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英語の読み書きも上達したと思う。必要に駆られればすかすかの脳みそもやる気を出すという証明になってしまった。自分の可能性に気づけたのはいいけれど、前例ができると『頑張ればやれるんじゃないの?』とかなんとかむちゃくちゃな方向に走りがちだから控えめにおさえたい。自信過剰はよくないのだ。読めない単語はまだまだあるし世界は知らない表現であふれている。
そしてこれはその、知らない表現がたくさん並んだ文章がきっかけで起きたドキドキな日々の一幕である。
優雅な筆記体でつづられた手紙というだけで敷居が高い。
読みづらい字体を書き方ドリルと照らし合わせながら解読するも、この単語とこの動詞を組み合わせた構文が直訳で済む気がしなかったり実際によくわからなかったりして、帰宅してからずーっと机にかじりついてもさっぱり進まず仕方がなくなったので飽きた私は諦めることにした。
短気が災いして机に放り投げた便箋は、バイト先でたまに見かけるサラリーマンのお客さんから渡された手紙のうちの一枚だ。
封筒の中には同じようにみっちりと字が敷き詰められた白い便箋が五枚おりたたまれて収まっており、「返事はいらない」と言われても受け取った手前ななめ読みくらいはしておくべきだと思ったけれどお手上げだった。
確かなのは、悪口ではないということだけである。
ひそかに送られる熱っぽい視線には気づいていたし、手紙を押し付けるだけ押し付けてそそくさと去ったサラリーマンの顔が赤かったのも確認済みだ。
私もあんなふうにラブレターを書いて渡した青春時代があったなあ。
へたくそな字で、思いのたけを小さな封筒に詰め込んだ。少しでも印象に残りたくてラメペンを使い、ぷっくりふくらむシールで封をした。勇気を出して好きな男子を校舎裏へ呼び出せば、可愛らしくあざとい技術の粋を集めたラブレターは紙っぺらから凶器に変わる。
うむ、そういえば百発百中だった。クラスメイトからお菓子と引き換えに添削を頼まれたりもしたっけ。
という思い出話をまじえつつ、スティーブンに手紙をみせる。
「わかんない表現がいっぱいあるの。これとか、これとか。こっちも」
「僕が読んでいいのかい、これ。返事は要らないって言ってたんだろ?無理に解読しなくてもいいと思うけど」
「気になるじゃん。ラブレター貰うの久しぶりだし、次からどれくらいの距離感で接するかにも関わるからさー。お願い!」
「返事が要らないならただの客と店員のままじゃないか?」
「でも知りたい!」
だだをこねてみる。
腕をゆるくつかんで揺さぶって、などという恐れ多き行為には走れないため、無意識に甘えようとした指は理性に通せんぼされてむなしく不気味にうごめいた。
スティーブンは五枚の便箋にざっと目をとおした。
素早く走る視線はすごーくどうでもよさそうで、娯楽をすべて奪われた人間が手持無沙汰におしょうゆの原材料を眺めるときと同じ感じがした。
「感想を言っていいかい?」
溝に手を突っ込まされたような顔だ。どんな表情でもスティーブンはイケメンの鑑だったが、私は自分が考えた文章を読んだあとにこんな顔をされたら首をくくりたくなるだろうなと思った。
彼は私に便箋を返してから言った。
「好ましく感じている女性にこれを渡すメンタルの強さに感心した」
「どういう意味?」
「僕がペンならこれを書かされた時点で折れるね」
「センスがないの?」
「もし紙なら破れる」
「破れる!?」
「あるいは封筒なら……」
「ねえすごい気になるから早く教えて!!」
うっかり紙を握りつぶしてしまった。
慌ててしわをのばして一枚目から読み返す。
私の名前があっちこっちにあるのはわかるけれど、やはり細かい表現や流麗な文体は解読不能だ。
「『君の横顔を見つめるとわたしはどうしようもなく胸が高鳴ります。珈琲はずっと苦手でしたが店のおすすめの銘柄を飲み始めました。君の光り輝く笑顔を思い出すと甘露のようでした。君の瞳の前ではどんな星も宝石も恥じ入るでしょう』」
「……けっこういいじゃん!」
「おい正気か?」
「めっちゃ恋!って感じじゃん。悪い気はしないけどなあ」
あとどことないシンパシーを感じる。私の思考をプリントアウトして読ませたらスティーブンはおんなじ反応をしそうだもん。
さっぱりだった手紙の内容や雰囲気を把握できて気がおさまった。
読めない残りの文章も「なるほどねー」なんて知ったふうな顔で眺めるうちに、いつの間にかにこにこしていたらしい。
だって、モテピラミッドの頂点に座す男から採点を受けたのだ。私がこの手紙だったらマイナスをつけられたとしても全力で感謝する。手紙の気持ちになるという意味不明な感情移入をしてしまったが理屈ではない。
ついでにスティーブンはつまらなそうにしていたけれど私は悪くないなと思ったし、『悪くないな』と思った文章を大好きな声が音読するという札束を積んでも叶わないような出来事が起きたのだからそれだけで拝み倒したくもなる。録音して毎晩眠る前に聴きたかった。こき下ろされても一応は口説き文句だ。
視界の端でスティーブンがわざとらしく肩をすくめた。
「まあ、気に入ったなら良かったな。返事をしたり優遇したりはしないようにだけ気をつければただのセンスの欠片もない紙束だし、大事にしたらいいんじゃないか?」
「うん、机にしまっとく」
強調しなくてもえこひいきなんてしないのに。
すました顔で頷いておく。
お茶菓子のビスケットを一枚ふやしてあげちゃおうかなと考えたのは秘密にするといま決めた。
(……スティーブンはどんなラブレターを書くんだろ?)
クリスマスプレゼントに欲しいものを訊かれたら、『ラブレター』と言ってみようか。言えるかな。言えないだろうな。喉の奥がぎゅっとなりそうだ。
もし万が一お願いできてしかも起きた枕元にラブレターが置かれちゃってたりしちゃったら秒速で息が絶えそうだし、貰えたとしても英語だし、本人に翻訳は頼めないし、かといって他の人に見せて読んでもらうのも乙女心が許さないし。
難題過ぎる。
もう少し英語の読解が上達するように頑張ろう。ほぼゼロの状態からここまで頑張って来られたんだからやる気を出せばもっといけるはず。
いやいやいや、ダメだ。根性論や自信過剰はよろしくないって自分に言い聞かせたばっかりじゃん!
さすがに30分前に決めたことをおぼえていないのはひどい。
先ほどスティーブンが『気をつけるように』と強調したのも私への完璧な分析があってこそだったのだろう。こいつは勢いで行動するからきちんと言い聞かせておかないといけない、みたいな。やっぱりスティーブンは先読みができるオトナだ。私以上に私のポンコツ思考回路を解きあかしている。できればその図を分けてほしい。
気をつけよう、と胸に刻むつもりで手紙をしっかり抱きしめた。
スティーブンは眺め飽きた封筒を放って、「ラブレターねえ」と呟いた。
2018 1229