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道端で盛大に泣く子供を見つけて、しかも目が合ってしまったら無視はしづらい。隣にスティーブンがいるから余計に。
私の腰にも届かないような身長の子供との話し方なんて詳しくないけどグイグイ行くことへの不安はなかった。なにせスティーブンは老若男女問わず世界中の迷える仔羊を手のひらの上で上手にタップダンスさせられるほど巧みな話術を操るビジネスマンなのだから、つまり私の仕事はスティーブンの服の裾をできるだけ可愛く指先でつまみ、注意を引くだけだ。
「ねえスティーブン。あの子、お母さんとはぐれちゃったみたい」
泣き声の合間に「おかあさん、どこぉ」という迷子特有の嘆きがあればだいたい察せる。
けれどスティーブンは目をぱちくりさせて、子供と私を順に見た。
「あの子の言葉がわかるのか?」
「え……うん」
「どんなふうに聞こえる?」
「ママーどこー……的な。なんで?」
「僕にはあの子の言葉がわからないんだ。そうだな、『グェ、ギエエ』とかそんな感じに聞こえる。これも翻訳機能の万能さかなあ」
えっじゃあ私がたくさんお話しないとダメなのでは。
申し訳ないとは思うものの、迷子の子供に近づきたくない気持ちが出てきた。だって迷子の対応とか、私、したことないんだもん。
スティーブンは迷子を放置するつもりはないようで(……そうだよね!!)私をくっつけたまま、しゃくりあげる子供の前まで歩いて行った。
追いかけながらふと、子供を避けるような人波が形成されていると気づいた。チラチラと目を向ける人はいても声をかけようとはしていない。
やっぱりみんなめんどくさそうなことには関わりたくないのかな、とか、スティーブンがいなかったら私もその中のひとりになっていたのかな、とか、そんな感じのシャカイ的でテツガク的なことを考える。
でも3歩進んだところで、知らない言葉で泣いてるからどうしようもないと思って近寄れない人もいるのかも、と気がついてちょっと名探偵な気分になれた。それだ。それに違いない。

ぬっ、と背の高い影に覆われた子供は、異界の人かなと誰もに思わせる、ヒレのような手を持っていた。水かきがついていて、指の付け根から指先にかけてどんどん平べったくなる不思議な形だ。
ポロポロと涙をこぼす目も、私には奇妙に見える。瞳の部分は人類と違って縦に2本に裂いた不透明な乳白色だったし、瞼がなくて、まばたきをするたびに薄い膜がシャッターのように閉じては開いて雫を落とした。
「とりあえず、この子の状況を訊いてくれるかい?僕は届け出がないか連絡してみるから」
「わ、わかった」
道のど真ん中で話すのも気まずい。
「ごめんね、あの、ちょっとこっち来て」
私はこの子の言葉がわかるけど、この子は私の言葉を理解できるのだろうか。声をかけて道の端まで連れて来てから『誘拐疑惑』の4文字にぶつかって胃が痛くなった。
「えーと、私の言葉がわかりますか?」
できるだけ同じ目線の高さでいるのが大事かなと思ったので、しゃがみ込んで背を丸める。
なお、どうしてそう思ったのかといえばもちろん理由はスティーブンにある。私はスティーブンに目を合わせていただけるとすっごく幸せな気分になるし、屈みこんで至近距離のアイ・トゥ・アイでニコリと微笑まれた日にはそのまま後ろにぶっ倒れてテーブルに後頭部を打ち付ける勢いだ。やったことがあるから間違いない。
距離が近いほど影響力にブーストがかかる。
きっとスティーブンだけが使える魔法ではないはずと信じて、可能な限り優しい声を出して話しかけた。
「……わか、る」
「え!わかるの!?よかったー!」
魔法は秒で解けた。
泣きすぎて掠れた声が「ひぅっ」と驚いて、小さい身体をびくりとさせる。やばいやばい。スティーブンみたいに温厚に優しくオトナな感じでいかなくちゃ。
第一段階を無事に乗り越えて安心したせいで表情筋はふやふやだが頑張ろう。
「あのね、迷子みたいだったから声かけちゃったの。あなたの名前、教えてもらえたりしないかな?もしかしたらお母さんが届け出を出してるかもしれなくて、調べるために必要なんだけど」
カバンからハンカチを出して手渡すも、子供は受け取ってくれなかった。警戒心が燻っているのがわかる。
「……知らない人に教えちゃダメって、お母さんが」
「た、確かにそうだ」
「……ふつう、人に名前をきくときは、自分からだし」
「あっ、そっか!ごめんなさい。私はです」
じっと見つめると、不思議な瞳のシャッターがぱちんと降りた。
「教えるとは言ってないし」
自分の笑顔が引きつったのがわかった。
「いやでも教えてもらわないとなんて呼んだらいいかわかんないし」
「呼ばなくていーし」
「お母さんに会うのが遅くなっちゃうかもだし」
「べつに頼んでないし」
とか言いつつ、濡れた頬が気になったのか、子供は私のハンカチを私の手からむしり取って顔を拭いた。
「ほら!!めっちゃ泣いてたくせに!」
「泣いてねーし!!」
「泣いてたもん!泣いてたから気になったんだもん!」
「アグェラ波で呼びかけてただけだし!!泣いてたとか勘違いすんなよ!」
「よくわかんないけど『お母さんどこ、お母さん僕を見つけて、さみしい、こわい』ってめっちゃ泣いてたし涙出てた!!」
「はー!?涙とか出してねーし!どこに泣いてたショーコがあんだよ!」
「私のハンカチぐちゃぐちゃじゃん!」
「元からだし!!」
「違うし!!」
奪われるまでは未使用ピカピカのハンカチだった。
感情的になったせいか、迷子の異界人はまた目を潤ませた。薄い唇を噛む鋭い歯がちらりと見えて、なんか私が泣かせたみたいじゃん、と理不尽な焦りに駆り立てられる。
ぎゃあぎゃあ騒いでいた私たちにはそれなりの興味が向けられていたし、涙を流していたことを頑として認めない子供はそれに我慢ならなくて今にもここから逃げ去ってしまいそうだった。
それは困る。
果てしなく困る。
迷子を気にした言い出しっぺは私だ。スティーブンも協力してくれていて、どうやらこのあたりで彼の言語を聞き取れて意思疎通ができるのは、便利な呪いをアクセサリーにしたままの私だけ。
それなのにここでこの子の背中に情けなくバイバイと手を振るわけには決していかない。
たとえ私が話しかけたりしなくても、ナントカとかいう音波か何かでお母さんと合流できたとしても、私は迷子の『さみしい、こわい』を受信してしまった。
何もしないでモヤモヤしたり後悔したりして生きたくないから、そういうのは全部私の人生から捨ててしまうのだ。
泣き声もあげずにほろほろと泣き始めた迷子をぐいっと抱き寄せる。地面に座り込んで、小さな全身を抱きしめてみた。
「大丈夫だからね、あの、名前とか、言わなくていいよ。はぐれた理由も別にキョーミないよ。泣いてても見ない!だから大丈夫!連絡つくまで、私が面白い話とかしたげるよ!」
「……泣いて、ない」
めっちゃ鼻声だ。
「えーとね、こないだ急に寒くなった日があったじゃん?毛布でぐるぐる巻きになって寝てたら、朝起きてベッドから降りるときに毛布が脚に絡まってベッドから落ちたんだよね」
遅刻する時間だと勘違いして慌てすぎた結果の事故である。
「あとー、あ、ねえねえ、何歳か知らないけど恋人いる?デートしたことある?まだないかなー。ちょっと自慢していい?私、今日、デートに誘ってもらっちゃったんだよね……!」
「……普段は、誘われねーの?」
迷子が食いついた。いくつの子でも恋バナには敏感なのか。性別も年齢も名前も知らなくたって、恋愛の話に花を咲かせた瞬間に全員がフローラルな共同体になるもんね。
「たまに。忙しいから仕方ないんだよ。私も自分から誘うのは気がひけるしさ」
「なんで」
「だから、相手が忙しいから」
迷子は私の胸元から顔を上げた。心なしかブラウスが水分を含んでひんやりする。やっぱし泣いてるじゃん。
「忙しくても、おまえそいつの恋人なんだろ。恋人のために時間もつくれないやつと付き合ってて楽しいのかよ」
「た、たのしいです」
ちゃんと時間つくってくれるよ、とか、カッコいいよ、とか、幸せだよ、とか言いつのる時間はなかった。
「……おまえの恋人、どれ」
真珠色の瞳がくるりと通りを見回して訊く。
私もスティーブンを探して、誰かと会話する姿を見つけた。異界の人かな、と容貌であたりをつける。
「あの人。今、ポストの隣にいる。背が高くて超絶イケメンな……」
「かあさん」
「えっ」


風のように駆け寄ってきた子供は、脇目も振らず母の腹に抱きついた。
「グェ、ガァ……ズィヴ!」
「リュア、リュア、ギゥウヤジォ」
「ナギィグァ!ザッアヴェ、グェナゥ!」
これまで触れた経験のない異国語には、さすがのスティーブンもお手上げである。
今回ばかりはにかけっぱなしの『呪い』に感謝しなければならない。
万能翻訳者は人通りを横断して、一足遅れで合流した。
「お母さん見つかったんだ?」
「きちんと届けが出ていてね。外見の特徴や服装で照会したら、近くで彼女が待機していたから来てもらった」
「よかった。でも、何もできなくてごめんなさい」
「いや。言葉の通じる存在が近くにいるだけでも、安心できるものさ」
は納得いかなそうに首を傾げた。
彼女は目に見える形でスティーブンの役に立とうとしたがるのだ。
そうでなければならないというように。
もどかしさと愛おしさがないまぜになる。
さりげなく彼女の手に触れようとしたスティーブンに、「リャヴェ」と知らない言葉が叩きつけられた。
迷子だった子供からだ。
母親のほうは人界の英語をある程度習得していて、簡単な会話なら成り立たせられる。
だが子供は生まれ故郷の言葉しか知らない。
しかし感覚的に、短い声は威嚇に近かった。
訝るスティーブンを放っておいて、子供の矛先はに向きを変えたらしい。
「リャヴェ。リュオ、グジェッミェ。ギギギギ」
「エンリョします!スティーブンはこの世界の誰よりもすっごくすっごくカッコいいし有能だし頭いいしカッコいいし顔がいいしテクニシャンだし、そもそも私はスティーブンのものなので!」
スティーブンは色々な意味で混乱した。
母親に母国語で叱られる子供からのぶすくれた視線にも、おそらく自分がスティーブンには通じない言語を話しているつもりになっているの発言にも、なにやら絶妙な具合で仲良くなったらしいと子供のコミュニケーション能力にも。
彼の処理能力をもってしても一瞬では消化し切れなかった。主にの発言について。
「……失礼、マダム。いま彼女たちは一体何を?」
わあわあやっている横で精一杯落ち着いて問いかけると、母親はつたない英語で困ったように言った。
「うちの子がジェントルの恋人さんに向かって、ジェントルはミェ、こちらでいう恋人の男性、にふさわしくないから、大人になったらグジェッミェ……こちらでは男女の集いになるのかしら。そのグジェッミェに連れて行ってやる、なんて言ったものですから……。ごめんなさいね、失礼なことを……」
「いえ、とんでもない。では、小さな騎士にこれ以上心配をかけないよう努力します、とお伝えください」
母親が子供に言いふくめ、子供がスティーブンを見上げたところを見計らって、彼は今度こその手に触れた。軽く握ると、手のひらが徐々にしっとりとして指が暑くなっていくのがよくわかった。
「な、なに?」
「小腹がすいたなと思ってね。母親と会えたなら解決だろ?フローズンドリンクでも飲みに行こう」
「え、あ、あ、うん。えっと、じゃあね、気をつけてね」
が手を振ると、母親が深々と頭を下げた。子供はそっぽを向いたまま、何かを隠すように手を背中に回したままだった。

手汗を気にしたのか、しばらくするとはカバンの中を手でまさぐった。
「あれ?ハンカチ忘れた?おかしーな……」
「ん?持ってたぞ、あの子供が」
「え!?」
「てっきりあげたのかと思ってたけど、違うのかい?」
「違う。返しそびれかな?」
まあいいけど、と笑っている。
スティーブンも深追いせず、しっとりした手に手を重ねなおした。






2018 0609