あなたの謀反を待っていた 後日談




。実は私には経験がない」
「奇遇ですね。私もです」
「ということで教本を読んだのだが、不手際があったらすぐに言って欲しい」
「わかりました」
初めての体験を前にしたやり取りにしてはあまりにも色気がない。
ベッドへ乗り上げると、儀式のように向かい合ってぺこりと頭を下げる。これから、噂に聞く限りではお互いに負担をかける力仕事に挑むのだ。相手に敬意を払い、よろしく頼むと願うのは当然だろう。
教本の中身はクラウスの頭の中に入っている。どうせそうだろうと思ったは、興味を持ってその内容について訊いてみた。
すらすらと答えられた内容はそもそも生殖の原理から解説された丁寧なもので、行為そのものというよりむしろ生物の教科書や資料集に似ている。色ごとには疎くとも学識には強い二人は同時に「実にわかりやすい」「わかりやすいですね」と感想を述べた。既知の情報ながら、うまくまとめられたものに触れるとより知識が深まる。
経験がない二人だったが、行為に及ぶ理由づけは必要なかった。深く触れたいと願うだけでよかったのだ。どちらも強くそう感じ、よく考えた上で合意――にそっくりな約束――を結んだ。
「どういった格好が相応しいのかわからず、K・Kに意見を聞いてしまいましたが問題はないでしょうか。ちなみに、K・Kには太鼓判をいただきました」
「なるほど。普段のイメージと違うと思っていたが、彼女の見立てなら頷ける。とても君に似合っている」
「ありがとうございます。触れたくなりますか?」
クラウスは大真面目に「触れてもいいのなら」と言った。
はむっと眉根を寄せる。まだまだ努力が足りないようだ。
「そこはガッといくものです」
「しかし何事においても君に無理を強いたくはないのだ」
優しさは時に罪である。心の底から理解するだった。
「無理だと感じた場合は『無理です』と申し上げますから」
「む……」
いささか不安げだ。彼女が我慢するのではないかと危惧したのだった。
清楚に着飾る他方は、バカバカしいにもほどがある『まさか』な話を場をなごませる意味で口にする。
「無理と言われてもどうしようもできそうにないので初めにすべてにおいての広義な許可を得ておく、などということではないでしょう?」
微笑みを浮かべたの真正面でクラウスが目を瞠った。その驚き方は予想外の、本人すら自覚していなかった何かに気づかされたとき特有のもので、言ったのほうもぎくりとしてしまう。
これはクラウスの発想ではない。
は直感した。彼はこのようなえげつない契約を成立させるタイプとは対極にある。
こんな賢しい細工を弄するのは。
「スティーブンに意見を聞いたのですね」
「そうなのだ。『必ず言っておけ』と強く押されてしまったのだが、なるほど……、そのような意味が」
「さすが、かつて私の支給金を分割払いにした男」
相当な頻度で浪費――当人にとっては趣味への投資――に勤しむ彼女を見かね、副官は一時期、最低限の生活費しか渡さないようにのみ采配を振るったことがあった。
ライブラが面倒を見る住居は何かと不便だと言う彼女は他所で暮らしていたが、そこの家賃を払って食料を買って公共料金の支払いを済ませるだけでほぼ底をつく程度の金額だ。
これで幾ヶ月か過ごせば悪癖も眠りにつくかもしれないと思われたが、彼女は躊躇なく食費を切った。『さっさと諦めろ』と呆れられながら五ヶ月も耐えたのだから、拍手を受けて余りある。
仲間内でも時どき非常に容赦無くそういった策を練るスティーブンは、先日クラウスから直接相談を受け、喉のいけない部分にコーヒーを引っかからせた。なぜかクラウスよりもスティーブンが照れてしまい、しどろもどろに説明したものだ。
そんな中、詳細な理由は決して言わなかったが、必須条件として何においても付け加えさせたのが先ほどのひと言だった。
先見の明がある男、スティーブン・A・スターフェイズ。
は心底から「ははあ」と感心した。
「彼が日ごろどんな方法でNOをYESに強制変換しているかは別として、クラウスは私が『無理です』と言ったらやめてくださいますか?」
顎に手を添えて考え込むクラウスと、答えを待つ。どんどんとムードが消失してゆく。あるいは初めからそのようなものはなかった。
むろん二人とも期待している。これから起こすことに高揚してもいる。
しかし、いかんせん一歩一歩に慎重なのだった。
性格上、嘘もつけない。誤魔化せない。
沈黙が答えである。
「わかりました。最善を尽くしてくださるでしょうし、私も精いっぱい努力します。すり合わせていきましょう」
「断言できず、すまない」
「共同作業ですから、正直に言っていただけるほうが助かります」
ただ、とは目を伏せた。
「私も本当に初心者なものですから、ご迷惑をおかけしましたらそれこそ指摘していただけますか?」
「君の言動を迷惑だと感じたことはこれまでに一度もないし、これからもないと思うのだが」
「もしかすると、もしかしますから」
クラウスは納得していないようだったが、が頭を下げると慌てて了承した。
大きな手がまろい肩に触れ、二人の距離が近くなる。途端に彼らは緊張を取り戻し、頬を染め、微妙な沈黙が流れた。
どちらから切り出すか、天井も床も寝台すら、彼らを取り巻くすべてのものが固唾をのんでいるようだった。

「クラウス」
ぴったりのタイミングだった。
「よろしくお願いする」
「よろしくお願いします」
明かりを消すか否かの議論は、教本と、コーヒー味の教授によって奇跡的に回避された。







2016 0701
翌日は午後出社