ザップ・レンフロ/原作前
紫煙をくゆらせたザップは、煙の行く先を何の気なしに目で追った。
風にたなびき空気に消える香りが、夜の闇と眠らないネオンサインの境界を越える。
見上げた大きな看板は、お世辞にも上品とは言えない。強烈に照らされるせいで、つまらない謳い文句まで読んでしまった。
その建物の陰に公園がある。
道に面してはいても、無遠慮な明かりからは隔絶された空間のようで、予定もない彼は気まぐれに缶の酒を三本買う。
公園には先客がいた。
ビニール袋を手にぶら下げて行くと、円形の石の椅子に腰を下ろす人が見える。遠目でも女とわかる体格だ。
誘いをかけるか無視するかの二択に迷う。
ビニール袋の擦れる音と足音、人の気配に気がついた先客は首をめぐらせ、ザップに顔を向けた。逆光でわかりづらかったが、顔貌は決して忘れられないそれと同じだ。
ミス・は柔らかく微笑んだ。
「こんばんは。奇遇だね、ザップ・レンフロくん」
「あー……。どーも、さん。ホント奇遇っすね」
顔を見て挨拶してしまった以上、そそくさとこの場を離れるわけにはいかない。ザップとミス・の間には、二重の関係があるのだ。
彼は彼女に金を借りている。
正しくは、彼が金を借りた人物がミス・の知り合いの知り合いだった。
蜘蛛の巣のように張り巡らされた糸は、興味本位で近づいた人間を絡め取って離さない。食らいつくし、養分にするまでは絶対に。
知り合いの知り合いがザップに貸した金を、ミス・はザップの代わりに返済した。これによって青年の借用書は一部が書き換わり、貸し元に女の名前が記された。
結構な額だった。
嫌な顔をしてもいられない。振り返ると、自分の発言もまずかった。
――さん、金持ってんっすよねー。どーにかしてくださいよぉー。
四割の本気と六割の冗談は、翌日の報告として事務所で口にしたところ、友人のとんでもなさとえげつない性格とそれを裏打ちしてしまう有無を言わさない資産を知る副官によって『馬鹿かお前は』と声を荒げて非難された。
言ったあの時は、スティーブンとチェインが揃って首を振る人物のことを、彼は本当には理解できていなかったのだ。男のように長年の付き合いがあるわけでもなく、同僚のように姿を隠して偵察、プラス対面したわけでもない。
どれだけ醜い本性の女なのか、己で見極めてやるような好奇心にまみれた心持ちがあった。
ついでに、あわよくば弱みでも握りたいものだと考えたのだろう。
刻んで潰した特別なものを押し込んだ煙草を三本吸っていた深夜が初対面だった。ザップはぼんやりして、陽気だった。
微笑んだミス・は話しやすく、ザップが下心でぐちゃぐちゃな友情を求めると素直な柔らかい表情で喜んだ。友情の証か、彼女は初めての出会いで、べろべろになるまで飲めや吸ったやのザップの飲食代をすべて支払った。
宵を越す街で親しげにスキンシップを重ねても嫌がらない。それどころか、満更でもなさそうに嬉しげな顔をする。
(お?簡単じゃねーか?)
親切すぎると気味が悪く感じるが、彼女のやり方は嫌味にならない、押し付けがましくないものだ。
ぽっと恥じらう顔の背け方も自然で、言うなれば、深窓のご令嬢がアプローチをかけられてどう答えれば良いかあたふたしているような初々しさがある。年齢がいくつだかは敢えて訊ねなかったが、容姿は瑞々しいし、ライブラの副官よりはリーダーに近い若さに違いない。
いけそうな気がした。色んな意味で。
歩きながらミス・を抱き寄せ、六本目の煙草を密室で吸った。彼女にも勧めてみたが、喉が渇いたとコーヒーを淹れる合間に手に取っただけで、火をつけずザップに返された。
例の、四対六の割合で口走った要求は飲食店で愚痴ったものであり、この部屋に言葉は必要なかった。
「ザップ・レンフロくん。もう話したっけかしらね?私には義理の弟がいるんだ」
「言ってたっけ?」
「さあ?私も憶えてない。とにかく、いる。心優しくて虫も殺さないような子でね。誰の胎から生まれたのかは知らないが、向いていないと思うのよ」
口調は子守唄のようだが、顔をしかめるべき言い方だ。彼女のイメージが谷底に転落する表現だった。
ミス・はザップにコーヒーを勧め、自分はベッドの横に立ったままゆったりとカップを揺らした。動きが遅く見え、ザップの視界の残像がぶれる。
「私はを誰かに渡すつもりはない。勘違いしないでいただきたいのは、『渡す』つもりはなくとも『譲る』気はあるということだね。次代へ継がせるのは当たり前だ。そこで問題になるのは私だ。あ、眠い?大丈夫か。長い話じゃあないわ」
「じゅうぶん、なげえよ」
「ごめんあそばせ。じゃあ結論だけ言おう。万が一があると困るから、ザップ・レンフロくんにはこのまま眠っていただきたく存じまする。宿泊代は払っておくよ。それからおたくの頭痛の種にもね。フッ、フフ。種か。消えちゃったら寂しくなるぞぉ。引き換えに頭痛の球根を植えてあげよう!寂しくないように。あー、清いね!一緒に飲めるし、手助けはするし!清いお友達ができて嬉しいわー!アッハッハ!」
笑い声がきいんと耳の奥に突き刺さる。
部屋の明かりが落とされ、起き上がったザップは、自分がいつの間にか七本目の煙草に手を出していたと気がついた。舌の奥に独特の苦味が残る。
この異界の草は良くねえな、と呟くが、彼の頭はまだしっかりと覚醒してはいなかった。
ライブラ副官が同情と呆れを浮かべたのを見て、ザップは唇を引き結んだ。
「本当にに借金の肩代わりを頼んだのか?」
「頼ん、ではいない……っすけど……」
頼んだと取れる言い方だった。
だからミス・は金を払うと約束したのだ。ポイントカードのスタンプ欲しさに、パンを一つ買って友人に食べさせるのと同じように。
「しかも、命知らずな真似まで」
歯切れの悪いザップから記憶の限りの子細を聞き出し、スティーブンはミス・の『羊っぷり』に辟易した。彼女の外面は人から好かれる。異界の慣れない若草で前後不覚に陥りかける青年に酒とカフェインを含ませ、うまく付け入る隙を探して見事に引き当てるようには絶対に見えない。
ザップがライブラの一員だと知っていたのだろうか。
スティーブンもクラウスもチェインも、ザップの情報は漏らしていないはずだが。
左も右もごっちゃになったザップの証言を信じると、ミス・の発言はどうとでも取れる。
「ここのことは言ってないな?」
「ライブラっすか?たぶん言ってないっすよ」
「そうか」
どちらにせよ、彼女はザップ・レンフロを個人として支配しようとする。そのほうがザップには効果的だからだ。そして、借金問題なんぞ、活動に実害がなければ当事者たちに任せるに決まっている。対象が多ければ多いほど攻撃力や頻度は分散されるのだから好都合ですらある。意図せず人柱を立ててしまった。
「もし。もーし、言っちまってたらどうしましょうかね」
「どうされたいんだ?」
「……優しくされたいっす」
「そうだな、僕も優しくしてやりたいよ。できることならな」
真面目な顔に憐憫が重なって見える。
ザップは窓の外へ目を向けた。
一筋縄ではいかない相手であるのは間違いない。
演技が上手く、人の輪に溶け込むのも得意で、リーダーと副官の友人としてやっていく能力もある。懐の暖かさは焚火が如し。下卑た趣味があるのか、自分本位に他人を動かす手段は問わない。傲慢な目的の為に利用できるものはすべてが彼女の踏み台だ。
大勢の敵がいるとして、『友人』でさえも時が来れば容赦なく己の背を刺すと知りながら、何をも恐れることがない。
見習うべき図太さだ。
だが所詮は非力な女である。
どれほどの手下や仲間を有するのかは知らないが、考えてみればミス・は外国のマイナー過ぎる辺境出身。アメリカには一時、紐育が組み替えられる前に遊学に訪れていたと副官からちらりと聞いたが、再びの長期滞在を始めたのはヘルサレムズ・ロットと名を変えた後だ。あれから多少の月日が経っていても、時おり自領に帰る彼女とビヨンドとの結びつきは脅威なほどだろうか。
のらりくらりと紙一重で躱して逃れてきた自分なら、今回も借金を踏み倒せるとザップは見込んだ。
否、踏み倒さなくても、要は支払わなければ良いわけで、連帯保証人として他の誰かを捏造するのも悪くない。巧みに成せば成るだろう。
ザップ・レンフロだって、色々と方法を知っている。
下種そうな計画を見透かしたように、スティーブン・A・スターフェイズが目を細めた。
「お前なら勝てそうな気がしてきた」
一番しがらみのない青年であるからして。
排気された空気は公園に届くまでに薄れてしまうようで、風は比較的澄んでいた。
督促をしない貸主は、挨拶を終えるとザップから目を逸らした。
「ここは物思いに耽るには最適な場所じゃあないかな。思わぬ出会いもあって縁起がいいや。今日はもう上がり?」
「やることはやったんで。……吸っていいスか?」
「どうぞ。ところで喫煙はいつから?ベンツが買えそうだ。だが車を買うと上司の新たなアシにされちゃうかもね。図体が収まるかもちょぉっと不安だ」
青年が煙草の箱を出すと、女はこだわりなく許可を下ろした。
火をつけてから、早々と逃げる為に『仕事上がりではない』と答えていたらどうなっていたのか、思い至って口角を下げる。逃げ道は崖に続いただろう。
風下へ煙が流れる。
ミス・は煙草の火を見つめた。おっとりとした瞳は、ザップに見惚れているようにも見えた。
「ザップ・レンフロくん。よければ私にも煙草を見せていただけないかしら。義弟どのも私も煙草をやらないもので馴染みがないんだ。片田舎と都会では人気の銘柄が違うんじゃないかしらと興味を持っているのよ」
柔らかな声だ。
こういう時にこそ気をつけなければならない。
挑発的な目を向けられた彼女は、思い出したようにハンドバッグから財布を取り出した。一箱の値段を訊かれ、ザップは盛りに盛って答える。本数で割った金額を渡された。
だがザップは突き返した。
買えとは一言も言っていない。女が勝手に財布を取り出したのだ。煙草一本のはした金でけち臭くなるつもりはない。そういうポーズを取った。
ミス・が支払いを諦めるか諦めないかで、ザップの今後の行動が決まる。
諦めるようなら融通がきく。相手の意見と自分の損得を照らし合わせて考え、状況に応じて柔軟に対処するはずだ。
諦めなければ、頑なだ。煙草一本ぶんも他人からの恩と借りを許さない。どこで足をすくわれるか、常に警戒している。
ミス・は困った顔でザップを見上げた。男ならば誰でも守ってやりたくなる手弱女だ。
彼女は財布をしまった。
「『払おうか?』『結構です』……となると、断ったほうの顔を立てて引っ込めてやるのが大人ってやつだ。断ったのはそちらだからね」
か弱そうな面はどこへやら。
機嫌が急降下したが、ザップは箱ごと一本、差し出した。頭の飛び出たそれを引き抜いたミス・は不慣れな手つきだ。
「シガレットキスというのをやってみたいんだけど、簡単?」
「……いくら払います?」
「まあ!ザップ・レンフロくんは金で買えるの?こんな女でも買えちゃうのね!いくらで身を売りたいのか、逆に教えていただける?」
金額を提示すればミス・は財布の紐を引きちぎる。そして今後、無尽蔵な金を湯水の様に使う彼女はそれを持ち出して彼に値段をつけるのだ。
国家予算も尻尾を巻いて逃げ出す数字を吹っかけてやろうと口を開く。
ミス・が早かった。
「そうだねえ、値段なんてつけづらいわ。二秒迷ったらやめたほうが良いから、遊びは無しにしよう。フッフゥ!惜しい!じゃ、借金三分の一で買うから火を貸してくれ」
女相手であるのにとりあえず五発殴ってしまいたい、路地裏の不快なカツアゲジャンキーへの感覚と似た苛立ちはどこから湧き上がるのか。同属嫌悪とは違うと内心で断言した。
服を探ったが、あるのは愛用のライターだけだ。
見かけは厳つくロックに改造したジッポ。
大部分を握り込んで隠してしまえば、指の形に合わせた凹凸もライターらしからぬ鋭さも見えなくなる。
女は二度三度とザップから気の短い指南を受けてようやく先端に火を移らせ、吸った息を喉に詰まらせて咳き込んだ。
「向かねえな」
「そのようだ。ところでそのライター、格好いいね。ジッポにゃロマンが詰まってる。どれどれ、ちょっと見せてくださらない?ありがとう」
「まだ何も言ってねえよ」
「ザップ・レンフロくんはわたくしの今日のラッキーナンバーをご存知でいらっしゃるかしら」
「は?」
「利率は私の思いのままだっつってんだ。減るもんじゃあないだろう、女学生のスクラップブックでもあるまいによ。スクラップブックも見せたって減らんがね。それとも渡せない理由があるのかにゃー?にゃんだろにゃー。お仕事に関わるのかにゃー。人に渡してしまうと危にゃいよにゃー」
喉の奥にびりっと警戒が弾ける。
そういえばザップは、『自分の仕事』はイコール『ライブラにおけるもの』と自然と考え聞き流していたが、女は先ほど『ライブラの支援者』という立場からザップに上がりか上がりではないかを問うた。だからザップは『上がりではない』と答えた時にどうなったか、そら寒い感覚を覚えたのだ。彼女が損益貸与利害関係にある人間を、上位からどう扱うかを聞き及んでいたために。
ミス・はザップの所属を知っている。
青年は舌打ちした。大事な部分を逃す、彼とも思えぬうっかりである。
優しげな口調も丁寧な言葉選びも放り捨てた女は手を叩いて笑った。
「アッハッハッハッハ!最高に良い顔してるぜ、ザップ・レンフロくん!警戒しなさるなご心配召されるな。正直に言うとそのあたりはどーっでもいい。大切なのはこのわたくしが君のライターを拝見したいということだよ。たとえかよわァいわたくしがライターを害そうとして全力で遠くへ投げてもザップ・レンフロくんは取り戻せるでございましょう?アッハッハ!グチャグチャに踏み壊すつもりもない。だから言ってる。基本的にわたくしはご迷惑をおかけするつもりはないんだ、ってね。なあそうだろ!?今までに私がおたくらの損失を生んだことがあるかい?得ばっかりだ!支援金は払ってる。金以外に何が欲しいんだ?愛か?ンなもんは枕元で男か女に囁いて貰いたまえ。ハハッ!平穏じゃあないか。誰の損にもなってない。ライター一つで支援者の機嫌を保てるんだから、三十秒くらいは我慢おしよ。無くたってどうにでもなる」
「テメー、最初から」
「同格あるいは下々にならともかく、ミスター・ラインヘルツとミスター・スターフェイズに対して使えない呼称でわたくしを呼ぶのはどうなのォ。私を『テメー』と呼んで良いのは私だけ!『手前勝手な話ですが』って前置きをする時限定だぜ。そして私は手前勝手な話まみれだから前置きはしない」
ミス・は息継ぎをした。
「さあ、チャキチャキ終わらせよう!ンンッ、実はおたくも気になっているかもしれないしね。『可愛い可愛いミス・は普通の人間か?もしかして』……『もしかして特殊だったりして』?……たとえばこいつはただのクズに違いないけれど?もしかすると牙狩りさまがたの敵やライブラの敵や超常現象に深く知るところが!アッハッハッハッハ!あったりしたりしなかったりしちゃったりらじばんだりして!?」
この女に一発当て身を食らわせて担いで連行するべきだとザップは思った。
「貸してくれたら、わかりきった答えを差し上げよう」
愛用の道具を他人に渡す苦痛は計り知れない。
ザップは、ライターと己の指とを細い血の糸で繋いだ。そうしてから放り投げる。ミス・は運動が得意ではない、たどたどしく、危うい動きで受け止めた。冷静な観察眼で見抜くと、演技ではなかった。
目の高さにライターを掲げた女の感動を、糸越しの小刻みな震えで感じ取る。柔らかな笑みだけを刻むと信じ込まれる整った唇が歓喜で弧を描く。夜の背景に浮かび上がるミス・は、今にも哄笑しそうだった。
実際に、した。
「アハッ、ハッ、ハッハ、ハハハハ!カッコイイー!フハハ!んんっ、気持ちいいっああー!これ。これだよ。皇ちゃんのときも相当だったがね、これか!これがザップ・レンフロくんか!凄いぞ!これだよォ!アーッハッハッハ!」
地面に倒れて転げ回るのではないかと、一歩後ずさる。
(きっもちわりィー……。この女、狂ってんじゃねえのか……)
クズを通り越して狂人だ。なぜこれを友人にしておけるのか、さしものザップにも上司二人が理解できない。副官のほうは縁切りの最中かもしれないが、リーダーにはその気は皆無だ。彼と彼女が『旧友』であっても、クズっぷりを目の前で披露されたとしても、真実を理解できていないとしか思えない。
そうだ。暴露された本性の程度が桁違いに低かったとしか考えられない。
でなければ誰だってこの女をはめ殺しの窓に鉄柵がついた檻にぶち込みたくなる。
そうすると、副官もこの狂気を知らない可能性が出てくる。『皇ちゃんのときも相当だった』という発言を聞くと、寒気を共有できるのは犬猿の仲と称される人狼のみらしい。
なぜザップと彼女の前では、こんなにも嬉しそうなのか。
ザップは愛用のライターを渡した。
チェインもまた、彼女自身が『歩く特殊能力』である。
彼は女からライターを取り上げた。
「三十秒経ったぜ」
「残念だ。時間ってのが人によって流れる速さが違うっつう話が私の中で立証されちまった。でも気持ちよかったなあ!ザップ・レンフロくん、ありがとう。では回答。わたくしは無力な人間ですわ。価値しか無いが価値は無い。オマケでもう一つ。大喜びしたのは、見てみたかったものが見られたからさ。嬉しかったなァ。戦う男、燃えるロマン!誰かがそれをやらねばならぬ!……なっ?期待の人がおたくらならば、その期待の一端を拝みたくなるのは家の人間としては当然じゃあないかね?アダルトビデオコーナーのタイトルもジャケットもない黒いビデオが気になるのと同じだ。だがおたくたちには黒パッケージが仕切りだなんて落胆はない。ちゃーんと裏ビデオが入ってるのさ」
ザップが黙りこくっていると、ミス・が怪訝がった。
「え?仕切りって知らなかったっての?」
「意味不明過ぎて耳からすり抜けてんだよ」
「いや、だからあれァ仕切りなんだよ」
「そっちじゃねーよ」
彼女は牙狩り関連に支援を行なっている者であり、何かしらの情報を持っていても渋々頷ける。だがザップがライブラであると知る理由と、ピンポイントでライターを狙った理由は説明されねば納得できない。狂喜乱舞したのは『知っている』からに他ならないというのに。
しびれを切らして凄んだザップに、肩をすくめる。
「地球には3794の謎があると言われているけど、3793にしてあげよう。先日、ミスター・スターフェイズを『アイスノン』やら『冷凍庫』やら『永久凍土』やら『ツンドラ』やら呼んでみたら五回躱してから本気で問い詰められてね。だってスマホの『恋の属性分け占い』ってアプリで見たら『情熱の氷!恋は身近に!?』って出てたんだ。私ァ悪くねえよ。開発者が悪い。怒られる謂れがねえから目の前でやって見せたらミスター・ラインヘルツはめちゃめちゃ感心してたよ。ミスター・スターフェイズは私を車道に蹴り飛ばしそうな顔してやがった。契りを交わした友人を」
「……んじゃー、いつ俺を占った?」
「『占ったんですか?』でしょ!お兄さんがくうくう可愛く眠ってる間だよ。殺気がありゃあ起きるんだとしても、シャッター音は殺気じゃあない。フフッ、可愛い寝顔は私のスマホとクラウドの中だ。義弟どのにも送ったかな。ほら、ご覧に入れよう。ザップ・レンフロくん、イチタスイチは、Say cheese!」
あらゆる気力を失って表情筋が死んだ瞬間が切り取られた。
光る画面に目を眇める。ラブリーなフレームに疲労した顔が映って、雲型のふきだしで『押せ押せファイヤー!相手が鈍ちんでもいつか届くよ!頑張って!』とあった。恋愛診断系のアプリである。当然、恋愛についてのアドバイスだ。様々な意味でザップを苛つかせる結果だった。
「ね、ミスター・ファイヤー。このアプリには偶然でもミスター・スターフェイズのやつを当てた実績がある!ま、さ、か、おたくが正義の味方たぁ知らずに記念のつもりで撮った写真だが役立ちそうだ。着火となると火打ち石かマッチかライター?んでおたく、煙草の火はライターでつけてたし、お見せなさい!と命じたわたくしに……、ほら?」
クズは不思議な生き物だ。相手の嫌がる様や抵抗の素振りを人一倍見逃さない。
瞳の翳りだけで、瞬きの回数が一つ増えただけで、ミス・は察知する。
似た類のザップのセンサーも敏感だ。
「一般車に収まらないガタイの上司なんざ、ヘルサレムズ・ロットにァ溢れかえってる。だけれどだけど、わたくしは偉い友人がいるものですから!?人間は物事を都合良く考えたがる。加えて、ライターを出し渋るのは仕事関係だからかと訊ねたらすっごォく怖い顔をした。おおっとこりゃお察しだァ!お仕事関連の大事なモノにゃんだよにゃー。ミスター・上司たちの名前を出しても否定しなかったですしー?フフッ。推理が当たった探偵の悦び。気持ちいい!ザップ・レンフロくんの装備!アッハッハ!気持ちいい!改めて安心しおし。ただ見たかったの。私は面白く生きたいんだ。見たけりゃあ探す。機会は作る。欲しいなら手に入れる。おかしいですかしら。学生が恋をして想い人の好物を探る。好みに近づこうと努力する。たった一枚の絆創膏が欲しくてわざと転ぶ。私も吸いたくねえ煙草を吸った。恋する学生と私の何が違うとおっしゃる!クズさか!クズだからか!アッハッハッ!フハッフハッ!ごもっとも!」
「精神を守る為に耳が仕事して半分以上聞き取れねえのに虫唾が走ってゲロ吐きそう」
この女はザップ・レンフロにかまをかけて上手を行こうとした。人生を謳歌していそうな顔に初対面で見た柔らかさが差す瞬間はなく、そのたびにザップは激しく安堵する。
(マジで、食わなくて、良かった……)
粘ついた汚点と穢れと暗雲がザップの全身を侵食するかどうかの分岐点だった。経緯はどうあれ、結果はザップの勝利だ。今の彼ならコイントスで洩れなく五度は勝てる。
このタイプの人間は、自尊心と謎の確信に満ち溢れて傲慢だ。思い通りではない現実をぶつければ完膚なきまでに打ちのめされ、抜け殻になる。ザップはそう睨んでいる。悲嘆に暮れようと、平時の行いが行いなだけに、助けに駆けつける者もいまい。
否、確実に一人いるが。それも、最も強靭な男だが。
それさえ無ければ、非道な意味では、青年は機会を逃したと言えなくもない。
しかし、自分第一。チャンスがあっても彼は廃棄して塩を撒く。
「にしても、私たちは良い待ち合わせ場所を見つけたね。次からはここで逢い引きと洒落込もうぜ。待ってる私に暴漢を差し向けるなんて裏切りはやめておくれよ」
「……するワケないじゃないっすかマジでー。物騒なこと言わないでくださいよ、さん!俺たち一緒に飲んだ仲っすよね」
「ええそうね!わたくしが奢ったわね!友情の証だ!」
ピースサインが目に毒だ。
「会うのはザップ・レンフロくんが私に金を返す時か、私がザップ・レンフロくんを呼んだ時だけだ。ハハッ!秘密の取引のようでワクワクするね!汚職と猥褻にどっぷりなやつら以外とやってみたかったんだ!繰り返すが、無力な女相手におかしなことは考えるなよ。待ち合わせの時間はラインヘルツさまとのディナーの前後かもしれない」
「まあ、空腹状態でダチを背後に庇ってても旦那は旦那だわな」
「アーハハハハ!虎の威を借る狐!」
「アンタ自分で言うのかよ」
地続きの道へ立ち去る背中を、ザップは追わなかった。ミス・は手も振らず、じっと見つめられていると知らない素振りで遠ざかり、角を曲がった。
段飛ばしで階段を下りたザップは、少し離れて立ち止まる。
振り返ると、公園の灯りは消えていた。