それだけで充分だった。
「リゾットでいい」
シーザーと少女は同時に言葉を飲み込み、口を噤んだ。シーザーは「変わった名前だな」と言うのを堪え、少女は「リゾットってこいつかよ」と言うのを堪えた。
少女は内心でひどいことを考える。
この男こそ、彼女にとって未知の能力である『スタンド』を使い戦うに相応しい人物だ。つまり、戦闘の為に研ぎ澄まされた刃のような男である、と。
(近づきたくない)
どこから見ても怪しい風体で、黒目がちの瞳はどこを見ているのかわかりづらかったが、眼光は鋭く、周囲を威嚇する凄味がある。身を隠さない服の下にはがっしりとした筋肉がつき、同じ黒色でもプロシュートのスーツとは類を異なる長衣がそれを隠す。腕を掴まれた時、信じられないほどの安定感があった。つまり、少女の身体くらいなら簡単に支えられるのだ。それもそうだろう、と彼女は思った。これだけ鍛えられていれば、標準体重の学生を一人つかまえることなどわけがないに違いない。
血なまぐさい出来事からは無縁で生きてきたが、少女は本能的にリゾットの雰囲気を恐怖した。たとえ、どんなに整った顔立ちをしていても、声色が甘くても、少女は彼に近寄らなかっただろう。
リゾットは寡黙なようで、シーザーが会話を途切れさせれば、すぐに立ち去ろうとした。呼び止める言葉も思いつかず、少女は彼を見送ったが、その後ろ姿にどこまでも粘着質な視線を絡みつかせ、姿を目に焼き付ける。
「彼がリゾットなのね……」
「ん?リゾットを知っているのか?」
日本語で呟いた少女から飛び出した名前に反応し、シーザーが彼女の顔を覗き込む。彼女は慎重に階段を下りながら頷いた。
「知り合いの上司だって聞いたの」
「へえ。……少し妬けるぜ、仔猫ちゃん。とても熱い視線を送っていたじゃないか?」
流し目で言われドキリと高鳴った胸を落ち着かせる。
少女は自分に言い聞かせた。
(彼はホモ)
それも、重篤な恋愛患者だ。
ジョセフ・ジョースターに恋慕し、素直になれずに喧嘩ばかりしている。ツンデレを通り越して苦労っぽくなっている青年は耳心地のいい言葉を囁いたが、少女は相好を崩して照れるのでもなく、きりりと背筋を伸ばした。
なぜかはまだわからなかったが、対面して会話をしている相手が同性を好きでいるのだと考えると、彼女の心はいやに冷静になるのだった。一人で部屋にこもり、鍵付きのノートと向かい合っている時はあんなにも興奮しているのに、実際に前にすると落ち着き払った声が出る。菩薩のような優しさを持てる。
彼女は嘘でも真実でもないことを言った。
「今までまったく見かけなかったな、と思っただけ」
「確かにな」
シーザーも同意し頷いた。
もしかすると、公にできない仕事をしていて、自分の存在を知られない為にわざと人を避けていたのかもしれない。
少女は彼女の中での『お約束』に当てはめて想像する。それはかなり当たっているように思えた。