魔術師いわく
の冗談はわかりづらい。
「なんだそのエロ漫画みたいな能力」
船べりから海面を見下ろしたにはまるで緊張感が欠けていた。状況をわきまえるよう口を開きかけたアヴドゥルは、が真剣な顔をしているのを見た。
「(心配でないわけではないのだ……)」
はあえて場の空気を読まない言動を取ることが多い。だから本心を読み取れないのだ。
そのくせ、なんでもなさそうな声で大事なことを言う。船に爆弾が仕掛けられているのではないかと気づいたのはだった。

真っ青な顔をして悲鳴を呑みこんだを袖の中に抱きいれたのは咄嗟の行動だった。クレーンによって頭を潰され、宙高く巻き上げられた船員の凄惨な死に動揺するの心を守らなければならないと思った。
「大丈夫か?」
小さく訊ねると、はぶるりと身を震わせてから頷いた。かくまったことへの礼と謝罪を告げられて、気にすることはないのだと伝える。戦い慣れたアヴドゥルやジョセフでさえも目を覆うような死体だ。
が船員や少女と共に下の船室へ向かう時、彼女はアヴドゥルを振り返った。の目は仲間と離れることへの不安と、正体不明の船の探索を続けるアヴドゥルたちへの心配に揺れている。そうしなければならないと言う思いに突き動かされて、アヴドゥルはひとつ、強い頷きを返した。も軽く顎を引いて、それから前を向いた。
甲板の床に飲み込まれ、圧死させられそうになっていた彼らは、つんざくような少女の悲鳴に対応できなかった。ただ1人、階下の船室へ向かっていた承太郎が頼みの綱だった。
「この船自体が巨大なスタンドだとしたら、危険なのはたちです!あの2人はスタンドが使えない!視えたとしても、対処のしようがないッ」
「落ち着くんじゃ、花京院!承太郎が動ける!今、わしらがすべきことは、ここから上がること……!」
アヴドゥルはマジシャンズレッドの熱で自分の周りの床を溶かす。しかし、すぐに別の場所から硬質なものが押し寄せて、マジシャンズレッドをも飲みこんでしまう。スタンドの船だからこそ、スタンドのマジシャンズレッドに攻撃ができるのだ。
悪態が口を突いて出た。ポルナレフのシルバーチャリオッツが床を細切れにしても、破片が意思を持ってつぶてとなって押し寄せる。
床の中から吐き出されると、とたんに船はぐにゃりと歪み始めた。スタンド使いに何かあったのだと理解するのに時間はかからない。
「承太郎がうまくやったんだな!」
ポルナレフがガッツポーズを取った。階下へとつながる階段から、承太郎に急かされて少女が飛び出してくる。
「なっ……!?」
雑に服を着た密航少女の後ろから現れたはバスタオル1枚の姿だった。花京院がさっと視線をそらす。
胸元の合わせ目を握ることもなく、両手で籠を持っている。アヴドゥルは、彼女が自分を見てほっと安堵したように見えた。
お前予想以上に」
「ダメ!ポルナレフさん、絶対それ以上言っちゃダメ!」
ポルナレフを見たの視線はあまりに鋭かった。全員が、ポルナレフが一命を取り留めたことを知った。


花京院がおずおずと着替えを勧めると、はニコッと、バスタオルの中へつながる細い肩ひもを指さした。
「下着はつけてるから大丈夫だよ!」
何が大丈夫なのかよくわからない。
の肩にひっかかっている下着の肩ひもは、彼女のイメージ通りシンプルな白色をしていた。軽く花柄のレースがあしらわれて、花の中心がほんのり桃色に塗られている。
「(待て待て、イメージ通りとはなんだ)」
自覚する限りアヴドゥルは一度たりともの下着を想像したことはない。慌てて考えを打ち消すと、紛らわすようにため息をついた。
「大丈夫じゃあないだろう、まったく」
「あ、イイこと考えた。アヴドゥルさんの服のこのヒラヒラの中に隠れて着替え……」

「はい」
とんでもないことを言い出す少女だ。アヴドゥルがぴしゃりと叱ると、は素直に返事をして着替えだした。慌てて、見ないようにに半分背を向けた。ポルナレフが花京院の身体をひょいと避けて着替えを覗き込もうとするのを花京院が小突いていた。
「終わりー。ありがとう」
いかんともしがたく海を見ていたアヴドゥルはその声に安心して振り返った。いつも通り、前を開けたパーカーとショートパンツを身に着けて、はへらへらと笑っていた。足元の籠にくしゃくしゃのバスタオルが突っ込まれていたので、アヴドゥルはついそれをきれいに畳みなおした。
「そのピストルって……のなの?」
ジョセフの陰で服を整えていた密航少女が、の手にあるピストルを指さした。平然とうなずくと、は少女の追及をあいまいにはぐらかす。
アヴドゥルはの戦い方を知らなかった。これまで3人(ポルナレフを数えるならば4人)の敵を退けてきたが、その間が武器を取ったことはない。武器がピストルだというのも、アヴドゥルは知らなかった。おそらくの戦い方を知っているのはジョセフだけなのだろう。ジョセフはに深い理解を示すし、もそれを親のように信頼していた。
「おっ!」
盛大にショートパンツの裾をまくったに、ポルナレフが歓声を上げた。アヴドゥルは無言でポルナレフを小突いた。
の太ももは布に隠れて陽にあたることがないからか、すべらかな白い色をしている。すぐれた陶磁器のような肌に、黒塗りの革のベルトがきつく巻かれる。不釣り合いなほどの色の差に目が眩む。ピストルが無造作に差し込まれ、裾が戻された。
「脚フェチのポルナレフ的にはどうだった?私の太もも」
「なかなか良かったぜ!今度ひざまくらでもしてほしいなーなんちってイッテテテテ!」
アヴドゥルは冷静にポルナレフの足を踏んだ。ポルナレフの弁解にがけらけらと腹を抱えた。それから、ううんと伸びをする。
「お邪魔します」
は座席から降りると、身体をアヴドゥルの脚の間にねじ込んで座り直した。思わず、が座りづらくないように膝を広げてしまう。
「お……おい、!」
胸元にもたれかかってきたの身体をどうしたものかと困っていると、はもぞもぞと居心地のいい座り方を探してアヴドゥルにすり寄る。
「ちょっと寝るわ。なんかあったら起こして」
言葉通り目を閉じてしまったと椅子になったアヴドゥルに数種類の視線が突き刺さる。
「寝るのは構わないがなぜここなんだ……!」
嫌なわけではない。まったく嫌ではないのだが、こうも安心されてしまうとどうしていいのかがわからない。規則正しく呼吸を繰り返す少女の振動が布越しに伝わってくる。本当に眠ってしまったようだった。
「こいつ、もう寝てやがる」
「凄い寝つきの良さだ……」
身を乗り出したポルナレフがの頬に手を伸ばす。ぷに、と突かれても少女はぴくりともしないでアヴドゥルに身体を預けたままだ。花京院の言葉に同意して、アヴドゥルはポルナレフの手をぺしり、叩き落した。
「敵スタンド使いに襲われたそうじゃないか。さすがに疲れたんじゃろう。君も寝るかな?」
「ううん」
密航少女はジョセフに首を振ると、の寝顔をしげしげと見た。
「さっきあんなに怒ってたもん。そりゃあ疲れるわよ」
「怒ってた?が?」
花京院がおうむ返しに問い返した。頷いた少女に、ジョセフと顔を見合わせている。
少女は自分たちが襲われた時のことを順繰りに話し出した。シャワーを浴びていたら猿が襲ってきたこと、承太郎が助けに来てくれたこと、敵が承太郎を動けなくしたこと、直後に自分たちが感じたいやらしい視線のこと。
「あの猿、あたしとの胸を見てたの。の胸って小さいから――あっ、あたしが言ったことは内緒にしてよ!……それで、どっちか選ぶ時にあたしを選んだのね……。そしたら、猿が胸を見たことに気づいたみたいで、ちょっと泣きながら猿のここ引っつかんでガンガン揺らして怒ったのよ……」
ここ、と自分の襟首を示した少女は遠い目をした。数人の目がの胸に向いたのを感じて、アヴドゥルはゴホンと咳払いをする。
の前では胸の話はやめたほうがいいらしい。そう考えると、船の上でポルナレフが言いかけた言葉はかなりまずかったのだろう。自分でも思い出したのか、ポルナレフは少女に礼を言っていた。
「ねェ、そういえばその後、猿がの胸を触ったんだけどね」
「何だと?」
「あんまり怒られたもんだから、逆に気になったのかなァ。その時、が『獣姦反対!』って言ってたんだけど、ね、獣姦って何?」
眉間にぐっとしわが寄る。アヴドゥルが低い声で聞き返すと、少女はアヴドゥルに向き直って首をかしげた。微妙な沈黙が降りる。
アヴドゥルは眉間をほぐすように指で揉む。何があってものようだ。どう考えてもそれはよこしまな意図を持った相手に胸を触られた少女の言葉ではない。
「(もっと自覚を持って抵抗してくれ……)」
瞬間的に湧き上がった猿への怒りがへの呆れに切り替わって、アヴドゥルは「フウー……」とため息をついた。奇しくも同じタイミングで、承太郎が「やれやれ」と呟く。
ねェねェと説明をねだる少女には、「大人になったら自分で調べてくれ」としか言いようがなかった。