拍手お礼 ペルソナ使い


ふかふかの枕に気だるく頭をうずめ、ショーツだけを身に着け、シーツでお尻から胸までを隠していたは、ぱちりと目を開いて身体を起こした。そうだ、海へ行こう。
こぼれるほどもない胸に下着もつけずにキャミソールをかぶり、裾の長いそれで足の付け根までをかろうじて隠し、ぱたぱたとスリッパを鳴らして風呂場に向かう。中からきこえる水音に構わず扉をノックすると、どうした、と返事があった。
「パンとご飯どっちにしますかー」
に合わせる」
「はーい」
キッチンに行きがてら、電話の子機を取り上げて番号を押す。ぷるるるる。もしもし、花京院です。
「あ、花京院?私私。今日暇?」
、おはよう。今日かい?まあ、予定はないけれど」
「海行かない?」
「……え?」
電話の向こうで、花京院は停止した。海?海ってあの海かい?訊ねられて、はそうだよと返す。他になんの海があるの?
トースターに食パンをセットしてタイマーを回す。コンセントがささっていないことに気づいたので、適当にさしておいた。トースターがオレンジの光を放つのを見ずに、電話を肩と耳で挟んでフライパンを取り出した。
「突然、どうしたの?」
「ほら、夏だし。皆で一回も行ったことないでしょ、海水浴。だからまず花京院に連絡してみたの」
「そうかい。僕は構わないよ。何時にどこで待ち合わせする?」
「あとで連絡する。ジョセフさんに車借りていいか聞くから」
わかった、と花京院は頷いて電話を切った。は片手でまた番号を押して、フライパンを熱しながら取りだした卵を布巾の上に置いた。片手で油をひき、こんこん、シンクの角で殻を割る。ノックしてもしもーし。
「ホリィさん!おはようございます。ジョセフさんいますか?」
朗らかな声で応答したホリィは、ちょっと待ってねと呼び出し音のメロディを流した。焼けていく白身を見つめつつ数十秒待っていると、音楽が途切れて眠そうな声が耳朶を打つ。は大雑把に事情を説明した。ジョセフがだんだんと目覚めてきた思考で面白そうに相槌を打ち、わしも行くぞ!と呼んでもいないのに名乗りを上げた。
「え、暇なんですか?」
、なかなかわしに厳しいなア。休暇で来ておるんじゃからいつも暇じゃよ」
「承太郎は来ますかね?」
「ん?まあ、わしが誘えば来るじゃろ。どんと任せなさい、ハハハハハ」
朝から、に負けず劣らずハイテンションな老爺である。もけらけら笑って承太郎のことを任せると、待ち合わせの場所と時間を相談した。今は8時だから、10時くらいに空条邸の前で待ち合わせすれば、お昼前に海につくだろう。蓋をしたフライパンに背を向けて食器を取出し、はへーいとノンキな声を出した。電話を切って、すぐに花京院にかけ直す。時間と場所を伝えると、ジョセフさんは相変わらずだねと青年が苦笑した。ポルナレフには僕から連絡しておくよと花京院が言ったので、は切った電話をそのままテーブルの上に置いておいた。
「またそんな恰好をして……。……朝から電話をしていたようだが、何かあったか?」
切ったきゅうりの端をぽりぽり齧っていたは、後ろから声をかけられて振り返った。シャワーから戻ったアヴドゥルが、夏らしい、それでいてラフな印象のない格好で呆れたようにため息をつく。が振り返った拍子に、薄い肩からキャミソールの肩ひもが落ちたためだ。
「暑いんですもん。あ、今日は私出かけようと思うんですけど、アヴドゥルさんはどうでしょう、お暇ですか?」
「それはもちろん、時間はあるが。どこへ行くんだ?」
はキラッと目を輝かせて笑った。
「海です!」

海水浴というのは、こんな突発的に企画されるものだっただろうか。ジョセフの運転するワゴン車に乗りながら、花京院はがやがやと騒がしい車内をバックミラーで見た。
イギーは涼しい空条邸から離れたくなかったのか、がジャーキーで釣ってもがんとして扇風機の前から動かなかったが、彼以外のすべてのメンバーがそろっている。定期的に日本にやってくるポルナレフや、進学先から夏季休暇で戻ってきた承太郎、サマーバケーションじゃよと笑ってかなり長い期間を空条邸で過ごしているジョセフ、大学の休みを利用して好き勝手色んなところへ出歩いていると、2か月ぶりに日本を、あるいはを訪れたアヴドゥル、そして長期休暇の課題に一息ついた花京院だ。それぞれ思い思いの荷物を持って車に乗り込んでいる。準備よく、お菓子を持ち込んだのはだ。夏の暑さにとけるようなチョコ菓子はなく、おかきやスナック菓子などの食べやすい物ばかりである。
「急だったからよォー、承太郎ンちにあった水着借りちまったぜ」
「お、ビキニ?ビキニ?」
「ぎゃはははは、ビキニ履いてる承太郎とかやめろよっぎゃははは」
ポルナレフに笑いながら指を指されて、承太郎はその指をつまんで関節と逆の方向に力を込めた。悲鳴を上げたポルナレフを今度はが笑った。場が盛り上がり、ひとしきり美男美女の水着姿についての談義を交わすと、は非常に残念そうに座席にもたれた。
「私さあ、貧乳じゃん?だからビキニ着ても盛り上がらないんだよねえー」
「それはそれでニッチなとこ突くんじゃねえの?マニア向けっつーかさ」
「なるほどねー。マニア向けと言えばさあ、例えばアブノーマルな楽しみを追及するとしてさ、紐系のビキニがあるとするじゃん?」
ポルナレフが頷く。切り返しの部分や、布の支えとなる部分が紐のように細いビキニだ。時に、下ばきのサイドの部分がリボン結びになっていたりする。
「どう、アレ、解く?それとも切る?それともそのま――」
、私の言いたいことを察してくれると助かるのだがな」
「最近下ネタ規制が厳しいですねアヴドゥルさん。ちなみに私は切る!」
「俺は脱がすぜ!」
なにおう、とが座席から横に身を乗り出して、後ろの席に座るポルナレフにかみつく。せっかく紐があるのにただの水着と同じ扱いをするってことか、それは紐系ビキニへの冒涜ではないのか。ポルナレフはチッチッチと指を振った。だからこそいいんじゃあねえか、どうにでもできるそのよわっちい紐を放置することでこっちの余裕とある種のエロスがだな。とうとうと語りだしたポルナレフに、は真剣なまなざしでなるほどとうなずいた。
「ポルナレフの意見にも一理あるね。私の趣味じゃないけど、それはそれですごくいい!」
アヴドゥルさんはどうですかね、振り返ったの口に、棒つきキャンディが突っ込まれた。

砂浜にシートとパラソルを広げたは、固定する杭をビーチサンダルの底で踏みつけて、よし、とガッツポーズをとった。
「海だーっ!」
きらきらと太陽の光を乱反射する海の水面や、その奥の水平線からたちのぼるような白い雲、熱されて素足では熱すぎる砂浜と、ちらばる貝殻の群れに興奮したのか、はジョセフに抱き着いた。後ろからのタックルに一歩踏み込んで耐えたジョセフは、腹の横からつきだされたの手を取ってやんややんやと軽く踊る。ジジイとのテンションはうなぎのぼりだった。
くるくる回転して離れたは、ぴっちりしたTシャツと海パン姿で崩したあぐらをかいていた承太郎に、後ろから首にかじりつくように体重をかけた。承太郎は微動だにせず、拾い上げた貝殻をひっくり返したり日にすかしたりしていた。気に入ったのか興味を引いたのか、それを脱いだ上着のポケットに入れていた。
「承太郎は泳ぐの?」
「……せっかくだからな。スタープラチナで中を見て、良さそうなものがあったら取って帰るぜ」
「野性的!!」
密猟に引っかからないようにしろよ!はぱっと離れて次の獲物をさがした。目が合ってしまった花京院がぎょっと身を引く。サンダルの中に砂が入るのも構わず、は砂を蹴って花京院に肉薄した。両手をとられてせっせっせーのよいよいよい。花京院はのテンションに何度目かわからない苦笑をこぼした。
「日焼け止めはちゃんと塗りなね」
「あ、そうそう、そうだね!」
何度もうなずいたは、自分のバッグの傍にしゃがむと、中から日焼け止めを取り出した。カチャカチャと音を鳴らして振る。
「ポルナレフ塗っとく?」
「おー、そうだなー」
海に入るのだからどうせ落ちるだろうけれど。は手のひらサイズの日焼け止めクリームをポルナレフに渡した。受け取ったポルナレフはすでにゆったりとした海パン一丁で堂々としている。
は水着着ねえの?」
「ん?私?」
きょろきょろと面白そうなものを探していたは、ポルナレフに首をかしげられて、きょとんと問い返した。自分の格好を見下ろす。袖のない、ちょっと装飾の施されたキャミソールと、暑い暑いというくせに、七分丈のズボンをはいている。
「私おっぱいないからね!」
にっこり笑ったは、背中塗ってあげるよとポルナレフから日焼け止めをもぎ取った。
「あっ、オメー、手形に焼くとかそういうことすんなよ!?」
「えっなんでわかったの……」
「オメーの考えることなんてオミトオシなんだよ!」

ポルナレフにビーチボールをぶつけられた花京院がそれをハイエロファントで投げ返したことから始まった無差別スタンドビーチバレーを眺めながら、はさくさくとイチゴ味のかき氷を崩していた。パラソルの日陰の下でのことだ。隣にはブドウ味のかき氷をつつくジョセフと、いつものように本に目を落とすアヴドゥルがいる。アヴドゥルのそばには、いつものローブがあった。
「ジョセフさん、べーして、べー」
「ん?こうか?」
「あはははは、やっぱり舌紫になってますよ!」
なに!と目を丸くしたジョセフに、は自分も舌を出して示して見せる。イチゴシロップの着色料でいつもよりずっと赤くなった舌に、ジョセフは感心したような声を上げた。不健康なものはうまいというわけじゃな。ザッツライ。
ジョセフは再び氷にとりかかり、それから優しい声で言った。
「今度はアメリカに遊びに来るといい。そうしたら、わしのプライベートビーチに招待しよう」
「えッ、浜持ってるんですか!?」
「うむ」
すごいですね。無邪気に目を輝かせるからは、楽しそうな気配しか伝わってこないが、ジョセフは彼女が水着を着ない理由を知っていた。色のあるタイツを履かなければ、絶対に短いズボンをはかなくなった理由を知っていた。
ジョセフのプライベートビーチを想像しながらかき氷を口に運ぶの頭上で、アヴドゥルとジョセフはそっと視線を交わす。ジョセフのウインクに、アヴドゥルはふっと笑った。

「おーい、!悪ィけどこれ取りにきてくんねー!?」
「ほーい」
大きく手を振ったポルナレフに、は立ち上がった。アヴドゥルとの話を中断し、サンダルを履くこともなく、素足で砂浜を駆けだす。太陽は中天を越えたが、まだ高く、ぎらぎらと照りつける。走り出したの白いキャミソールについた控えめな装飾がきらりと光り、アヴドゥルは目を細めた。波打ち際ギリギリのところに立っているポルナレフに近寄ったは、どれ、と手を差し出して、その無防備な腰をポルナレフにがっしり掴まれた。
「ひえ!?」
俵担ぎのように軽々担がれ、ポルナレフがざぶざぶと海に入っていく。アヴドゥルは立ち上がっての足跡を追った。浅瀬にざぶんと落とされたは、ポルナレフの腕にしがみつきながら波に揺られている。
「な、な、なにすんの、ポルナレフー!!アホかー!着替えもってないっての!」
「だーってオメー、ずうっと日陰にいるんだもんよ。せっかく海に来たんだから一度は入んねえとだめだろー」
「な、なるほど……いや違う違う!花京院も承太郎もグルか!?」
花京院は笑顔で視線をそらし、承太郎は海水に濡れた髪をかきあげた。気のせいか、腕の中に貝がいっぱいある。はすっかりずぶぬれで、水の中でゆらゆらとめくれあがって踊るキャミソールの裾を見た。ポルナレフの笑顔を見て、海の向こうを見て、波打ち際に立つアヴドゥルを見た。
「あははははは!」
は笑って指をくんだ。ポルナレフを見たまま後ろに下がって、ピュッ、握った手の隙間から鋭い水鉄砲を食らわせた。口元に直撃した海水に、ポルナレフが泡を食って体勢を崩す。げらげらと指をさして笑われて、ポルナレフが反撃に出た。大きな手で海水をばじゃばじゃにかける。は楽しそうに悲鳴を上げながら身を守って、その眩しい笑顔が、アヴドゥルのまぶたの裏に焼き付いた。

は腰に手を当てた。白いキャミソールがびしょびしょに濡れて透けていることには気づいていない。そっと視線を逸らした花京院にも気づかないまま、スポーツタオルで髪をかきまわした。
「明日は筋肉痛かな?」
「だっせえなー、貧弱だぜ」
「うっさい、私は頭脳派なの!」
げらげら、ポルナレフが腹を抱えた。も本気で言ったわけではなく、自分の言葉に受けまくっている。
ホリィが気を利かせて承太郎の荷物に紛れ込ませた、かぶるタイプのバスタオルを渡されて、はホリィに拍手を送った。すごい、あの人は先見の明があるのだろうか。
「これパンツも脱ぐのはいいけど、タオルにくるまったまま車に乗ればいいかな?」
「あー……その、下着はつけておけば?」
「でもぐしょぐしょだし。濡れまくってて気持ちわるいよ」
バツが悪そうに言った花京院に言葉という無自覚の爆弾を投げつけ、可哀そうな青年を撃沈させたは、するりと下着から足を抜いた。旅で他人に慣れすぎて、まったく頓着がない。アヴドゥルはお菓子の入っていた色のついたビニール袋を渡してやった。は礼を言ってそこに濡れたものをすべて入れ、くるくると丸めてほどけないようにする。バスタオルにくるまったまま自分のバッグにつっこんで、どうしましょう、とアヴドゥルに向かって首をかしげた。
「寒くはないのか?」
は外気を意識するようにちょっと沈黙した。
「んー……平気かな?寒くなったらアヴドゥルさんで暖を取ります!」
「そうか。上に羽織ってきたパーカーがあっただろう。あれを着て、差し支えなければ私の上着にくるまるといい」
シートの上に置いてあったローブの砂を払って、アヴドゥルは言った。はちょっとの間それを眺めて、なるほど。小さく頷く。
「彼シャツの緊急事態版ですね」
ジョセフが笑いすぎて噎せた。

は車に乗り込むまでの間、ずっと全員の左側を歩いていた。一番の左端にはアヴドゥルがいて、彼に挟まれるようにしてがあり、右にずらりと仲間が続く。座席に腰を落ち着けたは、どうしてもスースーする左足を気にした。
スッキリするガムを噛みながら、花京院を下ろし、ポルナレフのホテルの前につけ、そしてのアパートの前まで運転してきたジョセフは、開いた扉から先に降りたアヴドゥルを見てくすりと笑った。降りづらそうにしているに腕を伸ばしたアヴドゥルは、の左半身が自分の方に来るように、の背中と足を支えて抱き上げたのだ。
「あ、アヴドゥルさん!?」
びっくりして、それでも習慣からかアヴドゥルの首に腕を回したに、ジョセフはひらひらと手を振った。
「今日は楽しかったよ、。また誘っておくれ」
「あ……はい、私も楽しかったです!ありがとうございました。承太郎、おやすみ!」
承太郎は窓越しに無言で頷いた。ボタン一つでドアを閉めたジョセフは、片手を振りながらアクセルを踏み込む。身体は疲労していたが、心地よい感覚だ。

アパートの階段を危なげなくのぼったアヴドゥルは、腕の中のに鍵を開けるよう言った。
「いや、……あの、あ、はい……」
何かを言おうとして何も出てこず、はバッグのポケットから鍵を取り出した。わずかに開いた隙間に足を突っ込んで大きく開け放ったアヴドゥルは、そのまま玄関にを下ろす。ローブの前をあわせたは、玄関の明かりをつけて、困ったように笑った。
「ありがとうございます。すみません、いつまでも変なこと気にしてて」
「いや、構わない。……楽しかったか?」
「……はい!とっても!」
弾けるような声と笑顔が返ってきて、アヴドゥルは目を細めた。靴を脱いだが飛びつくように抱き着いてきて、揺らがずにそれを受け止める。すりりと頬を擦り付けられて、アヴドゥルの指が、すこしきしむ短い髪をなでた。
「あ」
くぐもった声と共にがすすすすと距離を取った。
「どうした?」
「……え、いや、いま、私ノーパンだったんで、ちょっと恥ずかしくなりました」
「……」
キャミソールとショーツだけでキッチンに立っていた人物の言葉とは思えない。
ゆるゆると紅潮していくの頬に、アヴドゥルは声を立てて笑った。