ホームパーティー事件/原作中3巻
差出人のわからない手紙。二度続いたそれ。目的が一致した計画。
不定期な連絡の末、スタートの日を決めた。主導権を握っていたのはこちらで、支援するしか力のないあの人物は利益と獲物を追い求める顔をして、上に指示を仰いでも仲間に迎えるに相応しかった。
柔らかな笑みは警戒を解く。
その中に隠れた冷徹な光を信ずるに足ると判断した彼女たちは、『同盟者』が己の手を汚さないつもりであると気づけなかった。
「裏切ったのね……!」
身体に武器も仕込まず、刃物の一つも携えず。
恐怖に凍りつく彼女たちの切り裂くような叫びに、女が眉根を寄せる。
標的と顔を合わせたことがないという同盟者はエレンの命令に忠実に従い、彼女たちに合わせた小綺麗な恰好で現れた。
最新の技術をもってすればセキュリティの突破は容易く、相手との親睦も深め懐にも入れていると確信があった一同は何食わぬ顔でその家へ招かれた。
明るい笑顔と声音。誰も、おそらく自分が受けたとしても不審など抱かない最高の演技だ。
エレンは自分の後ろに引っ込みがちなふりをする女性の背に手を添え、前へ押し出した。当然、思いもよらず増えた来客に、彼女らを迎える男は微かに目を瞠った。
「突然押しかけてしまって申し訳ございません。あの、お噂はかねがねエレンから伺っていて、お会いしてみたい、なんて言ってしまった私に彼女が気を遣ってくれて……。すみません、まさかこんなことになるなんて」
「彼女はミス・よ。怒らないでね、スティーブン!私が彼女を騙して無理やり連れて来たんだから。だけどぜひメンバーに加えてあげて欲しいの。私たちのウワサ話で、彼女ったらすっかりあなたにお熱でね?そろそろ幻想を壊してあげたいのよ!」
エレンの上品な笑みと冗談めかした口調はその場をドッと沸かした。口々に同意が上がったり、わざとらしい弁護が繰り出されたりする。ミス・はますます小さくなった。
スティーブン・A・スターフェイズは温和に笑い、新顔を快く招き入れた。
あくまでも、喜びの焦点は『友人が受け入れられたこと』への一点のみ。
同盟者を連れて敷居を跨げば、住居という箱庭は標的の終着駅へと変貌を遂げる。
並べられた料理には手が込んで、食べ物の好みにも配慮が感じられる。どの皿もグラスもワインも用意された道具も、すべてがスターフェイズから彼女らへの密な友情を表していて滑稽だった。
この男は何にも気づいていない。秘密結社ライブラの構成員もたかが知れたものだ。油断はしないが、不意を打てる自信はあった。まだ時が来ていないだけで、エレンたちはいつでも彼を取り囲み、抵抗を許さず確保できる。この日を待ち望んで万全の体制を整えたのだ。
招かれた客は各々、同一の目的を持つとは到底察知し得ない役者っぷりで初対面のふりをし、他愛のない話題を見つけて盛り上がる。経済の話か、人気の芸術作品か、ここに居ない別の友人へのからかいか。ホストとして動くスターフェイズを無理やり引き留めて話に巻き込むのだって芝居の一環だ。
楽しいと、思わないこともなかった。
スティーブン・A・スターフェイズは、付随する情報と立場さえなく偶然出会えれば、彼女たちの浅からぬ友になれたことだろう。裏があるとわからなければ、人柄も喋り方も立ち居振る舞いも好ましい男である。
情報を奪うつもりでなくては彼女らはスターフェイズに接触せず、友人になる機会もきっと生まれなかったけれど。
「エレン、私、酔っちゃったかも」
「あらマリア、何言ってるの。宴はまだまだこれからじゃない」
今晩初めて知り合ったはずの女二人が決めた暗号でくすくすと楽しげに肩を揺らす。酔いが回って、休憩しようと提案するのがスタートだ。エレンは首をめぐらせた。だけどそうね、と呟いてみる。
「そろそろ休憩しようかしら?」
対象を充分に追い詰められる立ち位置まで誘導する役目は同盟者に与えた。このために彼女がスターフェイズに興味津々だと思わせたのだ。
あたかも友人と友人の間を取り持つ明るいおせっかいであるかのように装って、彼女ははにかむ『友人』の華奢な肩を優しく叩く。
「あなた、お酒に弱いから酔っちゃったんじゃない?風にでも当たって来なさいよ。……ほらスティーブン、まさか女性を一人にはしないわよね?」
「もちろん。だけど、僕が言う前に言われてしまうと立つ瀬がないなあ」
「アハハ、ごめんなさいね」
誘導の仕事を買って出たのは同盟者自身だ。危険が伴う、とエレンを始めとしたチーム全員が再三警告したのは、同盟者が生体に武器を仕込む気配がなかったからだった。
しかし彼女は『身は守れる』と確信を持って微笑んだ。
本人が言ったのだ。遂行中、自己防御できなかった彼女が地に伏したとしても彼女らは無視するつもりだった。上手く行けば功労者。下手を打てば尊い犠牲である。要は大枚をはたく必要のある生体改造の資金援助と誘導灯の任務を全うしてもらえれば良い。
ミス・は話す感じが柔らかで、打ち合わせたエレンもクリストファーも、ふっと頬を緩ませ、素直に笑うことがあった。
スターフェイズは幅広い知識と回転の早い頭で、彼女らが相手の情報を僅かでも搾り取ろうと注意していたせいもあるかもしれないが、話をしていて飽きることはなかった。
だが見送る茶番もあの笑顔も、彼女たちは惜しくない。
恐縮した様子の同盟者を、標的が窓の外へ連れ出した。
気を緩めさせようと優しく話しかける男の声が遠ざかってゆく。
夜風がスッと頬を撫でる。
ミス・は室内に背を向け、人のいない一角に椅子を引っ張ってきて腰を下ろした。
彼女への温厚な眼差しが一気に警戒を帯びる。外部からは見えない角度で冷ややかに見下ろす。
「このタイミングで、君は何をしに来たんだ?」
「では問題。一番。ミスター・スターフェイズの顔が見たかった。二番。都会で見つけた女性の友人から噂を聞いて興味を持ったスティーブン・A・スターフェイズにお熱になって会ってみたくなった。三番。貸しを作りに来た。四番……」
「三番」
「聞かんのかーい。ではではどんな貸しでしょうか?」
彼は答えをその手に握る。こじ開けるか握りつぶすかは、『答え』に委ねられていた。己の優位を信じて疑わない刺客たちは同盟者に仕上げを預け、友人の皮を脱ぎ捨てる時を今か今かと待ち侘びる。
ミス・は両肩に、二つの命運を担いでいるのだ。
彼女は天秤を指でつついて揺らす。左右に振れ続ける天秤は見た目こそせわしないが、大きな目で見れば均衡を保っていることと変わりがないと言ったのはどこの誰だっただろう。
ミス・は膝の上で指を組んだ。
答えは、口にされずとも理解できる。
企てを起こしたチームが怖気付いて計画を中止させても、ミス・に逃すつもりはなかった。あちらの気勢は退陣の正反対にあるようだが、人間の心は制御が効かない。
逃げられる前に、垂れ込む。
知らなければ、知らなかったことにできる。
知れば、知らなかったことにはできない。
「なっ。友人は裏切るんだよ。一万年前にわたくしがご教授して差し上げたじゃあありませんか。私みたいな人間が近くにいると他が格段に良く見えてうおっまぶしってなるしね?」
「ありがたいよ。その忠告は君が遺せる唯一の有益なものだろうな」
「有益と感じるのは末期だぜ、おにいさん」
手のひらを広げて爪の伸び具合を確かめる。
「たーとーえーばーあ。目立たずひっそりと植物のように暮らしてるやつが裏で連続殺人に走ってるかもしれねえ。赤ん坊を抱く若い母も優しいツラしながら物事をぶっちゃけさせてーってヒスッてるかもしれねえ。景観が壊されたーだのハンガーをぶつけられたーだのだけで人が死ぬ時代よ?景観は私も怒るがよ。明るくて優しくてユーモアがあって?自分に好意を持って接してくれる他人?ンなもんがこの世にお腹いっぱい存在するワケがあるかい。あっただろうがね、そいつはお墨付きのクズだった」
ほわほわした声で長台詞に挑み、つっかえずに言い切った。語尾に力は入ったが、人目を気にして、高圧的に叫びはしない。
「私もグルだと思うか?」
「思うどころか、君がけしかけたんだろう」
「それは過小評価だ。おたくを殺すように命じ、出来レースで失敗させて私に何の得がある?」
「這いつくばって汚泥を啜りながら屈辱にまみれた様を眺めるのが趣味なんじゃなかったか?」
「一文の足しにもなりませんですわ」
ミス・は埒があかないと首を振った。
スティーブンは、自身の、何もかもの根幹に関わる柔らかかった部分を急速に凍り固めていく。
女の声が「四番」と響いた。男は薄く唇を開き、言葉を聞いて閉じた。
「一回、君んちを見ておきたかったのだよ」
ミス・の行動理由など、そんなものなのである。
スティーブンと目配せしたミス・は立ち上がる。
その身体はバランス感覚を失い、椅子から浮かせた腰が横に傾いて、椅子を巻き込んでけたたましい音を立てて転がってしまう。
助け起こそうと、スティーブンが手を差し伸べた直後のこと。
派手な合図でグラスを置き、生皮を内側から破ったエレンたちが結集してスティーブンの退路を塞いだ。
ホームパーティーを企画するほどの友人らに武器を突きつけられ、スターフェイズは静かに佇んだままだった。手を引っ込め、ミス・に手を貸そうとした姿勢のまま硬直した身体をとてもゆっくりと直立に戻す。
ぴりりとした警戒を怠らず、エレンが代表して強い口調で要求をぶつける。
ここで情報を吐くか、強奪されるか。イートインとテイクアウトの違いだ。彼女の背後で誰かが口角を上げた。
「動けば反撃と見なすわ。……、あなたはこちらへ」
戻るよう、顎で促す。
同盟者はのろのろと立ち上がった。スターフェイズが彼女に視線を向けるのがわかり、クリストファーが嘲笑する。
上手く行った。
行き過ぎるほどに。
ミス・は転んで倒した椅子を一瞥する。エレンたちの立てた計画から興味を失ったような雰囲気だった。その異様さに気づく。空気の色が違う。
追い詰められているはずの男が仕掛けのストッパーを外した。付けられた名が全員の脊髄に訴える。殺せと脳が叫ぶ。しかしもう動けなかった。
ゾッと、心臓に氷を詰められたような恐怖に襲われる。明らかに慄いていても指先は少しも震えず、全身に血を廻らせ体温を上げる機関が失われ神経に走る電気信号が堰き止められたと錯覚する。痛みだけが内側で暴れ狂う。
動け、と強く念じて唇と喉をようやく取り戻す。訓練された彼女たちは悲鳴は上げなかった。小刻みに吐く息が白く宙を流れた。
スターフェイズが丁寧に、彼女たちの失敗を挙げ連ねる。この男だからこそ感じ取れた差異だ、と愕然とした。ライブラの構成員は伊達ではない。エレンたちはいつの間にか侮っていた。この男を。スティーブン・A・スターフェイズを。
細かな指摘は糧になった。それは二度とできない挑戦と挑めない任務と与えられない挽回のチャンスで必ず彼女たちの役に立っただろう。
仲間が、同盟者の名を呼んだ。
ミス・は椅子に腰掛けていた。
この女は一言も発さず氷像とも化さない。
思考が解答に行き着く前に、スターフェイズが空白の混乱に答えをやった。
「彼女を信用したのも大きな間違いだったよ」
待ち構えていたように、ミス・が片手を肩の高さまで持ち上げてピースサインを作った。立てた二本の指を合わせては離し、三度ほど遊ぶ。
「やあやあお疲れさま。おいしい料理を食べられて良かったねえ。最後の晩餐ってやつは楽しくないといけない。楽しむコツはそれが最後だと気づかせないことだ。無邪気な子供に『明日は遊園地に行くよ』と教えて夕食にハンバーグを出すようにね。でも君らは味なんてわかんなかったかなー。もったいないなあー。わたくしが給仕して差し上げましょうか?」
ライブラへの執着と秘密の追求に燃えていた瞳の影は消え去って、エレンたち刺客の踊る下手くそな悲劇に失笑する。そのくせ花束を贈って楽屋で女優を賛美する、汚い観客と同じ表情だった。
「裏切ったのね……!」
憎しみを吐く。氷で玉詰まりを起こすとわかっても撃ち殺したくなる。
「裏切ったのはどっち?ミスター・スターフェイズはあなたたちを信用していたのに。友人だと思っていたのよ!」
わっと両手で顔を覆った大根役者に、スターフェイズが無感動な視線を送った。
「自虐か?」
「言動がクズなだけで私はおたくを裏切っちゃいないだろうが」
「今回は彼らをけしかけた。鳥肌が立つ小芝居は叩き出してやりたかったよ」
「やめておくれよ、船があったから乗っただけだ。私がいなくてもこれは起きたしスターフェイズくんは撃退できてる。あと芝居は一応、女優どのからご指導を受けたんだが不発かな?残念!でも初めから心の準備ができて良かったでしょ。ミスター・スターフェイズは、メンバーに私がいるのにこいつらがただのお友達だって思い続けられる人じゃあない」
大げさに肩をすくめる仕草。
「友達は裏切るんだよ」
くるりと振り返って、エレンにも真正面から微笑みかける。
「仲間も裏切る。フハッ、これミスター・スターフェイズがエレンだけ溶かしたらミスター・スターフェイズより先に私が蓮コラになるぞ!ハハッ!」
「エレンが仕損じないなら一考の価値はあるな」
「アッハッハッハ!仕損じるからやめとこうね!」
ミス・は一人だけ楽しそうだ。
戦闘能力を持たないと言っていたのは嘘なのね、とエレンは叫び出したかった。絶対に害されないか、害されても身を守れる確信がなければここまで簡単にスターフェイズに背を向けることはできず、また、一筋たりとも動けなくても武器を持つプロフェッショナルと気安い距離まで来られない。敵に容赦せぬスターフェイズにしてみれば、企みに加担していたミス・は害悪だろう。攻撃の理由はたっぷりある。彼女の言う通り、エレンたちにもあの男にも、目的に勝る友情は存在しないのだ。
ミス・は意に介さず、氷に触れた。
彼女には迎撃の余裕があるのだと感じた。この中の誰を相手にしても生き延びられるという傲慢に似た自負だ。
「今生の別れ!悲しい!でも皆さま痛みに耐えてよく頑張ってらっしゃいますね。わたくしは感動いたしました!泣いた!泣いてねえけど。関係ないが全米の涙腺緩すぎだよね。でも本当に泣いちまうのもあるわ。なんだっけ、こないだの。義弟がボロ泣きしてたよ。シンデレラの実写版みてーな映画」
最後のくだりがどういう意味かは訊き損ねた。
冷えた指の腹を頬で拭われる。感覚は鈍く、痺れるようだった。
「そろそろ私は行く。次の予定がつっかえてるんでね。目的は達成した」
「もく、てき」
鸚鵡返しに問いかける。彼女はなぜこんな回りくどいことをしたのか。
ミス・の行動理由は『異常』の極みにあった。
「旧友の自宅見学だよ」
手っ取り早いから、エレンたちを利用しただけ。
別の手段があれば彼女はそちらに頼った。訪問セールスに便乗して色々なモノを押し売っただろう。
壮大な傍迷惑。
「お待たせ、ミスター。待ちくたびれさせてしまったかな。でも、闇に消え去らせるのは私が帰った後にしてどうぞ。目撃者にはなりたくない」
言い残して満足したらしいミス・は、青ざめた女の唇を撫でた。エレンはそれを噛みちぎってやりたかった。
スターフェイズの眼光がミス・を刺しても、彼女は平気だった。
「リーダーさまに告げ口したりしないよ。彼に教えたって刹那の面白さがあるだけでどーにもならん。バレる定めならそのうちバレるッショ。私はウロついてるだけで、基本的にはおたくたちの人間関係を壊さないようにしてんだよなあ……」
彼女から見れば、エレンたちはもともと壊れた関係だったということだ。その通りである。彼女たちに友情と続行の意思はなかった。
手を出して仲違いをさせることも、手を出して仲を取り持つこともない。
彼女たちはミス・のスタンスを呑み込んだ。正誤はともかく、手遅れな理解だ。
「それとも私がご存知なワケのほうを訊きたい?そんなものァ考えるまでもない!こんっな好物件があるか!?ミスター・ラインヘルツとミスター・スターフェイズで好物件カケル好物件!パワーバランスがおかしすぎて天秤を名乗る資格がねえよ!!」
スターフェイズが少し納得した。
一転してにこりと微笑んだミス・は、同盟を結んでいたかつての仲間に別れを告げる。
「じゃあさようなら。元気でいてね」
彼女は誰にも止められず部屋を横切り、廊下を進み、扉を開き、家を出た。
ふつりと糸が切れたように静寂が戻る。
スターフェイズが不意に言った。
「俺は彼女が嫌いなんだ」
それが最後で、彼女たちは、同意の声も上げられなかった。