ドキドキスケルツォ



05



あまりにも衝撃的な場面を見てしまったため、少女は吐き気を催すほどの眠気をおぼえても、夢に没頭することができなかった。物を食べる夢を見ているはずなのに、気を抜けばビジョンの端に男同士が絡み合う。
少女はベッドから起き出して、部屋に備え付けてあるトイレに入った。しばらくそのまま考え事をして、トイレットペーパーを無駄に引き出した。
「アレは見間違いなんかじゃない……よね」
今更ながら、不安に陥っていた。自分の脳みそが見せた幻のような気もする。
そもそもブチャラティはスピードワゴン財団とは別の組織に属している。運営方針も指揮者もまったく違うグループだ。ただ、協力関係にある二つの組織は、定期的に意思を疎通させていた。幹部同士の交換もその一環だった。
ブローノ・ブチャラティは彼の属する『パッショーネ』という組織からチームごと派遣された、いわば期間限定のメンバーだった。
チームの一員として、ブチャラティと共に派遣された男は数人いる。
(ジョルノ……ナントカと、ナントカ・ミスタと、ナランチャ……ナントカと、パンナコッタ・フーゴと、それから……アバッキオ)
聞きなじみのない横文字の名前は、少女には少々難しかった。幻想的な作品には多く触れていたが、実際に発音して聞かされるのと、文字で読むのとは違う。
少女は彼らの全員と面識があった。出会ったきっかけはブローノ・ブチャラティ、その人である。
ブチャラティの周りにはいつも人がいる。少女が彼に淡く強烈な憧れを抱き、自惚れるままに話しかけていたうちに、何人もの個性的な人間と会話をする機会が自然と生まれた。いくつもの記憶を思い返すと、自分の言動にはいつも自意識が溢れていたような気がする。あまりのことに世を儚みそうになるが、少女は熱くなる頬をおさえて呻き声を漏らすことで衝動を堪えた。
明日の夜には、ブチャラティは自分の組織へ戻る。チームの『イケメン』たちを引き連れ、アバッキオと共に去っていく。もう、次に会えるかはわからない。なぜなら、少女はいずれ日本の学校へゆかされるからだ。
そうなる前に、彼女は確認しなくてはいけなかった。そうすべきだと、使命感に突き動かされた。
暗い部屋に灯りをつける。数回点滅したランプはやがて光を落ち着かせ、机の周りを明るくした。鍵のかかったノートを開くと、そこには昼間に見た光景が、自分の文章で乱暴に綴ってあった。


小鳥の鳴く声も聞こえないほど、二人は行為に没頭していた。無心で唇を合わせ、相手に縋りつく。上向かされた顔は苦しい呼吸と、ほのかな背徳的要因に興奮し上気していた。整った眉が苦しげにひそめられた。
「アバッキオ、今は仕事中だぞ……っ」
財団に派遣され、与えられた一室は閉ざされている。追い詰められ、備え付けられたデスクにぶつかって腰を下ろしたブチャラティは、それ以上後退もできずに反抗的な態度をとった。元来、真面目な性質だ。
アバッキオとて、本来ならばわざわざビジネスの時間にこうして欲望をあらわにするほど飢えてはいない。二人ともが公私をきちんと分けるタイプだ。人前で必要以上に接近することも、親しげに声を掛け合うこともない。アバッキオが余裕のない顔で愛を囁く時もあったが、それも、誰も居ない部屋で、二人きりになった時に限っていた。
それがなぜ、執務室で恋人の身体をまさぐっているのか。
互いの唇の間から熱い吐息がこぼれる。
「誰も見てねえだろう、ブチャラティ」
自分の言葉が嘘だと、アバッキオにはわかっている。わずかに開いている扉の向こうに、誰がいるのか。
見せつけてやる気持ちだったのかもしれない。
誰のものとも判明しないスタンドに連れて来られた異世界の女は、ブチャラティに強い思慕を抱いているようだった。アバッキオの観察眼は少女の表情に夢見るような現実味のない感情を見つけていた。自信に満ち溢れ、『誰もが自分を好きになる』と思い込んでいる、とアバッキオはそう感じた。
(ブチャラティは誰にでもそうなんだよ)
よほど言いたかったが、忌々しく思うアバッキオがあからさまに威嚇をしても、彼女はけろりとしていた。自分が悪感情を向けられているとは、欠片も考えていないようだった。
アバッキオは、ブチャラティが彼女に恋人の存在を打ち明けたとは知らない。
だから、思い知らせるつもりだった。ブチャラティに対しても、少女に対しても、誰が誰のものであるのかを知らしめるつもりで性急に事を運んだのだ。
彼の狙い通り、存在感を殺して立ち尽くしていた少女は男の衣擦れの音にまぎれて、廊下の向こうへ走り去っていった。
「今の……足音は?」
ブチャラティがハッと扉を見る。濡れた唇を拭う仕草は、アバッキオの腹の底をくすぐった。
「気のせいじゃねえのか。俺には何も聞こえなかったぜ」
アバッキオはわざと身体で恋人の視界を遮った。もう、誰も邪魔する者はいない。本当の意味で、二人の周囲は静かになるのだ。


少女は、ほう、と息を吐いた。細く吐き出し、机に突っ伏す。
ブチャラティの執務室に置いてあるものより、ずっと小ぢんまりとした机だ。学生らしいシンプルさがあり、いつの間にか少女はこれを気に入っていた。
いくつか修正を加える為に、ペンを持つ。あえて、元の字は消さず、赤色で上から書き入れた。表現を変え、作業に没頭する。時計の針がこちこちと音を立てて回っていくのも気にならなかった。静かすぎた部屋の壁に、せわしなく動くペンが影となって映し出される。少女のぎらぎらとした目はページの隅から隅までを見まわし、一時間が過ぎて、ようやく彼女は顔を上げた。
「もしかすると」
独り言の癖は抜けなかった。
「私って」
そこから先は、口にするのも憚られた。実際に声に出せば、逃れられない鎖となって己が縛り付けられるような気がした。
(私って、……素質あるんじゃない?)
まだ知らぬ未知の世界に、少女の胸はドキドキしていた。