魔術師いわく
どんな言葉をかけたとしても、ポルナレフは止まらないのだろう。アヴドゥルは彼を諌めながら、そんな予感を抱いていた。ポルナレフが見つけたという両右手のスタンド。それがポルナレフを、今、襲ってきた理由はたったひとつしかないというのに。
「俺の気持ちは、同じことがあったやつにしかわからねえよ。アヴドゥル、あんたはドンと構えて説教でも考えてろ」
「なんだと……!?」
カッとなって襟首をつかんだ手を振り払われる。
「ほーォ、プッツンくるかい?だが俺はもうとっくにキレてるんだ」
「こんな時だって言うのに仲間同士で喧嘩しないで――」
、俺が仲間だったのはさっきまでだ。俺は目的を果たすためにここまで来たんだ」
きびすを返したポルナレフに、アヴドゥルは手を伸ばすことを止めた。荷物をひっかけたむき出しの肩は復讐という目的にいかっていた。
両親を早くに亡くし、妹と手を取り合って生きてきたと彼は言う。唯一の肉親でありいつくしんできた妹の無残な姿を目にした時の慟哭が、遠ざかる背中から聞こえるようだった。
「(だが……もっと冷静に考えられるやつだと思っていた)」
失望、なのだろうか。アヴドゥルは膝に肘をついて手を組んだ。アヴドゥルが、自分の、の、仲間の意見を聞き入れなかったことに、アヴドゥルは衝撃を受けていた。彼は仲間を大切にする性格だ。だからこそ、シンガポールのホテルでの態度を怒ったのではなかったか。
「ポルナレフを追いかけなきゃ」
が言った。拒絶されたことへの怒りはなかった。
「あぁ、そうだな。花京院、運転を頼めるか。わしのハーミットパープルで、行先の見当をつけながら進もう」
「は……はい!」
ジョセフから財布を渡され、花京院と承太郎が車を調達しに走る。ジョセフが砂地に街の地図を描き、もそれを覗き込んだ。
砂ぼこりを立てて4人乗り荷台付きの車が急ブレーキをかけた。
「アヴドゥル。わしは君の意見に賛成じゃ。だからこそ追いかけねばならない。いいな?」
「はい」
アヴドゥルは後部座席に乗り込んだ。
追わない方がポルナレフのためなのではないか、アヴドゥルは先ほどまでチラリとそう考えていた。あれほど自分たちを強く拒絶したポルナレフが、追い付いた自分たちに素直に助けを求めるとは思えない。勝手に戦いに手を貸しても、彼は満足しないだろう。しかし、ジョセフの言葉で迷いが断ち切られた。
アヴドゥルをはじめ、彼ら全員がポルナレフを心配しているのだ。大切な仲間だとまだ思っているのだ。絆はそう簡単に切れるものではないのだ。
クラクションの音で、思考の海から引き上げられる。珍しい花京院の悪態に周りを見ると、道は車でぎゅうぎゅうだった。
「ひどい渋滞です。これでは進めません!」
「止むを得ん……すまんが花京院、車を任せた。わしらは足でポルナレフを探そう」
ジョセフの言葉に、助手席の承太郎が真っ先に扉を開ける。アヴドゥルも道路に降り立った。
、君は車に残ってくれ」
アヴドゥルに続いて車から降りようとしていたが、ドアに手をかけたまま止まった。アヴドゥルは首を振って、ドアから手を離すように言う。ばたんと強くドアを閉める。
「私たちは散開してポルナレフを探す。君は戦い向きではないし、体力もあまりない。車で花京院と行動してほしい」
は素早く首肯した。それを見て、アヴドゥルもうなずきを返す。

戦うすべを持たないは、言ってしまえば足手まといだ。
「(を守り切れるかわからない今……)」
敵がどこにいるのかもわからないのだ。ポルナレフをエサに、自分たちが釣られている可能性もある。アヴドゥルは冷静に状況を判断していた。傷ひとつ負わせないなどと自惚れることもなかった。そういう性格ではないのだ。自分の力に自信はあるが、がかかると話は別だった。
ジョセフのハーミットパープルで描かれた地図を思い出しながら路地を駆ける。ポルナレフはあちこちに移動しているようでその動きはつかめなかった。ただ、スタンド使いが人の多い通りで戦うわけがない。勘を頼りに2,3本の通りを抜けると、アヴドゥルは足を止めた。呼吸を整える間は開けなかった。見えたのは、銃を構えるガンマンとポルナレフの姿だった。チャリオッツの剣さばきが銃弾を切り裂くように見えたが、銃弾は奇妙な軌跡を描いてポルナレフに迫る。砂を蹴って、アヴドゥルはポルナレフを巻き込み身体ごと倒れ込んだ。
「だから気をつけろと言ったんだ!敵の力を見くびっているからこんなことになる!」
ポルナレフはあんぐりと口を開けていたが、アヴドゥルの叱責を聞くと顔をしかめた。
「説教しに追いかけてきたってか!?」
感謝しろとは思わなかったが、さすがにあんまりな言い草だ。アヴドゥルはカッと眉を吊り上げる。心配されているのが判らないのかと怒鳴ると、ポルナレフはアヴドゥルから顔をそむけた。
「頼んだ覚えはねえぜ!余計なおせっかいだ!」
「お前というやつは……!」
立ち上がり、ポルナレフの胸ぐらをつかみあげようとしたアヴドゥルの耳が、空気を切り裂く音をきいた。避けきったと思った弾丸が、ポルナレフの背後でぐるりと方向を変えている。
「俺の弾が普通の拳銃と同じだと思うなよ。弾もスタンドなんだ」
敵の声に、アヴドゥルは構えた。方向を変えようが連射されようが、アヴドゥルのマジシャンズレッドの熱に耐えられる銃弾はない。飛んでくる銃弾を熱で溶かそうと技の名を口にした瞬間、背中に熱を感じる。熱はすぐに氷のような冷たさに変わり、ずぐずぐとした痛みをもたらした。
「(刺された……ッ!)」
敵がどこから現れたのかわからない。周りに刃物を持つものはいなかったし、煙草をくわえるガンマンの距離は遠い。
刃を勢いよく引き抜かれ、呻き声がこぼれた。身体がのけぞり、集中が途切れる。マジシャンズレッドが掻き消える。
アヴドゥルは額を撃たれた。しかし、すぐに意識を失ったわけではなかった。空が見え、倒れるまでのわずかな時間に記憶が駆け巡る。これが走馬灯なのだろうか、と思うより早く、少女の泣き顔が脳裏にひらめく。かなしむだろうか。
声は出なかった。静かに動いた唇は誰にも知られることなく1つの名前をつむぎ、最後の息を吐きだすとアヴドゥルはどさりと地に落ちた。

白い天井があった。
「……知らない天井だな……」
身体を起こそうとすると、背中がつっぱるように痛んだ。
「アヴドゥル!目覚めたか」
アヴドゥルはまとまらない思考の中で、ようやく自分が生きているのだと気づいた。ジョセフの声に頭を動かすと、くらりと眩暈がする。
「今、医師を呼んで来よう」
ジョセフは病室を出ていった。いつも通りの落ち着いたたたずまいだ。いや、いつも落ち着いているのかと言えばそうではないことも多いが、記憶にある限りでは変わらない背中だった。
点滴の針に気をつけながら腕を持ち上げる。管の重さを感じながら手を握ったり開いたりを繰り返した。両手とも同じことができる。脳に障害を受けたわけではないようだった。
再び扉ががらがらと音を立てる。ジョセフは承太郎と医師とナースを引き連れていた。
記憶障害や身体的障害がないか、いくつかの質問と触診で確認されると、医師は「うん」と小さく呟いた。
「大丈夫そうですね。刺し傷も奇跡的に内臓を痛めていませんし、弾丸も脳には全く影響のない場所を通っています。アヴドゥルさんは強運の持ち主ですね」
医師の説明には驚いた。確かに額を撃たれたと思ったが、刺突攻撃の影響でのけぞっていたのが幸いしたらしい。そんな偶然があるのだろうか。俄かには信じがたかったが、実際にアヴドゥルはこうして生きている。
医師とナースが退室すると、ジョセフはあることを提案した。
「きみが生きているということは、わしら以外には秘密にしておこうと思っておる」
「……と、いうことは、私はなにか仕事を頼まれるわけですね?ジョースターさん」
ジョセフは肯定した。アヴドゥルの容態は決して軽くはなかったが、SPW財団の医療技術があれば、かなりの短期間で動けるようになるだろう。
エジプトへの旅路を安全で確かなものにするためには、自分たち以外を排除する空間が必要だ。信頼できる者のみが集まった移動手段が求められている。ジョセフが選んだのは海路だった。それも、海上ではなく海中を進む潜水艦である。急に大きくなったスケールにアヴドゥルが言葉を失っていると、ジョセフは何も書かれていない小切手を取りだした。
「アラブに潜水艦を所有する富豪がいるという。彼に会って、それを譲ってもらってくれ」
伊達や酔狂で言っているのではないのだ。アヴドゥルは小切手を受け取ると、力強く了承した。
「それとな。ポルナレフとには、このことを秘密にしておこうと思う」
「……ポルナレフはともかく、なぜにも?」
ポルナレフは判る。彼は、どう見てもどう頑張っても腹芸が得意なようには見えない。アヴドゥルが本当は生きていると知らされたら、もろ手を上げて喜び、うかつにも敵の前でそれをにおわせる発言をしてしまうかもしれない。今の自分たちに必要なのは、心底から仲間の死を悔やむ等身大の感情なのだ。
だが、はけろりとした顔で嘘をつくことができる。香港の中華料理屋で、自分たちの関係を尋ねてきたポルナレフに平然と「兄妹です」と答えた彼女の図太さには驚嘆した。彼女ならアヴドゥルの生存を知っても変わらずに演技ができるのではないだろうか。
アヴドゥルの質問に、ジョセフは神妙な顔をつくった。
「きみが思う以上には憔悴しておる。わしらが到着するまで、ずっと君の手を握って泣いていたんじゃよ」
が……?」
意識を失う直前、少女がかなしむだろうかと考えたことは確かだ。思い浮かべた泣き顔まで、まざまざと思い出せる。しかし、まさかそこまでだとは。アヴドゥルは思わず、自分の手を見つめた。失血し、冷えていく人の身体に触れ続けることは、想像以上につらいことだ。は人の死に慣れていないように見えたし、おそらく彼女のことだ、ペルソナでの治癒も試みたのだろう。それでも目の前の人物が死んでいくのを止められなくて、どんなにか苦しんだだろうか。それでも逃げることなく、彼女はアヴドゥルの手を握っていたというのだ。
アヴドゥルは胸の奥がぽっと暖かくなるのを感じた。
「そうですか……」
仲間へ手向ける涙だったとしても、たしかにその時、の心は自分に向いていたのだ。