06
曜日限定のキャンペーンを行っていたコーヒーショップは大盛況で、予定よりもずっと早くに終業した。
「あげるわ」
「まさか、僕にかい?」
「いらないならいい」
「いやいや待ってくれ。ちょっと珍しかったから驚いたんだ。ありがとう、貰うよ」
小さめの紙カップを手渡しがてら、K・Kはこう言った。
「家出されちゃっても知らないわよ」
「……えーと、K・K。ごめんよ、なんの話だい?」
唐突に切り出されたスティーブンは、内容が呑み込めず曖昧な笑みを浮かべる。それはK・Kの神経を軽く逆撫でしたが、彼女は荒く息を吐き出すのみに留めた。男に渡したものよりも大きいカップのスリーブに描かれたニコニコマークで胃を落ち着かせる。
この男は恋人にきちんと気持ちを伝えているのだろうか。
K・Kの胸には定期的にこの疑問が湧き上がる。きっかけとなった会話は、受けたショックが大きすぎたので置いておくとして。
人の感情は他人の裁量で判断できるものではない。K・Kは、そんなことは当然わかっていた。自分の心だって自由には動かせないのだから、量ろうとしたって精々が朧げに察する程度。完全には遠く、テレパシストであっても正確にはどうだろう。
スティーブンはK・Kが知らないだけで、涼しい顔の下でめっろめろのでっろんでろんにを愛して甘やかして目の中に入れても痛くないくらい大切にしているのかもしれない。……していないとしたら1発か2発か殴らねばなるまいが、していたとしてもそれはちゃんには嬉しいことだろうけど私からするとちょっとかなり気持ち悪いわね、と美女は自分の想像に引きもした。信頼はできるが信用はならぬスカーフェイスの生む甘ったるさは想像に易く、想像に難い。
仕事をちゃっちゃか終わらせて帰宅する頻度が高くなる、という話はK・Kも聞く。頼まれなくても自発的に残務に取り組みそうな仕事人間にしてはかなりの妥協点だろう。
しかし、関わりの深いレオナルド、女同士かつ様々な視点から俯瞰できるであろうチェイン、交流のあるツェッド、そして本人から読み取った断片的な情報によると、彼の気持ちは今ひとつ、にはピンと来ていないのではないだろうか。
なぜか?
K・Kは目を伏せた。憂える瞳は理由を見逃さない。
(言ってないから、よね)
否、告げてはいるのだろう。彼女にわからないように、彼女が過剰に反応してドキドキしてしまわないように気をつけながら、告げてはいるはずだ。できればそう信じたい。告げていなかったらK・Kは、1発か2発かこの男を殴らねばなるまいと再度思う。
K・Kは、ふぅ、と肺を空っぽにするように力を抜いた。金髪が揺れ、顔にかかる影を作った。
何にしても納得がいかない。
(実はシャイでたまらにゃーい、なんてったら大盛り上がりで大爆笑してやるのに絶対違うんだからやっぱりコイツ可愛くないわ)
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仲間に向けての気軽な笑みと疑問符には応えず、K・Kはつんとした態度で顔を背けた。
「あんた、どうしてちゃんと同居しようと思ったの?」
「何かのテストかい?」
「そーよ。抜き打ちよ。せめてもの情けで5段階評価よ」
採点が怖いよ、と首が振られる。
偽りはないがわかりやすい上澄みだけを答えようとしたスティーブンに、K・Kは声をかぶせた。
「答えは本人に言ったげなさい」
おやつの受け皿からクッキーの欠片を拾ったソニックが、大きな目をぱちくりさせる。その小さな頭を撫で、K・Kはさっさと背を向けて帰ってしまった。
残された男は音速猿と視線を結び合い、鏡合わせのように首を傾げた。
今日はコーヒーショップで曜日限定のキャンペーンが行われていて、朝から大盛況らしい。今も列が絶えないのだろう。
変なつもりではなかったのだが、言葉だけを見ればかなりおかしかったとは自分でも気がついた。唖然としたK・Kさんのほうへ身を乗り出して、今しがたの発言を上から塗りつぶすようにケーキの感想を頭の奥からひねり出す。不幸にも褒め言葉のバリエーションが少なすぎたため、彼女は誤魔化されてくれなかった。
「ちゃん、今、メリットって言った?『同居のメリット』って?あいつにとっての同居のメリットって?」
「い、いえ、あの、すいません、急に変なことを。前からなんでこうなったのかなって不思議に思ってて、つい」
お茶に誘ってくれたのはK・Kさんだ。話は女子お決まりの流れを辿りながらテキパキと進み、ブルーベリーのムースタルトにフォークを入れるころには近況報告も終わりに近づいた。
スティーブンの自宅に住んでいて困っていることはないか、K・Kさんは女性の目線から今一度、訊ねてくれた。思い浮かばなかったので首を振る。ご飯がおいしくてお布団が気持ちよくてスティーブンはカッコよくていつ見てもドキドキして毎日すごく楽しいです、と言った私はしまりのない顔をしていただろう。彼女もたっぷりの優しさを浮かべて私に微笑みを返した。
そこでふと、たまに疑問に感じていたことを思い出して言ってしまった。
「でも、私ばっかり楽しくて申し訳ない気もします。スティーブンにメリットってあるのかな」
K・Kさんが優雅に紅茶を飲んだ。ソーサーにカップを置き、汚れていない指先を丁寧に紙で拭う。綺麗な手だなあと思ってこっそり自分の手と見比べてしまう。輝きが違う。生命力や心の強さが表れるのだろうか。爪も整えられてつやつやで、この爪先と戦いの図は私の頭の中で即座には結びつかなかった。
そういえば沈黙が長いなと気づいて顔を上げると、そこには真顔で絶句する女性の姿があった。なぜ、と記憶を3回巻き戻してようやく理由を悟る。スティーブンに対してひどいことを言ってしまった。K・Kさんは私をとても心配してくれるから、まるでスティーブンが非道みたいな方向に進んでしまうかもしれない。
「ごめんなさい、違うんです!私、実家暮らしで他の人と同居したことがなかったから『同居』がよくわからなくて!生活費も払ってないし癒しにもなれてなさそうだし、これってスティーブンと一緒にいられる私が幸せなだけなんじゃないかなーって思っただけで!……タ、タルトひと口どうですか?すごいおいしいです、あの、甘くて」
何回か取り消そうと頑張っても無理だったので、私は一度口にした言葉は取り戻せないのだなと世の理をまたひとつ頭に刻んだ。これで脳のしわが増えるといいのだが、今までを見るに期待できない。
気を取り直した大人の対応は穏やかだ。
「少なくとも、デメリットがあるようならあいつはちゃんに同居を持ちかけたりはしないわ。安心していいのよ」
「で、ですよね。ありがとうございます」
微笑が嵐の予感を吹き消した。二重の意味で冷や汗がひく。
「ねえ、だけどちゃん」
「はい」
「不安?」
全然大丈夫です、とただ言おうとしたのだ。
だけどK・Kさんの瞳は私を包み込むような柔らかさと真剣さを孕んでいて、すっからかんな答え方をするのは失礼な気がした。同じ内容でも、伝え方で印象はまったく異なる。
「不安じゃないです!一番好きな人の家にいられるなんて、幸せで嬉しくてときめいてたまらないです。私ばっかり浮かれまくりで申し訳ないかなあって思ったのは確かなんですけど、でもスティーブンはどっちかっていうと」
切るときは切る、と言おうとして間一髪、飲み込んだ。危ない危ない。
「『どっちかっていうと』……?」
「ど、どっちかっていうと嫌なときは嫌って言うタイプらしいですから、あっ、あんまり言われないから実感ないんですけど、でも耐えられなくなったら教えてくれます、よね?」
私よりもスティーブンをよく知っているであろうK・Kさんに確かめると、K・Kさんは顔をしかめた。肯定か否定か、細い首をそらして喉の奥で唸っている。
私は紅茶で口の中の甘みを切り替えた。気づかないうちにありえないくらい喉が渇いている。どれだけ緊張してるんだろう。ものっすごく、ものっすごく親身になってくれるからK・Kさんとクラウスさんの前で迂闊なことを言ってはいけないとわかっていたのに、私はバカだ。レオも寄り添ってくれるしチェインさんもツェッドも話を聞いてくれるが、この2人はヤバい。あと、ザップさんはご飯を奢ってようやく20%くらいの確率で聞き流してくれるようになるはずだけど、彼も別の意味で軽はずみなことを言ってはいけない人物にあたる。
気まずくて、カップを唇に押し当てたまま上目であちらを窺い見る。
冬眠前のネコ科に似た唸り声が途切れた。
「訊いてみるといいわ」
「あ、はい」
「それとね、ちゃん」
「はい?」
家に帰って、バスタブにお湯を溜める。煮込み料理が夕ご飯だということで、先にどうぞと勧められたのだ。午後のバイトが忙しく、お腹がすいていた私はキッチンでヴェデッドさんの目を公認で盗み、投入前の肉団子をひとついただいて急場をしのいだ。
なんの入浴剤にしよう。箱の上で指を彷徨わせて無意味に何度も香りの名前を確かめたりして、優柔不断に時間をつぶす。
やっと選んだ液体を数滴垂らせば、香りが湯気に誘われて浴室に拡がり気持ちが盛り上がった。些細なことで日常生活がうんと彩られる。
身体を洗ってからお湯に足を入れる。少し熱かったので水を追加しながら、全身の力を抜いた。えもいわれぬ安心感と陶酔で神経までほどけていくようだ。これ以上ほどけたら私は理性ある人間として生き続けられそうにないけど、極限に気持ちいい。
ずるずるとお尻を滑らせて深くつかる。髪どめでまとめた後ろ髪は触るとひんやりしていた。ぬくまった手に新鮮だ。
(『自信を持って』……かあ)
K・Kさんの言葉を思い出す。
卑屈にはなっていないつもりだが、私も誰かがああいうことを言ったら同じように思うに違いない。私に言われてもと弱りつつも、相手はそんなこと思ってないよ、だとか、ありきたりに慰めたりもするだろう。
自分への情けなさ?それともやっぱりヒクツ?これには不安って名前がつくの?
でも正しいのは『申し訳なさ』な気がする。罪悪感というか、私にとってはこれでいいけどあの人にとってはこれでいいのかがいまいち謎なのだ。拒否されないなら受け入れられているのだとわかってはいるものの、悩んだり考えたりするのに向いていないせいかごちゃごちゃする。レオに電話をかけちゃおうかな。
いやいや、最後まで聞いて寄り添おうとしてくれるから甘えがちだが、レオだってこんな話をされたら言葉に迷う。
健康的な汗で首筋がじんわりしてきた。のぼせてしまうからもう出よう。
お腹すいたなーと思いながらお湯を浴び、洗い残した箇所を丁寧に流す。
ドアを開けてふかふかのバスタオルを引っ張り寄せたとき、1歩、奥へ足を置く手間を横着したせいでバランスが崩れた。立て直すのは簡単だったが、この拍子に空腹と長風呂のダブルパンチが時間差で顔を出した。ちょっとだけクラッときてしゃがみ込む。ダイエットをしすぎたときに体重が減りまくったせいでやっていられなくなる現象に似たやつだ。経験済みなので対処法もわかっており、しゃがみ込みながらのそのそと身体を拭いた。
用意していた下着と着替えを身につけ、換気扇のスイッチを入れ、バスタオルをしかるべきカゴへ放り込んでから廊下に出て足を動かす。髪を乾かすのは後だ。
「忙しいのにごめんなさい、ヴェデッドさん、冷たいお水ください……」
キッチンに辿り着いてぐだぐだにお願いすると、付け合わせのサラダにかけるドレッシングを作っていたヴェデッドさんはすぐに手を止めた。ごめんなさい。
「なんかのぼせちゃって」
「まあ大変。待ってくださいね」
隅にある丸椅子に座らせられる。
コンロのお鍋からは濃厚なお肉の匂いと気泡が弾ける小さな音がする。料理の手順は計算されていて、使い終わった調理器具は綺麗になって邪魔にならない場所へ片される。
棚に並ぶ食器類は汎用的でどこにでもあるようなものなのに、この家の彼の持ち物であると背景をつけるだけで途端に割ってはいけない感じが増す。ヴェデッドさんが取り出したグラスもそうだ。いや、もちろん他のお宅のグラスなら容赦なく割ってもいいと言いたいわけではない。
もらったお水を飲んで、お礼を言う。作業に戻ったヴェデッドさんの手際を目で追った。油が分離しないよう丹念に混ぜる手つきと規則的な動き。わからないけどすっごく上手だ。
「私もヴェデッドさんみたいに料理が上手になれたらなー」
「あら、とても上達なさっていますから、私はすぐに追い抜かれてしまいますわ」
彼女は私を褒めて育てる。そして私はいつか褒めて殺される。確かに、ジャガイモもむけなかった地点からの開始なので成長曲線は目覚ましい右肩上がりに見える。でもこの状態で天狗になったら色々とかなり危ない。どの料理を目標に定めるかは決めていないが、むいたジャガイモをひとりできつね色に揚げられるようになってから褒められたい。その次はチキンライスを卵で綺麗に包めるようになってからがいい。
「手料理でお迎えすれば、旦那さまもきっと喜ぶと思いますよ」
出せば食べる(……食べてくださる!)だろうけど怖い。めちゃくちゃ怖い。レベルと経験値の高い働く男の1食を無駄にはできない。がっちりと人の胃袋を掴める域に達せたらやってみよう。
「火照りは大丈夫ですか?」
「あっ、はい。もう大丈夫です。ありがとうございます」
湯あたりから回復できた私は、グラスに新しいお水をいれてキッチンを出た。
ご飯を食べるテーブルにそれを置こうと廊下を進む途中で影と出くわす。全身がバネのように跳ねた。
「帰ってたの!」
「うん。ただいま」
「おかえりなさい。気づかなかった」
「部屋に居たんだ。君は風呂だって聞いたから声はかけなかった」
「入ってきてくれればよかったのに」
「君は元気は良いんだよな」
実際はドア越しに話しかけられただけで声が裏返る。
跳ねたときに少しだけこぼれてグラスの表面を伝ったお水をティッシュで拭き取る。テーブルに置く際は念のため、コースターを使った。
濡れたティッシュは丸めて屑入れに入れる。箱は私がゴミを捨てるまでは空っぽだった。ヴェデッドさんが朝に回収したのが最後で、誰も使わなかったのだろう。何回も見かけた空っぽ具合だし、ずっと家に詰めていた私は何回も何回も、回収日に心機一転した屑入れに一番乗りでゴミを捨てていた。これで何回目だか、数えようとするのは愚かだ。
視線を移してスティーブンの顔を見つめ、言葉を選ぶ。態度と反応の一片すら見逃すまい、と鈍すぎる全神経を私なりに集中させた結果、やけにゆっくりで躊躇いがちな口調になった。
「スティーブンはどうして私を自分の家に置いてくれてるの?」
「君と一緒に暮らしたいからだよ」
「あ、そうなんだ」
ぽんと答えられて、呑み込めないまま相槌を打つ。なんでもないような声音は揺れず、表情も変わらず、嘘やおべっかや社交辞令はなさそうだった。もしもこれが全力で述べられた建前であれば、観察眼が無機物以下の私に見抜けるはずもないが、しかし、なんだかあっさり納得できてしまえた。
暮らしたいから暮らす。暮らしたくなかったら暮らさない。当然のことである。呪いからの解放までに『お邪魔虫との不本意な同居』という長らくの苦痛を強いられた彼が自分から自分の精神を痛めつけにかかるなんてちゃんちゃらおかしい。K・Kさんの言った通り、デメリットがあればスティーブンは私との同居を選ばないのだ。
「家に帰ったとき、君がいてくれたら良いなと思ってる。僕が君の帰りを待てるときがあるのも良い。生活リズムは、訴えられたら僕が惨敗する要素だらけのバラバラ具合だけど」
笑いづらいジョークを挟まないでもらいたい。
どう訴えられたってあなたは誰にも(……色々な意味で)敗けないのではとは突っ込まなかった。そもそも、訴えられる前に事態を収拾できていそうだ。ただのイメージなので、どうやってなのかは放っておく。
あちらの手が私の髪をくしゃりとかき混ぜた。とっても手を置きやすい高さなのか、手触りがいいのか。自分と彼の身長差を自分目線で測って頭の中で試してみたが、やりやすいとは断言できなかったので、きっと手触りがいいのだろう。自分の手入れ方法が問題ないと保証されたようで嬉しいし、このレベルを保てばまた撫でてもらえるのではないかと期待も抱く。お気に入りのシャンプーに感謝した。
だけどそういえば、まだ髪を乾かしていないんだった。
気づくと、いつも私を苦しめる乙女心が急に懸念し始めた。己の不備に視線がうろつき、あちらの大きな手の長い指が湿った毛先をすくうようにつまむのがわかって恥ずかしくなる。お風呂上がりに濡れっ放しの髪を肩に下ろして放置するなんて、ジョシリョクが足りてない。絶世の美女ならセクシーで様になるかもだけど。のぼせてくらくらしていても乾かすべきだったかもしれない。この発想が不合理でバカでアホなことはよくわかっている。
関係のないことに気を取られた私に語りかけ、彼は私が疑問に感じ、不安(……のようなもの)をおぼえた部分を埋めて補強してくれた。
「前から言う通り、僕は君がいなくても生きていける。君がいなくても身体を休めさせられる。面白くなって笑ったりもできる。だけど物足りない。君を見ていたいし君の瞳に映っていたい。僕は君にここにいて欲しい。いつからか、君がいないと落ち着かなくなっていたんだ。だから君と暮らしたかった」
「スティーブン……」
「人間って狂うよな」
「急に突き落とさないで!」
くしゃくしゃと手で髪を混ぜるようにされる。他の人にされたら髪が崩れるのが嫌で逃げるけど、スティーブンには自分からこうべを差し出した。今度はくすぐったくなる手つきでしてくれた。動物のしつけ感が日に日にいや増す。
「K・Kのテストの意味がわかったよ」
「え?K・Kさん?」
彼は私の左手をやんわり握った。私は硬直したが本能に忠実で、恋に押された心臓がひっくり返りそうになりながら握り返した。手は気持ちいいのに胸が苦しい。「倒れるぞ」と言われ、息を止めていたと気づいた。苦しいはずである。
「君が実感できるまで何度でも伝えるから、家出はしないでもらえると嬉しい」
戸惑いながら頷く。戸惑いすぎて首を動かす角度が斜めになった。
家出なんて頭にもなかったけど、反射的に『レオごめんね』と思ったのは、もしも私が家出をしたら無我夢中で彼の服にしがみついてやたらめったら支離滅裂にぎゃあぎゃあと思いの丈をぶちまけるだろうな、と光景がまぶたの裏に再生されたからだ。
加害妄想、被害妄想。思春期のように上がり下がりが激しくわかりづらい気持ちを簡単にすくい上げたスティーブンはすごい。
すごい人は、「あ」と話を遡って付け加えた。
「ここは僕の家であると同時に君の家でもある、っていうのを忘れないでくれよ」
「うあっ」
スティーブンの家が私の家。突きつけられる方程式に肩が揺れた。
「その反応は割かし傷つく」
「すいません」
「冗談だよ」
持ち上げられるまま、左手を少し上げる。不意な動きに視線をやると、相変わらず正体不明な指輪が照明を受けた。
遠足前の子供のように胸が逸るのは、恋する乙女の不可抗力だ。気まぐれで罪深い贈りものの意味するところは教わらないままで不透明だけど、こらえ性も謙虚さもない私はこれを見ると心がどろどろに甘く溶ける。胸がキュッとなる。同時にめちゃくちゃ混乱する。なのに飽きずに眺めていたくなる。矛盾しまくりだ。
「こ」
恋人同士が同棲してるって感じが、と言う前に我に返った。スティーブンが『はいどうぞ』と言わんばかりに促す。
「内容によっては笑うけど言っていいよ」
「絶対に笑われるからやめておきます」
笑うだけでなく、忘れたころに絡めていじられる。ボキャブラリーと独創力の欠乏がヤバい私は、歴戦の猛者が編み出した表現のうちのどれがこの感情を表すのに適切かを考えた。切なさ?
そんな私を現実に連れ戻す声がかかる。
「旦那さま、お食事が……、あら」
「わー!」
見られた。ヴェデッドさんに見られた。
脈絡のない場所でつなぐ手が気まずくて恥ずかしくて顔色が悪くなる。未熟な私には微笑ましそうな眼差しを真っ向から受け止められない。人が夕ご飯の準備をしているときにこんなことを。
「お邪魔してしまいましたかしら。お肉、もう少し煮て来ますわね」
「待って!待ってください!食べます!今食べます!お手伝いします!ヴェデッドさん!」
善意に羞恥を高められ、笑ってほどかれたスティーブンの指から抜け出してヴェデッドさんを追いかける。今よりも煮込まれておいしさがしみたお肉の味に居たたまれなさが混じってしまう。
彼女は『旦那さま』と私のほのぼのとした交流の中断を残念がった。
風邪をひいてしまうから食事の前に髪を乾かすよう、やんわり言われ、私が戻ったときにはもう、おいしそうな食卓が完成していた。
1214〜22