**
まともに仲が良くなってから
(好意もあるかもしれない)
*
ごつん、と背後で鈍い音がした。
スティーブンが振り返ると、が蹲っている。どうしたのか訊いても、返ってくるのは意味不明の細い声だけだ。必死に応えようとはしているらしく、やっとのことで聞き取ったところによると痛みでむせび泣きそうなのだという。
「なんでそんなことになったんだ?」
「ぶつけ、ぶつけた」
「どこを?」
「すね……」
「あ、それは痛いな」
生きていれば一度はどこかにぶつけるもの、それが弁慶の泣き所である。
「あなたもぶつけたことある?」
「あるよ」
「痛かった?」
「うん。むしゃくしゃするほど痛かった」
ぶつけたときにもしもクラウスが席を外しており、かつ激しく気が立っていたなら、届く範囲の何かに手ならぬ足を出していたかもしれない、とスティーブンでも思ってしまうほどの理不尽な痛みである。
はスカートの裾を整え、向こう脛を何度もさすった。
「外国にも『痛いの痛いの飛んでけ』ってあるの?」
気を紛らわせるための質問を受けて、彼の頭にはいくつかそれらしい候補が浮かんだ。中でも、彼女にてきめんな効果を発揮しそうなものはすぐに見つかる。
「『可哀想に。僕がキスして治してあげよう』」
「……ふぁ!?外国すごい!」
たとえば、と穏やかな低い声で紡いだ彼の予想はどんぴしゃり。強かに打ちつけた彼女の痛みは月まで吹き飛んだ。
「言って、実行するの?やったことある!?」
どうだったかな、と過去の出来事と紐付けてみるも上手く絡まず、スティーブンは首を振ることにした。少なくともこれまでスティーブンが記憶に残る比較的穏便な付き合いをしてきた女性の中に、彼の目の前でどこかに身体をぶつけて悶絶する者はいなかった気がする。特にすねとなるとさっぱり思い当たらない。相手の性別を限定したのは、目の前で男がすねを強打して涙を浮かべてもスティーブンはこの台詞を口にしたりはしないからだ。
いや待てよ、と彼はちょっとだけ慎重に記憶を探った。特定の人物を遠ざけるためのジョークや、折れない根性による自業自得の負傷への脅しとして使ったことはあったかもしれない。
「何にしても慰めるために言うだけだ。やっても痛みは変わらないよ」
「変わるかも!」
「死ぬほどして欲しいなら考えるけど、もう少し用心深く様子を想像してみようか」
促され、自分が気休めの治療を施される場面を想像したは猛烈な申し訳なさを覚え、内心汗をかいて胸を押さえた。
性根の腐った人物が無理矢理にやらせ、人のプライドを傷つける類の絵面ではないだろうか、と。
「ごめんなさい!そうだよね、明らかにおかしいね!気分悪くなった!?」
「なってないよ。あと、もしかすると目線が違うな?」
「目線……?」
首を傾げているが、どうあがいても実現しないとはわかっていたようで、食い下がりはしなかった。今日は潔いな、と彼はちょっとひどい感想を抱いた。
「あっ」
「なんだい?」
「投げキッス!投げキッスはどう!?」
「どうと言われてもなあ」
前言撤回。
繰り出された代案に、スティーブンは感心すらした。懲りないというか不屈というか、挫けず新しい案を思いつくたびに理由をつけて頓挫させ続けたら最終的に彼女はどこに行き着くのか、気にならなくもないスティーブンだった。
しかし今日はやめておいた。
彼が片手を持ち上げると、がびっくりして目を見開く。
スティーブンはそれに向かって、唇に寄せた指先で、軽い音とともに『治療薬』を投げた。
受け取り人は「ふあっ!!」と高い声を上げた。頬が赤く染まる。
「あっあっ、わ、さいこう」
「息」
「し、してます。カッコいい!色っぽい!や、やばすぎる。カッコいい!スティーブンすごい!」
「痛いのは?」
「治っ、……てます」
一瞬口ごもった理由は誰にでも察せる。
「こんなのしてもらったら、みんな元気になるね」
言われ、反射的に頭の中で数人の知り合いを対象にシミュレートしてしまったスティーブンは、微妙に顔をしかめた。効いたとしてもやりたくないし、効いてほしくない気持ちが強かった。なのでこう言った。
「君にしか効かない」
これに対する反論はこうだ。
「カショーヒョーカだよ!」
そして彼はこう返した。
「いや、君が盛りすぎなんだよ」
盛りすぎであってくれ、と願ったかどうかは誰も知らない。
(好意もあるかもしれない)
*
ごつん、と背後で鈍い音がした。
スティーブンが振り返ると、が蹲っている。どうしたのか訊いても、返ってくるのは意味不明の細い声だけだ。必死に応えようとはしているらしく、やっとのことで聞き取ったところによると痛みでむせび泣きそうなのだという。
「なんでそんなことになったんだ?」
「ぶつけ、ぶつけた」
「どこを?」
「すね……」
「あ、それは痛いな」
生きていれば一度はどこかにぶつけるもの、それが弁慶の泣き所である。
「あなたもぶつけたことある?」
「あるよ」
「痛かった?」
「うん。むしゃくしゃするほど痛かった」
ぶつけたときにもしもクラウスが席を外しており、かつ激しく気が立っていたなら、届く範囲の何かに手ならぬ足を出していたかもしれない、とスティーブンでも思ってしまうほどの理不尽な痛みである。
はスカートの裾を整え、向こう脛を何度もさすった。
「外国にも『痛いの痛いの飛んでけ』ってあるの?」
気を紛らわせるための質問を受けて、彼の頭にはいくつかそれらしい候補が浮かんだ。中でも、彼女にてきめんな効果を発揮しそうなものはすぐに見つかる。
「『可哀想に。僕がキスして治してあげよう』」
「……ふぁ!?外国すごい!」
たとえば、と穏やかな低い声で紡いだ彼の予想はどんぴしゃり。強かに打ちつけた彼女の痛みは月まで吹き飛んだ。
「言って、実行するの?やったことある!?」
どうだったかな、と過去の出来事と紐付けてみるも上手く絡まず、スティーブンは首を振ることにした。少なくともこれまでスティーブンが記憶に残る比較的穏便な付き合いをしてきた女性の中に、彼の目の前でどこかに身体をぶつけて悶絶する者はいなかった気がする。特にすねとなるとさっぱり思い当たらない。相手の性別を限定したのは、目の前で男がすねを強打して涙を浮かべてもスティーブンはこの台詞を口にしたりはしないからだ。
いや待てよ、と彼はちょっとだけ慎重に記憶を探った。特定の人物を遠ざけるためのジョークや、折れない根性による自業自得の負傷への脅しとして使ったことはあったかもしれない。
「何にしても慰めるために言うだけだ。やっても痛みは変わらないよ」
「変わるかも!」
「死ぬほどして欲しいなら考えるけど、もう少し用心深く様子を想像してみようか」
促され、自分が気休めの治療を施される場面を想像したは猛烈な申し訳なさを覚え、内心汗をかいて胸を押さえた。
性根の腐った人物が無理矢理にやらせ、人のプライドを傷つける類の絵面ではないだろうか、と。
「ごめんなさい!そうだよね、明らかにおかしいね!気分悪くなった!?」
「なってないよ。あと、もしかすると目線が違うな?」
「目線……?」
首を傾げているが、どうあがいても実現しないとはわかっていたようで、食い下がりはしなかった。今日は潔いな、と彼はちょっとひどい感想を抱いた。
「あっ」
「なんだい?」
「投げキッス!投げキッスはどう!?」
「どうと言われてもなあ」
前言撤回。
繰り出された代案に、スティーブンは感心すらした。懲りないというか不屈というか、挫けず新しい案を思いつくたびに理由をつけて頓挫させ続けたら最終的に彼女はどこに行き着くのか、気にならなくもないスティーブンだった。
しかし今日はやめておいた。
彼が片手を持ち上げると、がびっくりして目を見開く。
スティーブンはそれに向かって、唇に寄せた指先で、軽い音とともに『治療薬』を投げた。
受け取り人は「ふあっ!!」と高い声を上げた。頬が赤く染まる。
「あっあっ、わ、さいこう」
「息」
「し、してます。カッコいい!色っぽい!や、やばすぎる。カッコいい!スティーブンすごい!」
「痛いのは?」
「治っ、……てます」
一瞬口ごもった理由は誰にでも察せる。
「こんなのしてもらったら、みんな元気になるね」
言われ、反射的に頭の中で数人の知り合いを対象にシミュレートしてしまったスティーブンは、微妙に顔をしかめた。効いたとしてもやりたくないし、効いてほしくない気持ちが強かった。なのでこう言った。
「君にしか効かない」
これに対する反論はこうだ。
「カショーヒョーカだよ!」
そして彼はこう返した。
「いや、君が盛りすぎなんだよ」
盛りすぎであってくれ、と願ったかどうかは誰も知らない。
1219