10年後になって、彼女は



ジョセフの腕が不自然な形で持ち上げられている。何かを抱き上げているように見える。は足を止めた。
「おーい」
手を大きく振ると、学生がこちらに気づいた。の方から駆け寄って、仗助を見上げる。
「びしょ濡れでどうしたのー?」
さん……いやー、それが説明すると長くなるんッスけどね。透明の赤ちゃんを拾ったんですよ」
「とうめいの」
「透明の」
スタンド使いらしいんです、と言われ、はジョセフの腕の中の、中身のない産着を見た。赤ちゃんの形を確かにしている。
赤ん坊のスタンド使いというのは、実はが知らないだけでかなりいるのか。10年前にもいたし、今もいる。それにしても、自分だけでなく周りまで透明にしてしまう能力とは。
「操れるようになったら、他人を裸にし放題だねえ」
さん……」
仗助が肩を落とした。の様子はまったく普通で、仗助が心配した、ついこの間までの憔悴は見られない。ジョセフの様子を気にしながら、仗助はそっと背を屈めた。
「もう、大丈夫ッスか?」
「……」
はぱちりと仗助と目を合わせると、へにゃりと眉尻を下げた。
「うん。心配かけてごめんね。それに……怪我も、治せなくてごめん」
「いいんッスよ。さんは、スゲー頑張ってくれましたし、俺、何にも気にしてねーッス」
「ありがとう」
軽くハグをされ、仗助はうおっと短く叫んだ。ちょっとだけ手を彷徨わせて、ほんのちょっぴりだけを抱きしめる。
のスキンシップの習慣は、ずっと前、数えられるほど知り合いが増えてから根付いたものだ。初めは、相手の警戒心をなくすために。そして、自分の存在を認めてもらうために。けれど今は、単純に好意を伝えるための行為としてしか意味を持たない。色めいたものも、打算もそこにないからこそ、気持ちが相手にまっすぐ伝わる。

「さてと、康一くん。君に質問があるんだが……」
ドアの奥から、若い男の声が聞こえる。
「なぜ、東方仗助と……だったか、彼らはあのドアの陰に隠れていると思う?」
私の名前まで知られているのかあ。は頬をかいた。ピンクダークの少年は読んだことがある。時々ものすごく的確に、の記憶を掘り返してくる漫画だ。あー、こんな状況知ってるなあ、と思わせるストーリーだ。たぶんそれはだけではなく、読者の誰もの琴線に、順番にそっと触れていくのだ。
「正確な答えはね……東方仗助は、あるいはもかもしれない。このまま自分だけこの屋敷から逃げ出すというのはどうかと考えているのさ」
「仗助くんはそんなことはしないよッ!」
「私のことは否定してくれないの!?康一くん!?」
思わず顔を出そうとして仗助に止められる。「ご、ごめんなさいさん」と謝罪した声に、冗談だよぉと大きく返した。
岸辺露伴の得意げな声が、億泰の命を握ったことを仗助に知らせる。はごくりと唾を呑んだ。
「つ……つまり、ヘブンズドアーがあれば、どんなエロ漫画的展開もエロゲー的シチュエーションもやり放題!?書き込みさえすれば、相手の意思に関係なくあれやこれやし放題?!」
さんほんっとにそういうことしか考えてないんスか!?」
「いやそれは失礼だと思う」
「(下世話な性格な女だな……)」
岸辺露伴が何を考えていたのかはわからなかったが、は不穏な気配に顔を顰めた。なんだかいろんな人からひんしゅくを買った気がする。誰だって考えることだと思うんだけどなあ……。
は本にされるわけにもいかないので、仗助が飛び出して露伴をボコボコにしている間、じーっと扉の外で待っていた。プギャーッと叫んで露伴が吹き飛んだのを確認して、ようやく立ち上がる。ずっとしゃがんで待っていたから脚がしびれた。
「だいじょうぶ?」
ぺらぺらの顔で康一が頷く。
「大丈夫じゃないのは、露伴先生のほうですね……」
「仗助のやつ、すんげえーぶちキレてるもんなア……」
こういう奇妙な体験をしていると、仗助を助けたリーゼントは実は未来からやって来た仗助自身なのではないか、などとSFチックなことを考えてしまう。
記憶を破り取られて20s軽くなったという康一を両手で抱き上げて、未来少年コナンばりにくるくる回ると、康一は顔を真っ赤にした。
「やめてくださいよーさん!恥ずかしいですよーっ」
「そこは、あーれーッて言うところだよー」
さんが本当に承太郎さんのイッコ下なのかわからなくなってきました……」
皆して大概失礼である。


「この話をするのは2回目だわ。ちょうど1か月前くらいに話したのよ。スタンド使い……いいえ、ペルソナ使いのお姉さんにね」
「え?ペルソナ……って」
「なんだ?スタンド使いとは違うのか?」
「あ……いえ、それってさんのことですか?」
「あら、さんのことを知ってるの?」
「はい。さんは今は、スタンド使いになったんですよ」
「へえ……そうなの。変わることがあるのね」
「康一くん、さっきから言ってるペルソナってのは何なんだ?あのって女の能力か?」
「スタンドに似た能力なんですけど、……色々あって、それがスタンドになったみたいです。どういう力があるのかはまだわからないんですけど」
「ふうん……なかなか興味深いな。けど、スタンドに変化しちまったのか。残念だな」
「会いに来てくれるって言って、あれから何回か来てくれたけど……さんって結構、下ネタ多いわよね」
「鈴美さんにもそんな話したんですか……」
「下世話な女だな……」


チャイムを鳴らす。立派な玄関だ。ベルの趣味もいいし、音も耳にうるさくない。
誰も出てこない。表札を確かめて、もう一度鳴らす。この時間は家にいるって、康一くんが言っていたんだけど。
誰も出てこない。二階の部屋に明かりがついていることを確かめて、もう一度鳴らす。康一くんが訪ねた時は必ず出るらしいのに。
誰も出てこない。下げたビニール袋の中身をちらりと見て、もう一度鳴らす。続いてもう一度鳴らそうとして、腕をガシリと掴まれた。
「しつこいッ!!一度鳴らして出てこなかったら帰れよッ!!」
「うわっびっくりした」
めちゃくちゃ怒っている。ごめんごめんと謝ると、岸辺露伴はものすごく嫌そうな顔で用事を訊ねた。
「コンビニで肉まん買ったんだけどさあ、歩いてるうちに冷めちゃったから電子レンジ貸してくれないかなあ?」
「冷める前に食べろよな……」
自宅に他人を招くことを渋っているのを見て、はがさりと袋を顔の高さまで持ち上げた。
「3つあるから、1つあげるからさあ」
顔は嫌そうなままだったが、扉が大きく押し開けられた。
日本の住宅にしては珍しく、玄関で靴を脱がないスタイルだ。招かれるまま奥に進み、広いキッチンに通される。ぴかぴかだ。が歓声を上げていると、露伴は電子レンジを開けた。
肉まんを3つ突っ込んで、時間を決めてスタートを押す。低くうなり始めた電子レンジの前で、は露伴を見上げた。
「肉まんとあんまんとピザまんがあるんだけど、どれがいい?」
「お前、それ全部食べるつもりだったのか?」
「ううん、分けるつもりだったよ。私、あんまん食べたいからそれ以外から選んでくれる?」
「いやだよ。どうして僕が指図されなきゃいけないんだ?僕もあんまんが食べたかったからあんまんを貰う」
ピーッと音を立てて停止した電子レンジから問答無用であんまんを取ると、が止める前にがぶりとかじりつく。が「あーっ!」と悲鳴をあげると、露伴は鼻を鳴らした。ひと口も分ける気はなさそうだった。
仕方なく、はあたためたピザまんと肉まんを袋に戻す。
「食べないのか?」
「うん、待ち合わせしてるから、その人と食べる」
「……はぁ?じゃあ、なんで僕の家で温め直すんだよ。早く行けよ」
「だって露伴くんとなかなか会うことがないから、せっかくだと思って」
心底わからないという顔をして、露伴はあんを飲みこんだ。
「誰と待ち合わせしてるんだ?仗助か?」
「たぶん、露伴くんは知らないと思うけど……、恋人だよ!」
「お……ッ」
が首をかしげる。お、ってなんだ。そしてその意外そうな顔は何なんだ。人の顔と胸をまじまじと見るんじゃない。貧乳の何が悪いっていうんだ。こいつもおっぱい党か。あぶりだせ!!
「男がいたのか……その性格で……」
「ど、どういう意味だよ……」
「……まあいい。また肉まんが冷めてレンジを使われても面倒だからな。さっさと行けよ」
「うい。ありがとね」
しっしと追い払われて、は素直に手を振った。振り返されることもなく、扉が閉まる。待ち合わせの場所まで、くつを鳴らして走った。

公園のベンチで並んで肉まんを食べながら、は今日あった出来事を話す。承太郎の部屋でレンタルしたビデオを見たこと、ジョセフが4回目のアラビアのロレンスを見ていたこと、花京院と電話したこと、岸辺露伴の家で肉まんを温め直したこと。
「気難しい青年だそうじゃあないか。よく許してくれたな」
「よっぽど肉まん食べたかったのかな」
そうだろうか?アヴドゥルは最後の一口を食べ終える。くしゃくしゃにした包み紙を、の差し出したビニール袋の中に入れる。はのびるチーズがどこまでのびるか橋をつくりながら、子供のいなくなった夕暮れの公園を見ている。帰宅を勧める役所のチャイムを聞いて原稿に起こしたくなるのは職業病だろうか。
「じゃあ、よろしくお願いします」
ごみを捨て、向かい合う。スタンドを呼び出すと、アヴドゥルの隣にもマジシャンズレッドが現れた。
「では行くぞ」
ぱちんとアヴドゥルが指を鳴らすと、マジシャンズレッドの指先に炎が灯る。炎はの鼻先を掠めるように方向を変え、頭上で大きく広がる。うおっ、とが一歩下がると、代わりにスタンドが前に出た。スタンドの、感触のない左手がの右手に絡まる。手をつなぐと、降り注いだ炎が半円状の何かの上で止まった。消えることもなく、ただの頭上で見えない壁に阻まれるように燃えている。
「え……え?アヴドゥル、なにかした?」
「いや、何もしていない。ギリギリのところで消そうと思っていたが、……それがスタンドの能力なのかもしれない」
「守る……力、ってこと?」
「いくつか試してみよう」
色々な方向、角度、大きさの炎で試した結果、のスタンドの能力はかなり解明された。アヴドゥルとの推測を合わせると、のスタンドの能力が発動するきっかけは、"手をつなぐこと"だ。スタンドと手をつなぐと、を守るバリアが生まれる。かなり強力で、たいていの攻撃にはびくともしない防御壁だった。
そしてこの能力の最大の強みは、他人をも守れるというところにあった。スタンドとが手をつなぐと、2人の手はもう片方ずつ空くことになる。は自分のほかに、2人の手あるものを自分の防御壁のなかに招き入れることができるのだ、と。

帰り道、いつものように隣り合って歩く。はアヴドゥルの手を取って、言った。
「呼ばれなくても守りに行くね」
長袖の下の痛みのことは言わなかった。
仗助のクレイジーダイヤモンドが、どんな傷でも治せる代わりに自分を癒せないのと同じように、はきっと、どんな攻撃からも誰かを守れる代わりに、誰かのぶんの痛みを背負わなければならないのだ。