ドキドキスケルツォ
01
スピードワゴン財団は世界でも有数の富を誇る。創設者はロバート・E・O・スピードワゴン。ロンドンの貧民街の出ではあったが、巨万の富を築き上げ、財団を設立し、ありとあらゆる分野に対する支援を惜しまない姿勢は多くの人に好まれた。
彼は義侠心にあふれた性格で、世話焼きで精神力の強い人物だった。『こう』だと認めた人にひたすら献身し、助力を惜しまず、今もなおその人のもとへ頻繁に足を運んでいるらしい。彼のセクレタリーは苦笑を交えて少女にそう語った。
少女はスピードワゴン財団に保護された『怪奇』の一人だった。正確に言うならば、怪奇に巻き込まれた人間の一人だった。
超常現象の研究に余念のない財団は、常に世界中に目を光らせている。『スタンド』という奇妙奇怪なビジョンが密かに跋扈する世界で、『スタンド』の能力の被害に遭った一般人に対する視察を行っていた。
少女にはまったく理解できなかったが、彼女は知らずのうち、『スタンド』の能力に巻き込まれていた。
日本で生まれ、日本で育った少女は、夢を見ていた。眠らなくても、いつだって空想の世界にのめり込める。街を歩けばそこはゲームの中の世界に早変わりし、買い物をすればそうびをしていくかと訊ねられる。そんな空想を巡らせながら生活していた。
部屋にはキャラクターもののポスターが所狭しと貼られ、棚にはフィギュアが並ぶ。ゲームソフトはぎっしりと隙間なく詰められ、漫画本も小説も、横積みにされて床に並べられている。ベッドですら安寧の地ではない。眠る前に読む恋愛小説が散らばり、彼女の母は大いに嘆いた。父が家族会議を開いたこともあった。それでも少女は顧みることなく生活していた。
人生が変わった時、彼女は歓喜した。喜び、飛び上がって手を叩いた。
「異世界トリップ!これこそが求めていたもの!」
監視カメラの仕掛けられた部屋で興奮を隠さない少女の姿は、幾人かの大人の失笑を買った。
異世界トリップの醍醐味とは何だろうか。少女は考える。異世界トリップの醍醐味とは、ファンタジー、イケメン、逆ハーレムである。彼女の中ではそう決まっていた。
世界の線を越えた自分は特別な存在なのだと確信し、少女はできるだけしおらしい態度をとりながら、獣のように周囲の品定めを行った。結果として、この世界は限りなく現代に近い、多少年代の遅れた、ちょっとだけファンタジーの混じった世界であるということがわかった。観察の結果などではなく、ただ単に少女の経緯とこの世界の常識を、スピードワゴン財団の職員が照らし合わせただけだった。
ファンタジーの世界。条件が一つ満ちた。次はイケメンだ。
少女は再びハイエナになった。
しかし、そううまく行くはずもない。ゲームや漫画の中の美男美女を基準とした少女の眼鏡に、そうそうかなう者はいない。道行く男女を舐めるように見ては失望し、現実の厳しさを思い知る。
そのはずだったが、運命はまたも彼女に味方した。
彼女がとんでもない輝かしさに包まれた男に出会ったのは、知らない世界にやって来てひと月が経った時だった。
スピードワゴン財団には、異世界からやって来た人間を保護した経験はない。注意深く経過を監督する為、未成年ということもあり、彼女は財団本部に併設された小さな居住空間で生活していた。食事も光熱も水道も、娯楽すら財団の財布に任せきりで、彼女自身は何もしていない。定期的に行われる事情聴取で仕事をしたつもりになって、のんびりと暮らしていた。
端正な顔立ちで長身で、スタイルの良い男は、そんな彼女とすれ違った。
暇つぶしに財団内を散歩していた少女は、外国語がわからない。
稲妻に打たれたがごとき衝撃が少女の身体に走ったが、日本語しか扱えない彼女は男に話しかけられても、ぼうっと男の顔を見上げるだけで何も言えなかった。笑顔を向けられると慣れていない頬がカッと熱くなり、もしかすると、という非現実的な想いが浮かび上がる。
もしかすると、これはフラグなのかもしれない。
男はたまに少女とすれ違い、少女は初めて見つけた『イケメン』の姿に拙い英語を筆記するようになった。日本語の通じる世話係の女に、かの男の素性を訊ねてみたりもした。世話係の女は少女を眺めながら考えたものだ。隠しきっているつもりでもすっかり露見してしまっている、少女の初めての恋だったのかもしれない。
初恋は無残に散った。これ以上ないほど、少女にとって屈辱的な終わりを迎えた。
ある程度親しくなった、と感じ始めた少女が、一つの質問を投げかけたことがきっかけだった。
「あの、恋人とかっているんですか?」
男は面食らい、まったく少女の好意に気づかないまま、それから照れくさそうに笑ったのだ。
「ああ」
男の名前はブチャラティと言い、恋人の名前はアバッキオと言うのだった。