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本編終了後。


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エプロンをつけて向かい合う。
なぜこうなったのかの説明は省くが、私はスティーブンに料理を教わることになった。詳しく掘り下げていけば悲喜こもごもの理由が転がり散っているのだけど、現実逃避にかまけて手元をおろそかにすると怖いのでやめておくべきだ。
「よろしくお願いします」
「こちらこそ。ヴェデッドには何を教わる予定だったんだっけ?」
「ポテトサラダか、野菜スープ」
「そうか。じゃあポテトサラダにしよう」
「なんで?」
「僕が食べたい」
「……あ、そうですか……」
責任重大だ。
食べたい人が監督なのだから悪い事態には突入するまい。そう信じよう。

ふつふつとお湯を沸かす横でカッティング・ボードを睨む。品質の高いまな板は、下手に刃を当てることがためらわれる。
スティーブンはこちらの利き手とは逆側に立ち、わかりやすく手を丸めた。
「添える手はまるめる」
「はい」
いわゆる『猫の手』というやつだ。
家庭科の授業でやったなあと思い出し、丁寧なイチョウ切りを生めるよう真剣に包丁を入れる。
3回切ったところで心が折れかけた。
「すべてが乱切りになります」
「そんなことはないけど」
「難しいね」
「慣れれば大丈夫になるさ」
話に気を取られたまま手を動かそうとして、「手」と指摘される。いつの間にか猫の手がほどけて人間になっていた。
野菜を支えづらいから、指を切りさえしなければこのままでも大丈夫なのだろうけど。
「スティーブンもいつもこうしてる?」
「してるよ。切りたくないからね」
「そっか」
仕方ない、猫でいるとしよう。
ストンストンとゆっくり音を立てて着実に切っていく。茹で具合に影響するからなるべく均一に、と心がける。
「あ……」
集中しているうちに袖がずり落ちた。
包丁を持つ手も野菜を押さえる手も濡れてしまっていて、エプロンで拭く選択肢が浮かばなかった私は、少しだけ困って手を止めた。
とりあえず手を拭こう。
布巾を探して目をうろつかせ、自分の身体から注意がそれた瞬間、服と腕に触れるものを感じて、勝手にびくりと肩が跳ねた。
「あの」
「ん? はい次、右」
言われるがまま右腕を差し出してしまった。
スティーブンは看護師が血圧を測るのと同じような無感動さでてきぱきとこちらの服の袖を捲った。私がやるよりも上手く、簡単には落ちなさそうだ。
「……ありがとう」
「違和感はない?」
「大丈夫」
「よし。なら続けようか」
「はい」
言及して盛大に騒ぐには気力的な何かが足りなかったため、私は黙って包丁を握り直した。
さっきに比べれば、上手く切れたと思う。

お湯が沸いたと気泡が伝える。
少し慌てて手を伸ばした私を追うようにスティーブンが「開けるときは」と口を開いたが、ほぼ同時にあげた「あつっ!」という私の声で続きをやめた。
蓋と鍋の隙間から立ちのぼった湯気が直撃してものすごく熱い。それもそうだ。湯気なのだから。
監督が流水で冷やさせてくれた。
「湯気に気をつけること」
「はい……」
身をもって学んだ。

やわらかくなったジャガイモと、ジャガイモではない謎のイモとにんじんと、色とりどりの具材をボウルの中で和え、かき混ぜる。
これには好みがあるだろうし、実際、私の家でたまに出されていたものとは違った(……異界の材料というのは関係なく)。
これからはスティーブンの選ぶこの材料が私の『基本』になっていくのかなあと思うと、不思議なくすぐったさと面白さがある。
「お腹すいてくるねー」
「そうだなあ」
と言っても味見以上のつまみ食いはしない。私はスティーブンがつまみ食いをしないからやっていないだけで許されるならヒョイと食べることもやぶさかではないのだが、どうやら彼は完成するまで待つようなのでこちらも素知らぬふりで調味する。指示をくれるのはもちろん、スティーブンだ。今なら『スティーブン先生』と呼んだって差し支えないのではないだろうか。たとえたまに慣れゆえのテキトーな感覚で超おいしい味を生み出しているせいで「塩、……うーん、……2振りか?」と一瞬まごついたとしても。ナイスな教師ぶりだと思う。
ちなみに、実際は3振りだった。でも、もしかするとスティーブンの振り方だったら2振りで間に合っていたのかもしれない。私は遠慮がちに振ったところがあるから。

ひと口食べ、スティーブンは「上手くできてる」と言った。
「おいしいよ」
「よ、よかった!」
味つけはほぼ彼の指示なのだからおいしくないはずがないけど、安心する。
「具も硬くない?」
「うん。食べやすい。君も食べてごらん」
言われて、口にする。おいしかった。
「おいしい」
「良かった。お疲れさま」
「スティーブンこそ!ありがとう!」
おかげでいろんなことを楽しく学べた。
ヴェデッドさんにも話をしよう。できれば今日の成果をひと口だけでも食べてもらえたら嬉しい。
私が笑うと、スティーブンが優しい顔をしてこちらの頭をひと撫でした。その手は髪を滑り、肩に触れ、ちょっと迷ってから離れた。
よくわからないが、ポテトサラダがおいしいので、なんでもなかったことにしよう。




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