嵐は春をのせてやってくる。
この場合はハロウィンが少女を連れてきたと言うべきか、少女がハロウィンを引っ張ってきたと言うべきか、とにかくそいつはパワフルな襲撃だった。寝起きのテイにハイテンションな刃を突きつけられたポルナレフは不運極まりない。あのの訪問に無警戒でいた彼にも責任があるかもしれないが、のんびりした夢に半分身体を浸しながらシーツを引きずっていてはまともな判断もできまい。少なくとも今は平和なのだし、日本の優良ホテルに押し込み強盗もなかろうと高を括っていた。しかしある意味、彼女は強盗に似ていた。
「なんっだよ、ンな朝っぱらから……」
長めの髪をぐしゃぐしゃと手でかき回し、足に引っ掛けていたシーツを蹴り飛ばす。
「朝って言っても、もう9時だし」
「朝だろ、どう考えても……、ッ!?」
ポルナレフは眠い目をこすり、ぎょっとして空気の塊を呑み込んだ。
「トリック・オア・トリート!」
の声でらしい台詞を叫んだのは仮面の女だった。物騒と血みどろの象徴といえる顔を貼り付け、ご丁寧に返り血まで浴びた姿で片手を差し出す。
カレンダーに印がついていなくても街を歩いていればすぐにわかる。この季節、商店街はオレンジ色のカボチャとコウモリとゴーストの飾りで盛り上がっているし、コンビニにはカボチャ関連のお菓子が大量に並ぶ。あー、と頭を掻いた。寝起きでちょっぴりテンションが低い。小型冷蔵庫をちらりと見やり、そこにトニックウォーターしかなかったことを思い出した。
「あとで買ってやっから、先に別のトコで貰っとけよ。今は持ってねえ」
「"持ってない"」
「う、いや、まあ、持ってねえっつうか、でもそりゃあ『今』の話だぜ
「"持ってない"」
「……」
仮面の奥で丸い瞳が輝いている気がする。ああ、とポルナレフは胸の中で吐き捨てた。ああ、持ってないさ。寝込みを襲ってくる方が悪いんだ。
けれどの性格を知っていれば、彼女は早朝からだって攻撃を辞さないと予測できたはずだった。すっかり忘れてスポーツの特番を見ていたポルナレフにも非はある。あるでしょ。あるに違いない。の主張はこんな感じだ。
だから、お菓子を要求しても問題なし。
年末に向けてじわじわと高揚し出したの心は止まらない。だってはイベントごとが大好きなのだ。去年の年末から友情が始まり、時は早くも1年が経とうとしている。すべてが初めてづくしなので、せめて今年だけでも逃したくなかった。誰もが忘れがちで、知りもしない人が多いけれど、がこの世界で深い深い絆を結んだのは、あの旅を共にした人たちだけだった。だから余計にやり遂げたくなる。
あの世界の幼馴染は今頃、不愛想で照れ屋な先輩と一緒にパンプキンパイでも食べているかもしれない。武闘派な先輩と優雅な先輩と勝ち気な同級生と陽気な同級生と可愛らしい後輩たちを交え、凛々しいワンコと戯れながら。
「ぎぶみースイーツ!キャンディ、チョコレート、グミ、クッキー、マシュマロ、ヌガー、ケーキ、ラスク、カステラ、ようかん、おまんじゅう、大福、お団子、おはぎ、わたがし!さもなくば撃つ」
「シャレにならねえよそのピストル」
突きつけられた銀色の銃は常にの太ももで輝くそれだ。心臓に悪いだけで撃たれてもどうってことはない。
「で、本当にないの?」
「……」
もしも彼が波紋を使えるイタリア人だったならば、ひどく悩んだことだろう。目の前の女性を悲しませない返事とは、肯定か否定か、どちらだろうかと。
悩んでいる間に、はぷうと頬を膨らませて顔を背けた。頬を膨らませた顔は仮面に隠されて見えなかったが。
「いいよ、ないんだったら」
「悪かったって。後で買ってやるから。な?」
「うん」
バイバイ、と悪戯っぽい声が翻る。物騒なモンスターはポルナレフに背を向け、嵐のように走り去った。
残された男は立ち尽くし、次なる犠牲者にエールを送った。

別の階に宿泊しているのはモハメド・アヴドゥル。の恋人だ。
ちこーん、と501号室の呼び鈴を鳴らす。大好きな人にも容赦をしないのがペルソナ使い流の愛情表現か。
「アヴドゥルさーん」
宿泊者が顔を覗かせる前に仮面を装着するが、その時にふとドアノブが目に入った。てっきり『起こさないでください』の札がかかっているものと思っていたけれど、札に隠れて小さな紙袋もさがっている。爆弾だったりして、と自分で自分のジョークを笑い飛ばしながら、はそれを手に取った。案の定、紙袋の中身はへのプレゼントだった。正確には彼女を黙らせるためのエサである。
「アヴドゥルさんって、私のことよくわかってるなあ!」
仮面を外してもう一度部屋の戸を叩くも、アヴドゥルは出てこなかった。手が離せないので、いつ襲来するとも知れないのためにやむを得ずドアノブを利用したのだろう。は明るい笑みを浮かべてトリートを誘拐した。

血のりとはいえ、返り血を浴びた格好では街に繰り出せない。渋い決断だったが、は502号室で服を着替えた。襟のあるシャツとショートパンツと黒タイツを身に着ける。シャツにはファンシーなゴーストのピンズをつけ、ショートパンツはふんわりしてカボチャを思わせるデザインだ。黒タイツの足首あたりにはコウモリ型の飾りがついていた。どこからどう見てもハロウィンに浮かれた少女でしかない。鏡に映るは髪を撫でつけた。トートバッグに物騒な仮面をしのばせる。
「あ、そうだ」
椅子の上に投げてあったビニール袋も入れておく。

空条邸の敷地に踏み入ると、チャイムを鳴らす前にホリィが現れた。
「あらっ、ちゃん!可愛い格好をしているわ!」
「わ、ありがとうございます!ホリィさん、見てください。トリック・オア・トリートですよ」
バッグから取り出した禍々しい仮面に、ホリィは目を丸くする。
「鉈はないの?」
「捕まっちゃうかなって思って」
「それもそうね」
あっさり微笑み合って、は見事に空条邸へ侵入を果たした。非常に合法的だ。靴を脱ぎ、仮面をつけたまま廊下を進む。鉈の代わりにと丸めた新聞紙を持つことにした。
障子戸が開く音に、そわそわと姿勢を正した花京院がを見る。
「うわあああああ!!」
和やかな空条邸の朝に似つかわしくないアイスホッケーのマスクは花京院の寿命を数年縮めた。心臓がばくばく早鐘を打ち、後ずさりしたまま硬直して動けなくなる。相手がだと気づいても衝撃はなかなか抜けなかった。
「な、な、な」
「お菓子くれなきゃ悪戯するぞー」
間の抜けた台詞に、ようやく花京院は我に返った。
!洋モノのホラーゲームじゃあないんだから……ッ!」
「洋モノって言うとなんかエロくない?」
「今はもう君を諌めるのも嫌だ」
うんざりした顔はこの1,2分でかなり疲労していた。は畳の上にちょこんと座り込んだが、首から上に果てしない違和感と正視に堪えないおぞましさがあり、花京院は彼女を素直な気持ちで見られなかった。
「お菓子だったっけ」
「うん」
「持ってないから、後で買って渡す……っていうのは駄目かな」
「花京院もポルナレフと同じかあ」
「ごめん。というか、ポルナレフにはもう仕掛けたんだね。同じホテルだから当然か」
「まだ寝てたんだよ。9時過ぎてたのに」
は何時に起きたんだい?」
「6時」
「気合が入りすぎだよ……」
わくわくしながら小道具を用意したのだろうな。いい加減に仮面を取ってくれないかな。花京院はテレビを見るふりをした。
そんな花京院にお菓子のリクエストを投げつけてからは立ち上がった。承太郎の部屋に行くつもりだ。花京院はすぐに察し、上階の彼に十字を切った。
「花京院って今日もこっちに泊まるの?」
「テストが近いからね。承太郎と勉強会でも、と思って」
花京院にとって、こんな体験はこれまでにない。照れくさいけれど、ハロウィンに興奮すると同じく、花京院もまた友人の家への連泊を幸福に満喫していた。
彼の気持ちを理解したのか、は仮面の下でニッコリした。遮られていても、花京院には彼女の笑顔がよくわかる。
「急に来ちゃってごめんね。お詫びにこれあげる。食べさししか持ってなくてごめんなんだけど」
はバッグの中のビニール袋からガムを取り出した。いい友人を持った、と思う。
その解釈がちょっぴり間違っていたと知るのは、が出て行った直後のことだ。
「……」
ガムを取り出した指に、バネがばちんと叩きつけられた。パッチンガムだった。

花京院にささやかな悪戯を仕掛けたは、晴れ晴れした気持ちで承太郎を見上げる。部屋にはどうしても入れたくないらしく、訪問を告げるとわざわざ廊下に出てきたのだ。が何を言いたいのかはすべて理解しているようで、承太郎の手には袋があった。
「準備してたの!やったー……ってこれイギーのじゃん!!」
「じゅうぶんだろ」
「ひどい!」
しかし受け取ってしまったものは仕方がない。食べられるのかな、と物騒な顔で小首を傾げる。承太郎の部屋からひょいと出てきたイギーにジャーキーを突きつけると彼は嫌そうに鼻を鳴らしたので、は期待しないことにした。
「食うなよ」
極めつけがこれだ。は鉈代わりの新聞紙を振り上げた。

ホテルに戻ったは、ちょうどラウンジに下りていたアヴドゥルと鉢合わせた。少女は途端にパッと顔を輝かせる。
駆ける恋人を待ち、偉丈夫は肩を竦めた。
「もう出かけてきたのか?」
「はい!あとはジョースターさんだけなんですけど……今回は残念です」
の保護者、ジョセフ・ジョースターは今アメリカにいる。度重なる訪日に堪忍袋の緒が切れた細君により、缶詰め状態でペンを握らされているとのことだ。可哀想だし残念だけれど、にはどうしようもない。
アヴドゥルも苦笑する。
朝9時ごろの話だ。シャワーでざっと身体を流すつもりが、フロントからの呼び出しで慌ててバスローブを身に着けた。濡れた姿で受話器を持ち上げた瞬間に部屋のチャイムが鳴ったが呼ばれても出られず、アヴドゥルはため息を隠して尊敬すべき老人の愚痴に付き合った。きちんと着替えてからドアを開けると、当然そこには誰も居なかったが、恋人に向けて用意した紙袋が消えていた。地味に忙しない。
「中身はもう見たか?……その、気に入るといいんだが」
「アヴドゥルさんから貰ったもので、気に入らないものがあるわけないですよ!犬のジャーキーでも全然!」
「何であってもそう言うから心配なんだ。君も犬のジャーキーはさすがに怒ってくれ」
「ええー。嬉しいのに」
だって本当に嬉しいのだ。の想いは伝わっているようで伝わらない。
「なぜジャーキーが出て来たんだ?」
「承太郎がくれたんです」
「……」
更に愛を叫ぼうとした彼女の横、エレベータの方から聞き慣れた男の声が飛ぶ。とアヴドゥルの組み合わせは見た目からしてとても目立っていた。
驚いて一歩下がった二人は、すぐに身体を戻す。きちんとヘアスタイルを整えたフランス人が足音高らかにを目指していた。アヴドゥルには何となく理由がわかる。おおかた、ポルナレフはハロウィンの準備をしていなかったのだ。見事に悪戯を食らったか。
、テメーなあ!!ドアの札掛け替えただろ!?『掃除をお願いします』……じゃねえよ!!スゲエビビったぜ!」
「あははは!」
「笑い事じゃねーっつーの!菓子は後で買ってやるって言ったのによォ」
「トリック・オア・トリートと将棋に『待った』はないんだよ」
、将棋の『待った』はそういう意味だったか?」
「さあ……?」
「君は大雑把だな……」
ポルナレフはがっくりと肩を落とした。適当に用意しておくんだった。何度目かわからない後悔に沈む。
余りにも消沈しているので、犬のジャーキーでも良かったとはまだ言わないでおこう、とアヴドゥルは密かに目を伏せた。