クラウス・V・ラインヘルツ
クラウス・V・ラインヘルツの朝は早い。
まずは目覚めてすぐに眼鏡をかける。
朝陽が射し込む部屋は広々として、随所に彼の趣味が窺える小物や調度品が見られた。もちろんすべてぴっかぴか。とってもきれいにされている。
しわ一つないシャツを身にまとうと、品の良いネクタイをじっと見つめてしばしのお悩みタイム。執事に意見を求めると、老年の彼はえんじ色を薦めた。
「こういった系統が多くはないかね」
「本日の会談でご一緒するイザヤ社の方々がグリーンを身に着ける傾向にありますので、坊ちゃまは赤系統がよろしいかと」
「なるほど。では、ほかの色はまたの機会にするとしよう」
イメージカラーも戦略のかなめだ。
クラウスは一日のスケジュールを確認すると、およその時間どおりに朝食をとった。
じっくりコトコトとろ火にかけられたポタージュは、新鮮な野菜と栄養たっぷりな目玉焼きによく合う味だ。ひっかかりのない舌ざわりと素朴なほの甘さがちょうど良い。
そういえば、すっかり事務所に馴染んだ少年が保温ポットにコンソメスープを入れて持参していた。
本人は「いやこれ普通の水筒なんでほんとはあんましやらないほうが良いっていうかアレなんですけど」と言っていたが、ピクニック的でとても楽しそうな気がしたので近々やってみよう。
クラウス・V・ラインヘルツは植物を育てるのが好きである。
温室でわさわさした草花に囲まれながら、種類ごとに葉っぱや土の様子を見る時間は彼にとって非常に大事なものだった。
同時に、デスクの片隅や日当たりの良い窓際でぽわぽわしている小さな鉢植えのお世話をするのも外せない日課だ。
事務所の定位置に座す前に一つずつ確認して、場合によっては霧吹きをシュッシュとしたり栄養剤をぷすりと土に刺したりする。
この日も霧吹き片手にそうやっていたクラウスだったが、彼は突然ぱかりと唇を開いて「スティーブン!」と名前を呼んだ。
スティーブン・アラン・スターフェイズはちょうど自分のデスクに鞄の中身を広げていたところだったので、急な呼びかけにびっくりして肩を跳ねさせた。
「なんだい、大きな声で」
「これを見たまえ!」
大きな手が、小ぢんまりした鉢植えをうやうやしく持ち上げた。
スティーブンは、差し出されたそれを見る。彼にはただのサボテンにしか見えなかった。
もちろん「このただのサボテンがどうかした?」とは言わなかった。たぶん、後頭部に銃口を突き付けられていたとしても言わなかった。
「十年に一度、咲くところを見られれば幸運と言われるものなのだ。これまでに何度かつぼみは出たのだが、目を離すとすぐに落ちてしまっていた。今回こそはと思い育てていたら、こんなに可憐な花が咲いてくれた」
スティーブンには毒々しい色をした禍々しさあふれるトゲだらけの毛玉がサボテンに乗っかっているだけにしか見えなかった。
もちろん「これが可憐ってマジで言ってる?」とは言わなかったし、自分はそう思ったくせに同じことを誰かが口に出して指摘したらそいつを容赦なくぶちのめす気が満々だった。
「幸運のおすそ分けをありがとう」
信頼する副官からの優しい言葉に、クラウスは何も疑わずうなずいた。
「早く誰か来ないか、そわそわしてしまう」
この貴重な出来事と感動を分かち合いたいという気持ちが全身から滲み出ているクラウスだった。
表向きはほわほわと花を眺めつつ、スティーブンは穏やかに言った。
「ああ、でもまるで深窓の令嬢みたいな花だ。急に人目に触れさせたら驚いてしまわないかな。何をしでかすかわからないやつもいるし、せっかく苦労して咲かせたんだから、少し二人きりで語り合うのもオツじゃないか?」
我ながらぺらぺらとよく回る口だなあと彼は笑顔の裏で自分を称えた。
クラウスはなるほど一理あるような気がして「ふむ」と鉢植えを捧げ持った。
確かに、急激なストレスが悪影響となるかもしれない。
花にとってつらい環境に置きたくはないし、どうしたものかと手の中の存在を見つめて考える。
「イザヤ社には植物にお詳しい社員の方がいるという噂を耳にいたしました」
「それは本当かね」
「まだご在籍かはわかりかねますが、ビヨンド植物掲示板にて個人スレッドが殿堂入りした方だそうです」
「まさか、固定ハンドルネームを持つ『ネームド』の……!?」
「はい。ネームドラジオで『プラントQ&A』のコーナーを持つ方です」
「それは……もしお会いできるなら……ぜひともお話を伺いたい……!!」
スティーブンはクラウスの周囲に情熱の概念が燃え滾る幻覚を見た。
思わぬ偶然と好機に打ち震えていたクラウスは、ハッと眼をかっぴらき、サボテンの花を凝視した。
「早くも、きみが新たな幸運をもたらしてくれたのか……?」
ポジティブでとっても良いことだなあ、とスティーブンは思った。
はっくしょん、とどこかでネームドがくしゃみをした。
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