K・K/原作前
K・Kはスティーブン・A・スターフェイズのことを少々気に食わなく思っているが、『嫌い』という表現は正しくない。相容れないわけでもない。
実力は認めているし、仲間でもある。彼は彼女にとって重要な人物で、評価は好い時も悪い時もまちまちだ。どちらかといえば下方で停滞するだけで、蛇蝎の如く厭いもしない。
人と人が心を持って付き合う限り、制御できようもない当然の揺らぎに収まっている。
ゆえに、どのような名前をつければ明確に感情を定義できるのかと考えを巡らせることは時間の無駄である。
そんなふうに、今日も今日とて涼しい顔をしている男を横目にため息をついた気がする。手には缶ジュースを持っていて、あの味は葡萄だった。
パトリックを訪ねたスティーブンが余り物を押しつけられたせいで、事務所にはぬるい缶がいくつもあった。冷蔵庫で冷やしきれないうちにやって来たK・Kは、なんとなく甘いものが飲みたくなってそれを手に取ったのだ。
そんな男の放った警告を思い出したが、K・Kが肩を貸すようにして支えた華奢な体躯からは、悪評とは程遠い清廉さが感じられた。
思わず名前を呼んでしまう。
「ミス・!しっかりして!」
彼女はこの支援者を書類上のバストアップ写真でしか見ておらず、直接顔を合わせたことはない。ミス・からすれば、教えてもない自分の名前を叫んだK・Kは不審人物だ。
しかし彼女は何も言わない。非日常的な痛みで朦朧とした瞳が、K・Kの顔に焦点を合わせようと何度も彷徨った。
肉の栓が抜けた赤色が、闘いを知る女の白い手と非力な女の柔らかなブラウスを染める。
痛みにうめく喘ぎ喘ぎの声で、ミス・は他人を思い遣った。
「こどもは。あの男の子は?」
胸を締めつけられる。
こちらの内情を探る動きはなく、金銭的な支援はたっぷりで、冷静な視点から考えても、助けられているのは牙狩り側だ。男は性格に難があると口にしたが、『友人』筆頭のクラウスは彼女に振り回されても嫌がっていないとも言った。そもそも、振り回されていると感じてもいないようだと。
極めつけに、この鮮血だ。
聞く限り、ミス・は事態を己の思うが儘に動かしたくとも、自分の身を傷つける選択はしない人物だった。治める地がある主は命の危機を良しとしない。引き際は見極める。
「あの子は無事よ。きちんと保護されたわ。あなたが守ったの」
K・Kは救急の搬送先を指定した。これから彼女が向かう予定だった病院である。彼女たちの活動に協力する友好的な一般病院には今、仲間の一人がいるはずだ。その人物は足を踏み外して階段から落ちた挙句、受け身を取り損ねて肩を強打するという、笑えばいいやら呆れればいいやらわからないドジをやってのけた。
異界の草花による花粉症疑惑で検査を受けるK・Kは、ついでに彼を笑ってやるつもりだった。
息せき切って待合室に現れた同僚に、スティーブンは目を丸くする。
どこにいるかなど伝えていなかったのに、よく見つけたものだ。
病院は広く、偶然か、約束か、『探そう』と思わなければ二人は会わなかっただろう。
あとは処方を待つだけであると説明すれば、K・Kは重苦しく囁いた。
「ミス・が撃たれた」
彼はこの不意打ちを受けても硬直せず、言葉を繰り返すよう求めることもなく、ただ疑問符を浮かべるばかりでもなかった。
(死んだか?)
様々なことが頭蓋の裏に映し出され、走馬灯のように廻る。
目まぐるしい回想。眩暈に似たそれ。
支援について。金について。遺志について。相続について。外国の領地について。義理の弟について。二面性について。聞くに堪えない傲慢について。二度と見たくない精神の裏側について。過去について。彼女と交流を結んでいたクラウスについて。
交わした友情の約束について。
永遠に遠ざかった友人について。
大義の前ではちっぽけだが、確実によぎった感情には愕然とせざるを得なかった。
あんなにも消えて欲しいと願い、本能と欲望に任せて動く性質は精神に悪く、合法的に滅せれば心から晴れやかな気分になれそうだと想像していた人物は、間違いなくスティーブンのかけがえのない友人だったのだと。
「今は治療を受けてる。軽いものだから、……もちろん医師の判断よ。……軽いものだから一時間もかからないって言ってたけど、『友人』のお見舞いには行けるの?」
続いた言葉には沈黙で返した。
K・Kが眉根を寄せる。
「聞いてる?」
「いや、聞い、……え?死んでないのかい?」
「不吉なこと言わないでよ」
冷ややかに叱られ、スティーブンは息を吐いた。
甘っちょろい考えに打ち震えて損をした。猛烈な損だ。頭の中で自分を蹴り飛ばして、もう一度階段から転げ落ちさせよう。
落ち着いて考えてみると馬鹿らしい。撃たれて死ぬような可愛い女なら苦労しないのだった。何故こんな単純な前提を忘れていたのか。
まだ随分と丸いらしい己に呆れてしまう。
あちらの治療もあることだ。今は薬用湿布を受け取って、後日また訪ねようと決める。
「教えてくれてありがとう、K・K」
しかし、なぜこの同僚がミス・の容態を把握しているのか。親しい仲だとは聞いていなかった。秘密裏に接触を図った顔でもない。
お互いに意識はしていなかったが、問答で場の空気を先導されることを嫌がったか、K・Kは相手が疑問の形に口を開く前に自然と言っていた。
「買い物の途中で彼女を見かけたの。顔はほら、知ってたから。少し追いかけるつもりで外に出たら、彼女は子供を連れていて」
「子供?」
頭に詰め込んである目録をずらずらと並べる。
スティーブンは、ミス・の家族を知っている。現在の家族だけでなく、家系図も辿れるところまで辿った。ついでに、支援はそのままにしてどうにか本体だけをライブラとクラウスから切り離せないか、の土地から領民から取引先から完勝の裁判記録から、病歴、友人関係、義弟の出生、と鍵か弱点になりそうなものを掻い摘んで探った結果、なぜか村内会で評判の菓子のレシピまで知ってしまっているのだが、『子供』の存在には思い当らない。
そして、『子供』とミス・の怪我がどう結びつくのかも、瞬きを一つしなければわからなかった。
「まさか庇ったのか?」
「ええ。一発目は外れて、二発目が当たった」
「子供は?」
「無傷よ。その子が言うには、ミス・は迷子になっていたその子を保護して、一緒に警察を待っていたみたい」
「放置しなかったんだな。子供の身元は?」
K・Kは、困ったように、怒ったように眉根を寄せた。
「フェリアルガ・ガッラーラの一人息子だったけど、……ねえ、あんた警戒しすぎなんじゃない?」
予想はできていたが、子供の正体は案の定、金を持つ人物が蝶よ花よと可愛がる、目に入れても痛くない存在だった。
「身を挺して子供の命を救ったんだ。充分な貸しになる」
心の中にちらとでも隙を作れば、他人をがんじがらめにして逃さない女に食われるのみ。子供に関しては情深くなる例の男親はミス・に大変な恩義を感じ、しばらくは要求を呑み続けるだろう。
狙撃させたのも、怪我をしたのも、いや、子供を街中で道に迷わせたのも、すべてがミス・の仕組んだ出来事ではないのか。
かなり酷いことを真剣に考え始めたスティーブンに、K・Kが新雪さながらの視線を向けた。
「あんた、友達なくすわよ」
「……これに関しては願ったりだなあ」
彼としても、好きで深読みしているのではない。
ミス・は舌打ち一つしなかった。
悲しそうに言う。
「大事な大事なお友達を失くしますわよ、スティーブン!」
「やったのかやってないのかだけ教えてくれ」
「スティーブン、わたくしが自分で自分を傷つけるとお思いか?ねえスティー、あっ無理。鳥肌。ミスター・スターフェイズな。ミスター・スターフェイズ。自傷行為は気持ちいいかもしれないが、私は好きじゃあない」
優しい草食動物の皮をかぶる努力を放り捨てていたミス・は、スティーブンに同行したK・Kにはきちんとした笑みを送った。朗らかなそれは、春か初夏の風に揺れる、緑豊かな草花を想わせる。
「あの時は励ましてくださってありがとうございました、奥さま」
一転して居住まいを正した彼女にたじろいだのもつかの間、落ち着いた声で紡がれた御礼に、ぴん、と警戒心を弾かれた。
見舞い人の視線が険しくなる。ミス・は、型通りの会話がなされないことを訝った。
「どうして彼女が既婚だと思うんだい?」
一見してわかるものか。話題としてもデリケートで、初対面の女性に投げかけるにはおかしい呼称だ。
知らぬ間に情報を探られていた可能性が大きく浮上する。調べようとすれば調べられるため、何事に対しても準備はしてあるが、この段階で唐突に間合いを詰めてきたのは大胆な主張だろうか?
――そちらが私を知っているなら、私もそちらを知っている。
そう言いたいのか。
子供、というキーワードが目の奥の深い部分を走る。
二人は睫毛一本たりとも動きを見逃さないよう注意して、ミス・が浮かべるかもしれない嘘や言い訳の欠片を探した。
探せば探すほど、ミス・が困惑してゆくのがわかった。
「なんだなんだ?待ちたまえよ君たち。いったい何なの?人を殺しそうなキレた目で見てくるんじゃあない。子供の頃から同じサイズの指輪を嵌め続けて大人になったせいで薬指だけが細いって見抜かれたわけでもあるまいに、指輪を外されたら既婚者かどうかなんてわからねえよ。世代が近そうな男女がいたらこういうジョークを言って場を暖めるんだよ。同じ組織の仲間でも、精神的に親しくなきゃわざわざ一緒に見舞いにゃあ来ない。もっともお二人はきちんとしてらっしゃいますから、公は公、私は私、なのかもしれませんがね。アッハッハ、仕事って大変だア!私みたいなちょーっぴり有力な支援者が怪我をしたって知ってるのに、『友人代表』のスターフェイズくんと『発見者代表』のミセス、 ミス、ミズ、……あああ面倒だな!!」
ミス・の機嫌が急降下した。感情が乱れた時にこそ本性が垣間見える。目を凝らしたが、K・Kの感覚器官に陰湿な欺瞞の陰は引っかからなかった。
「まあいい。おたくらがいらっしゃらなかったらわたくしは確実にミスター・ラインヘルツに文句をぶち込んでるからね。来ないわけにはいかない。だが壊滅的に仲が悪いならわざわざ時間を合わせて同時に来るなんてこたァしなくてもいい。一緒にいられるならこういう軽快なジョークで和ませられるかと思ったんだが、世も末ですわね。私の善意は悉く無視される。ジョークを言ったら敵扱い!子供を助けたら自演扱い!こんなむごい仕打ち、わたくしじゃなかったら泣いてしまって名誉棄損で訴訟モノだ。アッハッハッハ!悲しい!悲しいなあ!!」
悲しがっている人間から出る声がこれである。
ひとしきり笑ったミス・は、怪我に響いたのか僅かに半身を引いた。噛み締めた歯の隙間から、細い呻き声が漏れた。
K・Kは自責の念に駆られる。
ミス・は小さな子供を守った。
所々、わざと神経を逆なでする発言が織り交ぜられても、この事実は不変だ。傷を負う覚悟を決め、否、あの音速の一瞬に覚悟を決めるだけの余裕があったとは思えない。生来の性質は言動ほど傲慢ではないのだろう。ミス・は誰かを守れる人間なのだ。見せかけの清楚さと温和な平和主義者の皮は、すべてが作り物ではないのかもしれない。
突如として訪れた沈黙に、ミス・は眉の曲線を片方だけ歪めた。
「あらら、どうなさったのよ。さっきのように疑いの目でご覧あれ。そう簡単に人を信用するなァいただけない。そう、大事なものを見落とすかも知れませんもの。共通点があれば、大切なものがあれば味方か?害がないか?ノットクズ?エネミーじゃない?アッハッハ、私は味方だがクズだ。そしてクズだが害はない。しかしおそらく、私がミスター・ラインヘルツとミスター・スターフェイズの友人ではなくおたくらに支援しておらず、そうだ、たとえばビビッドヤタガラスファミリーと仲良くしていたら、おたくの目の前で子供を助けて撃たれてもこうはならない」
ミス・はK・Kを視線で指した。
「『良い人だなあ』『どこの誰だ?』『おいおい、ビビッドヤタガラスの協力者だ!』『危険因子じゃないか』……そしてさっきのような疑問と結論に至るワケだよ。自作自演?子供を巻き込んだ盛大な、きったない雑巾汁みたいな思惑が働いてる?ハハン!しかしそれが正しい反応、正しい判断だ。だから見失うべきじゃあない。正当だと思うさ。素晴らしい!手を叩いて拍手だ!ジョークについては納得してないがな。ちなみにミスター・スターフェイズ。今のは作為的なわざとだから指摘して突っ込むんじゃあないぜ」
いちいち鼻につく女、ミス・は自分が周囲からどう見られているか、客観的な意見を記したカードをずらりと並べるように二本の指先で宙を薙いだ。男女の視線が指を追い、病院着に包まれる腕を伝って本体の顔に戻る。
「友人は裏切る。仲間も裏切る。努力も夢も希望も裏切る。たとえばァ、あー、思いつかない。鎮痛剤の効きが悪くてね。鈍く痛むんだ」
傷ついていない側の手が突き出される。
催促され、スティーブンはミネラルウォーターのボトルを渡した。
持ち上げるように投げられ宙を舞ったボトルは、片手で蓋を開けられる仕組みだ。
彼女は静かに喉を潤した。
長台詞が繰り出されるのだと確信する。
そんな、ある種の期待は裏切られた。
「子供を庇う行為と、そいつがおたくらか、どこぞのギャングか、国家の陰謀か、はたまた全世界の敵か、あるいは『自分の子供』以外にはお子ちゃま相手でも冷酷になれるマーダーじゃあない保証はどう結びつくやらと思うのですわよわたくしは。そちらさまもお考えになったことでしょうけどね」
だからこの程度で同情を寄せ、親近感を抱くのは危険であると言いたいのだった。
言葉はそれきり続かず、耳から滑り込んで脳みそをかき回し不快感を残す奔流に備えて深く息を吸い込んでいたスティーブンは、中途半端に切れた声に返事をしなかった。まだ先があると思ったのだ。
ミス・は無視して頭を振った。
「せっかく同情したのにね。時間と心の隙間を無駄遣いさせっちまったわ!お見舞いに来てくださったのにご免なさいねえ。嫌な気分になりましたでしょう?わたくしも、心配して駆けつけてくれたと思った『お友達』がまさか怪我人の自作自演を疑っていたと知ってとても傷つきましたのよ。義弟どのなら泣いてるぜ。平気な顔して、あとで枕を濡らすタイプだ。可愛いやつだよ。さっきも電話して来てね。『アレ』は私が大好きだから声を震わせてた。オトモダチにこんなことされちゃあ、そうなっちまうよねえー。わたくしで良かったですわね。ええ、わたくしで。ミス・はクズ扱いに慣れているし!アッハッハッハ!可哀想なミス・!……ジョークについては納得してないがな!」
ギリギリ持ちこたえていた精神はこの締めくくりで決壊した。
スティーブンもK・Kも、ミス・の心に手酷く斬りかかった負い目があるが、彼女は最後の最後に噛み殺した透き通る笑いを返事とした。畔のような声音とは正反対の厭らしさが滲む。
K・Kの胸に戸惑いが戻った。
一連のこれは『目には目を』と言いたかったのか。それにしては忠告じみた内容だ。ミス・が己を偽悪的に貶めてまで何を伝えたかったのかがわからない。
――誰かにとって良いことをする人間が、誰にとっても善い人間であるとは限らない。
――誰かにとって最悪なことをする人間が、誰にとっても最悪な人間であるとは限らない。
言われなくとも、成長するにつれて人はこの理不尽さを知るだろう。彼女ももちろん知っていた。
これが本題だとは理解できる。傲岸な口ぶりでちくちくと攻撃され、良心の呵責から警戒を緩めようとしたK・Kへの制止であるらしい。
「あなたは私に警告しているのかしら」
「警告してなんの得がある?奥さん、おたくはまだ私を気持ち良くできない。ミスター・スターフェイズやミスター・ラインヘルツのように私をもてはやしてくださるとは到底……、ですわよね?」
「僕がやりたくてやってるんだと勘違いさせないでくれよ」
「ああもちろん!わたくしがやらせているんだよ!金でなァ!!アッハッハ!最近は手抜きが多いから気をつけようね!」
褒める部位は探せばいくらでも見出せるのだが、態度が原因でやる気が遠ざかるのだ。
気が向いた『支援者』からランチに誘われる時は大抵、良い具合の隙間時間が狙い撃ちされるために行かざるを得なくなる。そしてそういう日は、長くも短くもない時間のためにわざわざ『支援者』の呪縛から逃れられる恰好へ着替える手間は惜しみ、自ら『業務』という名前の苦行に挑みかかるのだが、隣でクラウスが丁重に友人と交流を重ねる様を見て、スティーブンは搾り出す褒め言葉とクオリティの高い昼食の味に気分を疲れさせられるのだった。胃痛はリーダーの専売特許であるはずが、どうしてこうなったのだろうか。
男の思考は横へ逸れた。
ミス・は、じっとK・Kの顔を見つめてから、何も知らなかった数年前にスティーブンやクラウスに向けたものとそっくりな、純粋さに一つまみの悪戯っぽさを散りばめた微笑みを浮かべた。
「私は楽しく生きたいのですわ、ミズ。気持ちよく、楽しくね。その人生設計に『借り』は不必要でしてね。あなたが1ポイントを0にして、私が1ポイントを足して1に戻る。これでまっさらな状態にいたしましょう」
「……何の話をしているの?私はあなたに貸しを作った憶えはないけど……」
支援者の名簿に連ねられるまで、K・Kはミス・の名前も姿も知らなかった。
「だろうとも!だがかなり前、確かに義弟がおたくに助けられたそうでね。わたくしなりに素性を調べて、いつか借りを返そうと思っておりましたの。ふふ、良い機会でしたわ。ちょっとしたお話で済んだのもまた素晴らしい。いざとなったら金しかないが、義弟の命に値段をつけるのも忍びないですものね!」
それは警告とも忠告とも異なる意味を持つ。
一方的な授業料、と呼べばいささかなりとも真意に近づけるだろうか。
「君の弟の命は『ちょっとした』お話と等価なのかい?」
「なんだ、足りないって?金を出さないだけ今日の私はマトモだと思うぞ。それからあの子は『義弟』どのだ」
K・Kが首を傾げる。
「名前では呼ばないの?」
「呼びませんわ」
「……面と向かっていても?」
「ええもちろん」
「じゃあどう呼びかけてるの?」
「知らない血なんだから、『義弟どの』に決まってる」
「呼び方はともかく、君はいちいち一言多いな」
人としてどうなんだ。スティーブンの疲労は色濃い。ミス・は家庭内の傷を抉っては楽しんでいるのだろう。身近に置く彼女は150ラドのリアクターだ。
家の事情を垣間見たK・Kは、糸が絡むような複雑にこじれた人間関係よりは穏便そうだと感じた。両者ともに合意の上であるように思える。
特に批難せず、「凄いわね」と感想を述べるだけで話を元に戻そうとした。
「……それで、貸し借りのことね。私は『貸した』つもりはなかったわ。だから、ミス・。あなたは初めから私に『借り』なんて……」
「待つんだ、K・K!」
「はっ!?何よ!?」
物凄い剣幕のスティーブンに鋭く制止され反射的に喧嘩腰になったK・Kだったが、男の只ならぬ様子にゆるりと状況を理解する。二人は目を合わせただけで、互いの言わんとすることを悟った。
割り込むように、猫なで声が可愛らしく奏でられる。
「あれえ?どうしてやめてしまわれるの?どうぞ最後まで仰って!おたくは私に貸しちゃあいなかった。っつうこたあもともと私たちは0だった?へええ!そう!じゃあ今回の『あらぬ疑い』でおたくたちはマイナス……、本当は2にしたいけど友情割引だよ。アッハッハ!おたくはマイナス1。フレンドシップは美しきかな!わたくしは今のお話でプラス1。アッハッハッハ!さてさてどっちが大きい?」
ミス・はご機嫌で、甘ったるい口調はまるですべてがこの瞬間に繋げるための布石であったかのように得意げだ。
細い人差し指と中指がV字を作る。ミス・は、その指で無責任に幸運を祈った。
「……やっちゃったみたいね」
「プラス1とマイナス1ならまだマシだよ。僕は考察に苦しむが、一応は彼女にも貸借の基準があるようだから何とかなるさ」
「さすが、『握られてるお友達』の言うことは違うわー」
ここに犠牲者がまた一人。
スティーブンは、仲間の名前を頭の中に並べて考えた。
全員が巻き込まれる事態だけは避けたいが、もはや時間の問題だと気づいてもいる。
生ける凶兆は男の視線を掴まえて、わざとらしく目を細めた。
「じゃ、私はこれから所用があるんでね。どうもありがとうお世話様。ミスター・ラインヘルツによろしく」
「ミス・!もう動けるの?」
「痛いだけで重傷じゃあない。オーケーは出てる。フラワーアレンジメントくらいは自分でやりたいじゃないか」
「フラワーアレンジメント?」
「Yes。それでは、帰り道に撃たれないようにね!痛いぞォーこれは。あ、知ってるかあ!アッハッハッハ!」
ミス・は階段の前で二人に向かって、無事な側の手で出口の方角を指さした。手のひらを握って開いて、こう言い残す。
「末永くお幸せに!」
病院着の背中が見えなくなったあと、K・Kはスティーブンの肩を思い切りどついた。