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本編後 付き合っている


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まーたわけわかんないこと言い出したよ、この人。

こうなると僕が取るべき段取りはおおよそ決まってくる。この人の目の前の皿とコップを遠ざけて自分用に追加のお冷やを注ぎ、新しいおしぼりを注文してからスマホで1本連絡を入れるのだ。相手は忙しい身だけれど、こうなったさんを引き取れるのはあの人しかいないし、僕があれこれと世話を焼いて介抱し続けるよりかずっと話が早く済む。あと単純に、彼女の所在と状態が曖昧なまま放置しておくとあの人のほうから連絡が入るので僕が気まずい。
たとえばさんのスマホに電話がかかってきても彼女は気づかなくて反応できないわけだから僕が出るしかなくて、でもフツーに考えて『恋人に電話をかけたのに男が出る』ってシチュエーションは印象がよくないだろう。
そりゃあ僕はこの人ともあの人とも知らぬ仲ではないけれど。
そんなこと、あの人もわかりきっているだろうけれど。
(僕が嫌だ)
思い出したくない沈黙が脳裏に蘇る。
申し訳ないと思いつつも電話に出て「もしもしすみませんレオナルドです、さんの代わりに出ました」と言ったあとに空いた一拍の静寂と、何事もなかったかのように「ああ、ツブれたのか」と恋人の状況を言い当てたスティーブンさんの声。
嫌すぎる。

残りの串焼きを食べながら、話半分くらいに「はあ」と相槌を打つ。
左手の薬指に嵌めた指輪をきらりとさせる女の人は、うー、と唸ってテーブルに突っ伏した。
「結婚ラッシュだよーレオー。マリッジブルーのお客さんが3人来てさー、朝に1人、お昼に1人、休憩時間には同僚が相談してきて、朝に来た人がまた夕方に来てずーっとため息ついててさー」
飲みすぎてはいないからただ愚痴りたいだけなのだろう。僕はまた「はあ」と首を簡単に動かした。
さんは行儀悪くグラスを傾けて、くぴりとお酒を飲んだ。薔薇色のスパークリングワインが綺麗だ。
「その割に婚約指輪見せつけてくるの!他人の指輪の値段とかどーでもいいし!とか思わない?我ながら上手に相手したと思う」
「そーですね、不安がってる人のフォローって気ィつかいますしね」
「だよね。逆にレオにいっつも迷惑かけてるなって反省したとこもあるけどやっぱストレス溜まる」
何が『逆に』なのかはちょっと僕にはわからなかった。反面教師って意味だろうか。
細い指先がテーブルを這う。僕はまたお皿を遠ざけた。戯れるみたいに左手がそれを追う。
行き場のなさそうな手に新しいおしぼりを差し出すと、さんは片手だけで不器用に封を切った。
「婚約指輪って憧れるよね」
「へ?」
脈絡は死んだみたいだ。
「ちょっぴし、いいなー!ってなった。レオはどう?婚約指輪とか結婚指輪を嵌めて生活してる自分の姿、想像できる?わくわくする?どんな指輪がいい?」
「え、ええ?……そーですね……、想像はできない、ような……」
強制的に浮かべさせられた予想図では、僕は何処かの誰かと指輪を共有した翌日にヘルサレムズ・ロットのてんやわんやに巻き込まれて婚約の証を紛失あるいは喪失していた。あながち間違いではなさそうな現実味が虚しく切ない。
僕の平凡かつつまらない正直な答えがお気に召したのか、彼女はむしろスッキリした顔で何度も頷いた。
「ヘルサレムズ・ロットだもんね」
「ヘルサレムズ・ロットですから」
「でも欲しいよね」
「そーいうモンですか」
「イメージなんだけど、この間レオに教えてもらったゲームあるじゃん」
そういえばスマホでできる簡単なゲームを探していた彼女に流行りのものを教えたんだっけ。
「アレで手に入れられる……称号?みたいな感じなのかも」
人生の岐路を迎えた証の物体をゲームの称号扱いするのはどうなのだろうか。本人が納得しているならいいけれども。
「で、スティーブンさんからその称号が欲しい、と」
「絶対ときめくもん。ぶっちゃけスティーブンってモテるしお仕事あるし婚約指輪とか笛ラムネ程度の軽さで10万個くらいばら撒いてても違和感ないけど、10万と1人に数えられたい」
力説する前にもう少し自己評価を高めて欲しい。
「何の話だい?」
不意に磨りガラスに影がさして、ひょいと見慣れた人が顔を覗かせた。
途端にさんが飛び上がってお行儀よく席に腰かけ直す。手櫛でサッと前髪を整えたりして、そこだけ見ればただの恋する女性だった。それも片想いなほうの。
席をずれてスペースをあけようとすると、スティーブンさんは僕に軽く片手を振って至極自然に恋人の隣に腰かけた。さんはソファ席の上を荷物がごとく手で押されて壁際に寄せられ、スティーブンさんの思ってもみなかった行動に動揺して彫像と化していた。
どこにでもあるお酒とどこにでもあるツマミを何も見ないまま注文したスティーブンさんが「それで」と温和に首を傾げた。
「何の話だい?気のせいじゃなければ僕の名前が聞こえたけど」
件の人はまだ胸をドキドキさせたままみたいで、自分の膝とスーツの膝が触れ合う距離に感極まって深呼吸を繰り返していた。大丈夫なんだろうか。
仕方がないから僕が言う。
回答も結末もわかりきっている茶番じみた顛末を。
さんの周りで結婚ラッシュが続いてるみたいで」
「めでたい話だ」
「指輪に憧れるって話をしてました」
「なんだ、君、指輪なんか欲しいのか?」
酒の注がれたグラスを揺らして氷の音を立てたスティーブンさんによる土下座してでもご教授願いたくなるレベルでの高次な目線からぶつけられた残酷な質問は僕の小鳥みたいな純情をも破壊した。直撃した彼女へのダメージはいかばかりか、少しかわいそうだった。
「だって婚約指輪とか結婚指輪とか、すっごい見せつけられたんだよ!」
「と言うと?」
「幼馴染との甘酸っぱい恋愛の末に初めて出会った公園で渡された婚約指輪!」
「純粋だ」
「職場の苦手だった上司と犯してしまった一夜の過ちから始まって壁ドンとか不器用な雨の日の……忘れた!なんかそういうのを超えた末に普段は堂々としてる上司がチョー緊張しながら差し出してきた婚約指輪!」
「ドラマチックだ」
「ホストクラブがきっかけで出会った人間不信なチャラ男との大恋愛の末に自分から渡そうとしたのに相手も同じのを用意してて笑い合うことになった婚約指輪!」
「哲学的だなあ」
「こんなのを1日のうちに連続でぶつけられたら『いいかも……』ってなってもおかしくなくない?」
「そうだなあ。この串焼きうまいな」
心のこもっていない相槌だ。あとそれは僕の串焼きだ。
「……スティーブン、ゆびわほしい、って言ったらくれる?100均とかのでいいから」
持ってるじゃないですかとは言わなかった。
「うーん。指輪はあげられないなあ」
「だよねー」
「ちなみに、どうしてあげられないかわかるかい?」
聞いていてウッとなるほど柔らかな声音だったが、問われたさんは唇をとがらせて拗ねていたので気づかなかった。
「もう10万個配ってるから」
「レオナルド、彼女何杯飲んでる?」
「まだ2杯ですよ」
もうすぐなくなりそうなロゼワイン。
グラスを弄ぶ左手の薬指にある指輪は僕にだってそのヤバさが理解できるのに。
さんのために、さんのことだけを考えて、さんの左手の薬指にしか合わないものを作らせて、自らさんの前に跪いて、手ずから嵌めた指輪。
さっさと全部を説明するか、さっさと全部に気がつくか、どちらかに転んでくれないとこちらの胃が痛いばっかりだ。

「あ、この串焼きおいしいね」
「……それ僕の串焼きですよ」
「知ってるー」
あと、この人は気持ちの切り替えと話題の入れ替わりが激しすぎて、たまに、疲れる。



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