DIO夢


悪夢が嫌いな少女は、嫌な夢を見ると必ず携帯電話を握りしめて身体を丸める。使い物にならない玩具はDIOに弄繰り回されないよう、少女が大切に、肌身離さず持っていた。充電器がないので充電ができず、携帯電話は早々に沈黙してしまったが、少女はいつまでもそれを捨てられなかった。だって、これは、元の世界との繋がりなのだ。
DIOの館にやって来た時、いったいこれは何事かと思った。首を絞められる苦しさで目覚めると、酸欠でかすむ薄暗い視界の中で毒々しい瞳がぬらりと光っていた。人間離れした雰囲気を肌で感じ取り、少女は必死にもがいた。長い爪が首の皮膚に食い込んでいく。「痛い」よりも「苦しい」よりも、「死にたくない」と思った。そして少女は命の危機に際し、眠り続けていた能力を発現させた。
吸血鬼の目に留まってしまったことは、幸運だったのか不運だったのか。能力に興味をそそった彼に殺されはしなかったものの、こんな生活は飼われているのと同じだと感じる。最低限のプライバシーすらない気がした。いつも彼女の周りには何かしらの見張りがいて、面白い行動をとればDIOに報告がゆく。そっくりそのまま目の前で演じて見せろと言われては屈辱的な苦みを舐めた。
―――帰りたい。
少女がそう呟くと、DIOは決まってベッドの上で身じろぎする。寝返りを打って、陽の光の一切入らない部屋で天蓋の内側をスクリーンにして星をきらめかせながら、低く甘い声で言う。
「何が不満だ?食事も、寝る場所も、自由も与えているだろう。お前はこのDIOの客人として丁重に持成されているはずだ」
「よく言う」
喉からごろりと飛び出した言葉は、思いの外大きく響いてしまった。ぞっと背筋が冷える。どんな仕返しをされるかわからない。携帯電話を握りしめて、うるさい心臓を落ち着かせたくて深呼吸をした。
DIOはしばらく少女を見つめていた。簡易なプラネタリウムの電源を切り、いびつに映し出されていた星を消す。少女の背中に爪を立てる。
「何が不満だ?」
「私は、ここにいたくない」
「出てどうする?お前ひとりでは生きていけないだろう」
「一人の時間が欲しい。家に帰りたい。怖いことはもう見たくない」
目の前で女の生き血をすすられた記憶は少女の心を引っ掻いた。今も傷口が痛む。とにかく、ひどい環境だった。精神に優しくない。誰も彼女の味方はいない。この携帯電話以外は、みんな敵だ。
そう思った少女を見透かすように、DIOは少女に語りかける。頑なな彼女の身体を自分の方に向け、起き上がり、手触りの良いシーツに膝をついてするりと痩せた腰を跨ぐ。体格差がより明確に見て取れて、あまりの重圧に、少女は吐き気をこらえた。あの時もこうやって首を絞められた。ただ自室で眠っていただけなのに、この男の寝台に『移動』してしまったがゆえに。
「私はお前の味方だ」
もう何を言う気も起きない。手を繋げば友人だろうか。生活を保障すれば味方だろうか。心をずたずたにする相手に安心を抱けると思っているのだろうか。
「私がいなければお前は死んでいる。お前を守っているのは私だ。すると、私はお前の味方だろう」
「好きなだけ言っていればいい」
手の中の携帯電話が、少女にすべての勇気を与えた。もうこの後にどうなったって構わないと思った。こんな時間が死ぬまで続くと考えるのはひどく苦痛だ。もう終わってしまってもいいと自嘲した自分に一瞬困惑した。けれど、それくらいにはDIOへのフラストレーションがたまっていた。
「一人で勝手に好きなだけ言っていればいい。結局全部自分の為で、私に味方はいない。私はモノじゃないし、あなたを笑わせる為にいるわけでもない。異国に放り出されて、戸籍がなくて、どうにもならなくなったとしても、ここに居るよりはずっとましだ」
少女にも、言っていることが現実的ではないとわかってはいる。それでもどうしようもない。
DIOは今までに見たことのない、つまらなそうな顔をした。恐怖とは違う、焦燥に似た悪寒が少女の胸をくすぐった。漠然とした不安を抱えた。
次に彼女が口を開くよりも早く、音を立てて白い頬が叩かれた。DIOにとっては塵でも払い落とすほどの力加減だったが、少女の頬はじんと痛んだ。
呆然と見上げると、DIOは変わらない表情のまま、興味を失った素振りで少女を解放した。
「どうせどこにも行き場はないのだから、私が自由を与えている間は、自分にとっての利をよく考えることだ」
自由に寝返りを打てるようになった彼女は、シーツを蹴って、床を走ってドアを開けて逃げなければいけないと警鐘を鳴らす頭に従えない。ベッドから抜け出して逃げ去るだけの気力を、平手一つで打ち消されてしまった。
眠る間際の、DIOの言葉が耳に残った。